第47話:レッドアイズの危機
「――見送りだと!? ふざけるんじゃないよ、このクソジジイどもッ!」
王都の冒険者ギルド本部、その最深部にある円卓会議室。黒鉄の扉を蹴破らんばかりの勢いで、セリアの怒声が轟いた。
長机の向こうに並ぶのは、白髪交じりの頑固そうなギルド上層部の審査員たちだ。その手元には、『レッドアイズ』の【上位クラン昇格申請書】が冷たく置かれていた。
「声を荒らげるな、セリア殿。ここは酒場ではないのだ」
中央に座る禿頭の監査員が、眉間に皺を寄せて冷淡に告げた。
「貴殿らの実力は認めている。構成員はいささか荒削りで上品とは言えぬが、規律を守る者たちであることも承知の上だ」
「だったら文句はあるまい! あたしたちはオーグのスタンピードを打ち破って、街を救ったんだよ! 実績なら十分だろ!」
セリアは腰の長剣の柄を握り締め、真紅の瞳で老人たちを睨み据えた。だが、別の監査員が眼鏡の奥の目を細め、静かに切り込んできた。
「……そのオーグの件だがね、セリア殿。本当に『白銀狼王』が出現したのかね?」
「……ッ!?」
セリアの喉が、一瞬だけ詰まった。
「報告書には、ランク6相当の白銀狼王を撃退したとある。だが……討伐証明となる魔核も、王の牙も提出されていないではないか」
当然だった。白銀狼王は討伐されたのではなく、ミミィの力で子犬に縮められ、使役されているのだ。
「あれは……あまりに激しい乱戦で、死骸が霧散したんだよ!」
「苦しい言い訳だな。確証がない以上、あれは『大型ウルフの群れによる大規模襲撃』として処理せざるを得ん」
監査員は机を指先でトントンと叩いた。
「ならば防壁を閉ざし、王都の救援を待てば足りたはずだ。貴殿らが功を焦っただけ、と見なす者もおるのだよ」
「なっ……! あそこであたしたちが食い止めなきゃ、街の防壁なんて一瞬で食い破られてたよ!」
「証拠がないのだよ、セリア殿。冒険者の世界は結果と証拠がすべてだ」
冷淡に切り捨てられ、セリアの額に脂汗が滲む。だが、追及はそれだけに留まらなかった。
「さらに最大の問題は……セリア殿、貴殿自身の立ち位置だ」
「……あたしかい」
「そうだ。『レッドアイズ』は貴殿とガインの二枚看板で成り立っている。だが上位クランとなれば、数百名規模に膨れ上がるのだぞ」
中堅と上位の壁は、あまりにも厚い。上位クランには、迷宮利権の管理、補給統制、王宮や他クランとの政治折衝など、膨大な組織運営能力が求められる。
「貴殿がマスターとして統括に専念すれば、前線の戦力は確実に半減する」
監査員は目を細めた。
「事実……オーグの防衛戦でも、貴殿が十全に戦えたのは、教会の元専属鑑定士マルク神官が全体の指揮を代行したからではないのかね?」
「ッ……!」
セリアの背筋に、冷たいものが走った。
(全部……調べ上げてやがるのかい……!)
図星だった。あの大軍勢を前に剣を振るうことだけに集中できたのは、マルクが戦況把握と連携指示を担ってくれたからだ。自分一人では、全体を見渡しながら切り込み隊長を務めることなど、到底不可能だった。
「はっきり言いなよ。……要するに、女のあたし一人じゃ上位クランを束ねる器じゃないって言いたいんだろ」
セリアが自嘲気味に吐き捨てると、中央の老監査員が待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「話が早くて助かるよ。何も昇格を完全に潰そうというわけではないのだ。……どうかな、良き『支援者』を紹介して差し上げよう」
(……来たね)
セリアの瞳に、鋭い警戒の色が宿った。
「平民クランが王都の荒波を生き抜くには、後ろ盾が必要なのだよ。例えば……当代屈指の権勢を誇る『三大貴族』の方々などはいかがかな?」
王都には、国家の軍事と財政を牛耳る三つの名門貴族が存在する。
武門の頂点たる『ドラグニール公爵家』。
武と政治の両方に絶大な影響力を持つ『ハイドライト公爵家』。
王国の莫大な商業利権を握る『エンブリオ侯爵家』。
王都の上位クランのほぼすべては、このいずれかの傘下にある。上位クランの座とは、貴族たちの権力闘争が渦巻く魔窟そのものだったのだ。
「ドラグニール家の派閥に入れば、物資もギルド内の発言力も思いのままだ。庶務は貴族家の文官たちが代行してくれる」
甘い誘い文句の裏にある、ドス黒い支配欲。
セリアは、胃の腑が絞られるような嫌悪感を覚えた。
(教会のお目付け役だったマルクを追い出した途端、今度は自分たちの飼い犬にしようって腹かい……!)
