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「悠真。今日は和泉君を手伝ってあげてくれ」
「え……」
出勤二日目。朝礼で言われたじいちゃんからの指示に、眉を寄せた。その表情を見ていたじいちゃんが、意外そうに尋ねてくる。
「どうした? 和泉君と一緒に仕事をするのが嬉しくないのか」
「どちらかといえば、嬉しくないかな」
「何かあったのか」
修羅場と思われる現場に遭遇し、和泉さんの性癖を知った。昨夜はケンカをして、気まずさが残っている。
そんな状態で和泉さんと同じ場所にいて、はたして大丈夫だろうか。
「和泉君にあれだけ執着していたのに、一体どうしたんだ。昨日何かあったのか」
「いや……まあ、和泉さんは男だってわかったから……」
「和泉君が男かなんて、初めから葵ノ本君が言っていただろう? 今さら何を躊躇うんだ」
「いや……」
同性愛者のことはわからない。同性であれば誰でも好きになるかもしれないというのは、偏見だ。自分が好かれるとも思えない。
でも、和泉さんがゲイだという事実が俺を躊躇わせる。
「なんだ、言いたいことがあるならはっきり言いなさい。どうして和泉君と一緒に仕事をしたくないんだ」
じいちゃんは俺を見つめ、答えを出すのを待っている。
「園長先生。そろそろ園児が登園する時刻なので、私達は先に行きますね」
「ああそうですね。よろしくお願いします」
俺が渋っていると、葛城さんを先頭に女性陣は職員室を出て行った。
「それで、お前はどうして悩んでいるんだ」
「あのさ……」
じいちゃんは和泉さんの性癖を知っているんだろうか。知っているのだとしたら、どうして俺を和泉さんのもとへ行かせようとするんだろう。
疑問が浮かんだ。だけどそれは、口にはできなかった。昨日の和泉さんの様子から、あまり多くの人に自分の性癖を知られたいと思っていないと感じたから。
貝崎にゲイだ、同性しか好きになれないかわいそうな性癖だと言われるたび、和泉さんは緊張しているように見えた。
「それで、悠真。お前は仕事をするのか? それともしないのか?」
「するよ。します。社会人だから」
「そうか。じゃあ、頼んだぞ」
じいちゃんは俺が返事をすると、職員室の奥へ行った。園長用の机で、色々な書類に目を通している。
「はあ……行くか」
溜息をついて思い足を動かす。
ぐだぐだと悩んだところで、何も始まらない。和泉さんは同僚。ただそれだけだ。
俺が調理室へ向かおうとすると、じいちゃんが戻ってきた。
「終業後に話があるから、わしのところに来るように」
「了かーい」
気乗りしない返事をする。でもじいちゃんに咎められなかった。そのまま調理室へ足を向ける。
「ゆうませんせー、おはようございまーす」
「おはよう。良哉は今日も元気だな」
「ゆうませんせー、のせてー」
職員室を出た時にちょうど登園してきた坊主頭が特徴的な良哉にせがまれ、肩車をしてやる。
「わーい。たかーい。ぜんぞくぜんしーん」
良哉は俺の肩の上ではしゃぎ、自分の指でゆり組の教室を指す。
「すみません。よろしくお願いします」
「はい。お気をつけて」
丁寧に礼をする良哉のお母さんを見送り、ゆり組へ向かう。
教室に入ると、良哉と同様に肩車が好きな園児数人が俺に近づいてきた。
「りょうやくん、ずるいー」
「せんせー。わたしもー」
俺の膝ぐらいまでしかない園児達が足にしがみつく。
「こらこら。危ないから、肩車してほしい人は順番に並ぼうね」
「はーい」
俺の忠告に、園児達は元気よく返事をする。そして良哉を降ろし、顔のサイズに合っていない大きな眼鏡をかけた俊介を持ち上げた。
「わっ、わっ」
俊介は興奮したように声を上げる。俊介は他の子のようにはしゃぐことはない。でも知的好奇心が高いのか、肩に乗っている時間は一番長い。右へ行ってほしい、左へ行ってほしいと指示が一番多い。
「ゆうませんせい、みぎへいってください」
「了解」
俊介の指示通り、教室の右側へ進む。
「なるほど。ここはこうなっていたんですね」
俊介は教室を区切っているパーテーションの上部を見ている。硬質のカーテンが引かれているだけで何が面白いのかわからないけど、俊介にとってはどれも興味をそそられるんだろう。
「せんせー。つぎはわたしー」
「はーい、待っててねー」
俊介を降ろし、列を見る。肩車をしてもらうために並んでいる園児は、まだ五人以上いた。
一人ずつ肩車をしていると、葵ノ本さんが戻ってくる。入ってきた時、何か難しい顔をしていた。
「悠真君。達哉君のところに行かなくて大丈夫?」
「あ、はい。今から行きます」
肩車をしていた最後の園児を降ろし、ゆり組の教室を出る。出てすぐのところに、腕を産んだじいちゃんが立っていた。
「どうしたの」
「悠真。今後一切、肩車をするな」
……子供達は喜んでいるのに、どうして肩車をしちゃいけないなんて言うんだ?
