第16話:深夜のノックは破産宣告の足音
宿舎のベッドに横たわり、俺は天井を睨みつけていた。目を閉じると、劇薬じみた蒸留酒を瓶ごと煽るミラの豪快な笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
(……あんな酒の飲み方をする人間がこの世にいてたまるか……)
胃袋の頑丈さもさることながら、あの酒代の請求書を思い出すだけで背筋が寒くなる。どうしても眠れそうになかった。
(……それにしても、あのミラの底なしの酒量は何なんだ?)
俺は前世の記憶を、必死に手繰り寄せていた。
『マスターズ・レギオン』に、「大酒飲みのNPCは潜在能力の限界値(潜在Lv.)が高い」なんて仕様は存在していただろうか?
確かにゲーム内でも、酒場でひたすら樽酒を煽る名前付きのモブキャラクターは何人かいた。だが当時のプレイヤーたちは、ただの「酒飲みキャラのフレーバー演出」だとスルーしていたはずだ。
(あのゲームのことだ……「規格外の素質者は、頑強な内臓の副産物として過剰なアルコール分解能力を持つ」なんて裏設定があってもおかしくない……)
もしそうなら、酒場で泥酔している無名キャラの中に、ミラ級の化け物が眠っていた可能性すらある。
(……いや、待てよ)
俺はふと思考を止めた。
前世のゲームで【経験値注入】をするとき、経験値だけでなくゲーム内通貨も大量に消費していたはずだ。
当時は、インフレ防止のための回収仕様だと割り切っていた。だが、肉体の維持に膨大なエネルギーを使うこの世界の現実と照らし合わせると、別の答えが浮かび上がってくる。
(あの消費ゴールドって……まさか、限界突破を支える膨大な食事代を、システム的に換算したコストだったのか……!?)
まさかな、と苦笑いしつつも、ぞわりとした悪寒が背筋を駆け抜けた。
その時――トントン、と扉を控えめにノックする音が響いた。
「……ん? 誰だ、こんな夜更けに」
扉を開けると、そこには薄手の部屋着姿のライラが立っていた。いつもの黒装束ではない。湯上がりの微かな石鹸の香りが、ふわりとかすめる。簡素な生地越しに、しなやかな身体のラインが露わになっていた。
(ま、真夜中に女性が男の部屋を訪ねてくるだと……!?)
俺の心拍数は、一気に跳ね上がった。
(もしかして……教会の護衛兼教育対象って、夜の『そういうお世話』まで含まれているのか……!? いやいや、落ち着け俺! あんな冷徹な暗殺者がそんなこと……でも万が一ってことが……!)
妄想を暴走させかけた俺に、ライラは氷のように冷淡な瞳のまま口を開いた。
「夜分に失礼いたします、マルク様。真剣にご相談したい重要な案件がございます」
「あ、ああ……相談か! 分かった、入れよ!」
俺は煩悩を全力で殴り倒し、彼女を部屋に招き入れた。丸椅子に腰掛けたライラが、懐から羊皮紙を取り出して机に広げる。
「本日、エレオノーラへ初期活動費および今後の育成経費の請求書を送付いたしましたが――先ほど『全額棄却』の返答が届きました」
「……は? き、棄却って……全額!?」
思わず叫んだ俺に、ライラは淡々とマスターの伝言を読み上げた。
「『すべてマルクに一任した以上、活動資金も自分たちで賄うのが教育の一環である。追加予算は一銭も出さない』とのことです」
「あのクソババアッ……! 丸投げにも程があるだろ!!」
俺は頭を抱えて机に突っ伏した。ミミィの生活費程度なら、俺の僅かなへそくりでも何とかなる。
だが、問題はあのミラだ。
今日の夕食で平らげた食事と酒の量は、控えめに言ってもオーガである。しかも、特注防具の仕立て代に、大槌の補強費用まで待っている。
「……ライラ、現在の教会の手持ち資金で、ミラの食費はあとどれくらい持つ?」
「明日の朝食、昼食、夕食を通常通り摂取させた場合、約二日半で所持金が完全に底をつきます」
「二日半で破産確定じゃねぇか!」
冷徹に死刑宣告を下すライラに、俺は額を押さえて唸った。
「……こうなったら、薬草採取なんてやってられないぞ。実戦訓練も兼ねて、【高額報酬の討伐依頼】に切り替えるしかない!」
「妥当な判断です。ですが、ミミィ様は発展途上、ミラ様も出力の制御が未熟です。討伐対象は慎重に選ぶ必要があります」
「ああ、分かってる。だからこそ、お前と俺で二人の立ち回りを完璧に制御する戦術を組むぞ」
そこから、深夜に及ぶ金策と討伐シミュレーションの打ち合わせが始まった。魔物の弱点。ミラの怪力を叩き込むタイミング。ミミィの攪乱ルート。そして、ライラの奇襲ポイント。前世の知識を総動員して作戦を練り上げる。
ようやく方針が固まった頃には、東の空が白み始めていた。
「……ふぅ、これならいけるはずだ。明日は朝一番でギルドへ行くぞ」
「承知いたしました」
立ち上がったライラは、部屋の出口でふと足を止めて振り返った。
「……なおマルク様。金策が困難な場合は、私の専門技術で裏社会の『掃除』を引き受け、賞金首を闇で処理することも可能ですが」
「絶対にダメだ!! 物騒すぎる提案をするな! 俺たちは表の真っ当な冒険者として稼ぐんだよ!」
全力でツッコミを入れる俺に、ライラは小さく一礼した。
「失礼いたしました。では、明日のギルド依頼での稼ぎに期待しております」
パタンと扉が閉まり、静まり返った部屋には冷たい夜気だけが残された。
俺はベッドへと倒れ込んだ。
(……色気のある密談どころか、明日からを懸けた金策サバイバルじゃねぇか……! 最悪の予想が現実味を帯びてきやがった)
【経験値注入】には、破産という名の大きな社会的リスクが存在していたとは……重いため息を吐き出し、俺は迫り来る明日の実戦に向けて、少しでも仮眠を取るべく目を閉じるのだった。
チートには重い責任が付きまといます。
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