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桃太郎を一冊読み終える頃、隼人君は眠ってしまっていた。起こさないように気をつけながらベッドに寝かせる。セラちゃんは、まだ持ってきた本に集中していた。
ベッドを使っていることを報告するために寝室を出る。扉を開けると香ばしい匂いが鼻に届いた。
「良い匂いですね」
話しかけても、和泉さんは反応してくれない。忙しそうに動き回っている。セラちゃんに相手にしてもらえなかった隼人君の気持ちが、よくわかってしまった。
めげずに、話しかける。
「和泉さん。隼人君が寝ちゃったのでベッド、借りてます」
「わかった」
少々素っ気ないものの、今度は返事をしてくれた。
「ぐぅぅっぅう……」
香辛料と、揚げ物の香り。空腹を刺激する。
時刻はまだ、正午前だ。
「すみません、和泉さん。ちょっと部屋に戻って何か食べてきます」
「待て」
恥ずかしいほど大きな音が出たことを誤魔化すように部屋を出ようとしたら、呼び止められた。
「園児達に出せるかどうか、ちょっと味を見てほしいんだ。食べてくれないか」
「食べて良いんですか!?」
和泉さんの手料理が美味しいことは、すでに確認済みだ。味が保証されている料理を食べられるとあり、急いでテーブルの前に行く。
テーブルには肉料理、卵料理、二種類の揚げ物が置かれた。
「うわあ……どれも、美味しそう」
「これは擬製豆腐と言って、一度崩した豆腐をもう一度固めたものだ」
「えっ、これって豆腐なんですか!?」
一番手前に置かれた、卵焼きのようなものを見て驚く。どこから見ても、卵焼きに色々な野菜を混ぜて作っているようにしか見えない。
「いや、卵焼きだと思って食べてもらえればいい」
「はあ……」
「食べてみてくれ」
「はい」
箸を受け取り、擬製豆腐を割る。豆腐が使われているからか、通常の卵焼きよりも柔らかい。緑や赤、茶色の具が混ぜられている。
「これには何が混ざっているんですか」
「人参と玉ねぎ、干し椎茸と絹さやが入っている。あと、鶏のひき肉も少し混ぜた」
和泉さんの説明を聞きながら、擬製豆腐を口に運ぶ。口に入れると形が崩れ、混ぜられていた具材の味がわかった。しゃきしゃきと、野菜の食感も残っている。
「美味しいです。人参とか野菜が苦手な子も食べられるかもしれません」
「そうか」
和泉さんは俺の意見をノートに書き込む。俺はその間に、他の料理に目を向けた。
擬製豆腐の隣には鶏と思われる肉料理。これは何か特別な味付けをしているのか、甘い匂いがする。でもその中に、香辛料の香りもあった。
揚げ物の二つは、一つが楕円形でもう一つは包丁が入れられていた。何かの肉のように見えたけど、よく見ると白身魚だとわかる。
切られていない揚げ物の正体は何かと、箸を入れた。
「カレーコロッケだ!」
まるで子供のようにはしゃいでしまった俺は、早速カレーコロッケを食べる。
サクサクとした衣、鼻から抜けるカレーの香り。小さく切られた野菜も申し分ない。
カレーコロッケを完食すると、今度は白身魚に箸を伸ばす。カレーコロッケよりもしっかりとした衣に包まれた魚が口の中で崩れていく。単なる白身魚のフライではなく、何かが入っていた。
「和泉さん。この白身魚のフライって、何か入ってます?」
「人参と玉ねぎを少し混ぜてある」
「人参と玉ねぎ! へえ……」
何かの正体がわかり、さらに白身魚のフライを食べ進めていく。これも完食した。
肉料理に行く前に、擬製豆腐で口直しをする。
和泉さんからナイフとフォークを受け取り、鶏肉に差し込む。きつね色に焼き上げられた鶏肉から、肉汁が流れる。
一切れをフォークで刺し、口に運ぶ。
ツンと鼻に届く強い香り。舌を刺激するさっぱりとした味わい。甘いけど辛い、不思議な味付けがされている。
「どうだ?」
「美味しいです。俺は、食べられます。でも子供達に出すならちょっと味が濃いかもしれません」
「そうか。味が濃い……と」
和泉さんはまたノートに書く。
「プレーンヨーグルトを多くするか……」
「えっ、ヨーグルトが入っているんですか?」
「入っているというか、鶏肉を一晩つける時に使っていたんだ」
「へえ……ヨーグルトって味をつけるのに使えるんだ。他には、何を使っていたんですか」
「ニンニク、生姜、カレー粉とケチャップだ」
「カレー粉! そっか、辛いと思ったのはそれか。あとニンニク……そうだ、和泉さん。ニンニクってにおうから、なるべく使わない方が良いかもしれません」
