第2話 制服は、こちらで用意してある
三十四階の秘書室には、ロッカーが一つだけ用意されていた。扉に『榊原』のネームプレート。開けると、ハンガーに掛かった「制服」が俺を待っていた。
白いブラウスと、紺のタイトスカート。それだけ見れば普通の事務服だ。だが手に取って、すぐにわかった。ブラウスの生地が、薄い。向こうが透けるほどではないが、身体の線を隠す気が一切ない薄さだ。ボタンの位置も妙に下から始まっていて、一番上まで留めても鎖骨が丸見えになる設計だった。
そしてスカート。総務で二十三年、制服の発注もやった俺だから断言できる。事務服のスカート丈は膝が隠れるのが標準規格だ。これは、どう測っても膝上二十センチ。規格外の特注品。つまり誰かが、金をかけて、わざわざこの丈で作らせたのだ。
「着ないという選択肢は、ないから」
背後から声がした。秘書室長の氷室さん。四十がらみの、能面みたいに表情のない女性だった。彼女は俺の顔もスカートも見ずに言った。
「八時二十分、社長が上がってくる。それまでに着替えて」
着替えた。鏡は見ないようにした。見たら心が折れると思った。だが歩くたびに太ももを撫でる空気と、胸元のボタンの頼りなさが、鏡を見るまでもなく現状を教えてくれた。
八時二十分。エレベーターホールに整列して社長を迎える。扉が開き、鷹峰社長が降りてきた。六十過ぎ、恰幅がよく、白髪をきれいに撫でつけている。株主総会の壇上でしか見たことのなかった男は、間近で見ると、目が笑っていなかった。
鷹峰は俺の前で足を止めた。そして、頭のてっぺんから爪先まで、時間をかけて視線を往復させた。品定めという言葉があるが、あれは正確じゃない。あの視線には値札が見えた。
「適合率九十七パーセント、か。医療部門もたまには役に立つ」
俺に言ったのではない。隣の人事部長に言ったのだ。俺は、この会社の備品だった。二十三年勤めて、最後に備品になった。
その日一日、俺は視線の中で働いた。コピー室で、給湯室で、廊下で。すれ違う男たちの目が、胸元とスカートの裾を、順番になぞっていく。声をかけてくる者はいない。三十四階の「社長の秘書」に手を出す度胸のある社員はいない。だから視線だけが、好き放題に触ってくる。
夕方、氷室さんが帰り支度をしながら、初めて俺の目を見て言った。
「一つだけ教えておく。あなたの前にも、"特別秘書"はいた」
「……その人は、今どこに」
氷室さんは答えなかった。答えないことが、答えだった。
*
退勤間際、社長室に呼ばれた。鷹峰は書類から顔も上げずに言った。
「秘書の仕事は、昼だけだと思うなよ。──来週の金曜、空けておけ」
(第2話・了)
「続きが気になったらブックマークをよろしくお願いします」




