十章・2
「着いたぞ」
「ふぁ?」
「よだれ」
「ええ!?」
「嘘だ」
「もう!!」
美弥子を適当にからかってから車を降り、本屋に向かった。
この本屋は県内でも屈指の大きさだ。量も、種類も半端でないに違いない。
俺と美弥子は自動ドアをくぐり、本屋に入った。
「おお!」
「どうだ?」
「すごいです。本だらけです」
「そうかよ。まあ本屋だからな」
「どこに何があるのでしょうか?」
「何をお探しか?」
「そうですね……つっきーが読むならやっぱり小説ですよね」
「ああそうか。一応俺のを選ぶんだった。それじゃあ小説のところに行くか」
「はい!」
俺は美弥子の手を引いて小説の入った本棚のもとに向かった。
「こっからあっちまでが小説だ」
「まじですか!?」
「まじですな」
「こんなに大量の小説がこの世にあるなんて!」
「美弥子なら、これくらいの量の小説読んでいると思ったんだが」
それこそ一日に何十冊とか、そのくらいに。
「いえ、わたしは、量はそこまでです」
「そうなのか」
「はい」
「小説以外の本をいっぱい読んでいたってことか?」
「いえ、読んでいたのは小説がほとんどですよ」
「……どういうことだ?」
「わたしは同じ小説を繰り返し読むのが好きなのです」
「繰り返し?」
「はい。同じ小説でも、一度目と二度目ではやっぱり感じるものは違いますし、三度目四度目でも、新しい発見があるのです」
「そういうものなのか」
俺は本を全く読まないし、同じ小説を何度も読むなんて意味がわからない。内容とか結末がわかっていて、それでも面白いのだろうか?
「人それぞれかもですけどね。わたしは好きですね」
「そうなのか」
「でももちろん新しい小説を読むのも好きですよ。新しい物語に出会えるので。あ、これ面白そうです」
美弥子は手を伸ばして平積みにされている本の中から一冊手に取った。
「この作家さんの本はよく読みました」
「それは?」
「たぶん新刊ですね」
「買うか?」
「あ、それじゃ、お願いします」
「わかった」
俺は美弥子から本を受け取った。
「他には?」
「え、他?」
「一冊じゃ物足りないだろう」
「いいのですか?」
「何を遠慮しているんだ。ほれ、他にもいろいろ持ってこい」
「太っ腹ですね。……えい」
美弥子はそう言うと俺の腹をつまんだ。いや、つまんだというよりもつねったという方が正しいかもしれない。痛いから。
「何をする? 痛いのだが?」
「いえ、その、太っ腹ということで、その、お腹を……ごめんなさい」
美弥子は謝って、俺の腹から手を離した。
「いや、まあ、いいけれどさ」
俺はなんとなく、つままれた腹をさすった。
……自分がやって恥ずかしくなることを、人にやるんじゃねえよ。
○
「買ったなあ」
「うう、すみません」
「いやいいよ。むしろこんなに欲しい本が見つかって、よかったじゃねえか」
「そ、そうですか。……そうですね!」
「そうだ」
その顔だ。その顔が、おれは見たいんだ。そしてその顔に、俺は救われたんだ。
「さて、次は小さい本屋に行こう」
「つっきー?」
「何だ?」
「今本屋に行ったのに、また本屋に行く必要があるのですか? あ、いえ、わたしはいいのですけれど」
「美弥子が良いならいい。行こう。それに、そこには俺の知り合いがいるんだ」
「お知り合い、ですか?」
「まあな」
俺は車に乗り、車を次の本屋に向かわせた。
十分ほど車を走らせて、そこに着いた。
「着いたぞ。ここだ」
「え……ここ、ですか?」
「ああ」
俺たちの前には、まさに吹けば飛びそうなという言葉がぴったりな建物があった。以前この家の上を大きなヘリコプターが飛んだ時、柱からミシミシというとてつもない音がしたと店主が言っていた。
木造二階建て。築何年だったか。たしか明治からあるとか言ってたな。
「ここ、本当に本屋さんですか?」
「そうだが?」
「……はっ!? まさかつっきー、わたしを人気のないところに連れ込んで!」
