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十二章・3

 「綺麗なところだな」


 「静かですね。いいところです」


 日本庭園。


 まさしくここはそう言い現わされる場所だった。

 きれいに剪定された庭木。清流が流れる小川とそこにかかる石橋。ぽつんと佇む石灯篭。苔の生した大岩。

 庭に詳しいわけではないが、そんな俺でも魅力的だと思える、いい庭だった。


 歩いていると、美弥子はあるものに目をつけた。


 「これは何ですか?」


 「枯山水ってやつだ、と思う」


 真っ白な玉砂利が敷き詰められているところに、点々と、大小さまざまな岩が置かれている。よく見ると、砂利にはうっすらと線が引かれている。


 「枯山水。聞いたことがあります。これがそうですか」


 「たしか、この砂利が川を表しているんだよな?」


 この手のことに美弥子は詳しいだろう。


 「そうです。水を使わずに池や滝を表現するために、このように線を引くのです。ちなみに、植物が生えていない、緑の無い枯山水を石庭と言うこともあります」


 「へえ。じゃあ、これは石庭になるのか?」


 「そうですね。でもわたしは、石庭と言うよりも枯山水と言う方が好きです」


 「ああ、何となくわかる。そっちの方が、何か味があるって感じだ」


 「枯山水は、仏教の観点から人間の一生を表したものだと言われます。あの一番大きい岩を見てください」


 俺は美弥子が指し示す、大きな岩を見た。


 「あれが誕生。始まりです。そこからすうっと伸びている線が人生です。大小さまざまな大きさの岩が、人に降りかかる困難や災難です。それらにぶつかりながらも人は進んでいきます。……そして、最期」


 美弥子が示す先には、渦のように見える模様があった。


 「この渦は、人の悟りの境地とされています。亡くなる直前に悟りに到達する人間を、渦巻きで表しているのです」


 「この庭には、そんなメッセージが込められていたんだな」


 「こうして庭を眺めながら、ゆっくりと、静かに、人生に思いを馳せる。それがきっと、日本人に代々伝わる、風情と言うものなのでしょうね」


 人生に、思いを、か。


 「……美弥子は、これから先のこと、考えたことはあるか?」


 「先、ですか?」 


 「ああ」


 俺にも、美弥子にも、今まで生きてきた倍以上に、人生がある。

 その途方もなく長い時間の中には、きっとこの岩のような困難がいくつも待ち構えている。


 でもきっと、それだけじゃないはずだ。

 楽しいことも、嬉しいことも、絶対にある。


 「いい機会だ。ここでしばらく、自分の、これからのことを考えていかないか?」


 「……そうですね」


 すると、美弥子の、俺の手を握る力が少し強くなった。


 「考えて、みましょうか」


 そしてしばらく俺たちは、そこで立ち止まって、静かに、人生について考えた。


 思えば、俺が美弥子に出会っていなかったら、俺の人生は、一月前に、もうすでに終わっていたんだな。

 今こうして、俺が生きていられるのは美弥子のおかげだ。

 そしてきっと、これからも。



                    ○



 「歩き回って、いい感じに汗かいたな。風呂行くか」


 「お、お風呂ですか!」


 待っていましたと言わんばかりに美弥子が反応した。


 「ここの旅館はただの風呂じゃないぞ。温泉だ」


 「温、泉……! とはなんですか?」


 「知らずに驚いたのかよ。温泉って言うのは、えっと……地面から直接湯が出てきている風呂のことだ」


 産地直送。地球からの直輸入。それが温泉。


 「……マグマ?」


 「そんな熱々なものは出てこない。もう少しぬるいし、主成分は水だ。岩石がどろどろなやつじゃない」


 「そうですか。安心しました」


 美弥子はほっと胸を撫でおろした。いったいどんなものを想像していたんだか。


 「とりあえず行こうか。ああ、着替えとタオルは持って来いよ」


 「わかりました」


 俺と美弥子は風呂に入る準備をして、そして風呂に向かった。



                    ○



 「そっちの赤い暖簾の方が女湯だから。美弥子はそっち」


 「え? 別々っ!?」


 「何で一緒なんだ。先に上がったらその辺に座って待っていてくれ」


 「わかりました。それではつっきー、またあとで」


 「おう」


 手を振る美弥子に、俺も軽く手を振り返して脱衣所に入った。


 まあ、さっきはああ言ったが、美弥子を外で待たすのも悪い。適当に入って、先に上がれるようにしておこう。

 俺は手早く脱衣を済ませ、風呂場に入った。


 「お、何だ。俺一人か」


 広い風呂場には俺の他に誰もいなかった。そう言えば、さっきの脱衣所のかごは全部空いていた気がする。これはゆっくりと、足を伸ばして入りたい。まあ、美弥子よりは早く上がりたいところだが。


