5-41 名無しの王の行方
戦いは激化の一途を辿っていた。
迫りくる過激派ティリビナ人組織、マナタル勇者戦団。
防戦一方のアルテミシアと逃げ惑うキノコ人の少年『掃除屋』。
そして身柄を狙われたマレブランケの一員カルカブリーナ。
現れた増援は同じくマレブランケの筆頭であるマラコーダ、立ち位置の不確かな塔の魔女イツノ、アズーリア隊に所属するアヴロノ・ローザとティリビナ人のガザとアデンだった。
蠍尾から放たれる呪毒が盾の防護を蝕み、義肢から放たれる激流が屈強なティリビナ戦士を押し流す。アヴロノの蜂型魔弾による制圧射撃が敵集団の移動を妨げ、地上側についたティリビナ人たちがマナタル勇者戦団の説得を試みる。
「こんなことをしても我々の立場が悪くなるばかりだとなぜわからない! 矛を収めろ、地上にも話し合える者はいる!」
「この祝祭は絶好の機会なんだ、ぶち壊しにする気か?!」
同種族の懸命な訴えに対し、襲撃者たちは真っ向から呪詛を吐いた。
「ああ、その通りだ。お前たちのような腰抜けに目覚めの機会を与えるためにな! この闘争を狼煙がわりに、世界中に我らの意思を示す時だ!」
呪文の座との同盟関係や世界槍における先住権問題を踏まえれば、ティリビナ人の過激派勢力が襲撃事件を起こしたという事実はハルベルトやプリエステラが主導する融和の未来を破綻させかねない。『一部が暴走しただけ』という切断処理で全てを丸く収めるのは困難だし、地上の聖絶派はここぞとばかりにティリビナ人への弾圧を強めるだろう。
マナタル勇者戦団の瞳に宿るのは揺るぎない戦意と憎悪。
『倒すべき敵』が明確であれば、彼らの聖戦はより確かな根拠によって支えられる。
弾圧に反抗するための大義に間違いはない。
しかし穏健派の台頭によって風向きが変わりつつある現在の地上では、プリエステラを旗印に集い融和と共存を主張する『弱腰の裏切り者』たちが次々と懐柔されてしまっている。
だからこそ、強硬派には勢いが必要だった。
あえて敵を挑発し、弾圧をエスカレートさせることで共存などと言う寝言を口にする者たちを巻き込み、全てのティリビナ人たちが決起せざるを得ない状況にする。
マナタル勇者戦団の思想は、同胞たちの被害さえ厭わない過激なものだった。
「お前たちのような惰弱な裏切り者は存在してはならない。このような分断工作を強いた卑劣なプリエステラ、槍神に媚びる淫らがましい腐れ子房を必ずや排除すべきだ!」
過激派と穏健派の間に横たわる溝の深さは埋めようがなく、対話による解決は不可能に思われた。仮にそんなことができるとすれば、それは魔法のような奇跡の使い手だけだろう。
そして、希望を歌うハルベルトの身体はひとつしかない。
「めんどくさー。てかこーいうわからずやさんたち、ぶっ殺すしかなくないですか?」
そして、『侵攻の外側』を排除しようとするのはティリビナ人だけの特性ではなかった。
救援に訪れていたアズーリア隊の新人ローザがうんざりしたように吐き捨てる。かろうじて維持していた忍耐を放棄して、少女はその瞳を爛々と輝かせた。
薔薇の髪飾りと修道服の茨と鎖が共鳴するように振動し、妖しい光を纏う。
「導かれるのは正しい者だけ! 私の『灯台庭園』は真理を証明する!」
浄界の構築と同時に『不快な者は皆殺し』という意思の込められた眼光がマナタル勇者戦団の構成員全てを捕捉していた。
病院別棟のエントランス付近の領域が歪む。壁面が溶けて消えたかと思うと床面が波打ち、天井は星ひとつない真っ黒な夜空に変容していく。
そこはトピアリーガーデン、あるいは芝生迷路と呼ばれる形式の庭園に似ていた。
