胸
ニーナがわたしに一礼する。ニーナが口を開く前に、わたしはニーナに尋ねる。
「ねえ、ニーナ。わたしのこの胸をどう思う?」
「は?」
突然の問いかけに、ニーナはきょとんとしてわたしを見た。呆気に取られているうちに、ドレスを脱いで、下着だけの姿になる。そして、ほよんほよんと、わたしは胸を揺らしてニーナに突き出す。
「爆乳と言うには遠いけど、それなりに豊かだと思わない?」
「は……はあ、そうですね。えっと、円錐型で上下対称の……えっと、ハリのある、えっとえっと、小さすぎず大きすぎず……って、お嬢様どうなさったのですか!?」
ニーナが真っ赤になりながら、それでも律義に答えてくれる。
「ん……、男の人が好む胸の形に該当するかしらって思って。かといって男性にこの胸、見せるわけにはいかないし、自分ではわからないし、タイミングよくニーナがやって来たから聞いてみたの」
とりあえず目的は達したので、いそいそと服を着直す。
「えっと、ラーカス様をそのお胸で誘惑して、婚約破棄をなかったことにするおつもりですか?」
ニーナが眉を顰めつつも、わたしの着替えを手伝ってくれた。
「いくら困窮しているとはいえ、女連れで婚約破棄を言い出すような誠意の無い男にこの胸を見せるなんて、絶対に嫌……。いえ、そうじゃないのよ。というかラーカス様はこの際どうでもいいというか、せっかく婚約破棄を申し出てくれたのだから、別の手を使うというか……」
「あ、ラーカス様に見切りをつけて別の男性を篭絡するつもりですか?」
「ま……近いわね」
そう、わたしの思いついている最終手段。
ニーナの言う通り、男性を篭絡する。
ただし、新たな婚約者を見つけてその方に資金援助を申し込むのではない。
もちろん、どこかの裕福な男性の愛人になるわけではない。
そもそも個人や一貴族の支援に頼っているのがまず駄目だと思うのよね。
頼った相手が没落だの災害だのなんだのでお金が無くなれば、わたしのウェステルハイム家への資金援助なんてしてもらえない。
ではどうするか。
わたしはわたしを娼館に売ろうと思うの。そう、つまり身売り、だ。
若くて、そこそこの体を持ち、そこそこの美しさも持ち、しかも貴族の未婚のご令嬢。
売れるでしょう?当然売れるわよね!?
あ、もちろん場末の娼館なんて行くつもりはない。
狙いは他国の高級娼館。
我が国は困窮状態だからね!隣国のオーベリソン公国、もしくは商業都市のルンデルあたりが良いと思うんだけど……うーん、流石に隣国に伝手はない。そのあたりがネックなのよね……。わたしが勝手に他国に出向くわけにもいかないし。
うーん、どうしようかな……と、腕を組んで考え出したところでわたしのお腹の音が「ぐううううううううう」と鳴った。あら嫌だわ、恥ずかしい。
「あ、あの、お嬢様。実は旦那様がお呼びなのですが……、先にお茶か何か、お持ちした方が良かったですか?」
「あ、あら、お父様がお呼び?婚約破棄の件よね……」
「要件までは伺ってはおりませんが……多分」
「なら、お茶なんて飲んでいる暇はないわよね……、と言うか我が家にまだお茶なんて残っていたの?」
「ええ、まあ……来客用のものでしたら少々……」
いかなる困窮状態でもお茶位用意しておかないといけないのが貴族の嗜みというものだ。だからさっきだってラーカス様に「お茶」なんて言ったのだけれど。自宅用のものなんてとっくに残っていないわよね。このところ食事時だってお茶じゃなくて水だったし……。
そう、我が家はもうとっくにお茶を買う資金さえ、無いのだ。
