12
翌日、気持ちを切り替えた涼馬は、再びダンジョンへと足を踏み入れた。
今日の目的は、あのボスオナホクンGへのリベンジマッチ。
……に向けた準備だ。
前回は魔力が枯渇した状態だった。それが最大の敗因なのは間違いない。だが、それを差し引いても、あの巨体を殴りつけた際の、まるで米俵でも叩いているかのような手応え。到底、勝てる自信など持てなかった。
ならば、やることは一つ。
とにかく地道にレベリングして、身体を鍛える。今はそれしかない。
涼馬は手製のフロアマップを片手に、通路を巡りながらオナホクンを倒して回った。
第1階層のマッピングは、すでにほとんど終わっている。複雑に入り組んだ通路も、行き止まりも、あらかた調べ尽くした。
だが、どれだけ探しても第2階層へ続く道だけが見つからなかった。
恐らく、この階層は『討伐型』なのだろう。
調べたところによると、ダンジョンのフロアには、大きく分けていくつかの種類があるらしい。
まずは『探索型』。
最もオーソドックスなタイプで、階段や扉など、次の階層へ続く出入口を見つければ先へ進める。
次に『ボス部屋型』。
一度足を踏み入れると、ボスを倒すまで通常の方法では脱出できなくなるフロアだ。
そして『討伐型』。
階層内に存在する特定のモンスターを討伐することで、次の階層へ続く出入口が現れる。
他にも特殊な構造のフロアはいくつか存在するようだが、全体の99%はこの3種類のいずれかに分類されるらしい。
もし、この階層が討伐型だとすれば、討伐対象は十中八九、あのボスオナホクンGだろう。
涼馬はぎゅっと拳を握り締めた。
「俺のテイム童貞は、アイツで捨てるって決めたからな」
結局、その日はボスオナホクンGと遭遇することなく、ひたすらオナホクンを狩り続けて探索を終えた。
翌日も、そのまた翌日も、停学という名の実質ダンジョン強化合宿は続いた。
母さんと麻衣がそれぞれ仕事と学校へ出かけたのを確認すると、涼馬は決まって押入れのダンジョンへ潜り込んだ。
体内を思わせる生々しい空間を、手製のフロアマップでルートを確かめながら進み、オナホクンを見つければ片っ端から倒していく。初めの頃は足を取られてばかりだった、ぶよぶよと不安定な地面にも、すっかり慣れてきた。
最近では体力を付けるため、足元に注意を払いながら、ダンジョン内を走り回るようにもなっていた。
少しずつではあるが、着実に強くなっている実感はあった。
その日も探索を終え、涼馬は自分の部屋へ戻ってきた。窓からは夕焼けの橙色の光が差し込み、室内を淡く染めている。いつの間にか、すっかり日が暮れる時間になっていた。
そろそろ麻衣が帰ってくる頃だろう。涼馬はシャワーを浴びて汗を流すと、再び自室へ戻った。
少しくらい課題を進めておこうと机に向かった、そのときだった。何気なくカーテンを開け、窓の外へ目をやる。
隣家にある沙織の部屋。その窓には薄緑色のカーテンが引かれ、向こう側から柔らかな明かりが漏れていた。
カーテンの向こうに、ぼんやりと人影が浮かぶ。
一つ。
そして、二回りほど大きいもう一つの影。
「……っ」
涼馬は反射的にカーテンを閉じる。
どうにもやりきれなくなって、課題を机の隅に投げ捨てた。
じっとしていられなかった。衝動のままに押入れの戸を開ける。そこには、黒々とした靄が、ぽっかりと口を開けて待ち構えていた。
涼馬は一瞬の躊躇もなく、その中へ身体を突っ込んだ。
「よう、元気だったか? 丁度お前に会いたかった気分だった」
彷徨い歩くこと数十分。薄ピンク色の景色が続く通路の先に、黄金色に輝く巨体を捉えた。
ボスオナホクンG。
「ってあれ? デカくね?」
以前は涼馬の腰ほどまでしかなかった身体が、今では胸元に届くほどまで成長している。見間違いではない。明らかに一回りも二回りも大きくなっていた。
俺の精液を摂取して成長した?