樹木を刈り込んで動物や模様を象り、それらを集合させることで迷路を組み上げる。
術者であるローザの卓越した空間操作能力によって、囚われた過激派ティリビナ人たちは強制的に分断されていた。散り散りになってしまった彼らは、周囲のトピアリーから獰猛な敵意を向けられていることに気付く。
庭園内のトピアリーは全てかりそめの命を与えられた使い魔だ。
加えて、絶えず姿を変える迷路は決して脱出を許さない。
そこは誰もが正しき道を見失う果ての無い迷路。
無限庭園の主である術者は光を放つ灯台を背に囚われの犠牲者たちを睥睨し、絶対の殺意を持って巨大な剪定鋏を担ぎ上げる。
「ここまで辿り着けた人にだけ、死と脱出のチャンスをあげますね。いつまでもグダグダやってるお馬鹿さんは、空間ごとねじって首ちょんぱ! って、あれ? なにこれ」
剥き出しの殺意が急に雲散霧消し、ローザは戦闘中にもかかわらず巨大な鋏を地面に突き刺して端末を取り出す。少女が晒した隙を逃さず、迷路を飛び越えて上空から襲い掛かる者がいた。追い縋る茨を引き千切り、不正者を咎める毒蜂を全身に振りかけた霊薬で跳ねのける巨体が豪快に着地。二刀を振り回すティリビナ人たちのリーダー、ヒュレーである。
「簡単に仲間はやらせねえよ!」
背後の植え込みを切り裂きながら盲目の剣士クレイが不可視の斬撃を伝播させようとしているが、大半の肉体言語魔術は背を向けた相手には効果が減衰する。それでも気迫と発声で強化された斬撃が樹皮肌を浅く切り裂いた。だがヒュレーは構わずローザに大剣を振り下ろす。轟音。堅く重い生命樹は少女を叩き潰す直前で静止していた。
ガザとアデンがすんでの所で割って入り、ヒュレーの攻撃を止めたのだ。
ローザはそちらを全く見ておらず、呑気に端末を眺めている。その様子に呆れながらもアズーリア隊のティリビナ人たちは息を合わせてヒュレーの剛剣を押し返した。
追い付いたクレイが参戦し、ヒュレーは低い体勢で流れるように距離をとる。
「おいローザ、なにしてる?! 戦闘中だぞ!」
「んー、ちょっと待っててー。あとでね」
穏健派ティリビナ人が地面に武器を叩きつけると、草木が急速に生い茂りヒュレーを追いかける。巨漢はクレイの追撃を腰を落としたままの姿勢で躱し、束縛しようと迫る蔦を平然と切り裂いて見せた。その動きには全く淀みがない。
「葉針派の呪剣士か。そこの君、あいつはまだ強烈な『陽閃』という切り札を隠している。それと滑るような歩法は『根潜り』だ。浮かせるか、岩などの障害物で床を作れば妨害できるはず」
味方となった穏健派ティリビナ人の情報で、同族の神秘がわずかに解き明かされていく。クレイとアズーリア隊の間に即席の連携が成立しつつあった。
その様子を冷静に観察していたヒュレーは、目の前の四人を険しい表情で睨みつけながら意を決したように息を深く吸った。
「思ったより強い。ならまあ、やるしかねえか」
巨漢の眼前で火花が散った。それは眼光が意思に呼応して現実を変容させる予兆。
象られた意思は具象化し、回転する木製のコインとなる。
円盤に刻まれたティリビナの秘文字。その意味は『基礎』。
「召喚」
左右の大剣が緑色の燐光に包まれ、巨漢の周囲で環のように草木が繁茂していく。
詠唱は厳かに。吹き上がる呪力が空間を揺るがし、大規模な次元の亀裂を生み出した。
「麗しき九祖、獣背界の天鯨母ハース・ベル・ガニヤよ。大いなる根の子が伏して願い奉る。古き盟約に従い、侵略者に正しき裁きを与」
「はいそこまで。召喚獣を出した瞬間、呪毒があなたの同胞を駆け巡るわよ」
高密度の呪力障壁をいつの間に掻い潜ったのか、蠍の尾がヒュレーの首筋に突きつけられていた。共同体レベルで波及していく族誅呪毒を操る中性的な麗人マラコーダの口調は軽やかだったが、その目は虫のように感情を映していない。
