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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第5章 そして夜が明けたあと、百億の怒り

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5-46 レジェンド対モーレツターボババア①




 空が加熱していく。

 選手たちを阻むのは青空を遮る雲の迷路。

 挑む者たちを惑わせる壁となるのは乱気流と浮遊する岩塊。有形無形の障害を搔い潜る技術力と、その上で速度を維持する勝負強さが試される序盤の難所だった。

 白熱する試合展開を盛り上げようと、実況のトリシューラが声を張り上げる。


「さあっ、波乱に満ちた第五階層での混戦を潜り抜け、やってきたのは最初の隣接異界、蒼空岩石群だ! 待ち受ける困難を選手たちはどうやって潜り抜けるのか!」


 ここはいにしえの『散らばった大地の時代』の残滓とされている。

 第五階層中央区では邪神の走狗と化したジュティア&ミナの探索者コンビによる反則行為と、それを鮮やかに制したリーナが展開の中心となっていたが、そこから状況は目まぐるしく移り変わる。レース展開は荒れていた。


「大変な展開になってきましたー! 蒼空岩石群コースに突入して早々に順位が激変! これまで先頭をキープしていたパーン選手を抜いて、一位に躍り出たのはまさかのダークホース・クリーナー&ダストペアだ!」


 先頭集団はリスクをとって岩塊を潜り抜けていく命がけのコースを選んだ黒衣《クリーナー》、鎧腕王《パーン》、威力竜巫女《マルガリータ》、元暴空族《ファーガスト》。やや離れた位置につけて巻き返しを図ろうとしているのは堅実に風を読んで飛翔する元空使い(ダウザール)と箒兄弟《エンハ》。序盤にもかかわらず抜きつ抜かれつの熾烈な攻防が繰り広げられており、状況が動くたびに観客たちの感情が乱れ飛ぶ。


 一方で下位グループの状況は停滞していた。

 先頭集団から大きく引き離されて、老指導者《ビルメーヤ》、現当主《リーナ》、緑天主《ロードデンドロン》、無人機《ジーゼロ》。

 まだトップが見えなくなるほどではないが、このまま行けば差は開く一方だろう。


「後方グループはやや苦戦ですか。おそらくは『丁寧な主観描写の罠』。安定した基本的飛翔法が仕上がっているタイプほど陥りやすい状態ですね」


 立体幻像窓の中でコルセスカが解説すると、隣のトリシューラが小首を傾げた。


「丁寧な主観描写の罠、ですか?」


「この蒼空岩石群ステージの厄介なポイントは『煩雑なのに単調な情報量が多いこと』です。大量の岩塊と複雑な乱気流を乗り切るのは困難を極めますが、障害の属性としては『風』と『岩』のたった二種類。主観的な描写パターンとしては飽きやすく、丁寧に逐次描写で処理しようとすると観客《どくしゃ》は退屈します」


「ああ、ロケーションはずっと同じだし、移動も上下左右を行ったり来たりだもんね」


「テキストベース・サーキットでは『描写の陳腐化』は減速に繋がります。上位陣は対策として流れを踏まえた自分語り、背景蘊蓄、あるいは『散らばった大地』にまつわる伝説を絡めた飛翔を行っていますが、ただでさえ難しい飛翔をこなしながら『思考描写』を整えるのは難しい。心身に余力がなければ飛翔だけで手一杯になってしまうでしょう」


 一歩間違えば障害物に激突してクラッシュ必至。吹き荒ぶ風を乗りこなしつつ大小さまざまな岩塊の隙間を縫うように機甲箒を動かすというだけでも相当な技術と体力が必要だ。

 神経をすり減らす操縦で集中力を削られながら『陳腐化しないように描写を工夫する』というのはとても難しい。大抵は目の前の危機に反応して回避するだけになってしまう。


「ここでロードデンドロン選手が最下位転落! 紳士なふるまいで増えたファンたちから悲鳴が上がるー!」


 若いティリビナ人の操縦技術は付け焼刃としてはそれなりのレベルに仕上がっていたが、それでも他の熟達した乗り手には及ぶべくもない。これまでは場の流れに乗ることで己の持ち味をアピールできていたが、それだけで戦うには地力が足りていないと言わざるをえなかった。


