20
チュンチュンと鳴く雀の鳴き声。頬に当たる爽やかな朝の風。
そんなのどかな音を邪魔する、停車音。バタンと扉が閉まる音がして、それからすぐに階段を上ってくる音がした。
「ん……誰だよ、こんな朝っぱらから……」
俺の部屋は階段に面している。そのせいで、誰かが上ってくるとその音が響く。
「まだ六時じゃん……」
目覚まし時計を確認すると、俺がいつも起床する三十分も前だった。眠気に勝てず二度寝しようとすると、扉が開く音がする。まさかこんな朝早くから客人かと思っていると、どうやら違うらしい。
開けられたのは、隣の部屋だ。
和泉さんの部屋に、早朝に訪れる客。駐車場か門の前に置かれたであろう、一台の車。
「あいつか!」
和泉さんの部屋を訪れた人間が誰だかわかり、飛び起きる。そして靴を履くのが面倒で裸足のまま隣に駆けこむ。
玄関に鍵はかけられていなかった。
「好きなんだ!」
和泉さんを捜そうとすると、早朝の訪問者貝崎の声がした。その声は切迫していて、俺は思わず足を止める。台所の扉は、少し開いていた。
「ここのところ忙しくて来られなかったが、ずっとお前のことを考えていた。おれは、達哉が好きだ」
和泉さんの声は聞こえない。
ゆっくりと廊下を歩く。
「三年前に別れた原因を作ったのはおれだ。でもお前と別れてから、達哉がどれだけ大切な存在だったか気づいたんだ」
音が出ないように、台所へ続くドアノブを握る。
「おれは達哉が好きだ。おれにはお前が必要なんだ」
ドアを開けるとまず最初に、貝崎の背中が見えた。そしてすぐに、貝崎の奥にいた和泉さんに目が行く。
和泉さんは、泣いていた。
「先輩、オレは……」
「和泉さんから離れろ!」
何か言おうとした和泉さんの言葉を遮り、貝崎の胸倉を掴んだ。
「朝海っ!?」
貝崎を殴ろうと腕を上げたら、和泉さんに止められた。
「なんだ? やらないのか」
「朝海! 離れろ!」
貝崎から挑発するような目を向けられた。殴りかかろうとしたけど、和泉さんに抱きつかれて叶わない。そしてそのまま和泉さんに引っ張られ、貝崎と距離を置いた。
十分な距離ができてから、和泉さんが離れる。
「お前、何しに来たんだよ」
貝崎は苛立った様子を隠さず聞いてくる。俺は相手を睨みながら言う。
「あんた、和泉さんのことが好きなんじゃないのかよ!」
「それがどうした」
「和泉さんを好きなら、どうして泣かせてんだよ」
「どうしてお前にそんなことを言われなくちゃいけない? 関係ないだろ」
「関係ある!」
俺は一歩大きく踏みだして貝崎に近づく。後ろから、先行きを心配する和泉さんの不安が伝わってきた。
貝崎より俺の方が、少しだけ身長が高い。だけど威圧感は相手の方が上だ。俺は貝崎に負けないように睨みつける。
「和泉さんは俺の大切な同僚だ! それに、和泉さんは笑顔が素敵な人なんだ。そんな人を泣かせるなんて許せない」
俺がさらに近づくと、貝崎は後ろへ下がった。
「そんなに熱くなんなよ」
「おいっ……」
貝崎は一言残すと、そのまま和泉さんの部屋を出ていく。あまりにも呆気ない行動をする貝崎を追おうとした。でも和泉さんに腕を掴まれてしまう。その間に貝崎が出て行き、玄関が閉められた。
「お前、どうして来たんだ」
さっきまで泣いていたなんて思わせないほど、和泉さんは冷めた顔をしていた。声音も、俺を責めるように冷たい。
「……あいつが来たと思って、衝動的に」
「衝動的?」
「車が止まる音がして、玄関が開けられる音がして。早朝だったから絶対あいつが来たんだって思ったんです」
「だからって、どうして入ってきたんだよ」
「今まで、和泉さんが困っているのを見てたから」
出しゃばった行動をしてしまったと思い、肩を落とす。和泉さんから向けられる視線は冷たく、お節介だったのかと後悔する。だけど、和泉さんにはどうしても言いたいことがあった。
「どうして和泉さんは、自分に好意を持っているとわかっている人間を部屋に上げたんですか」
「先輩は、オレが出勤しようとしたら来たんだ」
「本当にそうなんですか?」
「どういうことだ?」
「だって、和泉さんはあいつと話す時は必ず二人きりだ。身の危険を感じたことはないんですか」
言いながら、俺は和泉さんを睨んでしまう。和泉さんも、同じように目に力を入れる。
「オレだって、別に先輩と二人きりになりたいわけじゃない!」
「そんなこと言って、実際は二人きりじゃないですか!」
「仕方ないだろ!」
「何がですか!」
「保育園に来た時は、誰かに呼ばれるから会わないわけにはいかない。それに、目の届かない所で話せって言ったのはお前じゃないか!」
言い切ると、和泉さんは俺を睨む。
「園長先生がいる朝海園に、迷惑をかけられなかったんだ」
「じいちゃんが何ですか。ただ拾ってもらったってだけで、どうしてそんなに義理立てするんですか。和泉さん、そんな生活をしてて疲れないんですか」
「お前には関係ない」
「関係あります。俺は、和泉さんがいつか疲労で倒れるんじゃないかって心配なんです」
「心配? お前が? どうして」
「和泉さんが俺の大切な同僚だからです」
俺は何度も和泉さんのことを同僚だと言っている。でも和泉さんは目を見開く。何度も瞬き視線を泳がせる。そして壁の時計を確認すると、台所を出て玄関に向かう。
「和泉さん?」
「出勤するから出ていけ」
和泉さんに背を押され、部屋から追い出される。
「あの」
「……仕事が終わってから話す」
「えっ」
ぼそっと呟かれ聞き逃しそうになる。でも話してもらえるのだと思い、俺は自室に戻って出勤の準備をした。