 「つっきー、聞こえますかー?」


 すると、女湯の方から美弥子の声が聞こえてきた。上を見上げると、一番高いところだけ壁がなくなっている。


 「聞こえるー」


 「そちらも一人ですかー」


 「ああ。そうだー。そっちもかー?」


 「そうですー。一人ですー」


 壁を隔てた相手に声を届けようとするので、お互いどうしても間延びした、間抜けな話し方になってしまう。


 「先に体洗ってから、それから湯船に浸かれよー」


 「わかりましたー」


 基本的なことを言い忘れていたのでそれだけ伝え、俺も洗い場に向かった。

 そして体と頭をよく洗い、湯船に浸かった。

 やはり大きな風呂は気持ちがいい。加えて独り占めだ。さらに温泉だ。格別だ。


 「ふう」


 あまりの気分の良さに、勝手にため息が漏れた。


 「つっきー! すっごく大きなお風呂ですー!」


 「そっかー。よかったなー」


 「はいー! 気持ちがいいですー!」


 「ゆっくり浸かれよー」


 「はーい!」


 それきり美弥子の方からこちらに話しかけてくることはなくなった。ただときおり、「ふうー」とか「はあー」とかの声が聞こえてくるだけだ。どうやら堪能しているようだ。


 俺は長湯することなく、名残惜しかったがさっさと風呂場から出て着替え、外で待機することにした。

 準備するものもあるしな。

 こういう温泉に入ったら、やっぱりあれだよな。銭湯でも然りなわけだが。



                     ○



 「つっきー……」


 「お、上がったか」


 俺が外のベンチでしばらくぼうっとしていると、美弥子が脱衣所の戸から顔だけをのぞかせた。

 俺は立ちあがり、美弥子に近づこうとして。


 「あ、ちょ、だめです!」


 美弥子が猛烈な勢いで戸を閉めた。


 「ん? どうした?」


 「その、浴衣が着られません……」


 戸の向こう側から、弱々しい声が帰ってきた。


 「またか……」


 「すみません」


 「いや、俺もうっかりしていたよ。今人を呼んでくるから、ちょっと待ってろ」


 「はい。お願いします」


 俺は本日二度目となるおかみさん召喚を使い、美弥子の着替えを手伝ってもらった。


 「何度もすみません」


 俺は、嫌な顔一つせずに着替えをさせてくれたおかみさんに頭を下げた。


 「構いませんよ。私も、こんな可愛らしいお嬢さんと接する機会をいただいて嬉しく思っていますから。それでは、また何かございましたらどうぞ、お呼びください」


 「はい。ありがとうございました」


 「あ、ありがとうございました」


 俺と美弥子が揃って礼を言うと、おかみさんはにこりと優雅な微笑みを一つ残し、去っていった。


 「やっぱり素敵な方ですね。まさか、髪まで結ってくれるなんて思いませんでした」


 美弥子はそう言って、自分の頭の後ろを嬉しそうに撫でた。

 美弥子は今、普段まっすぐに下ろしている髪をアップにし、後頭部でまとめている。何ていう髪型かはわからない。しかし浴衣姿にはよく合っていると思う。


 「でも、この辺がなんだかスース―します」


 美弥子は落ち着かないのか、うなじのあたりを押さえていた。たしかに、普段は髪で隠れているうなじが、今はすべて出ている。


 その恥ずかしがるような仕草に、俺はしばし目を奪われた。


 「……ああ、そうだ」


 俺は気を取り直し、さっき準備しておいたものを取り出した。


 「美弥子、温泉から上がった後はあるものを飲まないといけない」


 「な、何を飲むのですか?」


 「これだ」


 俺は美弥子に、瓶入りのコーヒー牛乳を渡した。


 「これ、ですか?」


 「そうだ。美味いぞ?」


 「わかりました。飲んでみます」


 美弥子は瓶の飲み口のビニールを外し、そして。


 「え? これはなんですか? ど、どうやって飲めば……?」


 ふたに戸惑っていた。


 「あの、つっきー……どうやってあけるのですか?」


 「これは、手で開けることはできるが、リスクが高い。しかし、これを使えば問題はない」


 俺は手に隠し持っていたあるものを美弥子に見せた。


 「これは?」


 細長い棒状で、先端には丸い輪っかがついており、その輪の中には針が一つ出ている。現代の子は知らないだろうな。


 「これは牛乳瓶の蓋開けるやつだ。正式名称は知らん。これを使えば」


 俺は開けるやつで自分の瓶のふたを簡単に開けてみせた。


 「す、すごいです!」


 「ほら、今みたいにやってみろ」


 美弥子に俺は開けるやつを渡した。


 「や、やってみます!」


 美弥子はそう意気込んで、蓋に針を刺しこんだ。

 そして、きゅぽんという気持ちのいい音がして蓋が開いた。


 「あ、開きましたー!」 


 「おう、開いたな」


 「素晴らしい発明ですねこれは! ノーベル賞はもう取っていますか?」


 「たぶん取っていない」


 イグの方ならいけるんじゃないかな?


 「側もいいけど、中身の方も飲んでみてくれ」


 美弥子は瓶を両手で持ち、ゆっくりと飲んだ。


 「お、美味しいです! 甘くて美味しいです!」


 「そうだろう。だが、もっと美味くなる飲み方があるんだ」


 「ほ、本当ですか! それはいったい?」


 「こうだ!」


 俺は片手を腰に当て、胸を張り、勢いよくコーヒー牛乳を飲んだ。


 「ぷはあっ!」


 俺は一口で半分まで飲むことができた。うん、今日はまあまあだな。


 「こうやって飲むと、もっと美味いぞ」


 一気に飲むとさらに美味いが、今は控えておこう。


 「やってみます!」


 美弥子も、腰に手を当て、無い胸を張り、勢いよく飲み始めた。


 「ごくっ……ごくっ……ごふうっ!?」


 そして、盛大にむせた。


 「げ、げほっ……げほっ……!」


 「だ、大丈夫か美弥子!?」


 「だ、だい……げほっ、じょう……ぶ……」


 「無理させて悪かったな」


 俺は美弥子の背中をさすりながら謝った。

 しばらくさすっていると、しだいに美弥子の呼吸は落ち着いてきた。


 「いえ、つっきーは悪くないです。わたしの、精進が足りなかった結果です」


 「何の精進か知らないが、まあ今回はよく頑張ったと思う。次、また頑張ろうな」


 「はい。わたし、今度は三分の一くらいまでは飲みたいです」


 「おう。少しずつ増やしていこう」


 何だかよくわからない目標を作り、俺たちは部屋に戻った。

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