「そうか?」
「はい。昼食の時、香りが強いものを食べた時に園児達が驚いています」
「どんな風に?」
「うわー、なんか変なの食べたーとか、舌が痛いーとか」
「そうか……」
和泉さんはまた、ノートに書き込む。立ち上がってそのノートを見てみると、作り方の他に色ペンで感想が書かれていた。和泉さん自身も、何度も味見をしているんだろう。
「和泉さんって、本当に真面目ですよね」
「そうか? オレは当たり前のことをしているだけだ」
「いやー、やっぱり真面目ですよ。というか、尊敬します」
「尊敬されるようなことは一切していないと思うが」
「こんなに美味しい料理を作っちゃう和泉さんは、すごいですよ」
「別に、こんなのは普通だ」
プイッと、和泉さんが顔をそむけてしまう。でも耳は少し赤くなっていた。
褒められて赤くなっている和泉さんを見て、思わず顔が緩む。
……やっぱり、和泉さんはかわいい。
昨日の一件があってから、どれだけ和泉さんがぶっきらぼうな態度を取っても腹が立たなくなっていた。それどころか、赤くなった顔を見られまいと俺に背を向ける姿勢をかわいいと思ってしまう。
……和泉さんは男。俺も男。恋愛をするなら、俺は女性が良い。
心の中で唱えても、和泉さんをかわいいと思う気持は変わらなかった。
「……なんだよ。言いたいことがあるなら言え」
「いーえ。何でもありませんよ」
視線を感じたらしい和泉さんが振り返った。その顔はいつもと同様に、近寄りがたい印象を持つ表情。でも、照れたところを見た後では全く意味がない。赤くなった顔を見せまいとした行動自体が微笑ましいと思ってしまう。
じっと和泉さんを見つめる。
俺の視線に気づいたのか、和泉さんは腰に手を当てながら振り返った。
「和泉さん、ありがとうございます」
「どうした、いきなり」
「俺、和泉さんの手料理を食べて、食べ物ってこんなに美味しかったんだって再発見しました」
「食べることは生活の基本だ。それがわかって良かったな」
「はい」
和泉さんはまた、少し顔が赤くなっていた。そんな和泉さんをずっと見ていたら、そっぽを向かれてしまった。そのことを残念に思いながら、ふと考える。
和泉さんの容姿に、一目惚れした。だから俺の知らない世界に発展することもあるかもしれない。
可能性を考えてみたけど、それが実現する確率はきっと低い。和泉さんは、大切な同僚。恋愛関係になることは、きっとない。
だけどもし、もっと和泉さんを好ましいと思う何かがあったら――そんなことを考えるけど、首を振る。
仮に俺が和泉さんとの関係を望んだとしても、和泉さんは望まないだろう。和泉さんは俺を受け入れようとしていないのだから。
そう考えた時に、チクッと胸が痛んだ。
感じた、小さな胸の痛み。それが何を示すのか、俺にはわからない。でも、和泉さんと同じ職場で働くことが楽しみになっていることはわかった。
迎えに来た姉弟のお母さんにお礼を言われながら、セラちゃんと隼人君を見送る。セラちゃんがお母さんの荷物を持ち、隼人君はお母さんの背中でまだ眠っていた。
「和泉さん。今日はごちそうさまでした。美味しかったです」
「こちらこそ、食べてもらって助かった」
「それじゃあ、また」
「ああ」
和泉さんと別れ、自室に戻る。
今日一日で、和泉さんの雰囲気が随分柔らかくなったように感じた。だからこれからは和泉さんと仲良くやっていけそうだと思いながら、就寝した。
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有沢姉弟を孫達に預けた後、園長はトレーナーの上にジャケットを羽織った。
出かけた先で花を買い、毎週休日に通っている場所へ行く。少し歩けば海に出られる所だ。
「なあ、ばあさん。悠真と和泉君はもっと仲良くできないもんかね」
持ってきた花を添え、語りかける。けれども返ってくる言葉はない。ただ静かに、園長の話を聞いている。
さわさわと吹く風が気持ちいい。
「わしはね、和泉君がまた恋をできれば良いと思っとるんだよ。わしとお前みたいに、生涯の相手を見つけられればいい。悠真と和泉君が仲良くなった時は、報告するからね」
亡き妻が眠る墓を愛おしそうに撫で、園長は切り株に座っていつものように妻と語らった。
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