ep79 ストップ!ブラック勤務
2026年8月24日
◇◇
後ろ髪も何一つ引かれることなく、わたしたちはアーシュレイ領の領主館へと戻ってきた。
◇
大海原と云いたくなるような広いオルサ大河を北西にアーシュレイ家の帆船は進む。
きっと此れが春から秋のはじまりの季節なら、甲板に出て渓谷や山々の風景を愉しむのだろうけども、今は1月終わりの冬真っ只中。
鉛色に覆われた空や気まぐれな霧雨などを愉しむ余裕はなかった。吹き付ける風が寒過ぎて。
大きな帆船に乗船して、わたしは速攻船内に駆けこみ、アーシュレイ家専用の船室へと入っていく。 子供は風の子って云うのは迷信だからね。 小さな身体だと直ぐに体温を奪われて風邪っぴきに成っちゃうのだ。 折角に疫病から逃れたのに、風邪なんて引いてやる心算はない。 万が一母にうつったら如何して呉れるのだ。
それにしてもクレール夫人、恐るべし。
わたしは一昨日に体験した冷え冷えとした茶会の再演を阻むべく、恐る恐る祖母へと提案してみたのだ。
「あのぅ、お祖母さま? 出来ればクレール夫人から(宮廷作法など)教わるのをお断りしたいのですけれど。 少しわたしにはクレール夫人の講義はレベルが高過ぎる気がするのです? お祖母さまは、如何思われますか? わたしたちは、丁度明後日に領地へと戻りますし、クレール夫人は此の侭王都に留まって頂けたら、、、。」
「そうね、オリビア。」
「それではっ!お祖母さま!」
「それが無理なのよ。私もオリビアに未だ彼女の話は早いと思ったわ。 だから王都に向かうのを期に、あの人にクレール夫人の教えは、オリビアに時期尚早だと伝えたのよ。 でも断れなかったわ。 クレール夫人はパトリシア王妃殿下から、レイモンに紹介下さった方なのだそうよ。」
「(オーマイガッ!)、、、王妃殿下からの御紹介ですか、、、。」
わたしは祖母が冷え冷えとした空気を放ちながらも、上品なアルカイックスマイルを崩さなかった理由に合点が行った。
祖母の微かな溜息を聴きながら、わたしは疲れ果て、肩を落として私室へと戻ったのだ。
◇
見慣れた領主館の私室で、わたしは膝の上でフヨフヨ寝転がっている猫型精霊アルプを眺めて、その愛らしさで心を落ち着けていた。
クレール夫人は王都に残ることもなく、勿論わたしたちと一緒にアーシュレイ家の船に乗って、領主館まで、薄幸(そうに見える。)な笑みを浮かべて、足取り軽く元気にやって来ましたよ。
(此の見かけにホロリとヤラレて、クレール夫人に色々なコトを喋っちゃう人が多そう。)
そしてクレール夫人は、パトリシア王妃殿下と既知の間柄だったのですね。
と、思わぬ繋がりに驚いたわたしですが、良く考えてみれば不思議でも何でもないことでした。
クレール夫人が嫁に行く前は、デュクロ侯爵令嬢だったと祖父に聞かされていた。 そしてパトリシア王妃殿下は、ラクール公爵令嬢だったのだ。 年頃の近い高位貴族の令嬢二人が、知り合いなのは当たり前だった。
もしかして王城のパーティーで一緒だったお友達って、パトリシア王妃殿下だったりして。
「あははは、、、」
思わず乾いた笑いがわたしの口から洩れていた。
わたしはクレール夫人にヤバいコトを漏らしてなかろうかと、憶えている範囲のマナー講座の一コマ一コマを脳裏で過らしてみる。
うわっ!
