第2話:円卓はもう壊れている
世界は、幾度となく終わった。
空が裂け、大地が爆ぜ、あらゆる生命が凄惨な死を迎える。
その終末は等しく訪れ、そして等しく「巻き戻った」。
残酷なのは、物質的な時間は巻き戻っても、そこに生きる生物の精神――すなわち「死の記憶」だけは、摩耗することなく刻まれ続けたことだ。
全世界の生物が、文字通り何度も、数えきれないほどの死をリアルタイムで経験させられていた。
「……もう、いい」
人間たちの王、バラム・バルドゥールは、重い震えを抑えながら銀のフォークを置いた。
皿の上には、最高級の脂が乗った肉。瑞々しい色彩を放つ果実。芳醇な香りを立てるスープ。
だが、そのすべてが、王の胃袋を拒絶させる。
王は知っている。
さっき死んだときも、その前、そのまた前の死の瞬間も、この皿はまったく同じ温度、同じ配置でそこにあった。
「どうせ、数分後にはすべて無に帰すのだ」
一週間前まで、バラムは贅沢の象徴のような恰幅の良い男だった。
しかし今の彼は、見る影もなく痩せ細っている。頬は鋭くこけ、不眠を物語る濃い隈の影が目の下に張り付き、骨ばった指は絶えず何かに怯えるように痙攣していた。
「……民草を守れず、同じ死を迎えることしかできぬとは。もはや王など、椅子に座った置物も同然ではないか」
ある時は瓦礫に押し潰され。ある時は地割れの深淵に呑み込まれ。
目の前で最愛の家族や忠実な従者が、一瞬の衝撃で肉塊に変わる様を、彼は網膜に焼き付くほど見せられ続けてきた。
「おい……これ、何回目だ」
「本日の滅亡、観測分だけで朝の部は三回目となります」
背後に控える側近が、感情の死んだ声で応じる。
「“朝の部”だと? 寝ぼけたことを」
「間もなく午後の部が始まると予想されます」
「分けるな。死の回数をスケジュールのように語るな」
大陸中央に位置するバルドゥールの王宮。
その円卓で、史上初の「国際会議」が開かれた。
隣国同士、終わりなき小競り合いを続けてきた四つの国の王が顔を揃えるなど、かつては想像すらできなかった。
だが今、すべての戦争は完全に停止していた。
戦う意味がないからだ。
「……んぁ……ぁ……むにゃ……」
円卓の一角、車椅子に座ったエルフの王エルディアが、子供のように口を開けて虚空を見つめていた。
数百年を生きるはずの高潔な長命種が、わずか一週間でここまで老衰するなど本来はあり得ない。
美貌を誇った面影は消え、その体は枯れ木のように震えている。
「陛下のお言葉を通訳いたします」
傍らに立つエルフの補佐官、フレアが恭しく一礼した。
「陛下は、『もう何もかもどうでもいい、早く楽にさせてくれ』とおっしゃっています」
「ははっ! どーせ最後は仲良くドカンよぉ!!」
ドワーフの王ドワンゴが、円卓の周囲を全裸で側転していた。床に転がった酒瓶を器用に掴んで、ラッパ飲みする。
「飲むしかねぇだろ! 酔ってりゃ死ぬ瞬間の衝撃も、多少はマシに思えるってもんだ!」
「……ドワンゴ王、頼むから服を着ろ。一国の王としての威厳はどうした」
人間の王バラムは無表情でたしなめる。
「威厳? そんなもん、さっき腹ワタぶちまけた時に捨ててきたわ! どうせ滅ぶんだよぉ!」
「……理屈はわかるが、やめろ」
バラムはドワンゴと目を合わさず、勇壮と音に聞こえた獣人王ライオネルに目を向けた。
ライオネルは、深く被ったフードの下で押し黙っている。
ドワンゴが千鳥足で彼に顔を寄せ、酒臭い息を吹きかける。
「なあ、獣人王。会議の席で無礼であろう。フードを取れよ。寂しいじゃねぇか」
ライオネルは黄金の瞳でドワンゴを一瞥すると、覚悟を決めたように、ゆっくりとフードを取り払った。
かつて王の誇りであった黄金のたてがみが、頭頂部からごっそり抜け落ち、無残に禿げ上がった頭皮がさらけ出された。
「…………」
円卓に、死よりも深い沈黙が降りる。
「……すまなかった。無礼を働いたのは、俺の方であった」
ドワンゴは深く頭を下げた。
誰もが、限界だった。精神がすでに決壊しかけていた。
「で」
国王バラムが、かすれた声で本題を切り出した。
「原因は? 我々を玩具のように弄ぶ、この厄災の正体は何だ」
エルフ王エルディアが、震える指を動かし、何かを囁こうとする。
「……んぅ……ううぅ……」
「通訳します」
補佐官フレアが、分厚い観測資料を広げた。
「観測されたすべての魔力波動、物理衝撃、空間の歪み――それらはすべて、バルドゥール王国の、北西の丘の一点へと収束しています」
「一点、だと?」
