その十六
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遠い昔に何を求めるのでしょうか。私自身にも解りません。けれども輪郭のはっきりした、明る過ぎる程に明るい、その癖意義が靄の中に霞んでしまっている現代の諸々のものには求める気がしないのです。そこには神秘が無く立ち入った入り口の最初からもう空白の虚無があるだけです。寧ろ同じ靄でもちゃんとその中にその向こうに隠し切れない深刻な意義を仄暗い影として覗かせているものに、愛想は全く無い上に親しみにくい事夥しい昔の何らかのものに、私は自分の探すものを重ねたいと思います。そこには様々の不便があるのですが、唯一徹底的に現代と違うところがあります。嘘が無い事です。
歩きにくい泥道砂利道を踏んで先に進みたいです。案内も無く薄暗く恐い山道谷道を歩いて行きたいです。そして食堂も無ければ宿屋も見当たらない夜道で野宿の憂き目に遭うのも仕方ありますまい。それでも嘘っ八が無い世界の方が私は好きです。嘘ばっかり並んでいる現代にどうして私が居付きたいと思うでしょうか。思わない方が自然です。
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生き方の『コツ』を指摘し取り扱っている記事は多いですね。物を捨てて部屋を整理する話から生活に必要な収入を資産運用で獲得する件、また健康な食生活と身体機能維持の為の話題、多々あります。『人間関係に悩まない為に』などは会社員が帰宅途中に駅併設の書店で買ったりするのでしょう。所謂自己啓発本も多いですね。
ところが私はそんなもんは要らんのです。生き方のコツと謂いますがそんなものは何を目指して生きるのかで根本から違ってきます。更にはよい年齢をしてコツを他人から教えてもらうなどという事を恥ずかし気も無く自ら認める事を根本から変だと思います。それを自ら見出していくのが大人が生きるという事ではありませんか。それを見出していく過程に非常に大切な人生の気付きがあるのですから。
私は多くの事を自分でやりたいのです。無論出来ない事もありますが基本は自分でしたいのです。その事に拠って得られる充実と大切な気付き、私はその尊い事を既に知っていますから。
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冬の猛烈に寒い日、寒いだけではなく怪しからん事に北風の音が家の中に居ても聞こえてきます。はっきりと。寒さの効果を増しますね、あの音は。室内に居ても暖房を強くする事が出来ません。電気代が幾ら要るのかと考えるからです。そういう時私は小さな風呂場に熱い湯を僅かだけ溜め、風呂場の中を湯気で満たし下着だけになって湯舟の縁に腰掛けて『足湯』じみた事をします。この間珈琲を飲む必要無し、何か食べたしとも思わず、足の踝程度の高さの熱き湯に両足を浸し少時放心します。いや勝手に放心してしまいます。この『無心の境地』、中々良いものですよ。勝手に何も考えられなくなります。室内が見えぬ程の湯気に一切の緊張が自然に解けるのです。
慰安なのですがそれ以上にこの時間、私には何だか『重要』な気がします。これは勝手な理屈でしょうかね。
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生きる方針も信念も無い人間がもつ『自由な時間』、私はそれを思うと恐ろしい気がします。屹度、気が遠くなる程の倦怠があるに違いありません。そしてその倦怠から逃れる為に工夫するものというのが、一つ残らず奇異で異様に刺激的で変態的なものである事を予想します。その自由な時間は最早絶対に休息ではありません。
「御前は何をしている。そんな事をしている場合ではないだろう。しなければならない事が多くあるではないか」
その理性、心の声を封じる為に用意された、文字通り『刺激』に過ぎません。その刺激で理性も感覚神経も麻痺させるのです。それが正常に働いたなら堪えられないからですね。
私はそんな時間の過ごし方に堪えられません。その先には発狂が待っています。私は今までに私が見た、接した、実に人間らしい人の歩いた跡を辿ります。その時に私は人間が生きる道を私も歩いているのだなという実感でしみじみと慈しまれる様に幸福なのです。
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