涼馬の脳裏にあまり考えたくない予想が浮かび上がる。
それを振り払うように、ボスオナホクンG目掛けて駆け出した。
「先手必勝!!」
勢いよく踏み込み、渾身の拳を突き出す。
数多のオナホクンをKOしてきたパンチだった。
だが、その拳が届くことはなかった。
金色の触手がしゅるりと伸び、振り抜こうとした腕に絡みつく。次の瞬間、突進の勢いを逆に利用され、身体ごと宙へ放り投げられた。
「うわっ!」
涼馬はぶよぶよとした床の上を何度も弾みながら転がっていった。衝撃こそ柔らかな地面に吸収されたものの、視界が目まぐるしく回転し、一瞬、天地の区別すらつかなくなる。
慌てて体勢を立て直す。だが、ボスオナホクンGは追ってこない。
悠然とその場に立ったまま、まるで「その程度か」とでも言いたげに佇んでいた。
冷や汗が、右頬の火傷の痕に沿ってゆっくりと伝っていく。
今日はすでに散々オナホクンを狩った後だ。少し休憩を挟んだとはいえ、身体には明らかに疲労が溜まっている。
涼馬は大きく肩で息をした。
今日のところは一旦、逃げ……。
涼馬の判断は致命的に遅かった。
次の瞬間には、ボスオナホクンGが懐へ潜り込んでいた。黄金色の巨体が視界いっぱいに迫り、涼馬は抗う間もなく床へと押し倒された。
そして、
「うぁぁあああああああっ!!」
それから先は、もう抵抗と呼べるものですらなかった。
金色の触手が幾重にも絡みつき、身動きを封じる。逃れようともがくたびに拘束は強まっていく。
そして、たっぷりと。ねっとりと。
身体の奥に残っていたものまで根こそぎ奪われるように、涼馬は容赦なく搾り取られた。
気付けば、指一本動かす気力すら失い、湿った床にぐったりと横たわっていた。
これで終わった。
そう思った矢先、足首に何かが絡みついた。
金色の触手だった。
「……へ?」
次の瞬間、涼馬の身体はずるずると床の上を引きずられていく。
「やめろ! はなせって! どこに連れてく気だよ!!」
抵抗はできなかった。身体は鉛のように重く、腕を持ち上げることさえままならない。ただ、なされるがままに引きずられていく。
やがて、通路の先に見えてきたものに、涼馬は目を瞬いた。
押入れの戸だった。
ボスオナホクンGはその前まで涼馬を運ぶと、まるで役目を終えたとでもいうように、足首に絡めていた触手を解いた。
何も言わない。
ただ悠然と背を向け、そのまますたすたと去っていく。
涼馬は床に転がったまま、その黄金色の背中を呆然と見送った。
完敗だった。
「というか戸の前まで送り届けるってなんだよ。本当にモンスターかよアイツ」
涼馬は老人もかくやという覚束ない動きで、どうにかダンジョンの外へと這い出した。
そのまま風呂場へ直行しようと、部屋を出た瞬間だった。
「お兄……大丈夫?」
最悪のタイミングで麻衣と鉢合わせてしまった。
全身はずるずる、でろでろ。
足取りは覚束なく、腰が砕けた老人のような歩き方になっている。
そんな兄の惨状を目の当たりにした麻衣の表情が、みるみるうちに変わっていった。頬がじわりと赤く染まり、眉根が寄る。心配そうな眼差しには、やがて何とも言えない憐れみまで混じり始めた。
「馬鹿お兄!! そんなになるまで無理して!! アホなの!!」
口では散々に罵りながらも、麻衣は涼馬の腕を自分の肩に回し、倒れないよう身体を支えてくれた。そのまま二人で、よろよろと階段を下りていく。
そして風呂場に放り込まれた。