「はい。『人型の何か』です。我が国の宮廷魔術師団は、そこから発せられる、既存の魔力体系を根底から覆す『絶対的な魔圧』を検知しました」
「それで、どうした」
「……原因を確定させ、あわよくば対話を試みるため、我が国の秘術を用いてその存在を王宮へ直接『召喚』する儀式を行いました」
「正気か!?」
フレアは一瞬だけ悲しげに目を伏せ、静かに言った。
「我々は等しく死に続けています。原因を確定させぬまま永遠に殺されるよりは……絶望の正体を知るべきだと、陛下が決断されました」
――数日前。エルフの国、最深部の儀式場。
巨大な魔法陣を、数十人の高名な魔術師たちが取り囲んでいた。
幾重にも重なる詠唱が空気の密度を変え、場の魔力は飽和状態に達している。
私は――補佐官フレアは、その儀式の中心にいた。
変わり果てた王の姿を見るのは、心を引き裂かれる思いだった。つい先日まで、大陸一の賢者として凛々しく立たれていたあの方が、今はただ、終わりを待つ抜け殻のようだ。
私だって、何度も死んだ。自分の身体がバラバラになる音を聞き、大切な仲間が肉塊に変わる瞬間を幾度となく見てきた。
そして今、その「滅びの根源」が召喚される。
魔法陣の上の空間が、じわりと飴のように歪み始めた。
最初は水面の波紋のように。やがて、空間そのものが耐えきれずに悲鳴を上げ、亀裂が走る。
眩い光とともに、物理的な圧を伴う魔力の奔流が吹き荒れ、魔術師たちの防御障壁を震わせた。
その瞬間、その場の「ルール」が書き換わった。
空気が重いのではない。
空気が、「入らない」のだ。
肺を広げようとしても、何かに押し返される。そこに召喚した者の『魔圧』が、酸素を取り込むことすら許さないほどに。
一瞬の静寂。
そこに現れたのは、ただの、全裸の少年だった。
「……」
少年は、困惑したように立ち尽くしている。
だが、彼がそこに「居る」というだけで、王宮全体がみしみしと軋んだ。
濃密すぎる彼の存在感に、魔術師たちは次々に膝を折る。
私は、その少年の裸体を見た。
極限の恐怖と緊張の中、不謹慎にも視線は彼の下半身の中心部へと吸い寄せられる。
(あら、かわいい)
気づいた時には、鼻血が滴り落ちていた。
少年と目が合う。
私の鼻血、そして周囲の視線に気づいた少年は、顔を林檎のように真っ赤に染め、咄嗟に股間を両手で隠した。
その瞬間。
空間が、「破裂」した。
何かが限界まで圧縮され、反動が弾ける。
魔術師たちの誇る最強の防御障壁が、一瞬で蒸発した。
遅れて、轟音を置き去りにした爆風。
視界が白一色に塗りつぶされ、私の身体は塵となって霧散した。
大地が砕け、空が割れる――いつもの「終わり」が訪れ、そして、いつものように巻き戻された。
「以上が、召喚報告の全容です」
「……以上で済む話ではないだろう」
バラム王がこめかみを押さえる。
「つまり」
フレアは断定した。
「あの少年こそが、すべての滅亡の元凶です」
「名前は」
「不明です」
「特徴は」
「全裸です。あと、恥じらう姿が非常に愛らしい」
バラム王が呻くように呟く。
「……人間なのか? あれが?」
「我らエルフの叡智は、彼をこう定義しました――『神』であると」
その瞬間。
円卓ごと、城の尖塔が空の彼方へ吹き飛び、王たちは死んだ。
そして、瞬きする間に、王たちは椅子に座った状態で元通りに戻されていた。
「……い、今のは何だ」
ガチガチと歯を鳴らしながら、バラムが尋ねた。
フレアは、ずれたメガネを整えて答えた。
「おそらく『くしゃみ』です」
「くしゃみ一つで、世界が消滅したというのか……?」
「はい。『しゃっくり』でないことを祈るばかりです」
「……おっ、今の衝撃で、さっき飲んだ酒が満タンに戻ってる! ラッキー!」
ドワンゴが狂ったように笑いながら酒をあおった。
もはや、正気でいる方がどうかしている。
フレアは資料をバラムに差し出した。
「最新の観測結果、および予測データです」
「見せろ……何だ、この数値は」
「滅亡と巻き戻しの間隔が、加速度的に短縮されています」
ドワンゴが、側転を止めずに、酒の勢いで叫んだ。
「がはは! レベル上がってんじゃねえの!?」
――テッテレー!――
遥か北西の丘の上。
マモルは、ふわふわと数センチ浮いたまま、ほんの少しずつ移動していた。
両手で股間を隠し、呼吸を止め、瞬きすらも空間操作で固定した状態で。
(服が……死ぬほど欲しい……)
そのあまりに切実な願いに呼応するように、空間がまた少し歪み、遠くの山が消し飛んだ。