「わたしにーさまになりたいの? ならその資格があるかどうか試すために殺す。わたしにーさまになれたら相克するアニムスとして殺す。やっぱりやめるって言ってもわたしにーさまへの冒涜だから殺す。さいきんわたしにーさまが構ってくれないから殺す」
長い黒髪、着崩した着物風ジャケット、黒銀と流水の義肢。イツノと呼ばれるよくわからない立ち位置の異物がぼんやりとした表情でヒュレーをじっと見つめている。
ヒュレーの顔が引き攣る。見た目は美少女アキラだが『第五階層で絶対に関わってはいけない人物ランキング』で上位三名に毎回入っている異常者だと知っていたのだろう。
「おいおいマジかよ。知らねえぞこの流れ。王子様が視えねえから俺の担当になったってのに、視えねえ奴を重ねるとか悪質だろ」
ヒュレーはマラコーダとイツノを交互に見ながら愚痴るように零した。
戦力差を考えればここからの逆転はない。
二振りの大剣を地面に突き立て、両手を放して無抵抗のアピール。
既に戦意はないと見て、ガザとアデンがローザに浄界の解除を要請する。
ローザの浄界は過激派のティリビナ人たちを束縛する蔦や茨、動くトピアリーなどを除いて消失していったが、続く彼女の言葉が周囲の者を困惑させた。
「あー、はいはい。いいですよ。それと話が変わるんですけど、なんか変なメッセージが来てて。みんな忙しそうだったから、話こっちで進めちゃいました。別にいいですよね?」
いったい、何の話をしているのか。
周囲が問いただそうとしたその時、声が割って入った。
「ガロアンディアン行政局よりお知らせです」
ちびシューラの仕業だろうか、病院内への全体放送だ。
しかしマイクを握っているのは恐らく別人。
だが問題は声の主が誰かではない。その発言内容の方だった。
「たったいま、マレブランケのメンバーであるファルファレロとカルカブリーナ及びこちらで保護している名無しの王を祝祭で行われるオークションに出品することが決定しました」
しばし、誰もがその意味を理解できなかった。
あまりにも異常な声明だ。それは隠し病院どころかガロアンディアン全域に響く優先度最大のメッセージだった。これにより、事態の隠蔽という大前提が失われたのだ。
口元の端末に声を吹き込みながら、エレクトラは気持ちを落ち着けるために短く息を吸った。大丈夫だ、メートリアンとちびシューラの準備は完了している。
あとはここからどこまでそれらしさを装えるかに全てがかかっていた。
なにしろこの即席の作戦は、全てがはったりで構成されている。
転生者たちに与えられたチートスキルのひとつ、『リアルマネートレード』。
エレクトラは『生前』の固有呪術が反映されたため、あらかじめそのスキルを保有している状態で転生していた。未来を掌握するティリビナ人に対抗するため、エレクトラが選んだ起死回生の策。それがこのスキルの使用であった。
「いやいやいや! 僕そんなの聞いてないんですけどぉ?! 勝手に売買しないでくださいよ! 僕の身体は端から端まで愛しのセージさんのものなんですが?!」
「ぐだぐだうるせーし! チェックシャツばっか着てるクソオタに人権はねーんだよ!」
「人権は自然権ですが?!」
病院内の各所では騒がしく喚く少年や「嘘だろ」と呆然とするばかりの青年が確認されていたが、エレクトラは見ないふりをした。
『どうせ奪われるならその前に誰かの手に渡してしまえ』という乱暴な発想だが、これだけでは暴力の矛先が変わるだけだ。よって、誰に売るかが重要となる。