「違う。妙な誤解をするな。あとそんなことを大声で言うな。通報される。見てみろ」
俺は正面の薄汚れた看板を指差した。
「竹下書店?」
「本屋だろ?」
「でもこんなぼろぼろな……」
「店先で騒ぐんじゃねえよ。寝れねえじゃねえか」
すると店の奥から、時代錯誤な着物を着た男が、頭をかきながら気怠そうに出てきた。髪は長くぼさぼさで、ひげは何日剃っていないんだという荒れっぷり。正直美弥子の目に触れさせたいような人間ではない。風体だけなら……。
「開店時間に寝る店主がいるか」
「開店時間に客が来ねえから寝てるんだよ」
なら営業努力をしろと思わんでもないが、知ったこっちゃないので言うのはやめた。
「じゃあ、ほら、客が来たぞ」
「はあ? お前がか? 一輝、お前本読まねえだろ」
「失礼だな。まあその通りなんだが。今日は俺が客じゃない。いやまあ俺も客なんだが、メインは……」
俺はそう言って、俺の背中に隠れた美弥子の手を引いた。
「この子だ。と言うか美弥子、何で隠れた?」
「いえ、その、明らかに不審者の方が出てきたので」
「なんだこの失敬なかわいい子は? はっ! まさか一輝、お前とうとう犯罪を……」
「うるせえよ違う」
「まあいつかやるとは思っていたが……」
「だからうるせえよ」
一咲子も、こいつも、何で俺を犯罪者にしたがるんだ。
「あの、さっき言っていたお知り合いというのは」
「ああ、こいつだ。竹下 辰巳。この本屋の、一応店主だ」
「一応は余計だ。正真正銘の店主だ。まあ、はじめまして。竹下だ。それで、君は?」
「ああ、はい。わたしは、三園 美弥子です」
「美弥子ちゃんか。覚えた。それで、一輝とはどういう関係?」
「どういう……あの、つっきー、わたしとつっきーはどういう関係なのでしょうか?」
「あ? どういうって……」
「つ、つっきー……ぷっ、つ、つっきーて……」
俺と美弥子が考えていると、辰巳が口を押さえて肩を震えさせていた。
「あっはははは! つっきー! つっきーって呼ばれてるのつっきー!? ぎゃははは! お、おは、おほほほはははは!」
「笑いすぎだてめえ!」
「だ、だって、つっきーてキャラじゃないだろお前! ぶっふぁー! よし、俺も今度からそう呼ぼう」
「やめろ馬鹿」
美弥子だからまだ許しているんだ。辰巳に呼ばれたらぶん殴る自信がある。
「美弥子ちゃん、君面白いねえ」
「あ、ありがとうございます」
「それで、この子がメインって言うのはどういうこと? ねえつっきー」
「うるせえよ殴るぞ。……実は美弥子、かなりたくさん本を読むんだ。でも、俺は読まないから、あまり話ができない。そこで辰巳の出番だ」
「なりほどなりほど。わかった。まあ、外で立ち話もなんだ。入りな」
辰巳はそう言って、俺と美弥子を店内にいれた。
「うわあ」
美弥子が思わずと言った感じで声を漏らした。
店内は薄暗く、それに狭い。そこには密林のように本棚が並んでいる。年季の入った本棚は天井すれすれまであり圧迫感を感じる。その本棚には溢れんばかりに本が詰め込まれており、と言うかもはや溢れていて、本棚の上にも本が積み上げられていた。順番とかもめちゃくちゃに並べられている。せめて作者名で五十音順に並べるくらいすればいいのに。
そんな、消防とかに見られたらまずそうな店の店主は、店内を見回しながら美弥子に声をかけた。
「美弥子ちゃんはどんなのを読むんだい?」
「あ、えと……」
「安心しろ美弥子。辰巳は見た目はこんなんだし、店内もこんな有様だが、別に悪いやつじゃない」
「あ、そうですか。つっきーがそう言うなら安心です」
辰巳はその美弥子の言葉に少し口を曲げていた。
「何か釈然としないなあ。……まあいい。それで?」
「ああ、はい。そうですね……えっと、いろいろ読みますけど、小説が多いです」
「作者は誰のを読む?」
「それもいろいろですけど、そうですね……たとえば最近だと、松山田 マカオさんとか」
誰だそれ?