マルクとの契約解除を執拗に迫ってきたのも、支援者を名乗る貴族寄りの幹部たちだった。教会の監視を排除し、孤立したレッドアイズを手中に収める――それが奴らの筋書きだったのだ。
セリアは拳を震わせ、亡き夫の顔を脳裏に浮かべた。
この『レッドアイズ』をゼロから立ち上げた男。
『セリア、いいか。貴族の飼い犬にだけは絶対になるな。傘下に入っちまったら、自由な冒険も、泣いてる弱者を助けることもできなくなる』
『団員たちをくだらない身分制度で縛り付けない……それだけが、俺たちの誇りだ』
その信念だけは、何があっても裏切れない。どれほど財政難に苦しもうと、セリアは貴族の軍門に降ることだけは拒み続けてきたのだ。
「……お断りだよ」
セリアは地を這うような声で吐き捨てた。
「な、何だと……?」
「政治ごっこなんざ興味はないんだよ。……だが、あたしたちの実力が中堅の枠に収まらないことは、アンタたちも認めてるんだろう?」
セリアが一歩踏み出すと、床の石畳がピシリと軋んだ。歴戦の女戦士の闘気が、老人たちを圧倒する。
「な、何を言い出すのだ……」
「ならば――今度の国家行事、『大規模レイド演習』で白黒つけてやろうじゃないか」
「大規模レイド演習だと……!?」
監査員たちが息を呑んだ。大迷宮『黄昏の巨石回廊』で、王都中の有力クランや王国騎士団が一堂に会する一大演習だ。
「そこで貴族様方のエリートクランを全員叩き伏せて、戦果を叩き出して見せる。そうしたら、文句なしに昇格資格を認めてもらうよ。どうだい!」
退路を断ったセリアの気迫に、老人たちは完全に気圧されていた。やがて中央の老監査員が、額の冷や汗を拭って口を開いた。
「……よかろう。大規模レイド演習で上位に相応しい圧倒的戦果を示すのであれば……我らとて、審査資格を認めざるを得まい」
「交渉成立だね」
セリアは踵を返し、扉を乱暴に開け放った。
「せいぜい、特等席であたしたちの暴れっぷりを見てな!」
◇
ギルド本部の大階段を、セリアは大股で降りていった。正面玄関を抜けると、夕暮れの冷たい風が火照った頬を撫でる。
セリアは煙管を取り出し、紫煙を深く吸い込んだ。
「ふぅぅぅー……ッ」
煙が、茜色の空へ細く溶けていく。その横顔から威勢は消え去り、焦燥と重圧が色濃く滲んでいた。
「……大見得を切っちまったねぇ」
大規模レイド演習での、ガチンコ勝負。相手は、王都の富と権力を集めた超エリート貴族クランたちだ。最高峰の装備、分厚い戦力層、国家公認の高位鑑定士に調整された部隊。
対して、今のレッドアイズは少数精鋭の一個小隊に過ぎない。セリアが前線で暴れれば指揮系統が崩れ、持久戦になれば手数で押し切られるのは目に見えていた。
「今の戦力のままじゃ……とてもじゃないが太刀打ちできないね」
セリアは煙管を握りしめた。脳裏に浮かぶのは、一人の青年の顔だ。
飄々として、どこかやる気がなさそうで。けれど戦場に立てば、誰よりも冷徹に勝ち筋を描き出す男。
「……頼むよ、マルク」
夕日に染まる空に向かって、セリアは祈るように呟いた。
「あんたの手腕が本物なら……あの爆弾娘たちを、短期間で戦力に育て上げてみせな。あたしたちの命運、全部あんたに賭けたんだからさ」
煙管の灰を落とし、セリアは決戦の準備が待つクラン本部へと足早に向かうのだった。




