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十章・1

 「今日は待ちに待ったあの場所に行く日ですね!」


 「どこだっけ?」


 「図書館ですよ!」


 「ああ、そうだったか」


 美弥子は朝っぱらから目を輝かせていた。元気なやつだ。昨日は日曜日でどこにも出かけていないから、元気が有り余っているのかもしれない。


 「本が、本がわたしを呼んでいます! そしてわたしはその本を読みます!」


 「わかった。わかったから、落ち着け」


 本のこととなるとここまで感情を爆発させるのか。余程本が好きなんだろうな。


 「美弥子ちゃん、そう言えば本好きなんだっけ?」


 朝食の鮭の身をほぐしながら一咲子が美弥子に聞いた。


 「好き……と言いますか。病院では、読書くらいしかすることなかったので」


 「あ、その、ごめん」


 「いえいえ! でも本当に本は好きですよ。特に小説が、わたしは好きです」


 「どんなのを読むの?」


 「うーん、どんなのですか。お父さんとお母さんが買ってきてくれる本や、病院の先生や看護婦さんが下さる本を読んでいましたので、特にこれ、って言うのはないですね」


 「漫画は読むの?」


 「漫画ですか?」


 「あたしが持ってるのって、漫画くらいだから、さ」


 一咲子は少しばかりほほを染めて言った。


 「ああ、美弥子。一咲子はな、小説は読まないけれど美弥子と話がしたい。だから、漫画の話を持ち出して、何とかして共通の話題を作ろうとしたんだ」


 「なんで言うし!」


 一咲子は顔を赤くして俺を睨みつけてきた。


 「素直じゃないところって、つっきーに似ていますね」


 「はあ!? 誰がこんなのと!」


 「おい。誰がこんなのだ」


 失礼だろうが。


 「やっぱり兄妹ですね」


 美弥子は俺と一咲子を見てくすくすと笑った。


 「そうかよ。まあ……似ているかもしれないな」


 「これが血の呪い……」


 「それは失礼すぎるだろ」


 「ほら、三人とも。早く食べちゃいなさい。一咲子は特に、学校間に合わないわよ」


 「あ、やば! 本当だ!」


 「……あ!」


 一咲子が学校に行くということは……。俺は嫌な予感がした。


 「いや、お兄ちゃんは驚かなくても」


 「今日何曜日だ?」


 「は?」


 「何曜日だ?」


 「月曜日でしょ。こんだけだるいんだから」


 「判断基準がおかしいです」


 美弥子が適切な指摘をしてくれたが、今はそんなことは問題ではない。


 「しまった……」


 「どうしたのですか?」


 確認を怠っていた。気がつけなかった。会社を辞めたことで曜日感覚がなくなっていたのも原因かもしれないが。


 「休館日だ」


 「いやいやお兄ちゃんの肝臓なんてどうでもいい」


 「そっちの休肝日じゃない」


 だいたい酒はあまり飲めない。


 「え、図書館行けないんですか……?」


 美弥子の表情が、見る見るうちに沈んでいった。


 「いや待て美弥子。今日は行けないが明日は行ける」


 「でも、今日は……」


 美弥子の顔が見る見るうちにくしゃくしゃと歪んでいった。


 「ま、待て美弥子。そんな顔をするな……」


 美弥子にそんな顔をされてしまうと、なぜかとても悲しくて情けなくなってしまう。


 「おやおやお兄ちゃん。美弥子ちゃんにはやはり弱いようでありんすなあ」


 「何だその口調は」


 「早く、なんとかしなよ。見てみなよ、美弥子ちゃんの顔」


 「……うっ……ぅぅ」


 美弥子は今にも泣きそうな顔をしていた。


 「お、わ、ま待て、よし、わかった、本屋に行こう」


 「ほ、んや……?」


 「そうだ。本屋だ。行ったことはあるか?」


 美弥子はゆっくりと首を横に振った。


 「よし。それじゃあ図書館には明日行こう。今日は本屋だ。……それでも、いいか?」


 「……うん。本屋、行ってみたいです」


 美弥子は手の甲でほほをぬぐってうなずいた。


 「悪かったな」


 「いいえ、つっきーのせいじゃありません」


 「ありがとう。それじゃあ、支度して来い」


 「はい!」



                    ○



 「少し離れたところに大きな本屋がある。それと、小さな本屋と古書店にも行こうか」


 「お願いします」


 俺はまず、中心街にある大きな本屋に向かっていた。そこは市内でも一番大きな書店だ。他にも転々と小さな本屋はあるが、まずはそこに行こう。


