18
疑問が発生してから一週間。俺は不自然にならないように和泉さんを観察していた。
笑顔の練習をしていることがばれていないと思っているらしい和泉さんは、その一週間ずっと顔の体操を続けている。その姿を、俺は学童保育所へ向かう前に見ていた。初めて見た日から、習慣のようになっている。
今日も、和泉さんは冷蔵庫の前に立って手を顔に当てていた。
……一週間前より、表情が柔らかくなっているような気がする。
やり始めた当初、引きつっているとしか思えなかった和泉さんの笑顔。今は、余計な力が入っていないように見えた。
「悠真君。何を見てるの?」
「わっ」
和泉さんを観察している時に急に話しかけられ、飛び退く。
そんな反応をされると思っていなかったのか、葵ノ本さんは何度も瞬いている。
「驚かしちゃった?」
「いえ、すみません」
葵ノ本さんに謝りながら調理室を覗く。かなり大きな声を出しちゃったけど、どうやら和泉さんには気づかれなかったみたいだ。和泉さんは冷蔵庫の前から、鍋の前に井戸している。
調理室から離れ、葵ノ本さんと柱時計の前に行く。
「達哉君と何かあったの?」
「いえ、何もないです」
「そうなの?」
「はい」
和泉さんをこっそりと観察していたという負い目を持つ俺は、葵ノ本さんにじっと見つめられて思わず口を開く。
「……あの、葵ノ本さん。俺が和泉さんを見てたってこと、誰にも言わないでくださいね」
「やっぱり、達哉君を見ていたんだ」
葵ノ本さんの言葉が胸に刺さる。好ましい行動ではないと自覚している分、葵ノ本さんの言葉は痛かった。
「そういえば」
自分の胸を押さえていると、葵ノ本さんが思い出したように言う。
「達哉君、最近一人言が多いんだよね」
「一人言?」
「そう。お泊まり会の準備をするために残っているとね、調理室から笑顔とか愛想良くとか声が聞こえるんだ」
「それは、いつからですか」
「んー、一週間ぐらい前からかな」
何気なく発言してしまったのも、一週間前。和泉さんが笑顔の練習をしている場面を偶然目撃したのも、一週間前だ。
深く考えずに言ってしまった、一週間前のコトバ。それを和泉さんがずっと気にしてくれている。その事実が、たまらなく嬉しい。
高鳴る気持ちを抑えるようにパタパタと胸を叩いた。
……和泉さんにとって俺は、どんな立場なんだろう。同僚に、昇格できたのかな。
「悠真君。何か一人で盛り上がっているかもしれないところに悪いけど、そろそろ学童保育所の準備をしないと間に合わないんじゃない?」
「えっ」
葵ノ本さんに指摘されて柱時計を見る。現在は十三時五十分。小学生が来るまであと十分しかなかった。
「ありがとうございます!」
「悠真君が何をしていたか、誰にも言わないから安心してね!」
「ありがとうございます」
渡り廊下を進む時に言われた言葉に礼をする。そしてすぐに倉庫を開け、机や椅子を出した。
「っ、いって」
急いで準備をしていたせいか、ローテーブルに脛をぶつける。
「こんにちはー」
脛を擦りながらマットを準備していると、小学生がやってきた。
「どうしたの、悠真先生」
「いや、何でもないよ。それより、手を洗ってきちゃいなさい」
「はーい」
下駄箱に靴をしまった小学生達は、ランドセルを壁のフックにかけて手を洗いに行く。その間に、俺はどうにか脛の痛みを忘れられるよう努力した。
午後六時。
いつものように学童保育所には健太がいた。今日はセラちゃんのお迎えも遅れている。セラちゃんは本棚の隣に敷かれたマットの上で読書中だ。
健太はセラちゃんの隣に少しだけ間隔を取って座っている。手には、セラちゃんが読んでいるシリーズの初巻がある。ページを捲る手は止まっていて、健太はずっとセラちゃんを見つめていた。
セラちゃんがふとした瞬間に健太を見ると、健太は慌てて目をそらす。本を読んでいるように誤魔化している。
健太の行動を観察していると、頬が緩まずにはいられない。どうしてもニタニタとした笑い方になってしまう。
健太を見て癒やされていると、入口の戸が開いた。セラちゃんのお母さんが迎えに来たみたいだ。でもセラちゃんは、まだ本から顔を上げない。
「セラちゃん。お母さんが来たみたいだよ」
俺が呼びかけても、セラちゃんは無反応。また新たにページが捲られた。
「セラちゃん」
健太がセラちゃんの肩を揺する。するとセラちゃんはようやく顔を上げた。自分の本を棚に戻して、健太と一緒に入口まで行く。
「った」
セラちゃんと一緒に下駄箱の前に立っていた健太は、お母さんと手を繋いでいた隼人君に思い切り足を踏まれた。
「こら、隼人!」
お母さんに叱られた隼人君は外へ逃げた。
セラちゃんが帰る時に健太が見送る。その時隼人君が健太を何かしら攻撃する。
こんな光景はここのところよく見られるようになった。昨日も、隼人君は健太の脛を蹴っていた。
「すみません、うちの隼人が……」
「有沢さん。早く行かないと、隼人君が道に飛び出しちゃいますよ」
「えぇ、そうですね。すみませんでした。それでは失礼します」
セラちゃんのお母さんは深々と健太に頭を下げると、セラちゃんをつれて学童保育所を出て行った。
「大丈夫か、健太」
「大丈夫。今日の攻撃は軽かった」
「そうか」
健太は毎度、大人の対応をする。一方的に攻撃されているのに、隼人君に怒鳴ったことがない。
「健太展…お前って本当に健気なやつだな」
「わっ、やめてくださいよ」
俺は健太がいじらしくて、頭を豪快に撫でる。
「隼人君の大事なお姉ちゃんを一人占めできているから、小さなイタズラなんて気にしません」
「かわいいな、お前」
きっと隼人君は、恋愛が絡む気持ちはまだわからない。だけど本能的に、健太がセラちゃんに抱いている気持ちを察したんだろう。そんな風に思っている。
健太は出しっぱなしにしていた読んでいない本を棚に戻す。そしていつ迎えが来ても良いように帰宅準備をする。壁際のフックからランドセルを取り、健太はマットの上に座った。
健太の隣に座る。
「なあ、健太」
「なんですか?」
「健太はセラちゃんが好きなんだよな? どうしてセラちゃんが好きになった?」
「えっと、それは……」
突然の質問に、健太は顔を赤くする。目を泳がせ手を上下させ、体育座りをして顔を隠した。