 テキストベース・サーキットは単純な実力のみで勝敗が決するわけではないが、それでも経験と操縦技術が無意味になるわけではない。

 純粋な箒乗りとしての実力は全ての土台。

 レースが長引けば長引くほど、積み上げた差が目に見えてくる。


 その観点で言えば最も安定した操縦技術を見せているのはエンハとナックスの現役プロレーサー兄弟と言えた。クロウサー分家という環境と資質、積み上げた経験、数々の実績。そしてクロウサーの本流であるダウザールやパーンとの最大の違いは、若さだった。

 新しさ、と言い換えることもできる。彼らは人が積み上げた研鑽の歴史を生まれた時から与えられ、それを足場に努力を続けてきた。


 空使いダウザールの天才性も、箒乗りパーンの革新性も、それらの偉業を大前提とした次の世代にとっては『教科書の要点』として認識、習得される。

 技術はそうして向上し、レースのレコードはそうやって更新されていく。

 ゆえに、伝説の乗り手であるダウザールやパーンよりも、そして数世代前の老選手ビルメーヤよりも、この場ではエンハとナックスが最も優れた箒乗りなのだ。


「自動運転箒のジーゼロは技術の高度さが仇になった形だよね~。あれだけハイレベルなものを作り出すには相当な開発期間を必要としたはず。この場に間に合うように競技用にチューンした機体制御プログラムを組み上げたとしても、そのタイムラグはとても大きい」


「ええ、競技シーンは日進月歩。コンマ数秒単位での最速を追求する戦術研究も呪力制御も、最前線に立ち続けなければすぐに置いていかれてしまう世界です」


 無数の風と岩が行く手を阻むこの異界に決まったコースはない。選手たちが独自の判断で最適な針路を定めて何が正解かを見極める。判断力も含めて試されるのがこのステージの要点と言える。

 

 トップのクリーナーはいつの間にやら大きく順位を落としており、現在グループを先導するのはパーン、マルガリータ、ファーガストの三人だ。

 性格を反映してか、この三人は岩塊にぶつかるギリギリのコースを攻めつつ最短距離で前へ前へと飛翔するコースを選択していた。


 だが、その状況がじわじわと変化を始めていた。

 先頭で熾烈な争いを繰り広げる三人に比べて消極的な迂回や安全策が多いかに見えたダウザールとエンハが少しずつ追い付き始めている。

 二人が加速しているわけではない。三人が減速しているのだ。


 そもそも、乱気流とは本来なら回避すべきもの。

 いかに耐久仕様の機体とはいえ、絶え間ない衝撃と振動はレースに影響をもたらす。中の選手にとってはそれ以上で、平衡感覚へのダメージが蓄積すれば最悪の場合、意識が混濁して墜落することさえあり得る。


 ゆえに、より賢明な戦略は風によるダメージを抑えること。

 荒れ狂う風、その大きな流れを先の先まで読み通すことが熟練のレーサーには可能だった。強烈な向かい風に襲われる三人を大きく迂回して、比較的穏やかな風域を縫って進むエンハが先頭に躍り出る。わずかに遅れてダウザールが続いた。


「見事なものだな。流石はエンハの名を受け継ぐ者よ」


「お褒めの言葉、痛み入ります」


 己の飛翔を観察されていること、風除けに利用されていることを理解しながらエンハは遜ってみせた。プロレーサーにとってトップ選手を風除けに使うドラフティング技術は基本中の基本。しかし物語展開においてはここに逆転現象が生じる。予選でマルガリータが行った後方からの逆転劇が好例だ。ゆえに、テキストベース・サーキットにおける位置エネルギーという点でトップのエンハは二番手以降につけているとも言える。『逆転される布石』を認識しながら不利な位置をキープする彼は呪術競技の駆け引きに誰より長けていた。

