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「マジックオーブッ マジックオーブッ」
上機嫌に口ずさみながら、涼馬はスキップまでして押入れの戸へと戻ってきた。つい先ほどオナホクンGに負けかけたことなど、すでに忘却の彼方である。
それほどまでに、マジックオーブは探索家にとって垂涎の的だった。文字通り、喉から手が出るほど欲しい代物なのだ。
マジックオーブを砕くことで、人は魔法を習得できる。
魔法を持っているか、持っていないか。
それは探索家にとって、大きな一つの境界線だった。
その差はランク制度にも如実に表れている。
どれほど戦闘能力に優れていようと、魔法を一つも持たない探索家は準二級より上へ昇格することができない。
それほど重要な代物でありながら、手に入る機会は極端に少ない。そもそもドロップする確率が低いうえに、手に入れた者は大抵、自分で使用してしまう。そのため、市場に出回ることもほとんどなかった。
探索家を生業にしている者でさえ、マジックオーブを、魔法を手にいれている者はほんの一握りだった。
悪童とかいう奴は勿論、あの、黒柳ですら魔法は持っていないらしい。つまりは俺の方が上だ。
涼馬は脳汁が溢れんばかりの多幸感に満ちていた。
「よしっやるぞっ」
涼馬は大きく深呼吸をする。
心臓がばくばくと激しく脈打ち、その音がやけに耳につく。緊張のあまり喉が張りつき、唾を呑み込むことすらままならなかった。
涼馬は拳を固く握り締めると、床に置いたマジックオーブへゆっくりと狙いを定めた。そして、その拳を勢いよく振り下ろす。
パリッ。
乾いた音とともにオーブが砕ける。次の瞬間、砕け散った破片の隙間から淡い紫色の光が一斉に溢れ出し、涼馬の身体へと吸い込まれていく。
『調教魔法 淫』
頭の奥に、見知らぬ言葉が浮かび上がった。
次の瞬間、脳をこじ開けられ、そこへ無理やり情報を流し込まれるような感覚に襲われる。
何ができるのか。
どう発動するのか。
どのような制約があるのか。
誰かに教えられたわけでもない。
自分の手に入れた力について漠然とではあるが理解することが出来た。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
涼馬は大きく肩を上下させる。
全身から汗が噴き出し、顎先からぽたぽたと床へ滴り落ちる。頭の芯が焼けるように熱く、思考には薄い靄がかかっていた。まともに物事を考えることさえ億劫だった。
調教魔法 淫。
その名の通り、モンスターをテイムし、使役するための魔法だった。
対象となるモンスターへ一定以上のダメージを与えた状態で魔法を掛けることで、自らのしもべとすることができる。ただし、使役できるのは『淫属性』を持つモンスターに限られていた。
「淫属性って……なんだよ」
分からないことだらけだった。
どんなモンスターが淫属性に分類されるのか。テイムが成功する確率はどれほどなのか。使役したモンスターに何ができるのか。
考えたいことや検証したいことが山のようにある。
だが、それ以上に頭が痛かった。
頭蓋の内側から熱を押しつけられているようで、今にも頭が割れてしまいそうだった。
涼馬はふらつく足でどうにか押入れを抜け、自分の部屋へ戻った。
身体はダンジョンの湿気と汗と精液でべとべとだったが、風呂へ向かう気力すら残っていない。そのままベッドへ倒れ込み、布団に身体を沈める。
そして数分もしないうちに、泥に沈むような深い眠りへ落ちていった。
翌朝の目覚めは、最悪だった。
身体にまとわりついていた液体はすっかり乾き、肌も服もカピカピに固まっている。おまけに、鼻をつく生臭さが寝起きの不快感に拍車をかけていた。
しかも、時計に目をやれば、すでに遅刻寸前の時刻を指している。
とてもではないが、ダンジョンに潜って新たに手に入れた能力を検証するどころではなかった。
涼馬は慌ててベッドから飛び起き、手早くシャワーを浴びると、大急ぎで制服に袖を通した。朝食を用意する暇もなく、生の食パンをそのまま口へ押し込む。
そして、もごもごとパンを頬張ったまま玄関へ駆け込み、勢いよく扉を開け放った。
「ギリギリセーフってあれ?」
涼馬は始業のチャイムが鳴る寸前、滑り込むように教室へ飛び込んだ。ところが、いつもなら好き勝手にお喋りをしているクラスメイトたちが、今日は揃って席に着いている。
しかも、教卓の前に立っていたのは、いつもの気だるげな担任教師ではなかった。
「誰?」
涼馬は自席へ向かいながら、後ろの席に座る犬塚 真実に声を掛けた。
女子も羨むほどの艶やかな黒髪が特徴の、中性的な顔立ちをした男子生徒だった。夏休み明けにダンジョン科から普通科へ転科してきたばかりで、まだクラスでは少し浮いている。
「生徒会の副会長だね」
「朝の始業前に何の用?」
「貴様が種付 涼馬か?」
答えたのは犬塚ではなかった。いつの間に教卓から移動してきたのか、振り返ると、その男がすぐ背後に立っていた。
背筋をぴんと伸ばし、胸を張った堂々たる立ち姿。いかにも熱血漢といった風貌で、生徒会の役員というより、体育会系の部活動で部員を怒鳴りつけている部長の方がよほど似合いそうだった。
「はぁ、そうですが」
涼馬には、生徒会副会長からわざわざ声を掛けられるような心当たりもなく、怪訝そうに首を傾げた。
「SNSで話題になっている件について、昨日、貴様の責任を問う決議が生徒会にて、賛成多数で可決された」
「え、俺、普通に被害者なんですけど。何で責任を問われないといけないんですか」
「此度の炎上で久瑠鴨高校の名前も挙がっている。貴様の愚行により、久瑠鴨高校の品位が傷つけられたのだ。違うか?」
副会長は腕を組み、顎を僅かに上げて涼馬を見下ろした。そのよく通る声は教室の隅々まで響き渡り、着席していたクラスメイトたちの視線も自然とこちらへ集まってくる。
「だから悪いのは情報を漏洩した奴とそれを広げた人でしょ」
「校則で普通科の生徒が探索家試験を受験することは禁止されている」
副会長は制服の内ポケットから生徒手帳を取り出すと、目的のページを開き、涼馬の鼻先へ突き付けた。顔を近づけて確認すると、確かにそんな内容の校則が記載されている。
「え、じゃあ沙織は?」
「美灯 沙織のことか。彼女であればダンジョン科の生徒によるパーティ加入申請と推薦があったから問題はない」
そのとき、始業を告げるチャイムが鳴り響いた。副会長は教室の壁に掛けられた時計へ目を向けると、軽く顎を引いた。
「朝会の時間か。ここで話を続けるわけにもいかないな。付いてこい」
副会長は有無を言わせぬ口調で告げると、さっさと教室の出口へ向かって歩き出した。涼馬も促されるままに席を立ち、クラスメイトたちの視線を背中に受けながら、その後に続く。
友川と目が合った。両手を横にスライドさせるジェスチャーでセーフと主張している。一瞬告げ口して、死なば諸共、道連れにしようかとも思ったが今は見逃してやることにした。
そして生徒会室へと連行されることになった。




