第三章 鹿香(かのか)家の秘密 〈4〉
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1限目の授業がおわった。教室のうしろを横切り、モヘナのそばへ近づくと小声で云った。
「あのー、図書室行きますけど」
ついてこないようならそれはそれでかまわないと思ったが、モヘナはロッカーから身をひるがえすとおれのあとへついてきた。おれたちは図書室まで無言のままだった。
「失礼します」
図書室へ入ると、目の前のカウンターで芹沢のじいちゃんが新聞を読んでいた。ぐるりを見わたすがのどかの姿はない。
「おお、しのクン」
おれは芹沢のじいちゃんに頭を下げると訊ねた。
「……のどかは?」
「奥で寝とるよ」
カウンターの背後に位置する図書準備室をあごでしゃくった。
おれ(とモヘナ)が図書準備室をのぞきこむと、部屋の奥にしつらえられたソファーの上に、ターコイズブルーとショッキングピンクの水玉模様で彩られた大きな芋虫がいた。のどかの寝袋であるらしい。
どうでもいいけど、どこで買ったのだろう? あんな悪趣味なデザインの寝袋。
「すかー、ぷしゅるるるる。すぴー、ふしゅるるるる」
と気持ちよさげな寝息をたてて爆睡していたので、おれとモヘナは思わず顔を見あわせてほほ笑んだ。駅前のベンチでこうまで眠りこけることはできなかっただろう。
いろいろと謎ののこる童女(でも同い歳)だが、寝顔はあどけない天使だ。
おれたちはのどかを起こさず、そのまま図書室をあとにした。あのようすなら昼休みまで放っておいても大丈夫そうだ。
「のどかが寝ててくれて助かったよ。芹沢のじいちゃんの前でよけいなこと云われずに済むし」
「それにしても、気持ちよさそうに寝ていましたね」
「モヘナもいつもあんな感じだよ。時々いびきをかいてたけど」
モヘナがふつうに話してくれたことにホッとして、おれは冗談を口にした。
「え!? ウソです。私、いびきなんてかきません」
「冗談だよ。モヘナはもっと静かに寝てる」
「もう、しのクンたら」
モヘナが頬を染めた。マズイ! この展開はモヘナの〈ジャレあい〉が炸裂するパターンだ。おれはとっさに腕を十字に組み、あごと胸とを防御するクロスガードの体勢をとったが〈冥土の巫女〉たるモヘナの動きの方が速かった。
モヘナのブーメランフックは、おれのガードをかいくぐると心臓を打ちぬいた。一瞬すべての時間がとまる。
「ああっ! すいません! 友だちとジャレあう感覚でつい……」
完全に拳をふりぬいたモヘナがあわてて謝った。
「なあに、これくらい大丈夫だよ」
……とか云ってやりたいのだが身体が動かない、声が出ない。身体の前で腕を十字に組んだまま立ち尽くすおれの姿に教室から出てきた滝口が気づいた。
「おい、なにやってんだよ、鹿香?」
「くはっ! ……あ、いや、なんでもない。立ちくらみかな?」
心臓打ちの呪縛から解き放たれたおれは、あえぎながら応えた。モヘナがおれの背中に手をかけて申しわけなさそうにしている。
滝口の視線がおれを飛びこえて窓を見ていた。滝口はおどろいた表情でおれに訊ねた。
「あれ? 今、おまえのうしろに、すっげえかわいいコいなかった?」
「はひっ? なに云ってんの?」
おれは動揺を必死でかくそうとつとめた。
「いや、今、窓ガラスに映った鹿香のうしろにジャージ姿のすっげえかわいい女のコが心配そうな顔して立ってたみたいに見えたんだけど」
……窓ガラスに映った? 窓へ目をやると、雨模様でうす暗い背景におれや滝口の姿がハッキリと映りこんでいた。
ふつう、悪魔や吸血鬼は鏡や写真に映らないと云うが、モヘナの場合は逆で、ふだんは人目につかないが、鏡などを通せばその姿が見えると云うことだろうか?