 そんな光景を横目で見送りながら、パーンが『心話』を用いて声を張り上げる。


「若造の介護はさぞ心地良いだろうな! 金魚の糞になった感想はどうだ?!」


「謙虚さもまた美徳。歳をわきまえぬ蛮勇を誇るほど恥知らずにはなれぬ」


 負け惜しみにも聞こえかねない悪罵をダウザールは涼しい顔で受け流す。

 テキストを中心にした世界では高速のレース展開の最中であっても言葉でのやり取りが当たり前のように行われる。わずか一瞬の視線の交錯が万の言葉に等しい物語のように。

 そして、状況についての解説もまた刹那の中に挿入される欄外の注釈だ。


「空間的な距離を読むか、流体である風を読むか。空使いの試練で何を試されているのかに対するそれぞれの答えがレースに表れているとも言えるでしょうね」


「そしてパーン選手とダウザール選手のあれは心の流れ、あるいはテキストの『間』かな。みんなそれぞれ読んでいるものが違う。見据えているのがどれだけ先なのかも」


 脇に置かれた魔女たちの言葉は空使い選定レースの形を既定する枠、すなわち無形であるはずのコースの幅そのものだった。

 本質的にこれは呪術戦の一種。新たな呪いが次々と選手たちに迫る。

 散らばった大地が鳴動し、変容を始めていた。


 大小さまざまな岩塊が次々に移動、接触、集合して新たな大地に変化していく。

 合体と新生。あるいは衝撃による更なる破壊と分裂。

 世界と世界が衝突を繰り返し、その上で育まれていたささやかな自然が壊れる。

 草木が千切れ、虫や鳥が血を撒き散らす。


 過酷な状況から逃れようと、生き残りをかけて無数の命が大脱出を試みる。

 翼を持つ者の足掻き。虫や鳥たち、その中でも最も生命力にあふれ、貪欲に生き残ろうとする凶暴な種が飛び交い始める。いつの間にか先頭に躍り出ていたクリーナーが悲鳴を上げて大きく回避し、次々と追い抜かれて最下位に転落していった。


 空使い選定レースの生還率が低い理由がこれだった。

 単純に過酷な長距離を進む耐久レースというだけではない。

 わずかな操縦ミスが命取りとなるコース。危険に満ちた死地を乗り越えてこそ、この試練を潜り抜けた者はクロウサー家という巨大な血族に認められるのだ。


 これまでの困難な飛翔に加え、見たこともないような異形の異界生物が飛び交う状況に、さしものプロレーサーも苦戦を強いられる。エンハはあくまでも競技者である。クロウサーの血族として最低限の自衛手段は修めているが、戦う者ではない。

 そうなると、今度は二番手集団に追いやられた三人が巻き返しを始めた。


 パーン、マルガリータ、ファーガスト。いずれも闘争に長けた実戦経験者である。

 現代ではプロ競技者の地位が向上し、観戦や広告という形で箒乗りが生活を営むことが可能になったが、古い時代には箒乗りという呼び名が示していたのは『空戦に長けた戦士』のことだった。空を飛べるという利点を誰よりも活かそうとしたがるのは軍人だからだ。


「マルガリータ選手とファーガスト選手の飛翔は現代空戦に慣れた箒乗りのものですね。探索者から競技選手に転向したファーガスト選手は『上』の皆さんにはお馴染みですが、『下』のマルガリータ選手はこちらにもあまり資料が無いんですよね」


「竜神信教の武僧衆って『上』で言えば騎士修道士みたいなものだからね。『天門の錠』あたりの空戦部隊と同じレベルの訓練を受けていてもおかしくはないよ。下手な人材を送り込んでくるわけないし、案外と空軍のエースパイロット級だったりして」


 先ほどジュティアとミナが失格となったように選手間での妨害は禁止されているが、自衛のための呪術行使は禁止されていない。二番手集団が的確に呪術を用いて迫りくる害虫の群れを焼き払い、巨大な怪鳥を撃ち落とす。

