第3話:元専属の異常性
王都レ・ルミナスの中央区画。冒険者たちが夜ごと集う酒場『吼える獅子亭』は、天井を揺らすほどの熱気と歓声に包まれていた。 丸太の長机の中央で、ひときわ大きな鉄製ジョッキが両手で掲げられる。掲げたのは、クラン『レッドアイズ』の重戦士長ガインだ。
「うひょぉぉっ! 肉と冷えた酒に、かんぱぁぁぁいっ!!」
「乾杯っ!」
「かんぱーい!」
構成員たちが一斉にジョッキを突き上げ、麦酒を勢いよく喉へ流し込む。
「――ってなわけで! 今夜はマルクに乾杯だぜ、おい!」
「ちょっとガイン、やめなさいよ!」
すかさずツッコミを飛ばしたのは、向かいの席の魔導士ヘレナだ。
「当人抜きの酒盛りで名前を叫ぶなんて、悪趣味にもほどがあるわ。少しは慎みなさい」
「いいじゃねえかよヘレナ、減るもんじゃなし!」
ヘレナの隣で、短剣使いの青年ロイスが肩をすくめた。口端が、ニヤリと吊り上がる。
「仕方ねえだろ。本当は送別会を開いてやるはずだったんだ。なのにあいつ、契約を切られた翌朝にはオーグの田舎町へ巡礼だぜ?」
「そうそう、あいつの足取りが早すぎるのがいけねえんだよ」
ガインがジョッキを卓にドンと置いた。口元についた泡を、手甲の裏で乱暴に拭う。
「それにさ、あいつがいた頃は、こんな大騒ぎなんてできなかっただろ? 教会の監視役が目を光らせてたからな」
「違いないな。ちょっと酒場で乱闘騒ぎを起こしただけで、翌日には教会から素行不良の警告状が届く始末だったからな」
ロイスがからからと笑い、グラスの酒をあおる。
「だからこそ、お目付役から解放された今夜は、皮肉も込めてマルクに乾杯なんだよ! うっひゃあああ、こんな気楽な酒はいつ以来だ!」
若手たちの笑い声が響く。
その中で、ヘレナはグラスを弄び、唇をへの字に曲げていた。
「……何よそれ。まるで先生が厄介者だったみたいじゃない」
尖ったヘレナの声に、ロイスは苦笑して卓に肘をついた。
「まだ納得いってねえのかよ。クランがでかくなるには、いつまでも教会の技能鑑定士の世話にはなれねえんだよ」
「それは……頭では分かっているわよ」
「だったら、裏方で書類と格闘してる連中の負担も考えてやれって」
ロイスは声を少し落とした。
「教会の鑑定士を一人置くだけで、毎月の活動報告書に、一銅貨単位の収支報告書だ」
ロイスは、ヘレナの耳元へ指を一本立てた。
「おまけに現場で買った傷薬や魔力水にまで、本部が『贅沢品だ』とケチをつける。お布施まで引かれてそれじゃ、縁を切りたくもなるさ」
「……」
ヘレナは反論の言葉を見つけられず、視線を落とした。その時、ずっと肉を貪っていたガインが、ふと真面目な顔つきになった。
「そうだぞヘレナ。うちが本気ででかくなるには必要なんだ。上位を目指すなら、商業ギルドと冒険者ギルド本部の『厳格な昇格審査』を通らなきゃならねえ」
陽気な酔漢の顔が、歴戦の重戦士長の引き締まった横顔に変わっている。
「審査で問われるのは、組織の独立性と収支の透明性だ。教会の顔色を窺ってる半端なクランじゃ、机にすら乗せてもらえねえ」
「ガイン……」
「それに、マルクが野垂れ死ぬわけでも、一生の別れになるわけでもねえんだ」
ガインは白い歯を見せ、ヘレナの肩を手甲で軽く叩いた。
「あいつのことだ。巡礼が終わって王都に帰ってくりゃ、案外ケロッとした顔でうちのマスターと酒でも飲んで、仲直りしてるさ」
「……そうだといいけれど」
ヘレナは小さく息を吐き、ようやく肩の力を抜いた。ふと思い出したように、フロアの入り口を見つめる。
「……ところで、マスターは? 今夜の宴会には顔を出すって言っていたじゃない」
「セリアの姐さんなら来ねえよ」
ロイスが短剣の鞘を指先で弄び、肩をすくめた。
「『昇格審査の提出書類を整えるのに忙しい』って部屋に籠もってるが……たぶんあれは、一人で悩んでるんだよ」
「マスターが……?」
「当たり前だろ。悩んでるのはヘレナだけじゃない。あいつを一番引き留めたかったのも、自分の手で切ったのも、姐さんなんだ」
