十章・3
「と、言うわけで図書館だ」
「どういうわけですか?」
「あ、いや別に、何でもない」
「それにしても大きい建物ですね」
美弥子は上を見上げてそう言った。
「県立の図書館だ。まあ、俺も入ったことはないんだけどな」
「そうなのですか?」
「だいたい本に興味ないしな」
「もー、それじゃだめですよ。仕方ないですね。わたしがつっきーのために本を選んであげますから、それでも読んで大人しくしていてください」
「別に騒いだりするつもりはないが、わかった。あ、図書館の中では静かにな」
「はい。わかりました」
「それじゃ、入ろうか」
「はい!」
○
「うわっ! うわわわっ! わっは~!!」
「静かにしなさい」
「あ、すみません」
図書館に入ったとたんに歓声を上げた美弥子を、俺は小さな声で注意した。
「まあ静かにしてさえいれば、何していてもいいから。ここからは自由行動だ……って、聞いちゃいねえな……」
美弥子は吸い寄せられるように本棚に向かい、キラキラとした瞳で本を見つめていた。
まあ、放っといても大丈夫か。図書館でそうそうトラブルに巻き込まれたりしないだろう。それに、最近はそれなりに美弥子も常識を身につけ始めているしな。
俺はそう考え、窓から広い庭を望めるソファに座った。
「つっきー」
座ってしばらくすると、美弥子が手に本を持ってやって来た。
「どうした?」
「これ、どうぞ」
美弥子は手に持っていた本を俺に渡してきた。
「これは?」
「さっき、選んであげるって言ったじゃないですか」
「ああ、そっか。ありがとう」
「いえいえ。それ、わたしのおすすめですから。それじゃ、わたしはまたいろいろ見てきますね」
「ああ。気をつけてな」
「はい」
美弥子は微笑むと、また本を求めて旅に出かけた。
俺は渡された本を見た。
『私の出会った十二の獣』
とりあえず読み始めてみた。せっかく選んでくれたわけだしな。
内容としては、内気で人見知りであることが原因でいじめられ、そして引きこもっていた少女が、一月に一回ずつ不思議な獣たちに出会い、その獣たちから世界の素晴らしさ、人間の素晴らしさ、生きることの素晴らしさを教えてもらうと言うものだった。
最初は半信半疑だった少女は、しかし次第に、次々と現れる個性的で秀逸な獣たちに心を開いていき、最後には自分の部屋を出て学校に行く。しかし実際は、その獣たちは少女の部屋にあったぬいぐるみで、結局少女は一年をかけて自問自答しながら、自分の力で立ちあがったのだ。
三時間ほどかけて読み終わり、俺はぼうっとする頭で庭を眺めていた。
ま、美弥子が好きそうな話だな。一癖あるけれど、何となく前向きな話。
「くぁ……」
俺の口から、大きなあくびが出た。
久しぶりに真剣に読書をして、眠くなってしまった。
俺は柔らかいソファに体を沈め、ゆっくりとまぶたを下ろした。
……そういや、美弥子はいつまで俺といるつもりなのだろうか?
眠る直前のぼうっとした頭で、俺はそんなことを考えた。
美弥子だって、ずっと俺といるつもりはないだろう。
退院できたのだから、学校にだって行けるはずだ。
たしか、今年で十六だったか?
なら、高一高二くらいか。
いや、あいつの頭の良さなら大学にだって行けるだろう。でも、日本にそう言う飛び級制度みたいなものあったっけ?
まあ、なんでもいい。
あいつが望む進路なら、未来なら、何だって構わない。
俺は、それを……。
○
「……つっきー、ひぐっ」
「……んあ?」
「う、ぅぅぅ……つっきー」
美弥子の声が聞こえ、俺は目を覚ました。
すると、俺の目に、美弥子の泣き顔が飛び込んできた。
「み、美弥子、どうした? 何があったんだ?」
「つっきー……わ、わたし……わたしは……」
美弥子の両眼からは、大粒の涙がぼろぼろとこぼれていた。
美弥子の声は震えていた。
「美弥子、わかった。とりあえず、落ち着こう」
そう言って俺が美弥子の肩に手を置くと、美弥子の体が震えているのがわかった。
「美弥子、一回外に行こう。外の風に当たろう」
俺は美弥子の異様な様子と、館内の人からの目線もあって、そう言った。
「……はい」
俺は美弥子の手を引いて、図書館の中庭に出た。
そこで、丁度いい具合に木陰になっているベンチを見つけ、俺は美弥子をそこに座らせた。
近くに自動販売機を見つけたので、俺は美弥子に断ってから水を買いに行った。
「ほら」
「ありがとう、ございます……」
美弥子は小さくそう言うと、水を一口飲み、ふうと息をついた。
目は真っ赤だったが、涙はもう止まっていた。
「どうだ? 少しは、落ち着いたか?」
「はい……」
「……何があった? 感動しすぎる本でもあったか?」
「違います。違うのです」
「そうかよ」
「でも、本のことではあります」
「本が、どうしたんだ?」
「……わたしは、ここにある本を、読んだことのない本を、全部読めないのだなって思うと、何だか、とても切なくなってきてしまって、悲しくなってきてしまって……」
「それは、そうだろう。と言うか、ほとんどの人間が、ここにある全部の本を読むなんて、できないだろう」
「そうですね。その通りです。でも、わたしの場合は、そうじゃないのです……」
「そうじゃないって、どういう……?」
俺はそう聞いたが、美弥子は弱々しく首を横に振った。
「言いたく、ないです。言いたくありません」
「……そうかよ」
「あ、あの! 怒らないでください」
「怒ってなんかいない。心配するな」
慌てた様子で言った美弥子に、俺は苦笑して言った。
「決して、つっきーが嫌いだからとか、信用していないからとか、そういうわけではないのです!」
「わかっているよ。何か理由があるんだろう? だったらいいよ。俺は気にしないし、聞かない」
「そうしてもらえると、助かります」
「でも、本当に、どうしようもないくらい困っていて、助けが必要だったら、言ってくれ。俺じゃなくてもいい。美弥子には、俺以外に、一咲子も母さんもついているから」
「はい……はい……ありがとうございます」
「……さて、まだまだ時間はあるぞ、美弥子。全部は読めないかもしれないが、今日読めるだけは、今日読んでおけ」
「わかりました。がんばります!」
「おう。がんばれ」
俺は美弥子の手を引いてベンチから立たせ、そうして手をつないだまま、もう一度図書館の中に入った。




