その九
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亡き父が遺した古いお金が少々出て来ました。昔の穴の空いていない五円玉、今のよりも大きな五十円玉、加えて皺くちゃですが百円札数枚、そして封筒の中には懐かしい伊藤博文の、あの値打のある千円札。極め付けに聖徳太子の一万円札と五千円札が数枚ありました。神々しくて到底つかう事など出来ません。新円切替で無効化されたとしても私はこれらの紙幣貨幣を大切に保存し続けるでしょう。そして年に一回くらいしげしげと拝見観覧させて頂き、在りし日昔日を偲ぶ縁としたく思います。
尊い記憶は世の他のものと違って壊れる事がありません。盗まれる事もありません。斯うして、発見された父の遺品を直ちに心底深く私を慰める品にもしてくれます。有難い事です。私は死ぬまで父がくれたこの大切な記憶を抱きます。それが私の一番大切な宝ですから。
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敢えて言いますが、生きて行く術を探すのではなく自身を発揮する事を目標にして下さい。自分らしさをそのままに出す、そういう道を探すのです。生きるのはその『結果』です。困難な事は最初から知れ切っています。けれども目指すべきものとなればどうしても私はそれを勧めざるを得ません。生きて行く事、それはその事が一番になった場合直ちに『生き延びる事』になります。これは餓鬼外道も同じく目指しているもので、それを目指す時その人間は最早人間ではなくなります。
自分が納得出来る価値を追及した結果、生きる、生きる事が続く、そうあるべきと謂うよりもそれが人間が生きる自然な在り方の様に私には思えますから。
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著名な、既に世に人によく知られた人の言う事であれば無批判に受け容れる、その言葉を他人に対して看板の様に掲げる、そして無名の人の言葉には全くと言って可い程に注意しない。その内容を想ってみるという事をしない。
私は斯ういう卑しさを最も嫌います。ちゃんと受け留め想ってみた結果それが確かに詰まらないものでその故に関心を抱かないというのなら、それは何も悪い事ではありません。当然の事です。しかし最初からもうちゃんと扱う事もしないというのでは、それは卑しさ以外の何でもありません。でも、そういう卑しさも何度か見て経験して下さい。そして嫌という程人間の汚さを思い知る事をしなければなりません。それがあっても猶動く事無く自分を導く星を、あなたは求めているのでしょう。だからです。
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奇才。高給で雇ってもらえるかも知れません。年棒三千万くらいで。或いはスポット契約つまり単発その時だけの契約かも知れませんが、同じく数千万円で。物珍しいからです。しかし総じて才というものは余人に追随を許すものです。人数は少ないかも知れませんが或る人に出来たのです、他の人にも出来ぬという道理はありますまい。
何を言いたいのかといいますと、そういう才というものに頼らぬ人生を送ってほしいという事です。才は役に立ちます。けれどもそれは代替が利きます。仮に利かなくても、飽きられまたその才を活用したシステム自体が陳腐化し、社会から必要とされなくなる時が来ます。その時にアウトになるからです。そんなものに恃むのは結局自分が本当に必要とするものを探し求める労苦を厭うているからではありませんか。あなたに何が出来ようが出来まいが、年棒三千万で雇ってもらう腕があろうがまた無かろうが、そんな事は気にも留めずにあなたが欲しいと思うものを求める人生を送って下さい。
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