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「い、いや、さっきのあれはその、ダンジョンとか関係ないからなっ」
風呂から上がった涼馬は、ソファにぐだぁっと寝そべり、テレビを眺めている麻衣に声を掛けた。
「当たり前でしょ」
麻衣はふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向くと、手元のスマートフォンへ視線を落とした。
「そんなことより、お兄、大丈夫?」
麻衣が不安に思うのも無理はない。だが、涼馬にとって押入れのダンジョンは、もはや最後の希望だった。どれほど危険が伴おうとも、そう簡単に手放すわけにはいかない。
「絶対に大丈夫だ」
だからこそ、涼馬は少しばかり胸を張り、毅然とした態度で頷いてみせた。
「どっから出てきてるの? その自信……」
麻衣の呆れたような声に首を傾げながら、背後からスマートフォンを覗き込む。画面に並ぶ見覚えのある文字列を見て、ようやく合点がいった。
どうやら、例の情報漏洩騒動を心配していたらしい。
「ネットでピーチク喚いている馬鹿のことなんて気にするだけ無駄だろ」
「気になるもん。お兄やパパのこと好き勝手に書かれてて、腹立つし」
麻衣はむっと頬を膨らませ、スマートフォンの画面を睨みつけた。
「せめて直接言いにきやがれ!」
その言葉を聞き、涼馬の脳裏に直接言いに来た悪童達の顔がぼんやりと浮かんだ。
「直接言われる方がよっぽど迷惑だから」
「もうっ、こうなったら片っ端から私がレスバしてやるぅ」
麻衣は鼻息も荒く、袖もないのに腕まくりの仕草をしてみせた。
「ちなみにどんな感じで返信しようと? これとか」
涼馬は、たまたま画面に表示されていた書き込みを指さした。
『雑魚すぎワロタw 俺のペットのチンチラの方がまだ測定結果マシだわww』
「うーん、『ばっかじゃないの!! チンチラの方がマシな結果出るわけないよね? そんなことも分からないなんて、そのペットのチンチラの方が頭良さそう』とか?」
そのとき、ぴょんと画面が跳ねるように更新された。どうやら、件の投稿に新たな返信が付いたらしい。
『チンチラの方が良い測定結果が出る筈がありませんよね? そのペットのチンチラの方が頭が良さそうです。投稿を取り消してください』
あまりのタイミングの良さに、思わず目を丸くした。ふと麻衣と顔を見合わせると、向こうも同じように目を丸くしている。
「私じゃないよ」
「知ってるが」
いかにもネットの喧嘩には不慣れそうな、律儀で生真面目な文章、わざわざ俺を擁護しそうな人といえば……。
涼馬には一人しか思いつかなかった。
「ま、世の中捨てたもんじゃないってことで良いんじゃないか? 麻衣の出る幕はない」
涼馬は麻衣の黒髪をぽんっと叩き、これで話を切り上げようとした。しかし、その背中に問いが投げかけられる。
「というか、そもそも何でお兄が探索家試験受けてるの?」
麻衣に問われて言葉に窮した。
「父さんを探しに」
「ダウト、ネタは上がってるんだから。さお姉が探索家資格取ったからでしょ?」
麻衣がすべてお見通しとばかりに、にんまりと笑った。
「後追いしておいて落ちるとか情けないお兄だよ。そんなんじゃ、さお姉も愛想つかして別の男と付き合っちゃうよ」
後頭部を棍棒で殴られたような衝撃だった。
「ええと、その……沙織に彼氏ができたんだ」
何を言おうか迷った挙げ句、口から出てきたのはそんな言葉だった。
「ええ!! 遂にお兄、付き合ったの!?」
麻衣がものすごい勢いで身体を起こす。
その拍子にサイドテールがふわりと跳ねた。
大きな瞳をキラキラと輝かせ、期待に満ちた顔で涼馬を見つめている。
「ちがっ、沙織に出来ただけ」
「え、付き合ったんだ。お兄以外の人と」
麻衣は大きな目をぱちくりと瞬かせた。ほんの一瞬、何かを考えるように首を傾げたかと思うと、すぐに納得したように頷いた。
「まぁ、さお姉にお兄の彼女は役不足だもんね」
正しい言葉を知っているようで何より。
涼馬は深々と溜息を吐いたが、麻衣の興味はすっかり沙織の彼氏へ移ったらしい。
「どんな人なの? 彼氏」
「沙織に直接聞けよ」
「分かってないなぁ。お兄の口から聞きたいの」
「ダンジョン科のいけ好かない奴だよ」
「どんな風に?」
「優秀でイケメンで紳士ぶってる」
麻衣は一瞬きょとんとした顔を浮かべたが、すぐに堪えきれなくなったのか、腹を抱えて笑い出した。
「やっぱお兄おもろい。褒めてるだけじゃん」
「もう黙れ黙れ。テレビ見てたんだろ」
涼馬はしっしっと、野良猫でも追い払うように手を振った。
「もう見てた番組終わってニュースだし」
つられてテレビへ視線を向けると、ちょうどニュース番組が流れていた。どうやら、政治家が宗教団体の人間に殺害されたらしい。画面には物々しい現場の映像と、事件の経緯を伝えるテロップが映し出されている。
まったく、世の中物騒な話ばかりだ。
「お兄、泣きたくなったらいつでも胸貸してあげるからね」
麻衣はそう言って、自分の胸をぽんと叩いた。
沙織ほどではないが、麻衣もなかなか立派なスタイルをしている。薄着のせいで余計に目立って見え、涼馬は思わず視線を逸らした。
