第6話:ライオネル、戦士やめるってよ
獣人の国――戦士たちの闘技場。
そこには、歴史的な瞬間に立ち会おうとする重々しい空気に満ちていた。
獣人王ライオネルとその娘ミーナは、伝統的な甲冑を身に付けて対峙する。
周囲で見守る荒くれ者の戦士たちは、言葉ひとつ発さない。
「ミーナよ。父は戦いに飽きた。今日、この時をもって王位を退き、旅に出る。お前が新しき王となれ」
ライオネルはゆっくりと上半身の防具を脱ぎ捨て、岩のような大胸筋を晒して静かに告げる。
兜の隙間から覗く金色の瞳は、かつての燃えるような荒々しさはなく、ただ、諦念と慈悲の穏やかな光を湛えていた。
王位を継承するには、現王と戦って勝たなくてはいけない掟がある。
戦いを放棄する父を、ミーナは許せなかった。
「ふざけんな! あたしと戦え! あたしはあんたを目標に修行してきたんだ! 戦士は最後まで諦めない! 最後まで、戦うんだぁーーーー!!」
ミーナが吠え、地を蹴る。
獣人の戦士の中でも最速と言われる姫戦士ミーナ。
その拳がライオネルの胸板に触れる直前、世界が真っ白な光に包まれた。
気付くと、ミーナは元の位置に立っていた。目の前には、またしても悟ったような表情でミーナを見るライオネルがいる。
「……ミーナよ。父は戦いに飽きた」
「待って。それ今、やったよね?」
「……私も、今しがた同じセリフを言った覚えがある。……まあいい。私はもう、戦いを止めたのだ。ミーナよ、お前が次の王だ」
「獣人の掟を忘れたか! 構えろ! バカにするなぁーーー!!」
ミーナの踏み込みは先ほどよりも鋭い。
残像を残しつつ拳がライオネルの顎をかすめた瞬間、二人は元の位置で向かい合っていた。
「……ミーナよ。戦いは空しい。父はもう降りたのだ」
「ちくしょーーーーー!!」
幾度も幾度も繰り返されるミーナの挑戦。
先ほどよりも少しだけ拳は鋭く、少しだけ踏み込みは深く。
父に攻撃を届かせるため、ミーナの本能は技術を最適化していく。
ライオネルは、娘のその類まれな成長速度に目を見張った。
「おりゃぁぁあーーーーーっ!」
「力が入り過ぎている! 力を抜け!」
ライオネルの怒号が飛ぶ。
戦士を降りたライオネルでさえ、娘のひたむきさと戦士としての才能に胸を打たれた。兜の隙間から、真っすぐな眼光で娘を射抜く。
「脱力せよ、ミーナ。筋肉のこわばりは速度を殺す。身体は水なのだ。水となったように動くのだ」
「うるせぇーーーッ! あんたの指図は受けねぇーーーッ!」
ミーナは叫びながらも、その言葉を無意識で理解していた。
リセットのたびに、ライオネルの助言がミーナの肉体に馴染んでいく。
無駄な力みが抜け、呼吸が整い、身体の動きから一切の澱みが消えていく。
――反応! 反射! 音速! 光速! ピンピン動くっ! もっと! もっと! 速くっ!
そして、突きがライオネルの鳩尾を捉えた瞬間。ミーナは一振りの槍となっていた。
バガッ……とライオネルの兜が割れ、たてがみの抜け落ちた頭皮が、日の光を受けて煌めく。
見下ろす金色の瞳は、娘への誇りと慈愛で満ちていた。
「強く……なったな、ミーナ。……お前が、次の王だ」
ライオネルは口から血を吐いて膝をつく。
ミーナは空を仰いで勝利のおたけびを上げた。
長時間の観戦を強いられていた獣人族の戦士たちも、一斉に歓声を上げる。
次の瞬間、ミーナとライオネルは元の位置で向き合っていた。
「……ミーナよ」
「……父ちゃん」
「戦いは……空しい」
親子の王位継承戦は、諸般の事情により中止となった。
王都の城門。
旅支度を終えた前王ライオネルは、娘や部下の見送りを受けていた。
「父ちゃん!」
抱きつくミーナを、父は分厚い胸板で受け止める。
「ミーナよ。王がそんなことでどうする」
「だって、だって……!」
泣きじゃくるミーナの肩を、ライオネルは優しく引き剥がした。
「この国を任せたぞ、ミーナ王」
「うん……! うん……!」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい……!」
見守る戦士たちも嗚咽を漏らしている。
重々しい音を立て、ゆっくりと城門が開かれていく。
夕日に向かって歩き出す父。ミーナは鼻水を垂らしながら、ちぎれんばかりに手を振った。
気付くと、城門の前で、ライオネルとミーナは向かい合っていた。
「……ただいま」
「はえーよ! なんだよ今の! 涙を返せ!」
「行ってくる……」
「行ってこい! もう帰ってくんなよ!」
ミーナの瞳はカラッカラに乾いている。
戦士たちも気まずそうな顔をしながら、王を見送る。
「……ただ……いま」
何度目かも分からない帰還。ライオネルは申し訳なさそうに俯いている。
ミーナと戦士たちは、もはや前王にかける言葉が見つからない。
「行ってくる……」
ライオネルは何度も何度も、夕日に向かって旅立っていった。




