第三章 鹿香(かのか)家の秘密 〈8〉
「人間と悪魔の混血を〈碧血〉って云うの。碧血は呪われた存在、災厄の使者とよばれているわ」
「失礼な。そりゃ迷信だ。おれも父さんも人畜無害なふつうの人間だよ。おれより魔族の血が濃いはずの父さんだってモヘナの姿すら見えていないんだぜ?」
「……そうなの?」
紀里香の疑問符にモヘナがうなづいた。
「しのクンのお父さまに私の姿はまったく見えていません。しのクンもそうですが、魔力の片鱗も感じません」
「実のところ、碧血については口伝でしか伝わってないから情報にとぼしいのよね。私も今日の今日まで碧血は邪気ビンビンの悪鬼だと思っていたのに、ふつうの男のコなんだもん」
「神社の妖怪退治屋が迷信にふりまわされているようじゃ世話ねえな」
おれはらしくもない皮肉を口にした。先にモヘナが侮辱されたことを心の隅で根に持っていたらしい。
「でも、あんたに魔族が見えるってことは、やっぱり、どっか魔族の力がうけ継がれてんのよ。ううっ、すっげえ気になる。ねえ、あんたたち〈碧血〉を調べさせてくんない?」
「冗談でもやめてくれ。少なくとも父さんを巻きこむな」
それが鹿骨神社と縁を切ったおじいちゃんの意思でもあろう。少し間があって紀里香が応えた。
「……そうね。あんたはともかく、ほかの人はなにも知らずにいるのなら知らない方がいい。巻きこまずに済むならそれにこしたことはない」
一瞬、紀里香の瞳の奥に深い闇をかいま見た気がした。
「でもでも、これにて一件落着だね! 斑雲山の魔力の原因もわかったし、碧血のお兄ちゃんも無害だったし、モヘナちゃんもキレイだし」
口元をベタベタに汚しながら、チョコバナナサンデーをたいらげたのどかの声がはずむ。
「まったく、あんたはお行儀の悪い」
紀里香が紙ナプキンでのどかの口のまわりを拭いた。15歳の女のコがすなおに口のまわりを拭かれている姿もどうかとは思うが、悪態ばかりついている紀里香のお姉ちゃんぶりが意外とほほ笑ましい。
「なによ?」
おれの視線に気づいた紀里香が眉間にシワを寄せてこちらをねめつける。
「なんでもない」
おれはわざとらしくかぶりをふった。のどかがドリンクバーへおかわりに立った。ガッツリ元をとるつもりでいるらしい。紀里香もパフェを食べおえると、唐突にこうきり出した。
「ところで話は変わるけど、今晩あんたの家へ泊めてもらえないかな?」
「なんだそりゃ?」
「まだ泊まるところを決めてないのよ。今着いたばっかでこれから帰るのも辛どいし」
「……無理だって」
気持ちとしては客間に泊めてやってもいいのだが、初対面の姉妹をいきなり家へ泊まらせるなんて云ったら、父さんたちが腰をぬかすに決まってる。どんだけナンパだ?
