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1943年4月日本橋・上野

青い空。


満開の桜。


今日を逃してはなりません。


お上りさんは絶対お部屋ですわ。


コンコン

「はい」


ほら。お休みの日は読書か散歩ですもの。


「お嬢さん」


ま!それだけですの!?


「今日のご予定はございますか?」


「いいえ」


「では、日本橋と上野に参りましょう。桜が満開ですわ。さあ、お支度をなさってね」




「すみません、女中さんいらっしゃいます?」


2階から慌てて下りてこられました。


お忙しかったのですわね。


「どうされました?お嬢様。」


「これからお上りさんと日本橋と上野に参りますの。ご同行をお願いできますか?」


「かしこまりました。お嬢様」


「お願いいたしますわ」




どのお洋服にしましょう。


ヨーロッパ風など着ていきましたら、憲兵さんとご一緒することになりますわ。


室内着にするのはもったいないですけど、仕方ありません。


鮮やかな色も慎まねばなりませんし。



忘れていました!



ご一緒するのは、お上りさんです。


向かうのは、日本橋と上野。


上質なお洋服。


もしかしたら初日の食事会の一着だけ?


……



この丸襟の灰色のワンピースにいたしましょう。


帽子とカバンも合わせて購入したものに。


お上りさんに恥をかかせてはいけませんものね。


◇ ◇ ◇


まあ!とてもいいお天気。


上野はお花見で人があふれていますわね。


「おまたせしましたわ」


あら?


お上りさんのお洋服が、あの時と違いますわ。


メガネは一緒ですが。


灰色の背広は細かな艶のある上質な羊毛。


ズボンの折り目も鋭い。


黒革の靴も品のある艶。


でも。


「どうしていつもメガネをかけてしらっしゃるの?」


「視力が悪いからです」

 

まっ!


「そうではなくて!」



⸻あなたのお顔がよく見たかったからです⸻


いえ。


慌ててはいけません。


ロマンスはこれからです。


都会の女は、殿方と知的な会話ができるもの。


そうです!場を盛り上げることも必要ですわ。



「おーい!」


あら、この声は。


「坊ちゃん!」


「こら!お嬢様に向かってなんて言葉を使うんだい!お嬢様ね、これからお出かけをなさるんだ、だいたいお前いつも⸻」


⸻ふふ。


「…お嬢さん、この子は?」


「この子は女中さんのうちの坊ちゃんです。女中さんに会いたくて、我が家まで来るようになってしまいましたの。可哀想に思ったお母様が、お父様にお願いしまして、時間と場所を守れば、我が家に入れても良い、とちゃんと許可が出ていますわ」


女中さんが深々と頭を下げ、


「大変お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした」


「ほっほっ、いつものことでしょう」


「僕は気にしていません」


坊ちゃんは姿勢を正して、


「お嬢様、行ってらっしゃいませ」


とお辞儀。


とてもお上手になりましたね。


「はい!行って参ります」


◇ ◇ ◇


「あ!お上りさん、ちょうど市電が来ましたわ」


田舎に市電はないでしょう。


この都会の女が、お手本を見せる時ですわ。



お上りさんは。 


……


ふふ。見ていますわね。



「お上りさん。これは東京市が運営している電車。通称、市電」


「まず車掌さんにお金をお支払いになって⸻」


……


スッ。


普通に乗車された?


「え?」


「上京の折に、使っておりますので」


「…ご存知ならそうおっしゃって」


「すみません」


◇ ◇ ◇


桜が満開ですわ。


「どうですか?お上りさん。初めての上野の桜は」


「はい。とてもきれいです」


「不忍池の方も参りましょう」


「はい」


お洋服が地味過ぎはしないか心配でした。


しかしここの主役は桜です。


桜は年に一度。


わたくしにはその次もあるのですから。



それにしても。


下宿人さんとは、皆様このように無口なのでしょうか。


「夏目漱石先生の不忍池が舞台の小説はなんでしたかしら」


「三四郎ですね。上京して美禰子に惹かれるのですが、結局踏み込めないまま終わる話です」


「ふふ。三四郎もお上りさんだったのですね」


「美禰子は含みを持たせていたのですよ」


まあ!


「なぜ三四郎は行動できなかったのですか?」


せっかくのロマンスを。


女性からの素敵なお誘いを。


「照れ臭いのでしょう」


漱石先生にもそういう年頃があったのでしょうか。


殿方とはそういうものなのでしょうか。




いいえ。




わたくしは、風と共に去りぬで知りましたの。


共通の詩や曲で、想いを通わせる2人。


アシュレイとメラニー。


社交会の華やかなダンスパーティー。


そして。


ああ、ロマンスですわ。



あら?


「女中さん、お上りさん。何をお話しされてますの?日本橋に参りますわよ」



都会の女として、知的な会話でご案内いたしますわ。



◇ ◇ ◇



日本橋三越本店。


まさに東京。


そして都会。


ここで知的な会話が出来るのが都会の女。


でも、お上りさんはあまり驚いていらっしゃらないような。


そうでしたわ。


いつもこのような表情でしたわね。


「ここが日本橋三越本店ですわ。私はいつもこちらでお洋服を選んでおりますのよ」


……


「…そちらのお洋服もこちらで?」


「このお洋服は」


はっ!わたくしとしたことが!



「み、三越本店ではありませんの。本日の主役は桜ですから、控えましたの」


うまく誤魔化せましたわね。


背筋を伸ばし。


少しだけ足先を前。


手は胸元で。


指先を。


スッ。


「では、お上りさん。日本橋の銘菓で、小豆を四角く焼いたものはご存知ですか?」


「榮太棲總本店の金鍔ですね」


「え!?正解です。よくお店の名前まで」


「お嬢様、今は贈答用としても有名でございますからねぇ」


「そうでしたわ!」


わたくしとしたことが!


