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「この度は誠に申し訳ございませんでした」
目の前に座る岩を削り出したような顔つきの男、久瑠鴨支部局長の安藤 勇は、頭が床にめり込むのではないかというほど深々と頭を下げた。
土曜日、日本探索家協会には、母と麻衣を含めた家族三人で訪れていた。
本当は母と二人で来る予定だったのだが、麻衣がどうしても付いていくと駄々をこね、半ば無理やり同行してきたのだ。
日本探索家協会の支部は全国各地に点在しており、そのほとんどが『迷宮回廊』と呼ばれる施設に隣接している。
迷宮回廊とは、その地域で発生した迷戸を一か所に集め、管理するための施設だ。ダンジョン化対策機構によって運営されており、久瑠鴨支部も例外なく、久瑠鴨迷宮回廊の隣に建てられていた。
ロストシグナル以降に建設された比較的新しい建物だけあって、館内は清潔感があり、内装も小綺麗に整えられている。
なかでも通された応接室は、ふかふかのソファに上等そうな茶菓子まで用意された、なかなか立派なものだった。
その茶菓子を、麻衣は先ほどからぱくぱくと口へ運んでいた。安藤局長が深々と頭を下げている間も、まるで意に介した様子はなく、幸せそうに頬を緩ませている。
「種付一級探索家のご子息に、このようなご迷惑をお掛けしてしまい……何とお詫びを申し上げればよいのか」
「いや、別に気にしていないです」
涼馬はそう答えてから、ふと思いついたように続ける。
「あ、そこまで言うのであれば探索家資格を与えてくれたりは」
「涼馬」
母さんがぴしゃりと遮った。その鋭い眼差しは安藤局長にも向けられており、少なからず気圧されているようだった。
「残念ながら。それはそれ、これはこれです」
にべもなく断られた。
「何も意地悪で申し上げているわけではありません。ダンジョンは危険なのです」
安藤局長は厳めしい顔をいっそう険しくし、深く刻まれた皺を寄せて言葉を続けた。
「特に、素の魔力量が少ない人間は身体強化の恩恵も小さい。場合によっては、第1階層のモンスターによるちょっとした攻撃ですら致命傷になりかねませんので、安全上の問題から、適性検査で基準を満たしていない方に資格を発行することはできません」
そこまで説明すると、少し困ったように眉尻を下げた。
「それこそ万が一のことがあれば、種付一級探索家に申し開きができなくなります」
「しょうふふぁい。不肖のお兄の仇は私が討つから」
麻衣が茶菓子を頬張ったまま、横から口を挟んだ。
「死んでないから」
二人のやり取りを見て安藤局長はふっと表情を和らげる。
「それにしてもお二人とも大きくなりましたな」
そして感慨深そうに言った。
「おっさん、俺と会ったことあるの?」
「小さい頃に何度かね。瞳子さんも息災そうで何よりです」
母さんは話を振られるがピクリとも表情を動かさない。
「こんな場でなければ昔話に花を咲かせたいところですが」
母さんの声が、昔話の余地をばっさりと切り落とした。
「それで、情報漏洩の犯人はどなた?」
「呼んで来なさい」
安藤局長が傍らに控えていた職員へ命じると、職員は一礼し、淀みない所作で応接室を後にした。
それから間もなく、再び扉が開いた。
姿を現したのは、まだ若い女性だった。
髪は黒く染めている。
いや、染めたつもりなのだろう。
ところどころに金色の毛束がまだらに残っており、元はかなり派手な金髪だったことが容易に想像できた。
なんというか、つい最近まで現役のギャルをやっていた人間が、就職を機に慌てて真面目な社会人を取り繕っているような、妙なちぐはぐさがあった。
だが、それでも元の素材の良さまでは隠しきれていない。何より目を引くのは、万華鏡のようにきらきらと黄色く輝く瞳だった。
「この度はウチの職員がご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした」
安藤局長が、再び深々と頭を下げる。
「新稲!」
その鋭い声に促され、新稲も気だるげに口を開いた。
「反省してマース」
語尾を間延びさせた、まるで心の籠もっていない謝罪だった。
