第49話:『白銀の聖剣』
ネロは美しく整えた爪を掌に食い込ませた。平民中心の中堅クランに過ぎなかったレッドアイズは、最近、異常な速度で実績を伸ばし、ギルド内の評価を急上昇させていた。
その原因が、前任のマルクによるスキルツリーの最適化にあることを、ネロは肌で感じ取っていた。このまま平民クランが台頭すれば、王都の勢力図が塗り替えられ、ネロ自身の権威すら脅かされかねない。
(それにあの少年、やはりドラグニール公爵家の長男、アーク)
ネロは国家鑑定士の情報網から、昨日の『主脈覚醒の儀』の全容をすでに把握していた。名門公爵家の直系でありながら、「潜在限界Lv.4・追加職業なし」という無能の烙印を押され、昨晩屋敷から姿を消した落ちこぼれ。
(ふん、教会の三流雑用係が何を企んでいるかと思えば、公爵家から捨てられた無能のゴミを拾い集めてパーティごっこかしら? 傑作ね、これ以上ない格好の獲物だわ)
ネロは薄暗い笑みを浮かべ、音もなく踵を返した。
向かったのは、貴族街の一等地にそびえる白亜の大屋敷――超エリート貴族クラン『白銀の聖剣』の本部サロンだった。天鵞絨のソファでは、金糸の刺繍の甲冑を纏った若き貴族騎士たちが、優雅にワインを傾けていた。
「おや、ネロ先生。レッドアイズの専属鑑定士様が、我がクランのサロンに何の御用かな?」
出迎えたのは、白銀の聖剣のリーダー格。ドラグニール公爵家の分流に連なる上位騎士――ジュリアス・ドラグニールだった。
彼ら名門クランもまた、平民クラン『レッドアイズ』の台頭を苦々しく思っていた。
「ジュリアス様、皆様。本日は、極上の耳寄りな情報をお持ちいたしましたの」
ネロは猫を被った嫋やかな笑みで、淑女の礼をとった。
「耳寄りな情報だと?」
「ええ。実は……昨日の覚醒の儀で大恥をかき、公爵家から逃亡したあの『アーク』が、レッドアイズの元へ転がり込みましたわ」
「――何!?」
貴族騎士たちが顔を見合わせた。直後、下品な嘲笑の嵐が巻き起こる。
「はーっはっは! あのアークが平民クランに身を寄せただと!?」
「無能が、同じ穴の狢である平民クランに拾われたか!」
「ドラグニール家の直系が、平民の雑魚どもと泥水を啜るとは……どこまで名門の面汚しをすれば気が済むのだ!」
ジュリアスは愉悦に口元を歪め、ワイングラスを揺らした。
「なるほど……出来損ないの長男が外で恥を晒すのは、公爵家にも目障りなはず。叩き潰して連れ戻せば、本家に恩を売れるな」
「ええ、まさにその通りでございますわ、ジュリアス様」
ネロは目を細め、甘く囁いた。
「あのマルクという男は、三流の分際でインチキを使って団員を誑かしています」
ネロは声を潜めた。
「明日の『大規模レイド演習』は、奴らに身の程を弁えさせる絶好の舞台ではございませんか?」
大迷宮『黄昏の巨石回廊』で行われる、大規模レイド演習。各クランが合同で深層へ挑み、攻略速度と討伐戦果を競い合う一大イベントだ。
「ふっ……名案だな」
ジュリアスは冷酷な光を瞳に宿して笑った。
「難所の第4層、中ボス広間だな。そこでアークたち下位パーティを、ヘイトを引きつける『肉壁』として使い潰してやろう」
「まあ……! 素晴らしいご差配ですわ」
「ゴミが大盾ごと粉砕され、平民クランと教会の三流鑑定士が這いつくばる姿を、全クランの前で晒し者にしてやる」
ジュリアスはグラスを掲げた。
「公爵家の威光を汚した罪、その身体にたっぷりと刻み込んでやるさ」
貴族たちの下劣な笑い声が、サロンに響き渡る。
だが――その謀議の裏で。サロンの片隅に控えていたフードの魔導士の瞳に、不気味な赤い光が一瞬だけ明滅した。悪魔を信奉する狂信結社『原初の使徒』が、貴族たちの悪意をも利用し、大迷宮の深淵で破滅の罠を張り巡らせている。そのことを、彼らは知る由もなかった。
◇
夜。レッドアイズの本部に戻ったネロは、自分の鑑定士執務室に入った。扉を閉めて鍵を掛けた瞬間、淑女の仮面が剥がれ落ちた。その顔が、凄まじい狂気と憎悪に歪む。
「あはは……! あははははッ!!」
窓の外の中庭からは、夜遅くまで訓練に励むマルクとアークたちの掛け声が、微かに聞こえてくる。
その声が耳に届くたび、ネロの胸の奥でドス黒い炎が燃え上がった。
「あの教会の三流雑用係さえいなければ……!」
ネロは机のワイングラスを鷲掴みにし、指先が白く鬱血するほど握り締めた。国家試験をパスしたエリートの自分が、なぜあんな男の影に怯えなければならないのか。なぜ団員たちは、自分ではなく、あんな男の言葉ばかり有難がるのか。
傷つけられたプライドと嫉妬が、ネロの理性を焼き尽くしていた。
「見ていなよマルク……! 明日の大迷宮で、君のインチキも、拾ってきた無能のゴミも、貴族たちに全部無様に踏みにじらせてやるよ!」
ネロは狂気に濡れた瞳をギラつかせ、冷酷に嗤った。
「血反吐を吐いて泣き叫ぶがいい! 這いつくばって命乞いをする君を、ボクがこの足で踏み躙ってやるから……!」
夜の闇の中で、黒い憎悪が静かに牙を研ぎ澄ましていた。