 トップのエンハもまた自衛手段として用意していた呪符を使用して襲い掛かってきた巨大な蜂に電撃を浴びせるが、威力が足りていないのか機体に取りつかれてしまった。


 獰猛に牙を剥く巨大害虫に顔を引き攣らせる男の目の前を、紫電が一閃する。

 驚いた視線の先にいたのはダウザール。エンハの真横を併走しながら片手を前に突きだした姿勢で瞑目する老人は、わずかな間を置いてかっと目を見開いた。


「食い破れ、雷の牙よ!」


 閃光が上下に並んだ牙の列となり、稲妻を纏いながら標的に食らいつく。

 他の選手とは隔絶した圧倒的な呪力が迸り、主を守る忠犬さながらに輝く牙が周囲の異形を餌にして成長、更に威力を増して索敵と排除を継続する。

 周囲の敵を排除しているだけという風を装っているが、明らかにダウザールとエンハは結託していた。だがそれも戦略のひとつではある。


 派手な呪術で外敵を散らしていく老人だが、無数の脅威が四方八方から迫ってくる状況だと全てを一掃するのは難しい。よって撃ち漏らした敵は自力で回避することになるが、どうしても小さな脅威が激突するケースが出てきてしまう。いつの間にか二人の背後に食らいついていたクリーナーは流れてきた害虫に群がられて悲鳴を上げていた。


 頑丈な機体でもバードストライクが続けば相対速度ゆえのダメージが深刻となる。

 しかしそんな状況を打開してこその高位呪術師だった。ダウザールの黄金の瞳が強く輝くと、不可視の呪力が広域に拡散していった。途端、老人の動きが飛躍的に機敏になり、全身に目がついているかのように自在に衝突を回避していく。それにつられるようにして、エンハもまた見事な回避を見せていた。


「『神経支配《インナーベイト》』の呪術ですね。生体電流の制御や自己の反応強化に用いられることが多いですが、今回は周囲に形成した電磁場による感知能力の強化に使用しているようです。ハイレベルな戦闘型の稲妻使いが使う呪術ですからダウザール選手が使えるのは当然として、どうやら近くのエンハ選手にも同様の知覚強化を付与している模様。これはちょっとどうやってるのかわからないですね。普通は無理なのですが」


「古代の空使い、全く底が見えません! 古いから時代遅れとは限らないのが呪術世界の厄介な所だ! 失伝してる秘匿神秘とかいっぱいあってずるい!」


 大呪術師は雲を創り、雨を降らせ、稲妻を落とし、虹を架け、風を統べる。迫りくる空蛇の群れを時に避け、時に指先でなぞって両断し、それも間に合わないと知ればわずかに意識を裂いて『支配』を行う。ダウザールに従う牙眼鳥が共食いを始め、編隊を組んだ膜樹が雲蟻の群れを遮る。そうして稼いだ準備時間は長い詠唱を終えるのに十分に足りていた。


「ふむ、多勢に無勢か。旗色が悪いな。だが」


 これまでで最大の岩塊の衝突。それぞれが島ほどの巨岩と山ほどの岩塊がぶつかり合い、大量の砂と岩を飛散させながら大規模な生態系の大脱出を発生させる。

 無策で挑めば死は確実。クリーナーがやってられるかと掟破りの逆走をしていくほどの破滅的な生物群の襲来。それを前にしてもダウザールは余裕を見せる。

 伝説の呪術師。天空の支配者は老いてなおその威厳を失うことはない。


「まさに赤子の手を捻るが如しよな」


 これまでで最大級の呪力が膨れ上がり、極大の閃光が老人の手の中に収束する。

 振り上げられた片手の先で解き放たれた雷撃は空高く真上へと舞い上がり、遥か上空の巨大な岩塊群を跡形もなく消滅させていった。

 一見して不可解な空振り。目の前に迫る脅威は依然としてそのまま。無関係な空を焼き焦がしただけで終わったかに思われた一撃を放ったダウザールは目を眇めて小さく笑う。


「御殿の主よ、蒼天撃ち抜けい!」


 命ずると同時、天から光の雨が降り注ぐ。

 神罰の如き天災はまさしく嵐だった。目の前にあるのが島や山であろうとも、天は下界の全てを区別せずに睥睨するのみ。光の集中豪雨は歯向かう命知らずを残らず葬り、行く手を阻む障害物を呆気なく塵に帰していく。



 それさえダウザールの本領の一端に過ぎない。

 彼はその気になれば目の前の障害全てを破壊して突き進むことすら可能な巨人だ。

 あくまでも空使いとして挑まれたからこそ基本的には競技と言う枠組みの中で相手をすることを選んでいるのだ。


 それは余裕か油断か。いずれにせよ、レースこそがダウザールに対するたったひとつの勝ち筋だった。それを理解して仕掛けたパーンもまた流れに埋没することを良しとせず、対抗するように己の牙を誇示していく。