 「……すまなかったな」


 「何が、ですか?」


 「ほら、図書館に行けなくって」


 「構いませんよ。休館日なら仕方がありません」


 「それで、お詫びと言っちゃなんだが、好きな本とか欲しい本があったら何でも買ってやるよ」


 「え! そんな、悪いですよ!」


 「悪かねえよ。お詫びなんだ素直に受け取っておけ」


 「で、でも……」


 美弥子は遠慮しているのか、悪いと思っているのか、渋い顔をしている。別に気にしなくてもいいのに。

 俺は、俺にできることなら何でもしたいのだから。


 「それじゃあ、あれだ。あの、そう。ああ、うう」


 「なんですか?」


 こう、上手いこと美弥子に気を遣わせない方向で、美弥子に本を買ってあげられないだろうか。


 「ああ、えっと、そう、そう! あのな、美弥子」


 「はい?」


 「前に美弥子、俺に本を読むことを勧めただろ?」


 「え、ええ」


 「それでさ、今から行く本屋で、もしお勧めの本があったら教えてほしい。もちろん読んだことのない本でも構わない」


 「え? ああ、それは別にいいですけれど」


 「それでさ、まあ、俺たぶん本読むの遅いから、買った本をすぐには読めないと思うんだ。だからさ、俺が読んでいない本は放っておいてもしょうがないから、その本を誰かが読んでいてもまあ、しょうがないかなあ、みたいな、なんか、そんな感じで……」


 「……どれだけつっきーはわたしに本を買いたいのですか」


 美弥子は大きくため息をついて俺を見上げた。


 「違う。勘違いするな。俺は俺のために本を買うのだ。ただまあ、買った本を俺以外の誰かが読んでいても別に言いかなみたいな!」


 「はいはいわかりました。わかりましたよ。それじゃあ、わたしが今まで読んで面白かった本とか、あと面白そうな本とかを紹介してあげましょう」


 「ああ、頼みます」


 「任せなさい」


 美弥子はその薄い胸をこぶしでトンと叩いて言った。


 「ところで今まで読んだ本で、面白かったのはどんなのだ?」


 「そうですね……」


 美弥子は一言つぶやくと、手をあごに添えて悩みだした。


 「うーん……」


 うなり声をあげて、眉間にしわを寄せて、真剣に考えているようだ。


 「……ぶです」


 「あ?」


 「全部ですね。今まで読んだ本は全部好きです。面白いです」


 「まじか……」


 好みと言うかストライクゾーンと言うか、そういうのがとても広いのだろうか。なんにでも感動できる美弥子は、本に対してでも同じなんだろう。なんでも好きになれるというのは、とてもいいことだ。


 「ですからさっき遠慮したのは、その、量がものすごいことになるかなとも思いまして……」


 「何だそんなことか。金のことなら気にするな」


 「どうしてですか?」


 「俺は一応、この前まで正社員だったんだ。金ならあるさ。使い道はないし」


 「貯金は?」


 しごく当たり前のことを聞いてきた美弥子に、俺はこうはっきりと言ってやった。


 「いいか美弥子。貯金は悪だ」


 「ええ!」


 「金は天下の回り物って言うだろ? 手元に金を残しておいたってどうしようもないんだよ。使わないと。不況不況って騒ぐ前に自分が経済を活性化させるつもりで金を使わないとだめなんだよ。経済の流れは金の流れだ。美弥子も金を持つようになったら使いまくれ! 貯蓄? 知らんわ! 金がなけりゃ働けばいい。それか持ち物を売れ」


 「ひどい理論です。いいえ、理論ですらありませんね。暴論です」


 「まあな。俺の持論だ。まあ、そうだな、ノーベルくらいならもらってやらんでもない」


 「ノーベル賞に謝ってください」


 「ごめんなさい」


 「いやに素直ですね」


 「よくよく考えたらノーベルさんに逆らうと、どこぞの機関から消されるかもしれない。まずい」


 「ノーベルさんはたぶんそこまで短気では……」


 「いいや、奴はダイナマイトおじさんだ。やばい」


 「ダイナマイトおじさん……」


 「違うか?」


 「まあ、間違いでは……」


 「だろ?」


 俺が横眼で美弥子を見ると、美弥子はうなだれていた。


 「どうした?」


 「つっきーは偉人をいじりますね」


 「偉人をいじる? おいおい、それはちょっといまいちだな」


 「いまいち? ――そ、そんなつもりで言っていません!」

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