第三章 鹿香(かのか)家の秘密 〈1〉
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久しぶりにやわらかいベッドで寝たものの、ちっとも寝た気がしなかった。
そう。おれとモヘナは昨夜ひとつのベッドで結ばれた……わけではなく、同じベッドの上で別々に眠っただけだ(とっほっほ)。
モヘナに指1本触れてはいけないと云うプレッシャーで寝がえりひとつ打てなかったおれは、起きぬけからぐったりと疲れていた。
おれが寝袋で眠らなかったのには理由がある。
どうやら母さんがおれの行動を怪しみ出しているらしいのだ。
失策は昨日の朝、寝袋を片づけずに学校へ出かけたことだ。
いつもはちゃんと押入れに片づけていたのだが、昨日はモヘナが急に「学校へ行きたい」と云い出したので、バタバタして片づけるのを忘れた。
昨夜、おれたちが帰宅する前、母さんが洗濯物をおれの部屋に持って上がってくれたようで、その時、部屋の隅に転がるダークグリーンの寝袋を見つけたらしい。
「しのクン、どうかしちゃったんじゃないかしら?」
そう父さんへ相談しているのを、こっそり風呂場へ下りてきたモヘナが(と云っても、父さんたちには見えないが)聞いたのだと云う。心配げな母さんを父さんは一笑に伏した。
「そう云えば、長いことフィールドワークやキャンプにつれてってないからなあ。ちょっとしたキャンプ気分が味わいたかったかもしれないよ」
「なにそれ?」
「母さんはやったことないかな? 夜にわざと窓を開けて、寝袋にくるまってキャンプ気分を味わったりするの」
「ないわよ」
「そっか。ありゃ男のロマンなのか。大丈夫。心配ないよ。男のコはそう云ったくだらない遊びが好きなのさ」
「そうなの?」
母さんはあまり納得したようすではなかったらしい。母さんが夜中にこっそりおれの部屋をのぞきにくるかもしれないので、おれもベッドで寝るべきだとモヘナに云われたのだ。
母さんがそこまでするとは思えなかったが、モヘナを床へ寝かせるわけにもいかなかったので、しぶしぶ(内心ドキドキ)承諾した。
風呂の件と云い、ベッドの件と云い、ひょっとするとモヘナはおれを誘っているのではなかろうか? と邪推したが、灯りを消すとモヘナはすぐに寝息をたてた。
学校へ行ったことや久しぶりの入浴で疲れたのだろう。いちいちドキドキしているおれがバカみたいだ。
そのクセわきが甘いと云うか、思わせぶりなのがモヘナさんである。
目覚めると、おれは眠るモヘナに片手で抱きつかれていた。背中に感じるやわらかな温もりが大変心地いい。エロい気分をさしひいても心が安らぐ。
いつまでもこの幸せに身をゆだねていたかったが、そろそろ起きて準備しないと部活の朝練に間にあわなくなる。
静かに動いたつもりだったが、モヘナはすぐに目を覚ました。緩慢な動作でおれの背中から身をはがすと、少し寝ぼけた口調で目をこすりながら云った。
「おはようございます」
自分が眠りながらおれに抱きついていたことには気づいてないらしい。とんだイタズラ小悪魔である。
「ああ、おはよう」
おれもモヘナに背中を向けたまま起き上がらずに云った。より正確を期すなら、起き上がれずに云った、と云うべきであろう。
モヘナの前ですぐには起き上がれない状況にあった。男性特有の朝の生理現象だ。夕方に降る雨を夕立とよぶように、朝方に降る雨をどうよぶ? 的状態と云えば、賢明な読者諸君にはわかっていただけるだろうか?
別にモヘナに抱きつかれていたからそうなってしまったわけではないはずだが(ちょっと自信がない)モヘナの眼前へ一部活性化した制御不能の下半身をさらしてしまおうものなら、痛烈なボディブローを喰らった上で軽蔑されるは必定である。おれは無心で生理現象がおさまるのを待った。
「あの、しのクン。まだ起きないんですか?」
モヘナがベッドから上体を起こして云った。
「いやいや、モヘナさん。目覚めてから5分はそのままの体勢で瞑想するのが日課なのだよ。こうすると一日中いい感じで集中力を高めておくことができるのだ」
……なんだそりゃ? 我ながらアホな云い草に内心あきれていたのだが、モヘナはすっかり真にうけていた。
「目覚めた時から一日の鍛錬ははじまっているのですか。しのクンはストイックですね」
おれの下半身がもう少しストイックであれば、こんな苦しまぎれの云いわけをしなくても済むのだが。
そんなことを考えている間に人知れず猛威をふるっていた朝の生理現象はおさまっていた。瞑想の勝利だ。……って、なんにもしてないけど。
モヘナが窓のカーテンを開けると、外は小雨に濡れていた。これじゃ部活の朝練も休みだ。早起きが水の泡となった。
蛇足だが、朝方の雨に夕立のような特別な呼称はない。




