7.15. インペリアルパープルホテル
そうして、4月1日がやってきた。頭脳工房創界はそんなに大きい会社じゃないから、同期…新入社員は4人だけだ。
しかも、新入社員と言っても、加賀さんよりも年上に見える年季の入った男性や、デザインチームの吉川さんと大学時代の同級生だったという女性もいる。オレだって、歳は若いけどここでのバイト歴なら8年弱。いわゆる「本当の新入社員」は、大学を卒業したばかりだという男性1人だけだ。
だから4月1日だといっても入社式は特になく、人事部長から辞令を受け取ると、それぞれの配属先へ散っていった。
オレの行き先は、バイト時代と同じ席。仕事だって、バイト時代から何も変わらない。…今のところは。
早速、古い量子コンピュータに新しいAIをオペレーティングシステムレベルで組み込む検討を始めた…。
その翌日の4月2日は土曜日。
いつもの土曜日のように、しっかり寝るつもりだった。だけど、携帯端末はいつもより大音量で鳴り響いた。寝ぼけながら、携帯端末を操作してアラームを消した。
それでも、しっかり目が覚めたオレは、携帯端末を恨めしそうに睨みつけた。恨めしい。
だけど、コイツにはいつも助けられてきたのだ。今日も、何か予定があったから叩き起こされたのだろう。きっと、オレが忘れているだけ。
そう思いながら携帯端末を見て、ようやく思い出した。今日は休日なのに、入社早々に「ブラック企業」の鬼上司・加賀さんから呼び出されていたのだった。
加賀さんは時間厳守だと言っていた。携帯端末は、設定していないのにむやみに大音量で鳴ったりしない。つまりは…もう時間ギリギリということだ。
時間を確認することもなく、スーツを慌てて着込むと、駅まで走った。そして、最寄り駅に着くと、また走る。
電車に乗っている間に、目的地までの道のりと予定時間を確認した。
この道を突き当たりで右に曲がると、目的地「インペリアルパープルホテル」はそこにあった。…というか、そこはホテルの庭園だった。
桜の花びらが敷き詰められた庭園の道を急いで歩くと、その奥にようやくホテルの建物が確認できた。ようやくドアの前に立つと、ドアマンが洗練された動作でドアを開けてくれた。
開かれたドアに誘い込まれるように、足を一歩踏み入れる。
…そこは別世界だった。そこでは、「ゴージャス」という言葉は安っぽく感じる。何もかもが洗練されていて、一見簡素に見えるものでも高級感が滲み出ている。
ラウンジに加賀さんがいた。加賀さんもオレに気づいて、歩み寄って来て言った。
「もう予定時刻1時の5分前だぞ。すぐにトイレで身支度してこい。」
そう言った加賀さんは、髪型も服も何もかも、ビシッと決めていた。
今日は一体何があるんですか? という言葉を飲み込んで、加賀さんの言葉に従って、トイレに行った。鏡の前で、服装と髪型を整えていると、隣に人の気配を感じた。
すると、そいつが声をかけてきた。
「よう。」
この声の主は木田?
振り返って男の顔を見ると、確かに木田だった。だが、そのいでたちは…。
「お前、何でそんな格好しているんだ? それに、こんなところに来て…高木さんとのデートか?」
紋付袴姿の木田が応えた。
「いや、だって…お前と似たようなもんだろ? って、まさか何も聞かされてないのか?」
オレがうなずくと、木田はニヤニヤして言った。
「えっと、そういうことか。いや、それなら俺は何も言うまい。まあ、楽しみにしているんだな。…そのために俺と希さんは大変だったんだから…。」
最後の言葉は小さかったけど、なんとか聞き取った。
ここで、脇道にそれた話を元に戻す。
「よく分からんが…。で、結局お前は何をしにここへきたんだ?」
「俺と希さんは、結納でここに来たんだけど、ちょうど終わったところさ。」
結納をしたっていうことは、もう結婚するのか? AM世界でも、この2人は結婚していたし。
一応、確認してみた。
「それじゃあ、ついに?」
「これから結婚式のスケジュールを決めるところまで来たよ。お前らにも出席してもらうぞ。」
と、木田。
だけど、彼の言葉が少し引っかかった。
「『お前』じゃなくて『お前ら』って、どういうことだ?」
すると、木田は慌てて目を逸らすと、
「これからデートだから、また後でな。」
と言って、そそくさとトイレを出ていった。
加賀さんが引き戸を開けて、小さな部屋へ入って行く。
加賀さんの後ろから小さな部屋に入ると、そこにはつい先日別れを告げたばかりの人がいた。
「今日は午前中から忙しくて大変だよ。」
そう言った人物は、時宮良路准教授その人だった。
そんな時宮准教授に、
「時宮先生、今日は無理言って済みません。」
と、加賀さんが挨拶した。
すると、時宮准教授は
「いえいえ、私のような貧乏研究者にとって、スポンサーは神様ですから。」
と、笑って応じた。
…本気なのかふざけているのか、何時ものように彼の考えは読めない。
時宮准教授の指示で、オレと加賀さんは彼の右側に座った。
時宮准教授が「議長席」、加賀さんが時宮准教授に近い方の席で、オレは遠い方の席。
時宮准教授の右側に出入り口があるので、左側が「上座」ということになるのだろうか? それなら「上座」には誰が来るのだろう?
それにしても、時宮准教授と加賀さんは知り合いだったのか。それに、加賀さんに対して「スポンサー」と言った。いや、加賀さんというよりも頭脳工房創界に対してなのか?
「午前中から忙しい」…ってことは、木田の話と重なる。
そうか。
閃いたオレは時宮准教授に尋ねた。
「午前中は、木田家と高木家の結納に出席されてたんですか?」
「そうなんだよ。美味しい食事はいただけたし、今日はめでたい日だね。」
そういえば、少し酒が入っているように見える。
そんな時宮准教授が、
「君達も…」
と言いかけた瞬間、隣に座っている加賀さんの方から何か物音がした。それと同時に、時宮准教授の口も止まった。
それから、実時間としてはほんの数十秒だっただろうけど、少し重苦しい沈黙が続いた。何故か少し怒っているように見える加賀さん。シュンとして黙っているように見える時宮准教授。そして、何が起こっているのか分からないオレ…。