と言うか、お茶を買うお金があるのなら、パンを買うわよっ!……いえ、パンも貴重品ね。小麦は昨今本当に高い。あー……パンをさっと焼いてバターを落としたのが食べたい……なんて無理ね。ならば、ジャガイモと少量の小麦と塩を混ぜただけの簡易なパンなら何とか出来るかしら?エリスお義姉様のご実家が援助として送ってくださったいくつかのジャガイモとサツマイモ。それを種イモにして去年植えたのよね。それまで花園だったところは九割がたジャガイモとサツマイモ畑になってしまったけど。そうそう、意外にジャガイモのお花って可愛くて……ではなくて、ええと、そうそうジャガイモパンの話だったわ。本当はオリーブオイルとかベーコンとかチーズ入れて作った方が美味しいのだけれど……。ベーコン……ああ、あの魅惑の味……。豚肉に塩を刷り込んで、その塩漬けの状態でしばらく寝かせて、その後塩抜きをして。燻製にかけて完成っ!作り方はシンプルだけど、旨味の凝縮したその味は、控えめに言ってサイコーよっ!そのまま食べても良し。一口大に切ったチーズにベーコンを巻いて食べるのも良し。スープに入れても良いし。わたしはちょっと炙ったベーコンをサラダに入れて食べるのが好きかしら。野菜にコクが加わり、野菜がベーコンの脂身のくどさを消してくれるなんて、とてもとても素晴らしいでしょう!両者を引き立てる素晴らしい組み合わせだと思うの……って、あ、いけないわ。食べ物のことなんて考えていたらお腹がもっともっともっと減ってしまうじゃないっ!
わたしは幻想を払うように、顔を横にふるふると振った。
「来客用のものをわたしが飲むわけにもいかないし……、」
またお腹が鳴らないように、腹筋に力を込めながら、答える。
さすがにここしばらく具の少ない薄味のスープしか食べていないからお腹もすくのよ。固形物?パンとか?肉とか?魅惑のベーコンとか?……そんなものは領民に配ったわ。わたし一人分なんて、ほんのわずかでしかないけれど。それでも我が領土から餓死者を出したくないもの。一人救うだけでもいい。……わたしの食事、もっと減らそうかしら?でも……お腹空いたなあ……。ああ、辛い。
「行きましょう。お父様をお待たせしてはいけないもの」
半ば無理矢理に背を伸ばす。きりっとした顔を作って。空腹がどうしたノブレス・オブリージュよ……っと、心の中で繰り返す。そう、貴族の義務、だ。
わたしはこれまで……我が領土が災害に見舞われるまでは、ぜいたくな暮らしをしてきたの。食べきれないほどの食事に甘いデザート。ベーコンなんて超厚切りよ?たくさんの宝石に数えきれないくらいの美しいドレス。書物だって望めばいくらでも買い与えてもらった。我が領は豊かだったからね!過去形だけど。
つまりは貴族の特権をこれ以上もなく享受してきたのよ過去のわたしは。
そして、家庭教師たちに叩き込まれてきた。
特権には義務がつきものだと。
領民の血税によって、これまでわたしはこれ以上もない豊かな暮らしを享受させてもらってきた。それは持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきであって、一方的に特権を享受するだけでは……身を亡ぼすと。
歴史も、学んだわ。平民を搾取するばかりの贅沢な王族が滅んだとか、平民たちの反乱によって斬首された悪徳領主の話とか。……そんなことが自分の身に起こると思えば震えがくる。恐ろしい。
しかも今、我が領土は未曽有の災害に見舞われ続けている最中で、一歩間違えばお腹を空かせた領民達が暴動を起こさないとも限らない。
それが今起こっていないのは、元々領民からの信頼が厚いのと、お父様が金策に走り回り、お兄様やエリスお義姉様が自ら指揮を執って領地を回って炊き出しなどを行っているからだ。
……それも、いつまで出来るのか。
復旧のめども立っていないのに、支援の頼みの綱のリヴァイエス伯爵家からは婚約破棄を申し出られた。
お先真っ暗とはこういう状況を言うのだろう。
わたしはため息を飲み込んで、お父様の書斎に向かう。ため息じゃ、お腹は膨らまないけれど、ね。ああ、お腹が空いた……。




