その十
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私の場合昔の光景を見るだけで癒されます。古い木造の平屋の家が土道の左右に続いている光景、山道を歩いていて不図開けた場所に出て来ると板葺の家の窓から炊煙があがっているその様子、淋しい単線の鉄道線の車窓から見ると田畑が続きその奥にそれらの土地の主であろう人の昔風の野良着の服装とその前で昼寝する犬、そういうものです。それらが私には静かな心の鎮めになります。
しかしそれに理由があります。それらを見た私の心が反応し、私の中に何かしらのものを呼び覚ますからです。若しもそれが無かったとしたら、詰まり私の側で呼び起こされる内容が無かったとしたら、私はそういう風景に出逢っても何一つ『感じない』でしょう。『昔の景色だ』、それ一つ浮かんで私は早速生活上の問題の考察に入って仕舞うでしょう。
そんな風に自分の側で『補う』、否それを『完成させる』ものが必要なのです。私が恐れるのは私がそれをなくす事です。
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五歳十ヵ月の息子と抱き合って、
「だいしゅきー、だいしゅきー」
とお互いに言い合いながら家の畳の上を転げ回っています。そのうちに料理をしてくれている奥さんが、
「もう直ぐ出来ますよー」
と声を掛けてくれる。
平和な家庭内の光景です。いや、平和そのものでしょう。けれども私はこれでも泣くのです。平和過ぎて幸福過ぎて泣くのもありますが、それよりもずっと、この幸福とても軈ては尽きる時の来らんとて泣くのです。精一杯大切にします。そう、『後悔しない』とは本当に難しい、高い次元にある基準だと改めて思います。
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年齢が進むにつれて意味の無い事をするのが本当に嫌になってきます。若い頃はまあそういう事も必要なのかも知れないと思ってやる事もありましたが、いい加減な年齢になるとそういう事に対する拒絶の念は非常に激しいものになります。何でこの私がそんな馬鹿らしい事に一枚噛む必要があるのかと本気で怒り出したくなるのです。短気になっただけなのでしょうか。そうとも思えませんが。
思うに、これはこれで或る意味『自然』なのではないでしょうか。無駄な事、『してはならない』気がします。
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道路に千円札が落ちているのを見付け、ずずいっと道路にせり出して行ってそれを拾う。手に取ってよく見てみるとそれは紛う方無き千円札で、如何にもコピーといった代物ではない。斯かる幸運は何年ぶりならんと感嘆している間に無法運転の車かバイクに撥ねられて大怪我、それも相手は賠償能力無し、金輪際無し。
斯ういうのを阿呆とか間抜けとか謂うのです。いや、勿論千円札を拾った側の方をですよ。戦利品を獲得したなら速やかに遅滞無く安全圏に退避しなければなりません。子細に戦果を確認するのはその後です。そんな基礎を疎かにしているから海老で鯛を釣るどころか玉を捨てて石を拾って仕舞うのです。まあこれも油断には違いないですが、もっと別の要素が大きく入り過ぎているので例としては相応しくないかも知れません。ですが喜びに浮足立った時が一番危ないという事を知っておいて下さい。本当にその瞬間なのです。人が実に子供騙しな、幼稚極まる罠に引っ掛かって仕舞うのは。私もこれを書いていながら背中が何となく冷たいです。ふうっと何かが通り過ぎて行く感じがするのです。
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