「そんな貧相な胸いらん」
「もうっ!!」
麻衣の抗議を背に、涼馬は逃げるように自分の部屋へ戻った。
『ダンジョン エロ』
自室のPCを立ち上げて検索する。
表示された検索結果は数百万件。しかし、どれも期待していた情報とは程遠いものばかりだった。
ダンジョン探索中に偶然撮影されたという際どいアングルの写真や、探索家を題材にしたパロディAV。果ては、実際にダンジョン内で撮影されたらしいハメ撮りまで出てくる。
普段なら目を輝かせていたところだろう。だが、今日は見事なまでに下半身がピクリとも反応しなかった。
マウスのホイールを回し、次々と検索結果を眺めていく。しかし、どれだけ探しても、それらしい情報は見つからない。
あのモンスター、オナホクンについても、名前はおろか特徴の一致する情報すら出回っていなかった。
「それにしても……どうするかな、これ」
涼馬は椅子の背もたれに身体を預け、腕を組んだまま押入れを睨み付けた。
ダンジョン化対策機構への通報……はしない。
絶対にしない。これは俺に残された唯一のチャンスだ。
モンスターを倒しダンジョンを攻略することで探索家は強くなる。つまりはこのダンジョンを利用すれば俺も強くなれる。
何よりもこのダンジョンは異質だ。あのモンスター、オナホクンは明らかに俺の命を取ろうとはしていない。ただただ射精させようとしているだけだった。
本来、探索家資格を持たない者がダンジョンへ潜ることは、れっきとした違法行為だ。ましてや、正規の管理も受けていない正体不明のダンジョンを攻略しようなど、正気の沙汰とは思えない。
だがこのダンジョンであれば限りなく危険を抑えて挑むことが出来る……可能性がある。
手放すなんて選択肢はなかった。
「涼馬!」
不意に1階から名前を呼ばれ、涼馬は調査の手を止めた。どうやら母さんが仕事を終えて帰ってきたらしい。
階下から響く声には、隠そうともしない怒気が滲んでいた。
これは長くなりそうだ。
涼馬は深々と溜息を吐くと、重い腰を上げてリビングへと向かった。
「何が言いたいか分かってるわよね?」
母さんは吊り気味の目をいっそう険しくし、涼馬を睨みつけた。丸1日働いて帰ってきたとは思えないほど、その眼光には力が漲っている。
「ほんっと情報漏洩とか許せないよな。探索家協会を訴えてやる?」
「違います」
ぴしゃりと一蹴された。
母さんが無言で床を指さす。涼馬は大人しくその場に正座した。
「探索家試験を受けたようね。未成年が受験するには保護者のサインが必要なはずだけれど。私はサインをした記憶はありません」
「棚に置いてあった実印を使いました」
「立派な私文書偽造罪です」
さすがは元刑事である。まるで取調室で被疑者として尋問を受けているような気分になった。
「はい」
「どうして事前に相談をしなかったの?」
「探索家なんて、碌なもんじゃない。絶対になるなと止められるから」
「それは止めます」
「じゃあこうするしかないだろ」
母さんはしばらく黙って涼馬を見つめていた。鋭い眼差しを逸らすことなく、やがてゆっくりと口を開く。
「舐められたものね……。大した覚悟も無いのに、一時的な気の迷いで探索家になろうとするのであれば止めるわ。親だもの」
そう言って、母さんは涼馬の額を人差し指でこつんと小突いた。
「ただし、命を賭けることに値する覚悟があるのであれば意思は尊重するつもりよ」
そして、ふっと表情を和らげ、微笑んだ。
「パパがそうだったようにね」
「じゃあなっても良い?」
「駄目に決まってるじゃない。コッソリ隠れて探索家試験を受けようなんて人にその覚悟があるわけないでしょ。もっとも、それ以前の問題があるようだけれどね」
「それはどうにかする。だから、どうにかできた時には認めてくれ」
「どうにかできるものならね」
普通なら、どうにかできるはずがない。でも、俺には押入れのダンジョンがある。あそこで鍛えれば、魔力量の壁だっていつかは越えられるはずだ。
「で、探索家協会の久瑠鴨支部の安藤局長から、今回の情報漏洩の件で謝罪がしたいと連絡が来ているのだけれど。行きますか?」
母さんは話を切り替えると、テーブルの上に置いていたスマートフォンを手に取った。
「え、こういうのって向こうが菓子折りを持って来るもんじゃないの?」
「それは私の方で断りました」
「え、じゃあ、まぁ、行くけど」
今回のことをダシにすれば、探索家試験の結果についても交渉する余地があるかもしれない。顔を繋いでおいて損はないだろう。
それに、情報漏洩の犯人には少し興味があった。どうしてそんなことをしたのか、直接会って話を聞いてみたい。
「では、次の土曜日に伺うことにしましょう」
母さんはそう告げると、スマートフォンへ視線を戻した。
ようやくお説教から解放された涼馬は、痺れた脚をさすりながら立ち上がった。長時間の正座で強張った膝をどうにか伸ばし、ぎこちない足取りで階段を上っていく。
「お兄、お勤めご苦労!」
階段を上りきったところで、麻衣が出迎えた。どうやら、ずっと聞き耳を立てていたらしい。手すりに寄りかかり、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「生きた心地がしなかった」