だとしたらこの状況はヤバイ。ふりかえるとモヘナはそこにいなかった。彼女は滝口の話から一早く察して、滝口のうしろへまわりこむと窓の下へ身をかがめていた。
「なに云ってんだよ。昼間から欲求不満のマボロシでも見たか? だれも映ってないじゃん」
おれの言葉に滝口が首をひねった。
「ホントだ。でも、めちゃくちゃかわいかったんだぜ」
「知らねえよ」
おれが笑うと滝口も照れ笑いした。……でも、本当は知ってる。すっげえかわいくて、すっげえヤキモチ焼きの女のコ。
「次の授業、化学室だぜ。待ってるから、早く教科書とってこいよ」
「あ、そうか。……でも、便所寄るから、先行ってて」
滝口はおれのウソを鵜呑みにすると化学室へ行った。おれも窓の下へ身をかくすモヘナのとなりに立って云った。
「大丈夫。バレてない。教室の戸を開けるから、そのまま走ってこられる?」
モヘナが小さくうなづいたので、おれはうしろ戸を開けたまま教室へ入った。
モヘナが低い姿勢のまま教室へ駆けこむ。こう云う時の動きのキレのよさに〈冥土の巫女〉の片鱗をかいま見る。……あと、殴られた時とか。
クラスメイトはみんな科学室へ移動していたので教室は無人だった。おれは教室の戸を閉めた。
「……びっくりした。知ってた? ガラスや鏡にモヘナの姿が映るってこと?」
「いいえ。人間界に詳しい者なら知っていたかもしれませんが、私は寡聞にして知りませんでした」
「雨が上がって空が晴れてくれれば気づかれないんだろうけど」
「困りましたね」
「どうする、モヘナ? ひとりで家へ帰れるかな?」
「えっ?」
モヘナがおどろいた顔をした。
「一応、クッションもあるけど、今日は床も湿って座りづらそうだし、家へ帰った方がモヘナもくつろげるだろう?」
「しのクンはどうするんですか?」
「放課後、あのチビを駅までおくらなきゃなんないからなあ。あいつさえいなければ、なんとか早退する理由をひねり出すんだけど……」
「でも、あの、わ、私はまだ学校から家までの道順をおぼえていないので、ひとりで帰るのは……、その、不安です」
モヘナがなんだかモジモジしながら云った。ものおぼえはよさそうなのに意外だ。
「そっか。それじゃどうするかな?」
人がこなくて居心地がよくて、おれが出入りしても怪しまれない場所。
「あ! 図書室」
あそこなら昼休みまで生徒の出入りはほとんどないし、床はカーペットだし、イスに座っていてもバレなさそうだし、おれが出入りしても怪しまれない。
「モヘナ、午前中はあそこで時間つぶしててもらえないかな?」
「仕方ないですね」
モヘナが肩をすくめてうなづいた。
おれは落とし物をさがすふりをしてふたたび図書室へ顔を出した。その隙にモヘナが図書室にもぐりこむ。
おれは始業のチャイム音に追いたてられながら2限目の化学室へ急いだ。
6
めずらしく天気予報通り、昼休みまでに雨は上がっていた。おれたちは図書準備室で昼食を摂った。
メイド服ののどかに校内を闊歩されてはあとあと困るので、のどかの分の昼食は購買部で適当に見つくろった(もちろん代金はのどか持ちだ。だれが奢ってなぞやるものか)。
モヘナはのどかが寝ていたソファーで、おれと芹沢のじいちゃんとのどかは作業用の机で昼食を摂った(モヘナが弁当やペットボトルを身体からはなさないかぎり、じいちゃんとのどかの目に映ることはない)。
芹沢のじいちゃんが、のどかへ坐浜市の語源となった鎌倉時代の武将の伝承を滔々(とうとう)と語っていた。おかげで、のどかがよけいなことを云い出す暇もない。
むしろ、のどかがじいちゃんの長話を嬉々として聞いていたので、じいちゃんも楽しそうだった。
どうやら、のどかはお年寄りとの触れあいに慣れているらしい。彼女の家族構成は知らないが(姉がいることだけはたしか)祖父や祖母がいるのかもしれない。
不覚にも、おれはのどかが実はすなおでよいコなのかもしれないと思ってしまった。