じいちゃんに腕を引かれて、職員室に入る。まだ登園時間だったから、邪魔になると思ったんだな。
「それで、どうして肩車をしちゃいけないんだよ」
「悠真。わし達は大事なお子さんを預かっているんだ。それなのに、もし怪我を負わせてしまったらどうするつもりだ」
「どうするも何も、そうならないようにすれば良いだけで」
「馬鹿者! そんな甘い考えをする奴があるか!」
「なんでさ」
「怪我を負わせてしまわないように考えるのではなく、怪我を負わせるような状況を作らないようにするんだ」
「同じじゃん」
「同じじゃない。怪我することを前提に考えるか、安全な状態を保つようにするか。この二つの違いはとても大きくて、説明すると……」
「あー、はい、わかったよ! もう肩車はやらないよ!」
「こら、悠真っ」
長くなりそうだったから、じいちゃんを無視して職員室を出た。
登園ラッシュは過ぎたみたいで、玄関には葵ノ本さんと桜ヶ丘さんがいた。二人とも、何か言いたそうな顔をしている。たぶん、俺が良哉を肩車しているところを見ていたんだろう。
話しかけられる前に調理室へ行く。
「すみません、遅くなりました」
調理室に入り声をかけても、和泉さんは振り向かない。
……なんだよ、無視か。
じいちゃんに誘われて朝海園に来たけど、実は俺っていらないんじゃね? いるのかな。
叱られて、無視されて。俺の心は完全にささくれ立った。
とりあえず、じいちゃんに言われているからもう一度声をかけてみよう。それで反応がないようであれば移動する。
そう決めて、さっきよりも大きな声で呼びかける。
「和泉さん、手伝いに来ました!」
「ああ、じゃあ手を消毒してスープ用の器の準備を頼む。それとさっきご飯が炊きあがったから、それも混ぜてほしい。あとは冷蔵庫から取りのひき肉を取ってくれ」
「一度にたくさん言われても……」
じいちゃんから話を聞いているのか、和泉さんは一度振り返っただけだ。
次々と指示を出されて文句を言おうとする。でも、和泉さんは狭くない調理室の中を動き回っていた。
調理室の中央にある作業場所で野菜を切っていたかと思うと、すぐ後ろのコンロにある鍋の様子を確認する。
鍋はどうやら何かのスープを作っているようで、コンソメの香りが鼻に届く。
和泉さんはそれから、スープの隣にある違う鍋をかきまぜている。
和泉さんの表情は真剣そのもので、時々味目をすると満足そうに頷いていた。
和泉さんが忙しそうに働く姿を見て、自分がまだまだ子供だったってわかった。ちょっと言われたぐらいで腹を立てていたら、いつまでも大人になれない。
作業場所、コンロの前と休むことなく移動している和泉さんを見て感心する。いつも一人で園児全員の分を作っているのだと思うと、すごいという感想しか浮かばない。
「ひき肉はまだか!」
「はい、ただいま!」
和泉さんを見ていると注意されてしまった。
俺はすぐに観音開きの冷蔵庫の前へ行く。冷蔵庫の扉には、ステンレス製だとわからないほど大量のメモが貼られていた。その扉を開け、ひき肉のパックを取り出す。
「どうぞ」
「あとは」
「食器を出すのと、ご飯を混ぜれば良いんですよね」
「ああ。頼む」
和泉さんに再度指示を受けるよりも早く、食器棚の前に移動する。園児の数だけ器を用意して、続けてワゴンの近くにある炊飯器の前に行った。




