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充実した停学ライフを満喫しているところではあるが、家に籠もってばかりではさすがに気が滅入る。かといって、ダンジョンの中も閉塞感に満ちている。唯一のお出掛けがアレでは、気分も晴れやしない。
ということで、日曜日の早朝。気分転換も兼ねて、ランニングに出ることにした。
朝特有のひんやりと澄んだ空気が心地よい。空を見上げれば、太陽と太陰が今日も変わらず昇っていた。
「ふぅ」
ゆっくりと息を吐き、両膝を軽く曲げながら身体をほぐしていく。
カラン、と乾いた音が響いた。
隣家の玄関扉が開く。何気なくそちらへ目をやった涼馬は、そのままぴたりと動きを止めた。
出てきたのは、見覚えのある男だった。
長身で、鍛えられた身体つき。朝っぱらから妙に様になっている、いけ好かない偉丈夫。
黒柳哲人。
その男が、我が物顔で沙織の家から出てきたのだった。
「あ」
小さく声が零れ出た。
急に唇が渇いた。喉の奥がきゅっと縮まり、つい先ほどまで心地よく吸い込めていた朝の空気が、途端にうまく入ってこなくなる。
どうして。
どうして日曜日の朝っぱらから、沙織の家からコイツが出てくるんだ。
黒柳もこちらに気付いたらしい。
「おはようございます。涼馬クン」
爽やかな笑みを浮かべ、礼儀正しく頭を下げる。つられて涼馬も、軽く頷く程度に頭を下げてしまった。
「奇遇だね。ランニング?」
「まぁそうだけど」
その言葉を聞いて、黒柳は白い歯を見せる。
「そうだ、俺も一緒に走ってもいいかな?」
「え、何で?」
「そりゃ、涼馬クンと、一度ゆっくり話をしてみたかったからね」
にべもなく断りたかった。だが、涼馬も黒柳と話したいことがあるのもまた、否定できなかった。
肯定も否定もせずに走り出す。その横に並走するように黒柳が並んだ。
「大丈夫かい?」
「何が? 黒柳に心配されるようなことは――」
「結局、炎上の件で停学させられてしまったんだろう? キミに非は無いというのに」
「あ、いや、停学の件は、普通に校則違反だし。普通科の生徒は探索家試験を無断で受けたら駄目だったらしい。ダンジョン科特権って奴だ」
「ダンジョン科特権……か。あまり気分の良い話では無いね」
黒柳の表情が僅かに曇った。
「別に特権を受けてる側なんだからいいだろ?」
「ダンジョン科の生徒に特権意識があること自体が気に食わないのさ。特に涼馬クンが停学してからの空気感は嫌な感じだ」
「まぁ、久瑠鴨の空気清浄機と言われた俺がいなきゃ澱みもするか」
「誰が呼んでいたんだい? それ」
黒柳が苦笑した。だがすぐに気取った表情に戻る。
「ダンジョン科の生徒が普通科の生徒を虐げていいような空気が蔓延し始めた。パシリとして荷物持ちさせたり、購買に買いに行かせたり」
この間絡んできた悪童の顔を思い出す。魔力測定の結果を馬鹿にするために絡んできたと思っていたが、ああいう手合いが増えたということだろうか。
「にしても先週くらいまでそんな風に感じなかったけどな」
「今までこの学年であまり起きなかったのは、そういうことをダサいとする空気があったからだ」
黒柳はそこで軽く肩を竦めた。
「自分で言うと気恥ずかしいけど、俺たちはそういう空気を生み出していたつもりだ」
軽くウインクまで飛ばしてくるあたり、いい性格をしている。が、残念ながら本人の過大評価というわけではなさそうだ。良くも悪くも、学年トップパーティの影響力は大きい。
「そんな弱い者虐めみたいなことをしている暇があれば、ダンジョンに潜って強くなる方がよっぽど有意義だとね」
「で、その空気が変わったのは、黒柳も弱い者虐めに目覚めたからだと」
「なんでそうなるんだい。上級生の影響だ。元々上の学年ではそういう伝統が根付いていた。今回の一件でそういうふざけた馬鹿な普通科が出たのは、ダンジョン科の一年が甘いからだと、口を挟んできた」
涼馬はわずかに口を噤んだ。
停学していて正解だったな。俺が学校に行っていればいの一番でターゲットにさせられていただろう。
「上級生のお墨付きを得て、普通科はパシってなんぼのもんよとなっていると」
「その通りだね。それにタイミングも悪かった」