「うわベトベトだよっ。私もまた風呂に入らないといけないじゃん」
脱衣所の向こうから、麻衣のげんなりとした声が聞こえてくる。
「髪乾かすのめんどいよぉ。お兄、ちゃんと責任取ってドライヤーしてよね」
助けてもらった手前、断れる雰囲気ではなかった。
ブォーッ、と低い風切り音を立てながら、涼馬はリビングのソファでくつろぐ麻衣の髪にドライヤーを当てていた。
普段はサイドで一つに括っているせいか、あまり長いという印象はなかったが、こうして解いてみると意外なほど長い。背中へ流れ落ちる黒髪が、温風を受けるたびに柔らかく揺れていた。
絡まないよう指を差し入れ、梳くようにゆっくりと手を滑らせる。
指の間をさらさらと抜けていく髪の感触は思いのほか心地よく、涼馬は少しだけ手つきを緩めた。
「なぁ、流石に俺が何してたか気付いた?」
その言葉を口にした途端、指先を滑らせていた麻衣の髪が、ほんのわずかに張ったような気がした。
「ま、まぁ、何となく」
やはり気付かれてしまったらしい。
何度かあんな、ずるずるででろでろになった姿を見られているのだ。今さら誤魔化せという方が無理がある。
普通に考えて、自分の部屋に籠もっていただけの人間が、あそこまで汚れて出てくるはずがない。ダンジョンに潜っていると勘ぐられてもしょうがない。
麻衣は昔から、妙なところで勘が鋭いし。
「なぁ、他の人たちには黙っててくれないか?」
「え、あ、まぁ、そりゃ……言いふらしたりはしないよ。私の沽券にも関わるし」
「本当?」
「そりゃ、うん」
「ありがとう。物わかりの良い妹で良かったよ」
安堵して、涼馬は再び麻衣の髪へ指を通した。
「でも! これ以上は駄目だよ。今日だって、もう半分死人みたいになるまで……」
「ごめん、今日はここまで頑張る気は無かったんだけど、つい衝動的に」
「馬鹿!! 大体、お兄は停学を何だと思ってるの?」
やけに強い語気で怒鳴られ、涼馬は思わず口を噤んだ。
そこで会話は途切れた。
ブォーッというドライヤーの風音だけが、気まずい沈黙を埋めるようにリビングへ響いていた。
「次、そんなになるまでしてたら、病院連れてくからね」
麻衣は自分の髪を指先で撫で、乾き具合を確かめた。どうやら満足したらしく、ソファから立ち上がると、去り際にそんな言葉を残した。
「びょ、病院、って大袈裟すぎない?」
「大袈裟じゃないよ! 依存症一歩手前じゃん!!」
ダンジョン依存症。
ダンジョンの中で味わう命のやり取り、その緊張と興奮に取り憑かれ、狂ったように潜り続けるようになる症状だったはずだ。
実際、探索家の間では昔から問題になっていて、専門の治療施設まで存在するらしい。
確かに最近は毎日のように潜っているし、今日はろくに休みもせず、衝動的に飛び込んでしまった。
「……そこまでか?」
自分ではまだ正常なつもりだったのだが。
***
麻衣は階段を上がると小さく溜息を吐いた。
「どうしよ、お兄が壊れちゃった」
全身変なベトベトでぐしょぐしょ。
妙に汗ばんでいるどころか、なんとなくイカっぽい生臭さまで漂っていた。
自分の部屋でナニをしていたのか、別段、性に明るいわけではない麻衣にだって想像はついた。
まぁ、失恋直後だし、男ならそういうこともあるのだろうけどもだよ。
あるのだろうけど!!!
あれはおかしいって!! ……多分。
どれだけ過酷なオナニーしてるのよ、お兄は!!!