「いちいち迎撃に手を割くのは煩わしいな。加速と排除を同時にこなすか」


 新たに『創造《クラフト》』されていく右の義腕が姿を変える。

 ガチャガチャと音を立てながら変形を繰り返して機械仕掛けの蛇のように鎌首をもたげ、雷鳴のような咆哮を響かせる。それはオルガンローデの詠唱。箒と接続した義手を通じて機体が紀竜のオーラを纏い、段階的に加速と自己強化を続けるための呪文式が組み上がっていく。しかし、この場にいるのは彼だけではない。


「堕ちろ、まがいもの」


 同質の、それでいてより強大な威力を宿した『波動』が真後ろから迫る。 

 咄嗟に機体を逸らして回避したパーンは、しかし余波を受けてバランスを崩しながら失速していく。威力竜の巫女マルガリータ・アトゥールインの殺意を込めた視線が一瞬だけパーンと交錯し、追い上げていくクリーナーに遮られる。


 意図的な妨害ではなく加速の結果としての接触未遂。故意ではなく事故として処理されれば反則にはならないが、今のはかなり危うい所を攻めていた。

 エンハとダウザールを猛追するマルガリータと対照的に大きく順位を落としていくパーン。それに釣られるようにして黒い影が減速し、立て直しを図ろうとする彼と併走する。


 謎めいた黒衣クリーナーがいつの間にかそこにいた。荒っぽい運転によってかき乱された大気に邪魔されて舌打ちするパーンを置き去りに、今度は急加速を開始した謎の男が勢いに乗ってファーガストに迫る。男の勢いは一連の流れから奇妙なほど浮いていた。


 その後、立て直したパーンがファーガストと競り合いながら猛烈な追い上げを見せ、エンハとダウザールがトップのマルガリータの勢いを利用する戦略を選び、オルガンローデを執拗に敵視する激情を利用された紀竜巫女がパーンの作り出した囮に引っかかって順位が逆転するという攻防が繰り広げられたが、その火花散るデッドヒートとは一切かかわらないまま黒衣のダークホースは着々と前に躍り出たり後ろに流れたりと不安定な飛翔を続ける。


 先頭集団で行われているのは競争であり、互いの意地を激突させる精神の闘争だ。

 誰もがゴールという先を見据えながらも、個人間で相対し、駆け引きを繰り広げ、勝負に対する姿勢や思想をぶつけ合っている。


 だが、クリーナーにはそれがない。徹底的にひとりで飛翔していた。

 彼が見ているのは競い合う相手ではない。

 更に言えば、空使い選定レースそのものでもなかった。


「今日の俺は最高にツイてる」


 彼が相対するのは世界。そして自分自身。

 そう言えば、ストイックに記録更新を目指す求道者のようにも聞こえるだろう。

 そういうタイプの箒乗りもまた存在する。ただひたすらに純粋な速さを追求し、『道』を極めんとする愚直で孤独な競技者が。

 しかし、クリーナーは違う。彼が極めるのは『未知』だ。


「ノってきたぜ、流れが来てる来てる来てる!」


 ダークホース戦略というのは未知数ゆえの神秘性を最大限に利用する方法だ。

 謎に包まれた存在というのは定番演出だが芸がないため陳腐化しきっている。

 有名な実力者はあまりこういう戦略を選ばないため、無名の実力者が選びがちである。

 しかしクリーナーの場合、利用したがっているのは明らかに『未知』という部分だ。


 彼の箒であるダストは巨大な錠前と鎖で封じられた謎めいた機体だ。未知のヴェールで覆い隠された内側がもぞもぞと蠢きながらわずかに炎を放出する。

 見え隠れするのは生体部品らしき白い翼だ。


「なにかちらっと見えましたね! 錬金術による疑似生体部品かな? それとも『生ける呪具』を組み込んでいるのでしょうか?!」


「いえ、あれはどちらかと言えば」


 はしゃいだ様子のトリシューラと対照的にコルセスカがやや複雑そうに口ごもる。

 実況と解説の二人は運営側であり、選手たちの素性について無知であるはずもない。

 どこか歯切れが悪いのは彼がダークホース戦略をとっているがゆえに公平を期しているのだろうが、それにしてもその素性には不可解な点が多い。


「大いなる槍と我が祖たるペレケテンヌル、そして偶然を司るミクニーに誓って! 俺の魂を勝利にベットしてやるぜ!」


 男の叫びが意味するのは呪術系統の開示であり、紀神への誓願である。宣名に近い効果を持つこの叫びの効果を解説すべく、コルセスカがコメントする。


「ええと、クリーナー選手は先ほどから非常に不安定な飛翔を行っていますが、これは恐らくランダム性の高い呪術を指標に針路を定めているからでしょう。私の使うゲーム系呪術にも近いのですが、彼は卜占《ぼくせん》タイプの競技者です」