「なによ。行き倒れの美人悪魔はソッコーつれこんじゃったくせに、親戚の美人姉妹は泊めらんないって云うの?」
「エロっぽく云うな、人聞きの悪い。状況がちがうだろうが、状況が。モヘナは熱があったし、見えないからいいんだよ」
〈美人姉妹〉と云うワードはあえてスルーした。たしかにふたりともかわいいが、ただでさえ居丈高で無礼な紀里香をこれ以上つけあがらせる義理はない。
「ちゃんと親戚って云えば大丈夫なんじゃない?」
「よけい問題が紛糾するわい。父さんたちに交流がないのに、おれが「今日ばったり街で出会った鹿骨神社の鹿香姉妹です」とか紹介したらおかしいだろ? しかも、おれは昨日まで鹿骨神社の鹿香家なんて知らなかったんだぞ」
「チッ。宿泊費をうかせようと思ったのに」
「せっかく出会った親戚だし、泊めてあげたいのは山々だけど、やっぱり今回は無理だよ」
「……そだね」
紀里香が肩をすくめてあきらめた。
会話と食事をおえたおれたちはファミレス『あなすあくた』をあとにした。日も暮れかけた紺紫の空に月が顔を出していた。
「ここは奢るわ。のどかが世話になった礼もあるし」
宿泊費をケチろうとした紀里香が太っ腹なところを見せた。こちらもそのお礼と云うわけではないが駅までつき添い、観光案内所で安い宿泊所をさがしてやった。
駅前には立派なホテルもあるが、海の方(坐浜高校近辺)には素泊まりで安く泊まれる民宿も多い。観光案内所でもらった民宿の一覧表を紀里香へ手わたした。
「電話してみろよ。泊まる場所が決まったら、そこまでつれて行ってやるから」
「ありがと。あとは自分たちでできるからいいわ」
「大丈夫か?」
土地勘のある人間の方が迷わず案内してやれると思うのだが。
「あんまり遅くなっても、ご両親が心配されるでしょ?」
「まだ7時だぜ?」
「でも、気がひけるからいいって」
「……わかった。それじゃ気をつけて。なにかあったら連絡してくれ」
「そっちこそ、なにかあったら連絡して」
ファミレスでケータイ番号とメールアドレスを交換した。モヘナを魔界へおくり出す際にトラブルがあればいつでも力になると約束してくれた。
魔族をすべてひっくるめて悪魔よばわりする紀里香にモヘナはあまりいい顔をしなかったが、危急の際にはなんの知識もないおれよか頼りになるはずだ。
「お兄ちゃん、今度の白鹿祭の時、遊びにきてよ!」
のどかの言葉に、おれは笑顔をかえした。
「ああ。そうできたらいいね」
「モヘナちゃんも無事、魔界へ還れるよう祈ってるから、ガンバッテね!」
照見メガネ(魔族を見ることができるメガネ)をかけていないのどかにモヘナの姿は見えない。あさっての方向へ話しかけるのどかにモヘナの位置を教えた。
「モヘナはこっち」
のどかが見えないモヘナへ向きなおると、モヘナが頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ありがとうだって」
モヘナの言葉をのどかへ伝えると、のどかは嬉しそうに笑った。おれたちは駅で別れた。
考えてみれば、鹿香姉妹はモヘナにとってこの世界ではじめてできた同性の知りあいである。
紀里香はともかく、のどかとはいい友だちになれそうだったので、ここで別れるのはモヘナのためにも残念な気がした。
なんだかんだで今日も長くて疲れた一日だった。すっかり日の暮れた空を見上げてそんなことを思ったが、こんなのまだまだ序の口だった。
10
おれとモヘナのうしろ姿をしばらくながめていた紀里香がのどかへ云った。
「つけるよ」
「なんですと?」
「一応、あいつらの話が本当かどうかたしかめておくのさ」
「お姉ちゃん、性格悪いかもかも」
「用心深いって云ってほしいね。それに腑に落ちないこともあんのよ」
「なんですと?」
「あの悪魔が碧血を魂精に魔法を使ったってくだりがちょっと……ね」
のどかがなにかに気づいたような表情でつぶやいた。
「……なるへそ。魂精は人間が死ぬ時に放出されるエネルギーだから、お兄ちゃんを生きたまま魂精として魔法を使うのはオカシイんだね?」
「あいつはただの人間じゃなくて碧血だから非常識が通用するのかもしれないけどさ」
「でもでも、お兄ちゃんもモヘナちゃんもバカ正直って云うか裏表がないって云うか腹芸ができなさそうって云うか……」
のどかの無礼な人物評を紀里香が一刀両断した。
「詐欺師があからさまにうさんくさかったら詐欺なんてできるはずないでしょ?」
「あうあう」
「ただまあ、私も悪魔はともかく、あの碧血にウソがつけるとも思えないんだよね」
「でしょでしょ?」
「よしんば、あいつらの話が本当なら、もう一度、悪魔に襲われる可能性は高い。結界を張ったと云ってたけど、それがどの程度のもんか確認しておかないと落ちつかないし。あとをつけるのは、あいつらのためでもあるの。わかった?」
「お兄ちゃんたちを守るためでもあるんだね? 諒解なのです!」
のどかが紀里香へ敬礼した。
「くだらないことしない! ……行くよ」
紀里香はのどかをうながすと、おれたちのあとをつけはじめた。おれたちはそのことにまったく気づかなかった。




