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休み明けの月曜日。
朝礼を終えた俺は玄関で園児達を迎えていた。和泉さんは、いつものように調理室で朝のおやつを作っている。
「おはようございます、どうかされましたか」
毎朝、良哉の家は一番に保育園にやってくる。だから良哉は今、教室にいる。当然、良哉のお母さんも最初に帰っていた。
でも今日は、何か言いたそうな顔でずっと立っている。俺が尋ねると、申し訳なさそうに言った。
「お昼に食べた料理が美味しかったと来たので、もしよろしければレシピを伺えないかと思いまして」
「そうですか。担当の者を呼んできますので、少々お待ちください」
玄関と隣接している調理室に入り、和泉さんのもとへ行く。
「和泉さん。昼食のレシピを教えてほしいと仰る保護者の方が呼んでいます」
「レシピ?」
ハンドダオルで手を拭いた和泉さんが外へ出る。そして良哉のお母さんから話を聞く。
「お子さんが何を食べていたかわかりますか?」
「いえ、それがマヨネーズ味のやつとしか言ってなくて……」
「マヨネーズ味……わかりました。では、マヨネーズを使ったレシピを夕方のお迎えの時間までに書いておきますね」
「ありがとうございます」
良哉のお母さんは深々と礼をすると、保育園を出て行った。
和泉さんはゆり組に向かい、良哉を呼ぶ。
「すきなたべもの? えーと、マヨネーズをつかった、さかなのやつ!」
「そっか。ありがとう」
和泉さんは笑顔で良哉の頭を撫でてやる。良哉は嬉しそうな顔をして教室に戻っていった。和泉さんは教室に戻る良哉を、慈しむような目で見ている。
細めだけど瞳は大きくて、鼻が小さい。パーツが顔の中心にバランス良くある。和泉さんを見た時はかわいいという印象しかなかったけど、笑うとちょっと違う。顔は変わっていないはずなのに、笑顔になるとイメージが変わる。初めとは違う意味で目を引く。
上手い言葉が見つからない。
……草原に風が吹き抜けるよう? 五月晴れの時の青空?
かわいいというよりかっこいいと言える。それは確か。
「……なんだよ」
「いえ、気にしないでください」
じっと見ていたら、調理室に戻ろうとしていた和泉さんと目が合った。いつものように冷ややかな口調で返され、表情も硬くなっている。
「和泉さん。もっと子供達と接するように周囲と接した方が、絶対得しますよ」
「……無愛想で悪かったな」
「いえ、そうじゃなくて」
俺の発言に眉を寄せた和泉さんは、不快を露わにして調理室に戻ってしまった。俺としては悪気があって言ったわけではなかったから、慌てる。
「和泉さーん。さっきのは無愛想って意味じゃなくて」
「どうかしましたか」
調理室にいる和泉さんに弁解をしようとしていると、桜ヶ丘さんに話しかけられた。
心なしか、彼女の目が輝いているような気がする。桜ヶ丘さんの頭の中では、和泉さんと俺の関係は一体どんなことになっているのだろうか。
「いえ、何でもないですよ」
「そうなんですか」
桜ヶ丘さんが残念そうな顔をしている。やっぱり何か期待していたらしい。
「朝海君。この子、教室に連れて行って」
「はい」
登園してきた園児の名札を確認し、たんぽぽ組に連れて行く。その後に玄関へ戻ったけど、次々と登園してくる園児を教室に連れて行く作業に追われ、和泉さんの誤解を解くことができなかった。
昼食を取り、学童保育所の準備をしようと調理室の前を通りかかった。昼食が終わった今なら、時間があるはず。
そう思って、調理室に入ろうとした。でも和泉さんの動きが気になって、足を止める。
たくさんのメモが貼られた冷蔵庫の前に立つ和泉さん。いくつかのメモを動かし、冷蔵庫を凝視したまま動かない。
それから納得がいかなかったのか、首を振って冷蔵庫から離れる。でもすぐに、窓ガラスの前に立つとまた動きを止めた。
何をしているのかと観察していると、窓ガラスに和泉さんの顔が映る。
窓ガラスには、引きつった顔をする和泉さんの姿が映っている。それも一度だけではなく、何度も。
和泉さんは口の端を指で上げ、また窓ガラスに映った自分の引きつった顔を見る。
「どうやったら、できるようになるのかな……」
一人言のように聞こえた、和泉さんの呟き。どうやら和泉さんは、何かを練習しているみたいだ。
和泉さんは窓ガラスから顔をそむけると、シンクにためられていた食器を洗う。その作業が終わるとまた冷蔵庫の前に行き、動かなくなる。
メモを動かしただけのスペースでは物足りなくなったのか、和泉さんは冷蔵庫の横に回る。そして、真顔で口の端を上げた。
「……うまく笑えない……」
ぼそっと呟かれた、和泉さんの言葉。その音を耳にした時、俺は自分の胸を掴んだ。
ドクッと高鳴る心臓。普段の運動より少早い血の巡り。全身に血が駆け巡り、自分の頬が熱くなっているのを感じた。
和泉さんはまだ、笑顔の練習をしている。口の端を上げたり頬を持ち上げてみたりと、手を動かしている。
「無愛想か……」
和泉さんは顔の体操を止め、冷蔵庫を凝視した。そして顔の筋肉だけで笑顔を作る。
……もしかして、和泉さん……。俺の言葉を、気にしてる?
思いついた一つの可能性に、頬が緩む。
そんなことはないと思いつつ、笑顔の練習をしているタイミングと、聞こえてきた言葉がそうだと告げている。
……和泉さんは、俺に言われたことを気にしている!
もちろん、俺からすれば無愛想なんてマイナスのイメージを持って発言したわけじゃない。でも何気なく言った一言をあれほど気にしているとわかって、思わずときめいた。
性別なんて関係なくて、和泉さんという人間に心が動いた。
和泉さんが振り返りそうな気配を感じ、急いで調理室から離れる。そして渡り廊下を早足で歩く。
学童保育所の準備をしている時も静まらない同期を落ち着かせる。でも深呼吸を繰り返しても、笑顔を練習していた和泉さんを思い出すと、すぐに鼓動が跳ねた。
胸の高鳴りは何か。
俺の中で重大な疑問が急浮上した。




