第4話 接待
料亭の座敷で、俺は葛城会長の隣に座らされていた。
七十近い痩せた男で、握手のとき、必要より三秒長く手を握ってきた。その三秒で、今夜がどういう夜になるか、だいたいわかった。
「ほう、これが噂の特別秘書さんか。鷹峰さん、隅に置けんなあ」
鷹峰は上座で盃を舐めながら、薄く笑っただけだった。売り物の説明をしない店主の顔だった。
酌をしろ、と目で命じられた。徳利を持つと、会長の手が俺の手の甲に重なってくる。引けば座が壊れる。引かなければ手が触れたままになる。俺は徳利を置く動作で自然に手を抜いた。二十三年の宴会で覚えた技術が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「まあ飲みなさい。ほら、グラスで」
ビールをグラスに注がれ、飲み干すまで会長の手が俺の肩に置かれたままになる。飲めば次が注がれる。断る役目の上司は、売り物の値段を釣り上げる側だった。若い女の身体は、俺の想定よりずっと早く、ずっと深く酔った。四十五年つき合った肝臓は、もうここにはないのだ。
時間の感覚が溶け始めた頃、会長が言った。
「よし、店を変えよう。──いや、秘書さんは疲れたろう。ホテルで少し休むといい。なに、わしが介抱してやる」
タクシーに押し込まれた。隣に会長。窓の外を、見覚えのあるシティホテルの看板が流れて、止まった。
ロビーを横切る間、俺は酔いに霞む頭で、必死に手札を探していた。騒ぐか? 騒げば「酔った秘書の醜態」として処理され、月曜には辞令が出る。逃げるか? この靴と、この酔いで、走れるか。
エレベーターの前で、会長がカードキーを出した。そのとき、フロントの明かりが目に入って──二十三年の総務の血が、最後の手札を切った。
「──会長」
俺はロビー中に届く声で、はっきりと言った。
「お部屋の領収書、宛名は葛城興産様と大鷹物産、どちらで切りましょう? 接待交際費の処理がございますので、フロントで確認して参ります」
会長の足が、止まった。
領収書。宛名。経費処理。つまり──今夜ここで起きることが、両方の会社の帳簿に、日付と金額つきで残るという宣言だった。ロビーには他の客もいる。フロント係がこちらを見ている。
「……ふん。気の利く秘書さんだ」
会長は白けた顔でカードキーをしまった。「今夜は帰る。鷹峰さんによろしく」
タクシーが走り去るまで頭を下げ、それから俺はロビーの隅にへたり込んだ。膝が、今頃になって震えていた。
月曜の朝、出社した俺を、氷室さんが無言で見て、それから小さく言った。
「社長室へ。──呼ばれてる」
(第4話・了)
「続きが気になったらブックマークをよろしくお願いします」