 占術はおおまかに命占、相占、卜占の三種に大別できる。

 血液型占いや占星術などの生まれや宿星に基づく決定論的な運命を見通す命占、風水や観相学、姓名診断などの現環境に基づいた運気の流れを読んで開運可能な相占、そして易経など乱数により決定される占術が卜占だ。


 卜占型は遊戯、そして博打とも関連付けられる。

 競馬、競輪、競艇、そして競箒。あるいは闘犬、闘鶏、闘牛、闘奴。

 くじ引きとガチャガチャ、パチンコとスロット、サイコロ博打とルーレット。

 突き詰めると数字の変動を睨みつけるだけの単純極まりない乱数の奴隷。

 毎時星託などランダム要素に強く左右される運試しもまた占術の一種だ。


 クリーナーが操縦する大型箒・ダストの封印が一部解除されて前面装甲が露わになる。

 嘴と鶏冠をイメージした白と赤の巨大な風防と一体化したガラスの中に収められていたのはミニチュアの遊戯盤。箒レースを戯画化したような、おもちゃのからくり。

 多種多様な卜占ゲーム。その最も原始的な形態である双六《すごろく》の最新形態。


 それは男の世界観の顕れだ。

 すなわち、箒レースとは博打でありゲームである、という。

 そう、競技者ではない観戦者の多くにとって、それはひとつの真理だった。

 誰もがその瞬間に理解した。クリーナーは競技者ではなく、博徒なのだ。


 スロット競箒は賭場や遊興場における定番の卜占遊戯として知られている。

 恐らく、たったいまレースのトップに躍り出たクリーナーはこの卜占型に特化したタイプの占術士なのだろう。レースという真剣勝負それ自体を博打に見立てることで、持ち前の恐るべき豪運のみで瞬間的な優位を成立させている。


 卜占の最大の特徴は極短期の運気を占うことに特化していること。

 どんな星の下に生まれたかを探ることで人生そのものに対する助言を行ったり、家具の配置から土地や住宅における運気や精霊の偏りを微調整して中長期にわたる環境を改善するのとは決定的に異なる。


 右に曲がるか左に曲がるか。伸るか反るか。

 極論すればそのレベルでの是非を判断するのが卜占である。

 隠蔽呪術の施された黒衣の内側で興奮した男はレース展開と連動した博打に熱中していた。己の資産を賭けて無数の岩塊を躱せるかどうか、短期間で何人連続で追い抜けるか、そういった賭けを成立させて動画で配信、視聴者に利益を分配する形で支持を獲得。


 箒レースの裏で非合法な賭博や八百長、妨害工作などを行おうと暗躍する組織などを大胆に取り込んで一大勢力を形成し、数多の不正な支援を受けながら巨額の金が動くのと連動してレースの順位をかき乱す。台風の目となったクリーナーに歓声とブーイングが降り注ぐ。


「引っ込めレース荒らすな」「パチンカス呪術師は死ね」「レースしながら酒飲んでんじゃねえぞカス」「ミクニーの神託を冒涜するな」「あいつ運営側で違法賭博の運気コントロールしてねえか?」「暗殺が全部失敗しやがる、歓声と支持者も仕込みだなこりゃ」


 予想できない動きを繰り返すクリーナーの未来は誰にも予測不可能だ。

 順位の推移を含めた大きな流れを読んで駆け引きを繰り広げる上位陣にとってこれほど目障りな存在もないが、本人の技量はさしたる脅威とは呼べるほどでもない。

 エンハのような実力者にとって対処に困る相手と言えた。


「周囲との競争ではなく個人的な博打に興じる。これはアリです。単調なステージであるからこそ、別ゲー持ち込んでそっちに注目させるという戦略は有効にはたらく。過去のデータでは『ロマン』や『こだわり』を重んじて順位など二の次だと言い放った選手が好成績を残したケースもあります。『そういうポジション』を確立できるかもしれません」


