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探索家試験に落ちようとも、時間は止まってはくれない。
日は昇り、朝は来る。そして朝が来れば、嫌でも学校へ行かなければならない。世界は涼馬の挫折など知ったことではないとばかりに、今日も変わらず回り続けていた。
涼馬は魂の抜けた人形のように、ふらふらとした足取りで学校へ向かった。
「おっ、欠陥君じゃん!!」
昇降口で靴を履き替えていたときだった。嘲笑をたっぷりと含んだ、不快な声が耳に飛び込んできた。
誰だか知らないが、朝っぱらから騒々しい奴だ。しかも、声を掛ける内容がいかにも陰湿な虐めのそれで、ただでさえ沈んでいた気分がますます滅入ってくる。
もっとも、見知らぬ誰かのために首を突っ込む気力など、今の涼馬には残されていなかった。関わり合いになるのも面倒だ。そう考え、背景に溶け込むモブの一人として通り過ぎようとした。
「無視してんじゃねえぞ。欠陥君の癖に」
不意に背後から伸びてきた手が、がっしりと肩を掴んだ。指先が制服越しに食い込み、強引に足を止められる。
「人違いなんだが」
「違わねえよ。探索家試験に魔力測定で落ちたってマジ!?」
振り返った先に立っていたのは、体格のいい男子生徒だった。茶髪をオールバックに撫でつけ、口元には人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。その背後には、取り巻きらしき男子生徒が2人。揃いも揃って、こちらを見ながらニヤニヤと笑っていた。
「どうしてそれを」
一瞬、友川が言いふらしたのかと疑った。しかし、どうやらそうではないらしい。
男がこれ見よがしに掲げたスマホには、SNSアプリ『ψチャンネル』が表示されていた。
画面に映っていたものを認めた瞬間、涼馬の顔が引き攣った。
探索家試験の結果だった。それも、受験者本人に通知される簡素な結果表ではない。測定数値や評価項目まで事細かに記載された、明らかに試験の運営側で扱われている内部資料だった。
「この投稿ヤバくない? 『こんなに才能ない奴初めて見た。魔力測定で落ちてて草ww』」
どうやら、別のSNSで受験者の個人情報を晒していたアカウントを、ψチャンネル上で告発した投稿らしい。試験関係者と思しき人物が受験者を嘲笑し、内部資料まで流出させていたことで、現在進行形の大炎上となっていた。
そして、皮肉にもその告発によって、涼馬の名前も、試験成績も、魔力測定の結果も、何もかもがネットの海へとばら撒かれていた。
誰が、何のためにこんなことを?
背筋を冷たいものが這い上がり、全身から嫌な汗が噴き出してくる。何が起きているのか理解が追いつかないまま画面を見つめていると、ふと、ある一連のスレッドが目に留まった。
『コイツの名前、種付って元一級探索家の奴じゃね?』
『息子らしいww 恥晒し過ぎる』
『種付って死んでんの? ソイツ雑魚じゃね?』
『つか、魔法とか魔力も遺伝するんだろ? 種付け失敗じゃんww』
『一級探索家ってのも嘘じゃね?』
『それはマジ。でも実力に見合ってはない』
『一級探索家とか俺でも出来そう』
『種付一級探索家は本物だった。このカスは知らん』
画面に並ぶ無数の言葉が、頭の中を虫が食い荒らすように蝕んでいく。呼吸が浅くなる。
「理解できたかよ?」
男が馴れ馴れしく肩を組んできた。涼馬の顔を覗き込みながら、口元に浮かべた笑みを一層深くする。
「ほら、ジュース買ってきてくんね?」
「は?」
「おいおい、俺たちは探索家様だぜ」
男は得意げにスマホを操作すると、探索家ライセンスを表示してみせた。まるで水戸黄門の印籠でも突き付けるような、大仰な仕草だった。
そこに記されていた級位は五級。名前の欄には、悪童 入巳と表示されている。どうやら、それがこの男の名前らしい。