「タイミング?」
「探索家として伸び悩んでいる人も多くてね。そういった焦りや苛立ちのぶつけ先になってしまっている」
「弱い者が更に弱い者を虐めるってか。確かに気持ちのいい空気じゃないな。俺じゃなくてその辺の向上心無い雑魚に自主退学勧めて欲しいもんだね」
「自主退学!?」
黒柳が目を丸くした。その表情ですら恰好が付くのだからやっていられない。
「あのロリっ子生徒会長に自主退学しろって脅された。さもなくば刺客を差し向けるぞって」
「それ本当かい?」
「マジ、マジ。久瑠鴨高校ダンジョン科のブランドを傷付けられたことに怒って襲ってくる馬鹿がいるかもしれないねって言われた。生徒会は忙しいから関知しないってさ」
いつしか二人は、運動公園のランニングコースを走っていた。
涼馬の話を聞きながら一定のペースを保っていた黒柳が、ふいに速度を落とし始めた。そして、何かを確かめるように周囲へ目を配ると、その場に立ち止まった。
「へばった?」
そう尋ねる涼馬の方は汗ばみ、呼吸も浅くなっていたが、黒柳は汗一つかかずに平然としている。
「いつまでも隠れていないで出てくるといい。そことそことそこの木の後ろにいるよね?」
黒柳は振り返り、少し離れた場所に立つ木々を順番に指さした。
すると、指し示された木陰から男が3人、ぞろぞろと姿を現した。
3人ともニット帽にマスク、さらにはサングラスまで身に着けた、見るからに怪しい出で立ちだった。
「あ、もしかして本当に俺のことを狙っている奴がいたの?」
尾行されていることに、涼馬はまったく気付いていなかった。
「ご名答。さっきから黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。生意気なクソガキ共にお灸をすえてやらねえとなぁ」
言い終わるや否や、3人の男が一斉に地面を蹴った。腐葉土が勢いよく跳ね上がり、乾いた落ち葉が宙を舞う。
先陣を切ったのは、ひときわ恰幅の良い大男だった。その巨体からは想像もつかない俊敏さで距離を詰めると、黒柳の胸元めがけて鋭い蹴りを放つ。まるで槍の穂先を突き出すような、一直線の蹴撃だった。
同時に、残る2人が大男の左右へ散った。黒柳を挟み込むように脇をすり抜け、その背後にいる涼馬へと迫る。左右から拳を振りかぶる男たちに、涼馬は咄嗟に身構えた。
だが、黒柳は落ち着いている。じっと見ていた。その両手には、いつの間にか鈍い金属光沢を放つ鎖鎌が握られていた。鎌はケースのようなものに収まったままだった。
ガキンッ!
黒柳が左手の鎖を斜めに張った瞬間、大男の蹴りがそこへ叩き込まれた。凄まじい衝撃に鎖が張り詰める。 しかし、黒柳はその衝撃を正面から受け止めなかった。鎌を握る左手を引き、右手を滑らかに送り出す。張り詰めた鎖が斜めに傾き、蹴りの軌道を外側へと逸らしていく。
合わせて右手から放たれた鎖が、地面すれすれを蛇のように走る。先端に取り付けられた分銅が、涼馬へ迫っていた男の足首をかすめ、そのまま幾重にも巻き付いた。
「なっ!?」
男が異変に気付いたときには、すでに遅かった。
黒柳は受け流した蹴りの勢いに逆らわず、軸足を中心に身体を旋回させた。翻る鎖が弧を描き、右腕が力強く引き絞られる。
足首を捕らえられた男の身体が、ぐんっと宙へ浮いた。
「うおおおっ!?」
まるで鎖の先に括り付けられた分銅そのものだった。男は逆さまになったまま振り回され、その身体が大きく弧を描いていく。
そして、涼馬に殴りかかろうとしていた最後の1人へ、巨大なハンマーのように叩き付けられた。
肉と肉がぶつかり合う鈍い衝撃音が響いた。
まともに直撃を受けた男は、悲鳴を上げる暇さえなく吹き飛ばされる。振り回された男もろとも地面に叩き付けられ、2人は折り重なるようにして、落ち葉の積もった地面を転がっていった。
鎖に蹴りを受け流され、大きく体勢を崩していた男が、どうにか踏みとどまろうとした軸足を、黒柳の脚が鋭く薙ぎ払った。
「ぐあっ!?」
支えを失った巨体が、あっけなく宙に浮く。
地響きにも似た鈍い音を立て、大男は背中から地面に叩き付けられた。衝撃に息を詰まらせる男の鼻っ面にケースについたままの鎌を突き付けた。




