その十九
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少し解りにくい話ですが、敢えて。
私は世に謂う理路整然というものにあまり重きを置いておりません。それは異なる幾つかの内容のものが並列に並んで複数同時に存在する事が出来る、そういう観念を前提としている、その事を私が知っているからです。別の謂い方をするならば、或る程度熟練した人間であれば理路整然のその理路が全然整っていない段階から、その熟練に拠ってあれを棄てこれを付け加えて整然にまで調える事が可能であると私が知っているからです。それは、さも道理に即している様な化粧を施されていますが、実は技術、テクニックの層がかなり厚い。そこで、そんな次元で、加工し得るものだからです。並列に並べ得る複数の概念を取捨選択して外観を整えて『調整』して出来上がる、そうやって作成する事が出来るのが所謂理路整然だからです。真実に価値有る複数のもの。これだけでも私は承服出来ません。動かし難い真実は唯一と信じるからです。なのにおまけにそれを人為でもって加工しなければ仕上がらない、一体それは何ものでありましょうか。それは『製品』ではありませんか。
本当の理路整然は触れただけで、否、近寄っただけでもう分かります。放つ光輝が異様に深いからです。更に言うとそんなに間近にまで人を寄せ付けません。誰でもおいでという顔をしていないのです。或る程度ものの分かった人間でないと近寄る事すら出来ません。いやそれ以前に絶対に見付けられないでしょう。私は世上に理路整然と称されているものを殆どの場合信じません。私はそういうものよりも、自分の已むを得ざる願いの方を重んじます。そちらには間違いがあり得ない、いや、間違っていてもそれは最早仕方がない、それが私の運命なのだと、そう思う事が出来ますから。私は後悔が無いと思う事の出来る方を選びます。
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駅で駅蕎麦でも駅弁売りの人とでも、何か四方山話をしたいですね。
「お爺さん、蕎麦、もう一杯。今度は月見ね」
「へいっ、よく食べるねぇ」
「ああ、今これでも私は仕事してましてね、汽車に乗って斯うして近くを廻って、そんで駅で蕎麦二杯食べるくらいは出来るんですよ」
「あははははっ、あんた、面白い人だね。あいよっ、月見っ!」
「ところでお爺さん、昔この駅から支線が出てたの、知ってるかい? 福住迄行ってたやつ。いひひひ」
「・・・・・・・」
ああっ、書いているだけでも何かが腹と胸の境目くらいの所で蠢きます。私は幸せな人間ですね。
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無理なら無理で仕方がない事です。それを何が何でも達成しろと誰かが言うならば、そういう指示をする人間とは絶縁し、且つ自分がそういう事を指示をされる立場ではなくなる様に努力して下さい。全く自分の能力を超える事や況してやそんな事はすべきでないとはっきり感じる事を命じる事は運命はしないものです。そうではなく運命はいつもやれる事をやりなさいと指示します。詰まりするしないは自分の能力ではなく意志に懸かっています。だから自分の人生に対して責任が発生するのです。それを出来なかった時ではなくそれを『しなかった時』に運命が自分を告発するのです。逃れられず、決して弁護され得ない告発を。
本当に深刻な悲劇はここに端を発するものと信じます。人に再び立ち上がる事を許さない程の悲劇苦境は必ずこの条件を具えていると私は思っています。それを、決して新たに作らぬ様に。
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着ている衣服は地味で粗末なものであるのが普通、家は古く狭く暗い昔ながらのものであるのが普通、貧しい旅人には僅かなものであってもいいからもてなし施すのが普通、仕事は田や畑に出る或いは山に炭を焼きに又は木を伐りに行くのが普通、そして家族は皆一緒に暮らすのが普通。昔の普通はそういうものでした。それがいつの間にか日本の普通でなくなりました。そして私はこの現代に僅かに残されるそういう曾ての普通を慕い探し求めるのです。
どうしてだと思いますか。単なる趣味でしょうか。趣味で泣きますか。切なくて感動して震えますか。私が求めているものは、そういう諸々の昔の普通という形態をとった別なものなのです。多分そうです。昔の普通に囲まれた生活には在った、間違いなく在った、或るものを探しているのでしょう。それは人間が心身健康に生きる為に必要なものであるのに違いありません。だから私が激しく渇いてそれを欲するのです。
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