六章・2
「それで、せっかく美弥子ちゃんが一日家にいてくれたのに、あなたはほとんど勉強をしなかったというわけね?」
「い、いや、あのお母さん……。その、ほら、美弥子ちゃんにその、恋バナの勉強を……」
「一咲子、ちょっと仏間でお話しましょ?」
一咲子は母さんに引っ張られながら、そのまま仏間に入っていってしまった。
「わ、わたしに恋バナを教えたばかりに……」
「美弥子が責任を感じることは一つもない。あいつの自業自得だ」
勉強しろ、勉強を。
「そ、そうでしょうか」
「そんなことよりもそろそろ夕食だ。母さんが一咲子と仏間にこもってしまったから、仕方がない、俺が作ろう」
俺は腕まくりをしてキッチンに向かった。
「え? つっきーってお料理できるのですか?」
「それなりにな。一咲子以上母さん未満というくらいかな」
学生のころは一人暮らしも経験した。その時にある程度は料理もできるようになった。
美弥子はキッチンに向かう俺の後ろをトコトコとついてきた。
「美弥子、何か食べたいものはあるか?」
俺は冷蔵庫を開けて美弥子に聞いた。
「つっきーが作ってくれるものなら、なんでも」
「そうかよ。ということは俺の自由にしていいということだな」
「あれ? なんでもって言われたら困るのでは? そういった場面が小説であったのですけど」
たしかに通説ではそうだ。男女交際なんかで、ランチやディナーで『なんでも』が言われたが最後、険悪になる未来しかない。
しかし、俺の場合はそうではない。
「なんでもって言われて何で困るんだよ。なんでもって言った人間はすべてを俺に託す、任せる、信託するというつもりでそう言うんだろ。ならどんなものを出されようが笑顔で食べるはずだ。もしそれで食べられないというやつがいたらそいつは根っからの嘘つきということだ。なんでもという言葉にはそれだけの責任があるのだ」
「なんでもがそんなにも重い言葉だったとは!」
美弥子は俺の横で驚いていた。ううん、あまり適当なことを言いすぎるといけないかもしれないな。どんなことでも美弥子は信じてしまいそうだ。これからは、ちょっとだけ気をつけよう。
「それじゃあ、そうだな……ハンバーグにしよう」
冷蔵庫の中にひき肉と玉ねぎがあったので、俺はそう決めた。
「ハ、ハンバーグ!」
美弥子は顔を輝かせて俺を見上げた。
「あの伝説上の料理! そのかぐわしい匂いは鼻を焼き、その得も言われぬ味は舌を溶かすというあの!?」
それは食べてはいけない料理だろ。麻薬みたいなものじゃないか、それは。幻覚みるぞ。
「ハンバーグはそんなにたいそうな料理じゃない。それはどこからの情報だ?」
俺はそうつぶやきながらボウルやフライパンを用意していた。そんな俺の様子を美弥子は近くでまじまじと見ていた。
「……さすがにまだまだできないぞ? ここにいないで、どこかでテレビでも見て待っていろ」
「お手伝いします」
「はあ?」
「わたしもお料理というのをしてみたいです。お手伝いさせてください! ……だめですか?」
美弥子にそう聞かれることに、俺はなぜだか弱い。
「……一咲子が普段使っているエプロンがある。取ってくるからちょっと待っていろ」
一咲子はどうにか料理を習得しようと、母さんの手伝いをしている。未だ俺には及ばないが。
「ありがとうございます!」
俺はキッチンの片隅に掛けてある一咲子のエプロンを取り、美弥子に渡した。
「つっきー?」
美弥子は受け取ったエプロンを持ったまま固まっていた。
「着せてやるからじっとしていろ」
「お願いします」
俺は美弥子の後ろに回ってエプロンをつけてやった。もし今後も料理をするのなら、エプロンのつけ方も教えてやらないといけないな。
「……できたぞ」
「似合っていますか?」
美弥子は言いながらその場でくるりと回ってみせた。
「似合ってる似合ってる。それじゃあ作るぞ」
「て、適当すぎます……。照れないで素直にほめてくださいよ……」
気にせず俺は続けた。決して照れているわけではない。
「美弥子、キッチンは戦場だ。口を動かす前に手を動かせ」
時間が命なのだ。当たり前のことを言っている時間はない。
「つ、つっきーの目が本気です!」
「美弥子は料理の経験は皆無だな?」
「当然ですね」
なぜか美弥子は胸を張って言った。
「そうかよ。それじゃあ今回は刃物や火は絶対に触るな。いいな?」
怖すぎるからな。怪我や火事なんて御免だ。
「はい、わかりました」
「その代わり簡単に、道具を使わず、美弥子のその両手だけでできる仕事を与える」
「任せてください!」
美弥子は気合を入れるようにむんと胸の前で手を握った。