「おお渋いね。それは……」
辰巳はおもむろに本棚の間を歩き始め、そして立ち止まり、本を何冊か取り出した。
「マカオさんのはこの辺にあるね。ほら、『俺と貴女とイカソーメン』とか『最強御曹司珍道中』とか」
「あ、どっちも読んだことあります」
「そうなんだ。イカソーメンの方は最初の醤油が、最後に伏線だったってわかった時、俺鳥肌がたったね」
「読んだことあるのですか?」
「うん。御曹司の方も、馬鹿馬鹿しい描写と真面目な描写のバランスが絶妙だった」
「そ、そうなのです! 読んでいてコロコロと表情が変わっていくのです!」
「おお、わかってるじゃん。他に何か読んだことがあるのは?」
「『岩井さんがロケンロール』を、ついこの間」
「金堂 浩二先生だね。音楽系の小説家と思ったら、まさかのSFだった。それはむこうの棚にある」
「えっと、茂野岩 モロゾフさんの、えっと、三作目の……」
「『猫猫猫』かな?」
「あ、はい、それです!」
「ほっこりする本だったね」
「優しい物語でした。ああ、あと、えっと、冷えピタの神様が全国の子どもたちの熱を下げる……」
「紀見輪 雉瑠偉先生の『ワオ! ピタってる!』だね? それはちょうどその後ろの棚にあるよ」
「あ、本当です! どうしてわかるのですか!?」
次々と本のタイトルや内容を答えていき、さらにその本がある場所を言っていく辰巳に、美弥子は目を丸くしていた。
「辰巳の特技だ」
「特技?」
「辰巳は一度読んだ本の内容は絶対に忘れない。それどころか、タイトルと作者の名前もしっかり覚えているし、すぐに思い出す。それに、その本がどこにあるのかもすぐにわかる。自分の本屋だけじゃなく、他の本屋、図書館に行ってもすぐに本を見つけられるんだ」
「書店員として当然だよね」
得意そうな顔をして辰巳が言った。
「すごいです!」
「だが辰巳は本以外のことはからっきしだ」
「そうなのですか?」
「ああ。消費税率が引き上げになった時、辰巳は半泣きで俺に電話してきた。『なあ! この店だけ特例で五パーセントのままにならねえかな!?』って。なるわけねえだろって言って電話切ったけどな」
「ひでえよなこいつ。でもその後店に来てくれて、一緒に考えてくれたんだよ。どうしたらこのままの値段で店をやっていけるかって」
「なんだかんだで、つっきーはそういう人ですから」
「そうなんだよな。まあ、悪く言えばめんどくさいやつだよな」
「なぜ悪く言った?」
「なんだかよ、こんなかわいいこの前で素直にお前を褒めるなんて癪に障るからだ。まったく、どうして俺にはいい子が寄ってこないのかなあ……」
「その身なりをまずどうにかしろ」
「なに? この文士スタイルに文句があるんか?」
辰巳は汚い着物を見せつけるように胸を張った。
「それ、文士スタイルって言うのか」
「おうよ。文豪リスペクトの精神だな。時代で言えば、明治昭和あたりの……」
「あれ、美弥子はどこに行った?」
「この、人の話をサラッと流しやがって……。店からは出てないと思うぞ」
「そうか。おおい、美弥子」
「はーい」
俺が呼ぶと、本棚の向こう側から声だけが聞こえた。
「何をしているんだ?」
「本を読んでいます」
「買うか?」
「いいのですか?」
「少しでも買わないと、こいつの店潰れるからな」
物理的にも経営的にも。
俺は狭い通路を歩き、美弥子のいる本棚の方に向かった。
「あ、つっきー」
美弥子は俺の姿を見ると、本を胸に抱えたまま狭い通路を小走りでこちらに来た。
すると、美弥子の肩が本棚に軽くあたり、その拍子に本棚の上に詰まれていた本が数冊、美弥子の上に落ちてきた。
「き、きゃっ!」
美弥子は悲鳴をあげると頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「美弥子!」
俺は足に力をこめて美弥子のもとに駆け寄り、美弥子の上に覆いかぶさった。
ドスドスと、背中に固い本が落ちてくる。くそ、何でハードカバーなんだよ! 上に置くならせめて柔らかいやつにしておけ!
「つ、つっきー?」
俺の真下から美弥子が心配そうな顔で見上げてきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。美弥子も、怪我はないか?」
「はい。大丈夫です」
「立てるか?」
「はい」
俺は美弥子に手を貸して立ち上がらせた。
「あの、ありがとうございます。……それと、ごめんなさい」
「何で謝る?」
「わたしが走ったりしたから、本が落ちてきたから……」
「それは辰巳の責任だ。あんなところに本を置くあいつが悪い。なあ?」
「うん、一輝の言う通りだ。美弥子ちゃん、ごめんね」
「あ、はい」
「辰巳、やっぱりもう少し整理したほうがいいぞ。そのうち怪我人が出る」
「やっぱりそうかな? うーん、どうしようかなあ。倉庫でも借りるかなあ」
「……倉庫とか借りるなら、言えよ。お前は相場をよく知らないから、ぼったくられるぞ」
「うん、わかった。それにしても、さっきのつっきーはかっこよかった。俺、つっきーがあんなに一生懸命走ってるの初めて見た」
「つっきー言うな」
「体育祭でもあんなに真面目に走ってなかった。やっぱりその子、大事なんだね」
「うるせえよ。……ほら、本買うぞ。美弥子、本貸せ」
「あ、はい、お願いします」
俺は美弥子の方を見ずに、手だけを出した。今はまともに顔を見られない。辰巳の言ったことのせいだ。
○
「じゃあ、俺たちは帰るから」
「おう、二人ともまたな」
「ああ」
「……はい。ありがとうございました」
辰巳に見送られ、俺たちは竹下書店を出た。
「意外と長居したな。そろそろ帰るか」
「そうですね」
俺は車を自宅に向かわせた。
「満足したか?」
「はい、とっても」
「そうかよ」
「いっぱい本を買ってくれて、ありがとうございます」
「いいよ。気にすんな。それは俺が読むようだ。設定忘れんなよ?」
「ああ、そう言えばそうでした」
「明日は図書館に行こう。本屋とは比べ物にならないくらい本があるはずだ」
「それは楽しみです」
美弥子は心底楽しみというような表情で言った。




