第1話:世界の終わりと全裸な僕
僕の名はマモル。
どこにでもいる平凡な学生……だったはずだが、例によってブレーキの壊れた暴走トラックに跳ねられた。
僕の人生は呆気なく幕を閉じた――はずだった。
まどろみの中で柔らかな芝の感触を覚え、僕は瞼を持ち上げる。
視界に飛び込んできたのは、見たこともない、それでいて「お約束」に満ちた異世界の光景だった。
空はどこまでも高く、深く、地球のそれよりも青い。
その青を切り裂くように、遠方の空では翼竜――いや、ドラゴンと呼ぶべき爬虫類が悠々と旋回している。太陽の傍らには、真昼だというのにやたらと巨大な月が二つ、重なり合うようにして浮かんでいた。
……転生、ってやつか。
驚きよりも先に、納得が来た。
ラノベで何度も読んだ展開だ。トラックは異世界への片道切符。もはや常識ですらある。
とりあえず現状を把握し、この世界での生存戦略を練らなくてはならない。
ステータス画面的なものが出ないかな、と心の中で念じた瞬間、空中に半透明のウィンドウが開いた。特別なコマンドは必要ない。「見せろ」という意志に、世界が即座に応答したようだ。
レベル:1
攻撃力:99,999,999,999,999,999
……多いな。
思わず声が漏れた。
桁を数えてみる。約十京。
「京」なんて単位、スーパーコンピュータの計算速度でしか聞いたことがない。しかも恐ろしいことに、これは「レベル1」の数値なのだ。
スキル欄に目を向ければ、さらに悪質だった。
【不老不死】【物質生成】【空間操作】
……全部、いるか?
死なず、老いず。
万物を無から生み出し。
空間すらも粘土のように自由に捏ねられる。
これは全知ではないが、なかなかの全能だ。
やばいな、これ。
やれやれ、と呆れ混じりに溜息をついた。
その瞬間。
着ていたはずのTシャツとジーンズが、音もなく粉塵となって消し飛んだ。
コンマ数秒遅れて、突風。
僕の呼気が、大気を引き裂く超音速の衝撃波へと変貌したのだ。
視界が歪んだ。
僕を中心として、地面が完璧な真円状に抉れ、周囲の草花も、巨木も、土さえもが一瞬で「消滅」した。
空を覆っていた雲が、まるで巨大な指で押し流されたかのように円形に晴れ渡っていく。
遥か彼方を飛んでいたドラゴンの群れは、逃げる暇さえ与えられず、空中でほどけるようにして赤い霧に変わった。
焼けた土の臭いと、立ち昇る煙。
一キロ先まで広がる更地。
今の、溜息……?
僕は反射的に、喉を固めて呼吸を止めた。
恐怖で膝がわずかに震える。
途端、世界が激しく揺れた。
膝の震動が地面に伝わり、局地的な直下型地震を引き起こしたのだ。
えっ、ちょっと待っ――
――テッテレー! レベルが上がった! スキル【時間操作】を覚えた!――
脳内に響く、間の抜けたシステム音。
巻き添えで死んだモンスターやドラゴンの経験値が、津波のように流れ込んでくる。
視界の端では火山が噴火し、衝撃波に叩き落とされた鳥たちが雨のように降ってくる。
モンスターたちが絶叫しながら四方八方へ逃げ惑うが、どこへ逃げようと僕がここに立っている限り、安全な場所などありはしない。
とりあえず……巻き戻そう。
【時間操作・遡行】
覚えたばかりのスキルを使ってみる。
意識を集中させると、世界がノイズを立ててゆっくり逆再生を始めた。
噴き出したマグマが噴火口へ吸い込まれ、砕け散った雲が再び空を覆う。ドラゴンの肉片が虚空で組み上がり、何事もなかったかのように翼を広げた。
便利、ではあるけど……。
【時間操作・停止】
音が消えた。
風も、ドラゴンの羽ばたきも、舞い上がる砂埃も。
風景が硬質な写真のように固まる。
……落ち着いた。
危なかった。
うっかり呼吸を続けていたら、たぶんこの大陸の半分くらいは更地になっていただろう。
呼吸はしないほうがいい。というか、呼吸の必要がない身体になっていることに今更気づいた。
これが【不老不死】か……。
自分も動けないので、時間停止を解除する。
そっと、可能な限り優しく、爪先で一歩を踏み出す。
――ドォォォォン!!
踏み込んだ箇所の地面が陥没し、マグマが噴き出した。
また地震だ。
――テッテレー! レベルが上がった!――
……歩くことすら許されないのか。
そこからは、孤独で凄惨な試行錯誤だった。
――テッテレー!――
何度も世界を壊し、そのたびに巻き戻し、そしてまた壊した。
数百、数千、あるいは数万回。
途中で数えるのをやめた。意味がないからだ。
学んだことは、絶望的だった。
まず、身体を動かしてはいけない。
筋肉が収縮するたびに、やばい破壊エネルギーが放出される。
瞬き一つで竜巻が起きたため、まぶたは【空間操作】で空中に固定した。
目の乾燥を防ぐため、【物質生成】で生成した涙を眼球に供給し続ける。
視線も動かさない。周辺視だけで生きていく。
心臓の鼓動すらも余計な振動を生むため、自らの意志で止めた。
特に不都合はなかった。これが【不老不死】だ。
次に、物に触れてはいけない。
触れたものは、分子結合を維持できずに霧散するようだ。
この世界の物質は、僕にとっては絹豆腐以下の耐久値しかない。
最終的な解として、僕は【空間操作】を使って自らを浮かせた。
動かない肉体を、空間ごとゆっくりとスライドさせる。
これなら、たまにしか世界は壊れない。はず。
僕は丘の上をゆっくりと漂う。
口は半開きの無表情。
視線は焦点の合わない一点を見つめたまま。
呼吸も、鼓動も全くない。
アンデッドかな?
自嘲気味に思った瞬間、一筋の涙が頬を伝った。
今回は、何も壊れなかった。
涙は……セーフなのか……。
その時、遥か彼方の地平線、街があると思わしき方角で、強い光が弾けるのが見えた。
黒い煙が上がり、大気が悲鳴を上げている。
僕が試行錯誤の中でやらかした「どれか」の影響かもしれない。
津波とか、地震とか、あるいは衝撃波とか。
……助けに行ったほうがいいよな。
元日本人の倫理感が囁く。
一瞬、目的地までの空間を歪めようとして――やめた。
その思考の余波だけで、僕の下にある丘の半分が、バターをナイフで削り取ったように消失したからだ。
もはや、僕は思考でも破壊する。
「……無理か」
少しだけ考える。
動かず、壊さず、どうやってこの世界に溶け込むか。
そして、一つの結論に達した。
とりあえず、服が欲しい。
いくら時間を巻き戻しても【時間操作】を覚える前には戻れない。
全裸で世界を救うのは、全能の神としても流石にハードルが高すぎる。
静止した空間の中で、全裸の破壊神は途方に暮れる。
その頃、遥か遠方の王宮では。
「観測史上最大級の環境変動、および魔力の共振を確認!」
「震源地は!?」
「一点に収束しています……北西の丘!」
「何がいるのだ、そこには!」
「……人型の何か……です」
僕はまだ、それを知らない。