クレール夫人から聞かされた『父たちとフルーブ4世とが、貴婦人たちと火遊びしていた話』や『ヒロインの母親に父がぞっこんラブな話』を思い出した。
それからミランダ先生の元旦那が、第二シガールームに綺麗な彼氏としけこむ18禁的な妄想画像がぁー!ってな劇物指定の会話しか思い出せないじゃない。
そして冷え冷えとした祖母から漂う空気とか、、、。
わたしとの会話で、クレール夫人からパトリシア王妃殿下に伝わって拙い話はしていない筈。
クレール夫人は、マナーを習うなら実地が一番と言う建前で、祖母や母も共に参加するお茶会を好んだため、領主館では西館一階のサロンで、わたしより二人とメインで話して居たし。
それに祖母は、自分のテリトリーでクレール夫人が相手だとしても、下手を打つとは思えないしね。
今から思えば、祖母は領主館を担う忙しい母に変わりクレール夫人の相手をしているように見えて、実際は母をクレール夫人からの口撃から守っていて呉れたのかも知れない。 それに祖母は、余り自ら喋っていくタイプで無かいのを知っていたのに、周囲が見えてないにも程があるだろ、わたし。
本当にわたしって、ドレだけクレール夫人を見聞せずにスルーしていたのかと振り返り、ソファーに腰掛けた侭で、我ながら呆れ果てた。
わたしは、メイドたちが忙しなく王都の町屋敷に持って行った衣服や装飾品の手入れをしながら、所定の位置に戻す様子を眺めつつ、薄い光が気に成り窓の外に目を転じて、雲の切れ間から見える淡い青空と弱い日差しに目を細めた。
◇
領主館に戻ってきて、わたしはデジレとコレットにゆっくり休むようにと伝えた。
だって10月下旬から1月下旬の約3ケ月近くに渡り休みもなく、家族と会えない侭だってので、何処のブラック企業なのだと、わたしは反省したのでした。 しかもコレット7歳でデジレ8歳という児童労働。「此れはイカン!」とわたしは自分に吠えたのだった。
「そう言うモノなのですよ?オリビアさま。」
「そうそう、リビーは考え過ぎ。 私やコレットって肉体労働とかないし、出来る先輩たちも居るから意外に楽よ。」
いやだがしかし、家族と過ごせる時間は限られて居るのだからね。
コレットの一番上の兄は、顕現祭シーズンに王立ロイス学院から冬休みでアーシュレイ領地に戻って来ていたのに一度も会わせて上げられない侭、休みは明けちゃったし。
コレットの二番目の兄は、まあ神学校の寄宿舎に居て、12回目の年を迎えたから、そろそろ父親のクロードと一緒に領都ウィドールのヴィラ聖堂へと出迎えに行く予定の筈だったもの。 コレットの二番目の兄は、「結婚したいから神父には成らない」そうだ。
『だよねー。』
わたしはコレットの話を聴きながら、心の中で、そう頷いた。
幾らソラリス神への信仰が篤くても、生涯独身を決めるのは早過ぎないかと、10歳の美少女ジェローム君を見て思う訳ですよ。
一応、信仰を自分の生き方として受け入れる準備期間(求道期間)として、13回目の年明けまで1年の猶予を設けているそうですが、考えるまでも無いと思う人は、其の侭教会で過ごすらしいです。
それに彼の場合は、俗世で引く手あまただと思われる。
美形云々よりもジェロームのステータスの華々しさは、俗世の淑女たちやその親たちから垂涎の的ですよ、絶対に。
わたしだって勿体ないと思うもの。
先ず、7つしかない公爵家の第三令息であるので、現在なら複数持つ爵位の1つを受け継ぐだろうと、他人様から思われている。
しかもフルーブ4世の一番上の王女をラクール公爵家に迎えている。
そして何より現ラクール公爵の妹パトリシアさまが王妃殿下で有らせられる。
ジェロームから見て祖父になる前ラクール公爵はヤリ手と噂されていた宰相閣下だった。 例え現当主のラクール公爵が宰相職を継がなくとも、影響力の大きさは推して知るべし。
ジェロームの話では、叔母のパトリシア王妃殿下を祖父の宰相を差し出したのは、前王妃殿下が逝去されたおり、フルーブ4世の男子はまだレオナルド第一王子殿下しか生まれて無かった為、フルーブ3世から頼まれたからだと云っていた。
如何やらジェロームの父で或る現ラクール公爵は、政争の中心に居るのが不得手なタイプらしく、出来るだけ中央(王家)と距離を取りたかったのに、前公爵があっという間にジェロームの長兄(後継)とフルーブ4世の第一王女殿下との婚約を結んだと云う話だった。
そしてジェローム自身のスペックの高さ。
複数の魔力属性とL5の魔力量レベル。
年令の問題さえクリア出来れば、今直ぐロベリア教皇国に行き司祭の資格が得れるレベルなのですよ。
あっ!!
大事なコトにわたしは気付いてしまった。
だって司祭に成るには、生涯独身の誓約をソラリス神と結ばないと駄目だったのだ。、、、うっジェロームのスペックの高さは、聖職者に成る為のモノだったのね、結局は。
まあそんなことは兎も角も、わたしはコレットに「帰れコール」を告げて、デジレにもコレットと同じことを言った。
と云っても、コレットのエミルゴ一家が居住している家とデジレのバーニュ家が現在住んでいる家は、領主館敷地内に在る屋敷なのですけどもね。
長らく放置していた空き家をリフォームして、領都ウィドールの借家から、わたしたちの留守中に引っ越しを済ませて置いて貰ったのだ。
だってコレットの祖父は家令のセバスだし、元々領主館に住んでいるようなものだから。
そしてデジレの父は母の護衛騎士であるケビンで、母親はジルの乳母であるロザリー、おまけに弟のセルジュはジルの乳兄弟だしね。 ロザリーは此の侭ジルが7歳になっても、乳母として務めて貰うことに成った。 母とジルの強い希望によって。
でもってデジレは、わたしの心友なのだ。
取り敢えずは、二人に三日間の休暇を伝えて、問答無用で侍女のセリーヌに扉を閉めさせた。
本当は大人組のセリーヌとナタリアにも休みを上げたいのだけども、彼女たちの管轄しているのは、侍女長のサマンサなので、わたしが休暇を口に出するコトは出来ない。
(全くもって儘ならない。)
膝の上でグデリとお腹を見せて、万歳してるみたいなポーズで眠る猫型精霊アルプさま。
以前より少し大きく育って、親指サイズのフワツヤ毛並みの水色猫さまに成りました。
親指姫ならぬ、親指猫ちゃま。
むにゃむにゃ何か食べているように見えた。
夢でも見ているのかな?
猫型精霊アルプの見る夢は、、、幸せなものであってくれたらいいな。
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