「この公開オークションは祝祭のイベントの一環として行われます。『上』からはクロウサー家や槍神教の高位神官、北辺帝国の大貴族といった数々の富豪が参加を希望しており、『下』からも名門であるディスケイム家や虹国の大賢者、洞窟国の王家と錚々たる面々が名乗りをあげております」
既にこの知らせは世界中を駆け巡っており、クロウサー家とはじめとする勢力との間に話はついている。この状況で『目玉商品』を奪取してしまえば、それはガロアンディアンからの強奪という話では済まなくなるだろう。
最後の手段ではあるが、自暴自棄というわけでもない。
何故なら、クロウサー家の力をある程度まで当てにできるからだ。
リーナやメートリアンの血族内での影響力はまだ小さなものだが、決して皆無ではない。極めて規模が大きいため、穏健派や革新派もかなりの数がいる。そういった層との繋がりを維持しているのは主にミルーニャ=メートリアンなのだ。
この告知は言外にこのようなメッセージを伝えている。
最も重要な名無しの王を勝ち取る可能性があるうちに、ここで貴重な手駒を玉砕覚悟で失ってもいいのか。合法的な競争を拒否して正面からクロウサー家を始めとした世界中の巨大勢力を敵に回す選択をするつもりなのか、と。スーリウムが自分の駒の価値を高く見積もっているなら、最低でも駒をただ失うことは避けたいはずだ。
「そんな茶番に付き合う必要があるのか? この場で皆殺しにして奪えばいい」
こんなことを言っているが、ヒュレーも実際にはわかっているはずだ。
そうするわけにはいかなくなったのだと。
ティリビナ人勢力は精鋭揃いな上に未来を見通せるスーリウムに率いられている。
反則じみた陣営ではあるが、無敵ではないし勢力規模としてはごく小さい。
『上』の全土に影響力を有するクロウサーや、『下』に浸透しているディスケイム、さらに弱体化したとはいえ北辺帝国のアヴロノたちを統べるリーヴァリオンとは比べるべくもない。ティリビナ人たちの強さは局地的な勝利を重ねられるがゆえの短期的なものだ。
売買が成立した後ならスーリウムは『購入した勢力に勝つ未来』を見据えて強硬手段を採るかもしれない。だが現時点でオークションを台無しにすれば、全ての勢力を同時に敵に回す可能性がある。いかに未来を見通せると言っても、現実的な対処限界は存在するのだ。
更に言えばロードデンドロンのイメージ戦略にせよ、マレブランケ過半数獲得による都市の掌握にせよ、ある意味では迂遠な手段と言える。スーリウムの構想は表向きの『正しさ』を維持した状態でティリビナ人の国家を認めさせることのはず。暴力や不正に手を染めるとしてもそれはあくまで露見しないことが前提だ。エレクトラはマナタル勇者戦団の方針がティリビナ同胞団の動きとずれている事実をあえて無視して判断した。
過激派集団と穏健派集団。これは『ふり』だ。おそらく、どちらも。
「隠蔽ができない相手から暴力で奪えばそれは露見する。たとえばそう、ティリビナ人の凋落を望む反抗勢力。キノコ人奴隷にシダ帝国の残党、聖絶推進派の黒檀の民、そしてその裏で糸を引く、とっても影響力の大きなお年寄りたちとかね」
マラコーダのような他のマレブランケメンバーを別の勢力に売ることだってできるのだと説明しつつ、スーリウムが簡単に無視できない勢力の関与を匂わせる。
ローザ・パルサが実際にリーヴァリオンであるかどうかはこのさい問題にはならない。
いや、実際にそうだった場合は色々な問題が生じてくるが、今はティリビナ人たちにその可能性が高いと思わせるだけで十分だ。
「何か勘違いしてねえか? 俺たちマナタル勇者戦団に裏はねえ。ここで玉砕したって本望ってのが俺らの総意よ。こっから気合入れて暴れてもいいんだぜ?」