「反省してますってね、あなたは自分が何をしたか分かっているの?」
母さんの声に怒気が混じる。涼馬も麻衣も、自分たちが怒られているわけでもないのに、揃ってびくりと身体を震わせた。
さすがの麻衣も、手にしていた茶菓子をそっと机の上へ戻している。
「分かってマース。じゃなきゃ謝ってないっスから」
「だとしたらその態度はどうなのかしら? お隣の安藤局長を見習ったらどうなの?」
「でも、おばさんはアタシが真剣に謝ったとしても許さないっしょ?」
母さんの表情から怒りが引いていく。もちろん、機嫌が直ったわけではない。怒りを通り越して、呆れの領域へ踏み込んだのだ。
「……良く分かっているわね。ならどう責任を取ってくれるのかしら? 裁判でもする?」
「アハハ、そりゃ勘弁願いたいっス。ウチ貧乏なんで」
新稲は悪びれもせず、頭の後ろをぽりぽりと掻いた。
「謝罪も真面目にする気もない、賠償もしたくない、なら何ならする気があるのかしら」
「特に何も無いっす。若気の至りってことで許してくださいっス」
あっけらかんと言い切った。
「話にならない。この子の保護者を呼んでくださるかしら?」
「あ、アタシの両親いないっス。死んだっスから」
あまりにもあっさりと告げられた言葉に、その場の空気が一瞬で重くなった。
「なぁにそんな暗い顔してんすか。よくある話っス」
母さんは大きく溜息を吐いた。
暖簾に腕押しを続けることに、いい加減疲れてきたらしい。
「で、なんでこんなことをしたの?」
「ありゃ、何か同情を誘ったみたいで悪いっすね」
新稲はそう言いながらも、あっさりと言葉を続けた。
「安藤局長が叱るからっス。ムシャクシャしてつい。一応鍵垢だったんすが、リークされちゃったみたいっスね」
そこで新稲は、はっと何かを思いついたように手を叩いた。
「悪いのは切っ掛けを作った安藤局長、もしくはリークしたやつっス」
見事なまでの責任転嫁。涼馬としても親近感の湧いてくるマインドだ。
「新稲! 調子に乗るのもいい加減にしろ!!」
ついに安藤局長の堪忍袋の緒が切れた。
雷鳴のような怒号が応接室に轟き、空気がびりびりと震える。上位の探索家特有の覇気が溢れ出し、テーブルに置かれた陶器のカップに、ピシッと細い亀裂が走った。
「ふわぁ、ん? これってパワハラっス?」
そんな中、新稲だけが平然と大きな欠伸をしていた。一応、手にしたタオルで口元を隠す程度のマナーは持ち合わせているらしい。もっとも、使い終わったタオルをテーブルの上へ無造作に放り投げてしまっては台無しだ。
「指導だ」
安藤局長の大きな拳が振り上げられ、そのまま勢いよく振り下ろされた。 だが、それより先に音を上げたのはカップの方だった。
パリンッ!
甲高い音を立てて陶器が砕け、中のコーヒーが勢いよくこぼれ出す。しかし、液体がテーブルの上に広がることはなかった。先ほど新稲が放り出したタオルに、みるみる吸い込まれていったのだ。
さすがにカップまで割ってしまっては、安藤局長も我に返ったらしい。
「本当に申し訳ございませんでした。新稲には、こちらからよく指導しておきますので」
安藤局長が、もう一度深々と頭を下げた。その隣で新稲は軽く首を振っていたが、大きな岩のような手がその頭を上から押さえつけ、無理やり下げさせた。
もはや、これ以上この場で話を続けようという者は誰もいなかった。そのまま会談はお開きとなり、涼馬たちも帰路に就くことになった。
「またねっス!!」
帰り際、新稲は屈託のない笑顔を浮かべ、こちらに向かってぶんぶんと手を振っていた。
正直なところ、二度と関わりたくないタイプの人種だった。
「全く、安藤局長も何を考えているのかしら」
協会を出てからも、母さんは横でぷりぷりと怒っていた。
「今日の晩御飯なに? 美味しいモノ食べたい」
そのまた隣では、麻衣がお腹を鳴らしている。
「俺の分のお茶菓子まで食べてただろ。太るぞ」
「若い乙女は代謝が良いから大丈V! それに高級なおやつ食べたせいで舌が肥えちゃったの」
もっとも、そんな麻衣の主張が母さんに通用するはずもない。
その日の夕飯は、質素なお茶漬けだった。




