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1943年5月 増上寺

ビルマ方面において戦果拡大。

学徒志願相次ぐ。


俺は新聞をたたんで通学カバンにしまった。


「行って参ります」

「行ってらっしゃいませ」


お嬢さんが屋敷の前にいらっしゃった。

 

「ではお上りさん、また」


お嬢さん。


「勉強頑張ってください」


市電は使わずあるいて大学へ行く。

お兄さんと弟に比べたら、身のこなしは悪く、運動が足らん。


⸻意識しているわけではない。


⸻俺は…。


開戦前より国民服の者が増えているな。


どうみても品が足りていない。


相次ぐ戦果、か。


⸻帰りに図書室に寄ろう。



あるかもしれない。


◇ ◇ ◇


一限は大教室だったな。


「あいつが噂の一族の」

「予科は伯爵邸、本科は男爵邸。しかもご令嬢付き、だそうだ」

「生まれる前から全てがある。俺たちとは住む世界が違うのさ」



教室はまだ数名ほどだった。


「おい」


ん?あいつか。


「昼休み、いつもの場所にいるか?」

「…ああ」


◇ ◇ ◇


桜は、散った。



しかし新緑はまた咲かそう息づく。


頼もしいものだ。


「すまん、待ったか」

「いや」

「うちの田舎ではな、また徴兵があったと手紙にあった。君の家は?」

「本家の者は志願して出兵していると聞いている」

「…そうなるか」


やつは一度後ろを見た。


「戦果拡大、どうにも解せん。君の意見が聞きたいが場所がなあ」

「…男爵様に伺ってみよう」

「ご迷惑にならないか!」

「下宿人が学友を呼ぶのを、止める方ではない」

「そうか。返事を待つ」



「すまなかったな。読書の邪魔をした」



ビルマ。



日本は資源の乏しい。


だから海外から調達するほかない。


欧米列強は今、南方を植民地としている。

我々はその支配から脱却するため戦っているのだ。


ビルマは雨季になると猛烈な雨が降る。

トラもいるとあったなあ。


⸻俺の足では、とてもトラから逃げられんな。


◇ ◇ ◇


「おかえりなさい、お上りさん」

お嬢さん。

「ただいま戻りました」

「明日のご予定は?」

「特に」

「では、増上寺に参りましょう!新緑が見頃ですわ」

お嬢さんはステップ混じりで帰られた。



◇ ◇ ◇



まあ!


「お上りさん!増上寺は徳川将軍家霊廟がありますが、そこまで改まったお洋服でなくても大丈夫ですよ」


わたくしとしたことが。


事前にご説明しておくべきでしたわ。


ダークスーツに白いポケットチーフ、黒革靴。



わたくしは淡い緑色のワンピースに、クリーム色のニットカーディガン。ワンピースと同じ色のトークハット、それに巻いた白のリボン。


これではまるで。


お墓参りをする若者と男爵令嬢ですわ。


ああ…。


「そ、そうでしたね」


お上りさんも気まずそうです。


あら、車が来ましたわ。


「お上りさん、料理人さんとはお話しされたことはありますか?本日、付き添いと運転手をお願いいたしましたの」


「はい。以前は日本橋のレストランで働いていらしたと。いつも美味しく召し上がっています」


「滅相もございません。あなた様にそのようにおっしゃって頂けて光栄でございます。お嬢様、こちらへどうぞ」


わたくしは運転席の後ろへ。


「あなた様もこちらへ」


あら?助手席の後ろ?


「い、いや僕は助手席で構いません…」


「そんな!あなた様にそのような扱いは!」


あなた様?


料理人さんはなぜ慌てているの?


助手席の後ろはお客様の席です。


「……え?」


どういうことですの。


お見送りの女中さんが笑っていますわ。


「ふふ。緊張されているのですよ。お嬢様のお隣ですもの」


まあ!



料理人さんも気が付かれていなかったのですね。


慌てて助手席へご案内しています。


「では、参りましょう」


◇ ◇ ◇


金箔がきらめいています。


極彩色、でしたわね。将軍家の方々も華やな物がお好きだったのでしょう。


きんきんキラキラ。


ふふ。


さらさら揺れる新緑も水々しいですわ。


「きれいですわね、お上りさん」


「そ、そうですね」


今日は普段と違いますのね。


そうです!