遠くにいるお友達に、東京の銘菓として、送っていたではありませんか。


あっ!都会の女はいつも余裕です。


口角を少し上げ。


スッ。


「浅草で売られている銘菓はご存知ですか?」


お上りさんの表情が変わらない…。


いつものことですが。


どちらですの!


「…存じ上げません」


「正解は、人形焼というお菓子ですの」


「お嬢様。あれは下町でも有名な品ですが、地方出身の方には難しゅうございますよ」


まあ!


ふふ。


わたくしの前で格好をつけようと。


だから。


「これは難し過ぎましたわね。そろそろお昼にいたしましょう」


あら。


また女中さんとお上りさんが、並んであるいていますわ。


そうでしたわ!


お上りさんは東京が分からないのです。


わたくしの後を女中さんと歩くしかないのですわ。


ふふ。


お昼はいつも行きつけの高級和食料理屋さんにいたしましょう。


◇ ◇ ◇


「こちらですわ」


味も然る事ながら、景色も絶品。


評判の名店ですのよ。


⸻お上りさんは。


いつもとお変わりなくても、不思議ありませんわね。


「いらっしゃいませ」


あら?


仲居さんがお上りさんをご覧に。


女中さんが少し前へ。

「麻布の男爵邸の者でございます。こちらは先日、下宿にお越しになられた方でございます」


「左様でございましたか。では、こちらへどうぞ」


そうでしたわ。


いつもはお父様とお母様と参りますもの。


男爵令嬢、謎の殿方とご来店。


そう思われていたのですね。


今度学校で、お友達にお話ししましょう。



「こちらでございます」


あら?


こちらでも作法に迷いがございませんのね。


そうです!


外食にも備えて練習されてきたのですわ。


ふふ。


お上りさんも、わたくしと同じ。


「お上りさん、どうですか?日本橋は」


「ええ。江戸の風情と近代の建物とが見事に調和されています。この店も、先の大地震で崩壊し、江戸様式を意識して再建されたのでしょう。この部屋は日本の間取りですが、そこにヨーロッパのテーブルや椅子を置いた華族専用として、明治以来の様式はそのまま、家具を新調したようですね」


「……え、ええ。そうですわね」


歴史の授業でしたわ。


「失礼いたします」


「はい」


お料理がきましたわ。


以前に比べて品数も量も減りました。


戦争中です、仕方ありませんが。


あ、お食事が冷めてしまいますわね。


……


そわそわしますわ。


圧がある、といいますか。


緊張?


このわたくしが?


お上りさんに?


……


あ!


わたくしとしたことが!


緊張されているのは、お上りさんです!


良い店を、と考え過ぎてしまいました。


だからわたくしにも緊張が伝わってしまったのですね。


ふふ。


次は気をつけましょう。


◇ ◇ ◇


「では、お上りさん。そろそろ、あっ!」


女中さんを立たせたままでした!


お父様、いつもどうされていましたの?


どうしましょう…。


「お気になさらず」と目配せされても、そうも参りませんでしょう。


「お嬢さん」


お上りさん?


「甘い物が食べたくなりました。ここらに良い甘味処はございませんか?」


「はい!ございますよ!ご案内いたしますね」


⸻ありがとうございます。お上りさん。


◇ ◇ ◇


日本橋川前のこのお店でしたら。



「お上りさん!ありましたわ」


緋毛氈を掛けた縁台が外にあったはずです。


「甘いものでございますね。ただいま伺って参ります」


女中さんはすぐ戻られて。


「お稲荷さんはございますが、戦時下の品不足で砂糖がなく、甘い物はない、とのことでございます」


「そうですか…」


ここでわたくしが。


「わたくしはお稲荷さんにいたしますわ」


「かしこまりました、お嬢様」


わたくし、女中さん、お上りさん。


この順で並んで座れば、女中さんはお勤めをしながら軽食がとれますものね。


「お待たせいたしました」


わたくしにお茶とお団子。

女中さんとお上りさんにはお茶だけ。


スッ。


⸻ごめんない。


⸻滅相もありません、お嬢様。


「頂きます」


とっさの使用人への気遣い。

お上りさんは優しい方ですのね。


見慣れた日本橋川のお船も、今日は一服の絵ですわ。


まあ!もう召し上がられましたの!


次回はゆっくり召し上がられるよう、考えておきましょう。




「通いでいらっしゃると伺いました。お住まいはどちらに?」


ふふ。お上りさんと女中さんは仲良しですのね。


「深川でございます。生まれも育ちも、そして嫁ぎ先もこの地です」


「では市電で45分ほどでしょうか」


「はい。そのようなものは下町にはたくさんおりますゆえ、苦とも思っておりません。わたくしは幸せ者でございます。旦那様や奥様、お嬢様には息子共々良くしてくださり、感謝の言葉もございません」


わたくしは小首を傾げ。


⸻もう、歩けますか?


⸻はい、お嬢様。


「では、帰りましょう」


◇ ◇ ◇


あら、お母様がお戻りでしたわ。


とてもニコニコされて。


「おかえりなさい。今日はお二人で日本橋と上野にお花見に行った、と料理人さんから伝言を聞きました」


そうですわ!


お母様はわたくしがしっかり、お上りさんをご案内できたか知りたいのでしょう。


「はい。この都会の女の、わたくしが、初めての日本橋と上野をご案内いたしましたの」


あら?お母様の眉が。


「⸻大変ご迷惑をおかけしました」


「いえ。良い花見が出来ました」


そうでしたわ!


女中さんのお昼の件は、わたくしの失態です。


お上りさんのご配慮がなければ、乗り切れませんでしたわ。


⸻まだまだ、ですわね。

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