「見え透いた嘘。いざって時はそういう切断処理もできるってだけでしょ? 失う必要がないタイミングで失えるほど、アルラウネ断章は安くない」
賭けに近いが、推測は恐らく当たっている。
モーリュが使役する召喚獣はあまりにも強大に過ぎた。
いくらスーリウムが未来を見通し、最も効果的なポイントに駒を配置できるのだとしても、個々の質が高すぎる。彼らもまた特別な人材であると考えた方が良い。
圧倒的な数の同時召喚を行えるロードデンドロンほどではないにせよ、このレベルの召喚士を多数擁しているという事実がスーリウムの陣営の強みだ。簡単に失えるはずもない。
少なくとも、クロウサーやリーヴァリオン、ディスケイムをまとめて相手にするような状況は避けたいはずだ。
ヒュレーは形ばかりの戦意を見せているが、それもポーズだけだろう。
あくまでもティリビナ同胞団とはスタンスの異なる過激派組織・マナタル勇者戦団はこのように立ち回る、という役割に忠実に動いているだけだ。
その背後で全てを操るスーリウムの意に反してまで強硬手段には出ないだろう。
病院内の各所で交戦していた者たちが武器を下ろしていく。
そのタイミングを見計らって、ちびシューラが声を張り上げた。
「さて、今回『転活体験アプリ・ウィズメモリーbeta』のリリース記念として突発的に行われた闘技イベントに参加していただいたティリビナ人の皆様! 今回のイベントでガロアンディアンのゲームマスター相手に大健闘したことを称えて、祝祭期間中に行われている様々なトーナメントやリーグ戦形式の闘技イベントへの参加権を進呈いたします!」
ここからはガロアンディアンの手番だ。
お得意の現実のゲーム化、深刻の茶番化。
病院を襲撃するという凶行に走ったティリビナ人たちを捕縛も処罰もせず、『荒っぽいイベントに参加した、民族的な主張を掲げるティリビナ人のデモ隊』として位置付けることで、その存在を公認して祝祭の内側に取り込んだのだ。
「皆様の熱い信念と主義主張、我々としましても深く胸に迫るものがございました。このガロアンディアンはサイバーカラテを土台とする闘技の国でもあります。その有り余った力をぜひとも大会で示し、皆様の存在を世間に知らしめてください!」
テロリストであるという暴力性をまるごと『過激な闘技形式のひとつ』に置き換える。
それでティリビナ人との間に存在する数多くの問題が解決するわけではない。
だが、祝祭が破綻していないように見せかけることはできる。
そして、今はそうやって取り繕うことが最も優先されるべきことだった。
事後処理に奔走していたちびシューラがへとへとになって空中で倒れ込む。
「ふいー、ひとまずこれでおしまい。モーリュ及びサンデリアーナを名乗っていたティリビナ人は撤退。追跡してるけど、ティリビナ同胞団と合流する素振りはないね。あくまでも別組織っていう体裁は守り通すっぽい。あとは探索者部隊の歴史改変についても処理したよー。緊急凍結処理が間に合ってよかった。襲撃事件はひとまず解決かなー」
その場しのぎでしかないが、一時的に戦闘は休止されたと見ていいだろう。
エレクトラとメートリアンは揃って息を吐いた。
奇妙な違和感がある。上手く行き過ぎてはいないだろうか。
というより、本当にたったこれだけの対策でスーリウムが手を引くだろうか。
他の来訪者勢力を利するような作戦に機械女王があっさりと賛同したこともひっかかる。彼女の思惑がいまひとつわからないままだ。
それだけクロウサー家を信用しているということなのか。
あるいは、そもそも機械女王は既に他の来訪者勢力と繋がりを持っている?
