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スキルダイバー~追放された深淵の鑑定士は最強レギオンを作り上げる~  作者: 国木田。
下位鑑定士と少女たち

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閑話:疾走するライラ

 湿った冷たい風が、肌を鋭く叩く。深い木立に覆われた『魔境の樹海』の天蓋を、三つの影がすり抜けていく。葉擦れの騒音に混ざり、獣の脂が焦げたような生臭い匂いが鼻をついた。


 樹海を統べる『白銀狼王』と五百頭の魔獣の群れが、オーグの街へ向け進軍を開始した時――防壁の閉鎖と避難をギルドへ指示する急報を届けるべく、ライラ達は樹海の上層を全速力で疾走していた。


「おい、待てって! 速すぎる! 木の枝を跳び移るなんて無茶だ!」


 背後から、『鉄蠍の尾(アイアンスコーピオン)』の斥候が荒い息を吐きながら叫んだ。


「無茶ではありません。息を乱さず、私の踏んだ枝の跡を正確に辿りなさい」


 私は振り返りもせず、一定の速度を保ったまま告げた。


「無茶言わないでくれ! あっちを見ろよ、あっちを!」


 視線をわずかに向ければ、木々の隙間を埋め尽くす黒い塊が視界に飛び込んでくる。


 五百頭を超える『フォレストウルフ』の大軍勢が、地響きを立ててゆっくりと南へ進軍していた。その中枢から放たれる凍てつく殺気が、私の皮膚をちくちくと刺す。樹海の頂点に君臨する幻想魔獣、『白銀狼王《シルバー・ルプス・ロード》』の気配だ。


「あんな津波に呑まれたら、街の丸太壁なんて数分も保たねぇぞ! 俺たちの足で先回りできるわけがねぇ!」


「先回りするのです。マルク様から、そう命じられました」


「そのマルクって旦那だって、無茶を言ってるんだよ! なんでこんな大回りを選ばせるんだ! 最短距離を突っ走れば、もっと早く着くはずだろ!」


 斥候の苛立ちを含んだ叫びが、風の音にかき消されそうになる。戦術的な合理性だけで判断するならば、斥候の言う通り最短距離を突っ切るべきだった。途中で魔獣の群れに捕捉され、伝令が命を落とそうとも、誰か一人でも街へ辿り着けば任務は完遂できる。


 教会の特務工作員として育てられた私にとって、自己の生存など考慮に値しない変数に過ぎない。道具に命の重みなど存在しない。それが、私の知る世界の理だった。


 それなのに――あの主は、私の肩を強く掴んでこう言い放った。


『絶対にウルフの軍団の進行ルートに割り込むな。樹海の北側を大きく大回りしろ』


 武骨な手のひらから伝わってきた熱が、服越しに肌へ残っている。


『たとえ街への到着が数分遅れようと、お前が群れに捕捉されて討ち死にしたら元も子もない』


(……非合理的です、マルク様)


 枝を蹴り、宙を跳びながら、私は心の中で呟いた。私を失っても、教会の孤児院を探せば代わりの工作員などいくらでも補充できる。それなのに、あの男は私の命を救うことを前提に作戦を組み立てた。道具としてではなく、一人の人間として扱われた奇妙な違和感が、胸の奥底をわずかに波立たせる。


「くそっ、足が……! 魔力の巡りが追いつかねぇ!」


 後方の斥候が足をもつれさせ、太い幹にしがみついた。


「おい、大丈夫か!?」


「すまねぇ、足の筋肉が痙攣しちまった……!」


 立ち止まった二人の元へ、私は音もなく身を翻して着地した。


「呼吸が乱れ、脚部の枝脈に魔力が詰まっていますね」


「す、すまねぇ嬢ちゃん……俺たちはここまでだ。もう跳べねぇ」


 悔しげに顔を歪める男たちを見下ろし、私は即座に判断を下した。


「分かりました。お二人はここで呼吸を整え、地上から街道沿いに街を目指しなさい。群れの進路からはすでに外れています」


「なっ……あんた一人で行く気か!? ここから先はさらに起伏が激しくなるんだぞ!」


「問題ありません。一人の方が、速度を上げられます」


「無茶だ! その細い身体で、あの群れより先に行けるわけがねぇ!」


「行かなければならないのです」


 私は黒装束の裾を払い、前方をまっすぐに見据えた。脳裏に浮かぶのは、この数日間の奇妙に騒がしい日々の光景だった。


 規格外の巨躯を縮こまらせ、いつも「ふぇぇ」とおどおどしているミラ様。


 才能がないと泣いていたはずなのに、動物たちと触れ合って満面の笑みを浮かべるミミィ様。


 そして、二人の無防備な身体に鼻の下を伸ばしながらも、夜遅くまで金策と育成の計算に頭を抱えていたマルク様の姿。彼らは、私が守るべき対象であり、同時に私を「仲間」として受け入れてくれた者たちだった。