 コルセスカの解説を聞いた観客たちの中でクリーナーという存在に対する評価は真っ二つに分かれた。選手たちにとってもそれは同じ。無視と対策。予測不能な乱数を前に、それぞれの姿勢が問われていた。一方、荒れた展開を見せる先頭集団から置き去りにされる形で、後方集団は流れに乗れずにいた。


 序盤の不調が続くジーゼロ、操縦技術の未熟さが露呈したロードデンドロン、そして難しいコースへの対処で余裕が無いリーナとそのすぐ前を行くビルメーヤ。

 老いた選手は荒れ狂う風の中でも冷静さを保ちながら計器から目を離さずに丁寧な操縦で危機を無難にやり過ごしているが、寄る年波には勝てないのか絶え間ない衝撃と加速に応じた加重により息を荒げていた。見るからに体力的な限界が近い。


「リーナさん。焦っても急にできることが増えたりはしませんよ」


 それでも老婆の瞳は穏やかな水面のように凪いでいる。

 すぐ後ろで次に進むべき道を探すリーナの目が忙しなく揺れているのとは対照的だった。ビルメーヤは迷わない。先頭集団のように最短や最速を求めてリスクを取るのではなく、どうすれば衰えた自分が走り続けられるのかを考え抜いて最善を選んでいく。


「自分が進むべき道を見つけることは難しい。突き詰めればそれは己の中にある選択肢との対話に行き着く。できないことはできないのです。限界の壁を破る蛮行は、日々の絶えざる修練が実を結ぶからこそ一見して奇跡のような光景に繋がる。怒りや焦りといった激情が、意思と選択に結び付いて初めて意味を持つように。戦略なき無謀は無意味です」


 老いた元選手、そして経験豊富な指導者の言葉はどこまでも正しく、だからこそ若く余裕のないリーナにはもどかしく響いた。

 それを理解していながらも、老女は穏やかに語り続ける。


「この世界では遅い者の姿は無様に映ります。時代遅れの骨董品も、経験の浅い若者もそれは同じ。けれどよくご覧なさい、リーナさん。先を往く者たちのあの浅ましさを」


 穏やかで上品な老婦人といった風貌のビルメーヤから放たれる辛辣な言葉は字面以上の厳しさを宿していたが、瞳の奥にある感情はそれ以上に苛烈だ。

 軽蔑を通り越した憤り。

 ビルメーヤは、目の前の全てを嘆いている。


「まったく、最近の若者ときたら! みっともないったらありゃしない。よおく考えてごらんなさい。あの血なまぐさい呪いのやり取りが貴方の求める自由な道ですか? あなたの空はそのようなものだったのでしょうか?」


「先生? それって」


「あれもまた彼らの道ではあるのでしょう。しかし貴方や私の道ではない。リーナさん、己が進むべき道を見定めなさい。結局のところ、箒乗りにできることはそれだけです」


 操縦桿を握る老婆の細い手は震えている。

 疲労と苦痛が衰えた肉体に限界を伝えているのだ。

 彼女はダウザールのような巨人ではない。高位呪術師でもなければ肉体的な限界や老いに抗うことは不可能だ。レース序盤のこの時点で彼女の脱落は確定的に思われた。

 それでも、ビルメーヤの表情にあるのは確信だ。

 自分はまだ飛べるという、箒乗りに最も必要な意思がその瞳に宿っている。


「今から、それを教えて差し上げましょう。私の魂をかけて、最後の授業を始めます」





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― 新着の感想 ―
[一言] まじで色んな呪術師いますね…
[一言] 継続しての更新、ありがとうございます! 空使いレース、白熱してきていますね! これまであまり注目されていなかった選手たちも、次々と頭角を表してきていて、面白いです この個性豊かな面々は、果…
[良い点] 順位が描写されるたびに驚きと納得があり、解説が楽しい。ふらふら映るクリーナーのこと何だろうと気になったとこの正体がなるほど。 ビルメーヤさんが最後にめっちゃ加速しだしたな…
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