卓の空気が、わずかに重く沈んだ。だが、その湿っぽい空気を吹き飛ばすように、ガインがジョッキの底を豪快に打ち鳴らした。
「おいおい、暗い顔すんなって! 新しい鑑定士さんのもとで、『レッドアイズ』の新たな躍進といこうぜ!」
「……そうね。前を向かなきゃいけないのは分かっているわ」
ヘレナはグラスの酒を口に含み、かすかに眉をひそめた。
「でも、私……あの新しい鑑定士さん、少し苦手かもしれない」
「あん? ネロさんのことか? なんでだ?」
「なんというか……上から目線で、プライドが高そうなのよ。今日の挨拶でも、こちらの装備を品定めするように見ていたし」
「がっはっは! そんなもん、高位の国家技能鑑定士なら普通だ普通! 主脈5まで診られる上位の先生なんだぞ?」
ガインが腹を抱えて笑い飛ばす。
「それに比べりゃ、マルクとセリアの姐さんだって最初はひでえもんだった。顔を合わせるたびに噛みつき合ってたんだからな!」
その言葉に、ロイスの目が爛々と輝いた。身を乗り出し、ガインへぐっと体を寄せる。
「は!? 何それ、マルクとマスターの昔話!? おいガイン、それ超聞きてえんだけど! 詳しく話せよ!」
「おう、マルクが入って間もない頃だ。姐さんが無茶な迷宮潜入を強行しようとしてな、マルクが『死にに行く馬鹿の顔が見たい』って突き放して――」
ガインが得意げに昔語りを始めた、その瞬間だった。
バタンッ!
酒場の木製二重扉が、乱暴に跳ね上がった。湿った夜風とともに、慌ただしい足音がフロアに響き渡る。客たちのざわめきを切り裂き、テーブルへ駆け込んできたのは、裾を乱した一人の女性だった。
肩で息を切り、額には冷たい汗がびっしりと浮いている。新しく『レッドアイズ』の専属として雇われた上位技能鑑定士、ネロだ。
「おおっ、鑑定士さん!」
ガインは驚いたが、すぐに破顔した。空いた丸椅子を、バンバンと叩く。
「噂をすれば主役の登場だ! 今日はあんたの歓迎会も兼ねてるんだ、座りな! 一番上等な肉と酒を頼んでやるよ!」
「そうだぜネロさん、飲まなきゃやってられない夜もある!」
ロイスも気安くジョッキを差し出す。
しかし――ネロは酒に手を伸ばさなかった。
蒼白な顔のまま、全身をガタガタと震わせている。
息が浅い。乾いた唇が、引き攣るように開かれた。
「あ、あの……き、聞いていいですか……!?」
掠れた悲鳴のような声に、ガインたちの笑みがピタリと止まった。
「ネロさん……? 一体どうしたんだ、そんな青い顔して」
「いま……本部に残っていた数名のツリーを、初診断してきたんです……それで……その……」
ネロは胸元を両手で固く握りしめた。信じられないものを見る目で、ガインたちを凝視する。
「このクランの方たちって……本当に、所属している全員が、主脈3の枝脈を『完全制覇』しているんですか……!?」
静まり返るテーブル。
ガインは拍子抜けしたように、二度瞬きをした。
それから、誇らしげに太い胸板を叩く。
「おうよ! うちの連中は全員、主脈3までの枝脈を開放し切ってる。頑張って鍛えてるからな!! それがどうかしたのか?」
「そんな……バカな……!」
ネロは両手で頭を抱えた。絶望的な呻き声を漏らし、その場にへたり込みそうになる。
「ありえない……! ありえないわよ、そんなこと……!」
ネロの瞳は、恐怖と混乱で激しく揺れていた。
「それも……たった一人で!? この大所帯全員の枝脈を、一つ残らず把握して完成させていたというのかい……!? 人間業じゃない……!」
震えるネロの絶叫が、賑やかな酒場の片隅を凍りつかせた。
「……化け物」
歓喜の酒宴は、一瞬にして消し飛んだ。
ガイン、ロイス、ヘレナの三人はジョッキを握ったまま、ただ顔を見合わせるしかなかった。
異世界の酒場シーンって美味しそうですよね。
ちなみに本編で本作のメインヒロイン候補(超絶異論あり)が登場してます。
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