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十二章・1

 「じゃあ、行ってくる」


 「行ってきますね!」


 俺と美弥子は玄関先で、母さんと一咲子に言った。


 「いってらっしゃい。楽しんできてね!」


 「気をつけてね。いってらっしゃい」


 俺は自分の荷物が入ったかばんと、美弥子の荷物が入ったかばんを持ち、車にそれらを載せた。


 「ほら、美弥子も乗れ」


 「わかりました」


 美弥子も助手席に乗った。もうすっかり慣れたようで、何も言わなくてもシートベルトをつける。最初に車に乗せたときとは大違いだ。成長したということか。

 俺も荷物を整理して、運転席に乗った。


 「出発するぞ」


 「はい、つっきー。お願いします」


 「つっきー言うな」


 俺は今さらなことを言って、アクセルを踏み込んだ。



                    ○



 「その旅館はどこにあるのですか?」


 「山を少し上ったところにある。だから、悪いけれど時間がかかる」


 「大丈夫です。わたし、つっきーとこうして車に乗ってお話するの好きですから」


 「そうかよ」


 車はエンジン音を響かせながら、緩やかな上り坂を走って行く。両側には綺麗な緑色の葉を茂らせた木々が並んでいる。

 ところどころ、道路の横が崖になっているところがあり、そこからは開けた景色が見られる。

 美弥子はそうしたところがあるたびに、ほーとかへーとか言って、感動していた。


 「今日はいい天気になってよかったな」


 「そうですね。これもきっと、わたしの日ごろの行いが良いからだと思います」


 「日ごろ何してんだよ」


 「いろいろです」


 「いろいろか」


 「はい」


 美弥子はそう言って笑った。いつものように、眩しい笑顔を見せた。

 美弥子はいつも、嬉しそうに、楽しそうに笑う。笑ってくれる。

 変わらない笑顔を、見せてくれる。


 「……美弥子は、俺といて楽しいか?」


 「え? ど、どうしたんですか、急に」


 俺の問いかけに、美弥子は戸惑ったように言った。

 それはそうだ。俺だって聞く前に、こんなこと聞いたら美弥子は困るだろうなと思った。

 でも、聞かなければならなかった。聞いておかなければ、俺はきっと最後の最後で鈍ってしまう。

 我ながら女々しいとは思うが、仕方がない。


 「俺が美弥子と一緒にいるのは、美弥子に、外の世界を教えるためだ。そのために俺は生きている。でも、それは俺じゃなくてもいいんじゃないか?」


 俺が美弥子と一緒にいる理由は一つだ。

 でも、美弥子が俺といる理由は?


 「俺以外にもし、美弥子に外の世界を教えられる奴がいたら、そいつがもし俺よりもうまく美弥子と一緒にいられる奴だったら、じゃあ美弥子が俺といる理由は何だ?」


 美弥子が俺といなければいけない理由は、無いんじゃないか?


 「つっきー……」


 「怖いんだ。俺でいいのかって、そう考えると、怖いんだ」


 「……たしかに、そんなこと言っちゃうつっきーよりもいい人がいたら、わたしはそちらに行くかもしれませんね」

 

 「美弥子?」


 美弥子の口調は、少し怒っているように聞こえた。


 「でも、今わたしの傍にいるのはつっきーです。いてくれるのはつっきーです。今いないどこかの誰かよりも、わたしは今ここにいるつっきーの方がいいです」


 「……え?」


 「つっきー、前に言っていたじゃないですか。今を楽しめって」


 遊園地に美弥子を連れて行ったとき、そんなことを言った気がする。そんななんでもない一言を、よくもまあ覚えているものだ。


 「わたしも、今を大事にしようと思います。今、こうしてつっきーが話してくれている。今、つっきーがわたしと一緒にいてくれている。それが大切なのです」


 「……そっか」


 「だからもうそんなこと、言わないでくださいね! わかりましたか!?」


 「ご、ごめん……。悪かった」


 「と言いますか、つっきーじゃないといけない理由、でしたっけ? そんなの決まっていますよ。わたしがつっきーと一緒にいたいから。それだけです。シンプルです。オールオアナッシングです」


 「オールオアナッシングは違うと思う」


 「それにしてもつっきーはめんどくさい人ですね。そんなことを考えていたのですか?」


 「何となく、不安になって……」


 「まったく呆れた人です。わたしがつっきーを置いて、どこかに行くわけ、ないじゃないですか」


 そう美弥子が言った瞬間、俺の脳裏に、嫌な考えが浮かんだ。美弥子の声が、なぜだかとても儚く聞こえたから。


 「……そうだな。俺がいないと車にも乗れないし、電車にも乗れないし、たしかにどこにも行けないな」


 俺はそう言って笑い声をあげた。


 「な、何を失礼な! 電車なら乗れますー。一咲子さんと一緒にこの前乗ったので乗り方わかりますー」


 「へえ、そうだったか。それなら今度、一人でどこかに行ってもらおうか?」


 「え! いえ、それはちょっと、どうかなー?」


 美弥子は慌てたようにそう言った。

 だけど俺は、そんな、表情をころころと変えているであろう美弥子の方を見ることはできなかった。

 運転中だから、などと言う理由ではない。

 美弥子の方に目を向けたら、いなくなっているかもしれないと、ふと思ってしまったからだ。

 今までの会話が、まるで嘘のように、初めからそこにはいなかったというように、消えてしまうんじゃないかと思ったからだ。

 もちろんそんなこと、あるわけないとわかっている。

 それでも俺は、旅館までの道中、一度も美弥子の方に顔を向けることはできなかった。

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