第3話:神・爆誕
人は、適応する生き物である。
それがどれほど理不尽な天災であっても、日常的に繰り返されれば、それはただの「天候」と変わらなくなる。
「今の、昼前の滅亡だよな」
「ああ。ちょうどいい、一段落だ」
「じゃあパンを焼き直すとしよう。また食える」
街角では、主婦が洗濯物を干しながら談笑し、職人は金槌を再び持ち上げる。
誰も驚かない。誰も泣かない。
当初は地獄の業火が焼き尽くすかのようだった阿鼻叫喚の滅亡は、今や瞬きの間に完了する「現象」へと進化した。
一瞬で死に、一瞬で巻き戻る。
神経が痛みを伝達するよりも早く存在がリセットされるため、そこにはもはや苦痛すら存在しない。
「破壊神様だ」
最初にそう口にしたのは、王都の賢者か、あるいは路地裏の酔っ払いだったか。
今となっては定かではないが、民衆の間にはある「共通認識」が浸透していた。
「どうやら、若くて人型の神様らしいぜ」
「しかも、一糸纏わぬ全裸だとか」
「くしゃみ一つで滅ぶらしい。繊細な神様なんだよ」
その頃。
すべての元凶であるマモルは、物理法則を拒絶した静止状態で、空中をふわふわと漂っていた。
股間を隠したポーズはあの時のままだ。むしろ動くと世界が滅ぶ。
(服屋……どこかに、服屋はないか……)
丘の下方に、こぢんまりとした村が見える。
マモルは細心の注意を払い、空間の座標をミリ単位でスライドさせていく。
呼吸は停止。心臓は沈黙。表情もピクリとも動かない。
ただの肌色の浮遊物体として、己を空間ごと移動させる。
(今回こそは……いけるかもしれない。誰とも接触せず、布切れ一枚手に入れるだけなら……)
音もなく村へ侵入する。
どういうわけか、通りに人影はない。静まり返っている。
(……?)
家々のカーテンの裏側からは、密やかな声と視線がマモルを生暖かく見守っていた。
「破壊神様……」
「お美しい……」
「ありがたや、ありがたや……」
怪訝に思いながら、何か布はないか……と周辺視で物色する。
何か風に揺れるものを、マモルは視界の隅に捉えた。
一枚のボロ切れだ。
誰かが捨てて行ったのか、洗濯ものが飛ばされたのか。
もしかしたら、盗みにはならないで済むのではないか。
マモルは細心の注意を払い【空間操作】を発動した。
少しずつ、少しずつ……自分の傍へと引き寄せていく。
その度に空間が歪み、空に微かに亀裂が入る。
ピシ、ピシ……と不穏な音を立て、空間が張りつめていく。
(もってくれ、世界……! いや、これは厳しいか……!)
その時、一陣の風が吹いた。
ふわりとボロ切れが舞い上がり、マモルの方へとひらり、ひらりと近づいてくる。
(神……さま……!!)
マモルは確かに、神の存在を感じた。
喜びに涙が滲んでくる。
ボロ切れはマモルの下半身に向かってくるりと絡みつき、その瞬間に消滅した。
(えっ……?)
ボロ切れは、肌に触れた部分だけが、ごっそりと消失している。
マモルの規格外の攻撃力は、ボロ切れを分子レベルで分解していた。
水蒸気と二酸化炭素になって大気に霧散したのだ。
(そ、そんな……。そんなことって……!)
神も仏もいないのか――
そして……絶望するマモルは、動かない眼球の視界にそれを捉えた。
広場の中央に鎮座する、見覚えのあるシルエット。
鈍く光るブロンズ製の、股間を隠した全裸の少年像。
(……!?)
凝視する。
非常に忠実に再現されている。
細部まで、職人の情熱とこだわりが宿っている。
(これ……僕……?)
ブワッと冷や汗が滲み、心臓は止まっているはずなのに、バクンバクンと高鳴る錯覚を覚える。
自分の無様な姿が、聖なるオブジェとして公共の場に晒し者にされている。
この世界の住人たちの「信仰」の形が、思春期の少年にはあまりに残酷すぎた。
(嘘だろ……! そんな、あんまりだ……!
あんまりだあああああああああああああああ!!)
その瞬間。
マモルの精神的動揺が臨界点を超え、空間が極限まで収束し、破裂した。
世界が滅び、瞬時に巻き戻る。
街の広場。
のどかな畑の真ん中。
往来の激しい橋のたもと。
村人の集う井戸の横。
至る所に「破壊神」を模した銅像が建てられていた。
両手で必死に股間を隠した、全裸の少年の像。
「これを拝めば、神の御心が鎮まるらしい」
信仰とは、切実な生存本能から産み落とされる。
神学的教義など必要ない。
ただ、圧倒的な力への畏怖の念が、股間を隠した少年を聖なる偶像へと押し上げたのだ。
人々が唱える祈りの言葉も、実に実用的なものだった。
『いいタイミングで滅びますように』
マモルは――いつもの孤独な丘の上に巻き戻されていた。
(……もう、ダメだ。人里なんて行けない)
絶望に打ちひしがれ、虚空を見つめるマモル。
その時だった。
「聞こえてるよ」
澄んだ声がした。
マモルの錯覚ではない。すぐ近くに、誰かがいる。
動けないマモルは、眼球を動かさず周辺視だけでその主を探す。
そこにいたのは、使い古されたボロいローブを深く被った、マモルと同じくらいの年の少女だった。
「やっぱり」
少女は、淡々とした足取りでマモルの視界の端へ歩み寄る。
「あなた、さっきからずっと――『服が欲しい』って叫んでる人だよね」
(……え? 僕、声なんて出してないぞ……?)
「頭の中に、直接流れ込んでくるの」
少女は自身のこめかみを指差した。
「声を出してなくても、気持ちの強さが尋常じゃないからじゃない? この世界全体に、あなたの想いが共鳴してる」
(服が欲しい……服が欲しい……服が欲しい……)
マモルが常に、呼吸をする代わりに思考の裏で回し続けている呪詛のような祈り。
「それ、ずっと流れてるよ。止まらないの。まるでラジオみたい」
少女は少し首を傾げ、小さな唇を綻ばせた。
「他にも少し聞こえるかな。『世界を壊したくない』とか『みんなを助けたい』とか。……でも、九割くらいは『服が欲しい』だね」
(そっちがメインかよ……)
「名前は?」
少女の問いに、マモルは迷いながらも、思考の波に乗せて答えた。
(……マモル)
この世界に来て初めて、自分の名を誰かに伝えた。
ただそれだけのことが、壊れかけていた彼の心に微かな希望の光を灯す。
「私はルリ」
初めて成立した、まともな意思疎通。
その事実に、マモルの全身からわずかに力が抜けた。
全裸を見られることはとても恥ずかしいが、それ以上に孤独が温もりを求めていた。
ほっと、緊張がほどけた瞬間。
マモルの「安心」が【空間操作】を狂わせた。
僅かにマモルの重心が揺れる。
(……あっ)
ルリが、亀裂の走る空を見上げる。
「今の、まずいやつ?」
(たぶん)
直後。
世界は一瞬で滅び、そして巻き戻った。
「あ、また滅んだ?」
「今日はよく滅びますなぁ」
「よーし、昼休み延長だ」
村の日常は、何事もなかったかのように再起動する。
丘の上。
マモルは依然として、全裸で浮いている。
(服が……死ぬほど欲しい……)
ルリは、広場の中心の「股間を隠した少年像」に背をもたれ、その思考の残響を聞いていた。
「うん、知ってる」