「あの人たちが無事に帰る場所を、失わせるわけにはいきませんから」

「嬢ちゃん……?」


「行ってきます。……【気配遮断】」


 私は呟くと同時に、体内の全魔力を脚部へと一気に集中させた。


 パチン、と足元の樹皮が弾ける。


 空気を切り裂く突風が鼓膜を震わせ、私の視界は一瞬で白くかすんだ。枝から枝へ。もはや足場を確かめる暇すらなく、本能と感覚だけで跳躍を繰り返す。風が顔面を激しく叩き、肺の奥が燃えるように熱い。


 肉体が耐えうる許容量を、明らかに超えていた。筋肉が悲鳴を上げ、関節がぎしぎしと軋みをあげる。


(心拍数は平時の二倍以上。魔力の過熱を検知……ですが、止まるわけにはいきません)


 眼下を猛スピードで追い抜いていく黒い群れ。その先頭を走る白銀狼王の巨影が、徐々に私の真横、そして背後へと後退していく。


 樹海を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。


 夕暮れの赤い光が差し込む平原の向こう、粗末な丸太で囲まれた『オーグの街』の防壁が見える。私は地面へ着地すると、崩れそうになる膝を力ずくでねじ伏せ、門へ向かって全力で疾走した。


「止まれ! 何者だ!」


 防壁の上から、門番の自警団員が怯えた声を張り上げる。


「ウルズ教会の巡礼鑑定士、マルク神官の従者です!」


 喉から血の味が広がるのを感じながら、私は残る肺活量のすべてを絞り出して叫んだ。


「樹海より、五百頭を超える『フォレストウルフ』の大軍勢が接近中! 先頭は『白銀狼王《シルバー・ルプル・ロード》』! 一時間以内に到達します! 直ちに正門を閉鎖し、非常警鐘を鳴らしなさい!」


「な……五百頭だと!? 白銀狼王だって!?」

「早くしなさい! 防壁の補強と、非戦闘員の地下退避を急ぐのです!」


 門番の顔から血の気がサーッと引いた。


 カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!


 直後、静まり返っていた街の空気を切り裂くように、けたたましい非常警鐘の音が乱打され始めた。悲鳴と怒号が街中に広がり、重い木製正門が軋んだ音を立てて固く閉ざされる。


(……これで、第一段階は完了です)


 荒い呼気とともに、口元から細い蒸気が漏れる。

 

「……ギルドへ行かなければ」


 かすむ視界を瞬きで払い、私は鉛のように重い足を前に踏み出した。足裏の感覚はすでに麻痺し、全身の筋組織が焼けるように痛む。石畳を蹴るたびに、視界が左右に激しく揺れた。


 パニックに陥った住民たちをすり抜け、私は『冒険者・傭兵ギルド オーグ出張所』の古びた扉へと辿り着いた。


 バタンッ!


 最後の力を振り絞って二重扉を押し開けると、湿った酒場の熱気と、男たちの絶望に満ちた罵声が一気に押し寄せてきた。


「無理だ! 五百頭なんて防げるわけがねぇ!」

「逃げよう! 今すぐ南の街道から逃げ出すんだ!」

「静まれ! 全員静まれぇぇっ!」


 ギルドマスターのバッカスがカウンターを叩いて叫んでいるが、恐怖に狂った者たちを抑えきれていない。


 私は一歩、フロアの中央へ足を踏み出そうとした。


 ――ガクンッ。


 その瞬間、膝の力が完全に抜け落ちた。魔力が底をつき、視界が急速にブラックアウトしていく。身体が前のめりに傾ぎ、冷たい木の床が眼前に迫った。


(……ここまで、ですか)


 倒れ伏すことを覚悟し、目を閉じかけた、まさにその刹那。


 ガシッ!


 力強い逞しい腕が、私の倒れ込む身体を宙でしっかりと受け止めた。鼻先をかすめたのは、紫煙の苦い香りと、燃えるような熱い体温。


「おいおいおい……いきなり飛び込んできて倒れるたぁ、ずいぶんと派手な挨拶じゃないかい」


 頭上から降ってきたのは、呆れたような、けれど大地を揺るがすほど凛とした女の声だった。薄目を開けた私の視界に飛び込んできたのは、燃えるような赤髪と、真紅の瞳。そして、その背中に背負われた巨大な両手大剣だった。


「……セリア、様……。『レッドアイズ』……」


「あん? ……あんた、マルクのところにいた教会の娘じゃないかい!」


 驚愕に目を見張るセリアの顔を見上げた瞬間、張り詰めていた私の心の糸が、ふつりと音を立てて解けていった。


 この人がいる。


 マルク様が全幅の信頼を寄せ、その手で鍛え上げた最高の戦士たちが、ここにいる。


(……ああ、これで……)


 胸の奥に、あたたかい安堵の波が広がっていく。


 これなら、街は守られる。


 マルク様たちが帰ってくるべき場所は、決して失われずに済む。


「……まもなく、来ます……。マルク様たちも……」


「分かってるよ。あとはアタシらに任せて、眠りな」


 獰猛で頼もしい笑みを見届けながら、私の意識は深い暗闇の中へと静かに沈んでいった。

閑話です。

第一章にて、一番に主人公マルクを支えているライラですが、メイン回がないので今回追加してみました。

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