こういう時にこそ、知的な会話で場を盛り上げるのが、都会の女。


余裕のある豊かな眼差し。


指先まで意識して。


スッ。


「お上りさん、問題です。増上寺の創建者は誰でしょう」


「……」


ふふ。


眉を寄せて悩んでおられます。


そうでしょう。今回の問題は簡単ではございませんの。


わたくしが図書室に行って調べてきましたの。


何度も暗唱して、練習しましたわ。


「……と、徳川家康」


そう思うでしょう。


「正解は、酉誉聖(ゆうよしょう)聰上人(そうしょうにん)。創建1393年ですわ!」


言えましたわ!


難しい問題ばかりではつまらないですから、最後は簡単な問題がいいでしょう。


「では次。霊廟におられる最後の将軍の名は?」

「14代将軍、徳川家茂公、昭徳院ですね。若くして将軍に就任されて幕末の混乱の中、和宮様をお迎えになりました。和宮様、静寛院宮も増上寺で眠っておられます」


「え?」

「え?」


「15代将軍、徳川慶喜では?」

「と、徳川慶喜は1913年、77歳で亡くなり、し、神式で谷中霊園に埋葬されました」


まあ!


「あなた!創建者もご存知で、わざと間違えたのでしょう!」


「……はい」


「わたくしはご機嫌取りをして欲しかったのではありません。楽しくお話しがしたかったのです」


「…申し訳ありません」


「あなたがこんな無粋な人だとは思いませんでした。今日はもう帰ります!」


わたくしを無知だと思っていらしたのね。


ご令嬢の機嫌を損ねては、お父様への印象が悪くなるとお思いになったのでしょう。


ふん!



◇ ◇ ◇



急いでお父様に。


「あら、おかえりなさい」

「ただいま戻りました」

「廊下を走ってはいけませんよ!」


今はそれどころではありませんの!


コンコン。


「はい」

「わたくしです」

「入りなさい」


「どうしたんだ。ずいぶん慌てて」


「本日はお上りさんとご一緒に、増上寺へ新緑を見に参りましたの。わたくし、場を盛り上げようと問題を出しただけなのに、あの方、わざと間違えた解答をして、わたくしのご機嫌取りをなさったのです」


「そんなことがあったのか!」


「ええ」


よかったですわ。

お父様は分かってくださいました。


「すぐ彼を呼んで来なさい」

「はい」



コンコン

「はい」

「わたくしです」

「お上りさん。お父様がお呼びですわ」

「…はい」


お父様にお説教されてください。



…着替えましょう。


せっかく新緑に合わせた装いでしたのに。


「お嬢様」


「お着替えのお手伝いをいたしましょうか?」


「お願いいたしますわ」


◇ ◇ ◇


「まあ、そのようなことが」

「ええ。きっとわたくしのご機嫌取りをして、お父様への印象をよくしたかったのでしょう」


女中さんはクローゼットを開けました。


どのお洋服にしましょう。


「お嬢様。あの方は大学に通われております。増上寺の創建者と将軍家の霊廟も、授業でご存知だったのでは?」

「本で読んだのかもしれません。…どこから得た知識が問題ではありませんの」

「ひけらかすようで、ためらわれたのでは?」


え?


「お嬢様。殿方の中には、器用でない方もおられます。あの方はお嬢様を利用して、旦那様に取り入るようには、思えないのです。旦那様がそれを良しとするとも」


確かにそうですわ。


お父様ならすぐ気付かれます。


「…あの真紅のワンピースにしましょう。レースの襟が大きく編み込みが繊細で、大きなリボン。室内着にはもったいない、素敵なお洋服ですの」


「はい、お嬢様」



お上りさんがお父様の部屋から出て来ましたわ。


「…お嬢さん」


「…お上りさんは大学に通われているのですもの。知識があっても不思議ではありませんでしたわね。頭が冷えました」


わたくしらしい笑みで。


「これで仲直りしましょう、お上りさん」


「はい」


ぎこちない微笑みですわ、お上りさん。

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