「問題は、本当にマレブランケが他の陣営に渡ってしまったらどうするのかだけど」
「まあいいんじゃないですか? どの道、こんな不安定な勢力が単独で維持できるわけもないでしょうし。バランスは考えるとしても、シナモリアキラの議席を他の勢力に売りつけるっていうのは意外とありかもしれません」
「まあね。いざとなれば始末して首を挿げ替えるって手段もあるし」
「ちょっと、人道とかどうなってんですか」
「冗談。いざとなったらラベル張り替えてどっかに逃がす。機械女王なら整形とか転生とかやりようはあるでしょ」
エレクトラとメートリアンは脳内で話し合いながら今後の方針をまとめていく。ひとまず解決と言っていい襲撃事件から思考を切り替える必要があった。選定レースはまだまだこれから、救世主を巡る争いは序盤の小競り合いでしかない。
呪文の座や身体の共有者との関係性も含めて考えるべきことは多い。
この病院、頭痛薬とかは置いてあるだろうかと本気で考えていると、不意に緊急事態を知らせるメッセージが端末に届いた。ちびシューラがペーパーナイフで開封してくれた便箋を見たエレクトラとメートリアン、双方の眉間に皺が寄る。
「マレブランケのチリアットから連絡。『病院の正面エントランスに新たな侵入者あり、現在交戦中。至急増援を求む』ってまたですか? 今度は誰?」
「えーっとね、なんか『ジャッフハリムの魔将ユディーア』って宣名してるみたいだね」
エレクトラはそう言いながら『笑った方がいいのかな』と考えてやめた。
脳内で絶対零度の視線を放っている同居人が怖かったからだ。
「あたしはここにいる。ってことはスーリウムの目から逃れるための偽装に使った宣名銀貨と偽の死体を使い魔化されたのかな。そんなに大した脅威じゃないとは思うけど」
そこまで言ってから首を傾げる。
『ユディーア』を使うとすればそれはスーリウムたちだろう。
しかしティリビナ人の襲撃は中断させているのだから、わざわざ『ユディーア』を別にけしかける必要があるとは思えない。可能性としては自動で突撃させていたので既に制御不可能だとか、ある程度の自律意思を与えているとか、単純に仲間割れを狙っているとかだが、どれもいまいちぴんと来ない。今さら『下』への工作をするのも妙な話だ。
「そうはいってもあなたの不始末でしょう。さっさと行って片付けますよ」
「はーい」
ゆるく答えてのんびり歩き出す。
いちおう戦闘にはなるだろうが、そこまでの緊張感はない。
「だって偽物だし、この病院での戦いはおおむね決着したし。ここから大変なことになったりはしないでしょ、流石に?」
それよりも、キニスには気になって仕方のないことがあった。
自分たちが守るはずだった事態の中心について。
結局、名無しの王はどこにいってしまったのだろう。
事後処理、怪我人の治療、散らばった瓦礫の撤去。やることが多すぎて慌ただしく周囲を行き交うドローンに隠れるように、一人の少女が不審な動きをしていた。下半身が蛇になっている石化邪視の使い手アルテミシアは、こそこそと移動しながら物陰に隠れた。身を屈ませると、水中に飛び込むようにして地面に頭を突っ込む。
硬質なはずの大地が水面のように揺らぎ、溶けた。
トロルの高位呪術師が使う地中への『潜行』だ。
それをじっと見ていたキノコ人の少年が、慌てた様子でクレイに駆け寄る。
「追いかけましょう、クレイさん! 僕、中が透けて視えたんです! アルテミシアさんのアストラル体に、あの時のトロルが入ってた!」
「何だと?」
事態は収束しつつあるように見えた。
だが、本当にこれだけの誤魔化しで全てが終わるだろうか?
病院内での激戦を、少し離れた地点で観察していたクナータ・ノーグは、静かに目を閉じて回想を始めた。これから起きる未来の光景。その記憶を掬い出すように。
「おいおい、『悪のティリビナ人』が日和ってんじゃねえか。名無しの王どころかザコも手に入ってねえ。せめて『正義のティリビナ人』が来るまで持ちこたえろよ、俺らとの友情はどうなってんだよ馬鹿の計画かよ。三下のナンパ師でもこれより上手くやるぜ?」
周囲を固めていた黒檀の民たちのリーダーアサブが呆れたように言うと、聖女の騎士を気取るアルティウスが庇うように前に進み出る、よりも先に屈強な虎男クヘーバが吼えた。