「お前が普通に生活できてんのも、俺たちがダンジョン潜って魔石を回収してるからだぜ。才能のねえ奴は、こういうところで社会に貢献してくれねえとな」
肩に回された太い腕が、ぐいっと締め付けられた。悪童は涼馬の反応を楽しむように、その顔を覗き込んでくる。
「何をしてるの?」
その腕がぴたりと止まった。
昇降口のざわめきをすっと切り裂くような、凛と張りのある声だった。聞き間違えるはずもない。生まれたときから、数え切れないほど耳にしてきた声なのだから。
沙織だった。
「美灯……」
悪童が忌々しげにその名を呟いた。
「けっ、白けちまったな」
「じゃあな欠陥君」
悪童たちは興味を失ったとばかりに踵を返し、その場から立ち去ろうとした。
「待ってよ」
沙織の鋭い声が、その背中を呼び止める。
「アンタたち涼ちゃんに酷いこと言ったんでしょ。謝罪の一つくらいしていったらどうなの?」
半音低い声、本気で怒っている時の口調だった。
「沙織、いいって」
涼馬は沙織の声に覆いかぶさるように言った。
「あんな見事な三下ムーブ見れることなんて滅多にないし。貴重な体験をさせてもらったから」
涼馬は努めて愉快そうに、笑いを堪えながら続けた。
「けっ、白けちまったなって。本当に言う奴がいるんだな。しかも、女の子に止められてその捨て台詞ってダサすぎだろ」
「相変わらずいい性格してるね、涼ちゃんは」
沙織は呆れたように苦笑したものの、すぐに表情を引き締め、悪童へと視線を戻した。
「女に庇われて調子乗ってんじゃねえぞ」
悪童の額には、くっきりと青筋が浮かんでいた。吐き捨てると同時に床を蹴り、怒りに任せて涼馬へと踏み込んでくる。
身体能力は魔力によって強化できる。そして、魔力による身体強化を施した肉体は、一般人のそれとは比較にならないほどの力を発揮する。
五級探索家の悪童と、魔力量の乏しい涼馬とでは次元が違う。
涼馬が身構える間もなく、その拳は真っ直ぐ腹部へと迫っていた。
しかし、その一撃が涼馬に届くことはなかった。横合いから伸びた沙織の手が、悪童の腕をいとも容易く掴み取っていたのだ。
「なっ」
驚愕の声が漏れる。沙織は踏み込みの勢いを殺すことなく、むしろそれを利用するように身体を翻した。次の瞬間、悪童の巨体が重力を忘れたかのようにふわりと宙を舞った。
ドシンッ!
鈍い衝撃音が昇降口に響き渡り、悪童の身体が背中から床へと叩きつけられる。あまりにも鮮やかな投げ技だった。
「探索家が一般人に手を出すのは立派な犯罪よ。分かってるの?」
沙織は倒れた悪童を冷ややかに見下ろしていた。
悪童は歯をぎりぎりと食いしばり、沙織と涼馬を忌々しげに睨み付ける。だが、それだけだった。
「うっせえ、憶えてろよ!!」
悪童は捨て台詞を吐くと、取り巻きの2人を引き連れ、今度こそ逃げるようにその場を去っていった。
「涼馬ちゃん、大丈夫?」
沙織が心配そうに涼馬の顔を覗き込んだ。相変わらずの綺麗な顔立ちだった。長い睫毛に縁取られた大きなルビー色の瞳が、涼馬をまじまじと見つめている。
不意に涙が込み上げてきて、涼馬は慌てて顔を逸らした。
「大丈夫だよ」
「しばらくの間、登下校一緒にする?」
「しないよ。小学生じゃないんだから。大体知らん男と二人仲良くしてたら、彼氏が悲しむぞ」
「うーん、じゃあ三人でなら」
「とにかく大丈夫だから、俺のことは気にするなよ」
それだけ言い残すと、涼馬は沙織から逃げるように自分の教室へと駆け込んだ。
沙織に追いつきたくて、追い抜きたくて探索家試験まで受けたというのに、このザマだ。試験に落ちただけでは飽き足らず、個人情報を晒され、顔も知らない奴らに小馬鹿にされ、三下に絡まれ、挙げ句の果てには沙織にお尻を拭いてもらう始末。
何もかもが、あまりにも惨めだった。