「にゃにゃ、てめえクナータ様に文句つけようってのか、にゃあん? かわいいにゃんが相手になるにゃんぞ! おら来いや、ぶっ殺してやるにゃん、ゴルァ!」
異常な口調と剣幕で捲し立てるクヘーバ。彼は少女の前で腹を晒しながらくねらせ、喉をごろごろ鳴らすという成人男性としてやってはいけない姿勢で周囲を威圧していた。
アルティウスとアサブは気味悪そうに一歩退く。恫喝に屈したのだ。
瞑目していたクナータはそれらの騒ぎを無視して複数の陣営からもたらされる『心話』に耳を傾ける。状況は完全にティリビナ人勢力が劣勢に陥っている。
本来のスーリウムであればこの状況であっても引くことはない。
彼は大神院もクロウサーも恐れていないし、リーヴァリオンは相手にさえしていない。 ディスケイムの長老ノゴルオゴルオに対してそうしたように、来訪者たちを全て敵に回しても臆せずに相対できる。あの超越者の精神性は既に怪物の域にある。
だが、今のスーリウムは狂気の淵すれすれの蛮勇を失っている。
それどころか、慎重さとは名ばかりの臆病風に吹かれてしまってさえいた。
選定レースを中心とした流れをクロウサーが掌握しているから? 違う。
彼に感知不能な地下の領域でディスケイムが策動しているから? 違う。
先を見切っているリーヴァリオンから手痛い反撃を受けたから? 違う。
「ありえない。吸い殺したはずだ。確実に消滅させた。いや、そういう問題ではない。あれはこの世界に存在してはいけないものだ。なぜ、なぜなぜなぜなぜ」
動揺。混乱。激怒。それを上回る、恐怖。
スーリウムはいま、恐れている。
何を? とある戦場に暗がりから現れ、エレクトラを救った一人の男を。
つい先日、圧倒的な力を見せつけた上で殺したはずの相手が生きていたという事実。
たったそれだけのことがスーリウムの心を千々に引き裂いていた。
「影と夜に潜む鬼の眷属だと?! 殺した時には片鱗も見せていなかったはずだ! なぜ今になって?! 根絶やしにしたはずだ。母上が完璧に切除して上書きした! あれはもはや棄てられた矛盾史だ、我らの正史にあってはならない。あの種族が存在するこの時間枝は剪定されるべきだ。だというのに、なぜ奴は根から引き剥がせない形で存在している?!」
先ほどからスーリウムは配下への指示も忘れて一心不乱に何かを試している。
クナータには分かる。彼は時間の流れを改変しようとしていた。
エレクトラを助けに入ったカーイン。
彼が存在するという流れを否定し、更にはその来歴を歪めようと並行矛盾史を構築し続けているが、結果として全て失敗に終わっていた。
「まずい、まずいまずいまずい、奴だけは否定しなければ、カーインの血統が、父上から受け継いだ私という存在の根幹が揺らいでしまう。くそ、悪鬼め! 選定レースでの動きはロードデンドロンとエリカに任せた。私は今からあの男を抹消しに向かう!」
「お待ちください、あの場には友好関係を築いているハルベルトがいますし、我らとは別勢力として動いているモーリュとの繋がりを気取られる恐れが」
動揺するスーリウムに対して諫言を行ったのは涼やかな女の声。
エリカと呼ばれているティリビナ同胞団の中核メンバーだ。クナータも何度か通信ごしに会話をしている。冷静な人物でスーリウムからも信頼を置かれているが、今の彼は落ち着いて耳を貸せる状況になかった。
「そのような些事を気にしている場合ではない! いざとなればプレア=エステラは強引に拉致すれば済む話だ。とにかく何としてもあの『悪鬼』を滅ぼさねば!」
「スーリウム様。魔竜事件の記録によれば、あのロウ・カーインを名乗る人物は分身が可能とのこと。そしてアルト・イヴニルを追撃していた者たちが、別々の場所でよく似た風体の男を目撃しております。ここで仕掛けても敵を滅ぼせる保証はなく、逆に誘い出しの恐れがあります。どうかご再考を」
そこまで言われてようやく落ち着いたらしいスーリウムは不機嫌そうに黙りこくってしまった。未来の可能性を見渡して策を練っているのだろう。
そして、クナータは耳にした言葉を反芻するように口の中で確かめた。
スーリウムが敵視し、同時に恐れている、正体不明の何か。
「ロウ・カーイン」
クナータの瞳が、十字の光を宿して強く輝いた。
上下と左右。他者と自己。未来と過去。
それらが交わる一点、それが意味するのは、万人にとっての唯一無二。
すなわち、『いま、ここ』である。




