5-38 アルト・イヴニルと五人の騎士①
散らばった大地の時代は、大いなる空の時代とも呼ばれていた。
どこまでも広がる大空と、そこに浮かぶ幾つもの大地。
かつてガロアンディアンに存在し、いま第五階層の隣接異界のひとつとして蘇った蒼空岩石群はそんな古い時代のルールが何故か更新されないまま残ってしまった地帯だ。
広大な空間と吹き荒れる風を切り裂いて飛翔する箒乗りたち。
熾烈なレースを俯瞰可能な程度の上空に、彼はゆっくりと降り立った。
否、厳密に言えば『彼らは』というべきだろう。
それは、個でありながら複数形で語るべき存在であったから。
人形。着せ替え遊びのように、仰々しい王の装いで飾り立てられた紫紅のシルエットは、備わった美しさを雲海に誇示するように堂々と歩みを進めていく。
次元移動のために存在する『泡』を経由して浮遊する岩塊に降り立ったのはひとり。
だが、しばらくすると別の岩塊に全く同じ姿の人形が現れ、更に別の岩塊でも同様の光景が見られた。たとえここが空の世界だとしても、散らばった大地の全てが己の所有物だと主張するかのように。
現れたアルト・イヴニルの総数は百に及んだ。
偽物などではない。量産であり、『軍勢』と呼ばれる使い魔の奥義である。
彼らは正真正銘、紫の天主を自認する第六階層の掌握者だ。
「個我の分割によって気配を薄め、隠形を成し遂げる。言うは易しですが、本当に実行されるとは。人形師の叡智には驚かされるばかりです。それとも、この程度では己の個我を揺るがすことはできないという自信のあらわれですかな」
吹きすさぶ風が唐突に凪いだかと思うと、新たな人影が遥かな上空から現れる。
まるでその男がいる空間だけ、暴風が避けていくかのように。
目じりの下がった柔和な顔つきと、両手を腰の後ろに回した不動の立ち姿は穏やかな雰囲気を纏っているが、浮かべている笑みはどこか張り付いた仮面のようだ。
細身の肉体に張り付くような素材の青い服は少し滑らか過ぎて人工物らしさに乏しい。
変身の下手な異種族が慣れない霊長類体を取り繕っているのが明らかで、アルト・イヴニルは目を細めて吐き捨てた。
「無理にこちらの流儀に合わせる必要はないと言ったぞ、クオア。蒼空騎士団の準備は整っているな? すぐに動いてもらう必要がある」
アレッテ・イヴニルはアルト王の名前と地位を簒奪し、融血呪によってマラード王の存在を己の中に取り込んだ。その結果として手に入れた戦力がガロアンディアンの五人の騎士だ。かつて中原にその名を轟かせた五大騎士団は、第五階層の隣接異界に展開していた。
全ては祝祭の結実に乗じて救世主を手に入れるため。
まだ時期ではないとして待機を命じられていたクオアと蒼空騎士団の前に、全体の一部とはいえアルト・イヴニル本人が現れて指示を出すというのはかなりの異常事態と言えた。
そして、実際に状況は人形の王にとって極めて悪い。なぜならば。
「ハタラドゥールが造反したようだ。奴に預けていた十体の私も破壊されている」
「状況は深刻ですな。貴方様の足場を揺るがしかねません」
眉根を寄せるクオアに対して、アルト・イヴニルは平坦な声で応じる。
「その通りだ。奴は単独で虫王の庭に向かい黒蟲騎士団と交戦。団長は被害の大きさから撤退、応戦した私も十体中六体が全壊。更に虫王の庭で異変が起きている。これよりアルバダオバ及びクヘーバと合流し、反逆者の制圧に向かう」
「なるほど、火急の事態だ。それで予備戦力の貴方様自身を百体も率いて私の下に。これだけの規模での動員、いかに存在を分散しているとはいえ機械女王に気取られかねません。その意味はおわかりか?」
「最悪、このまま戦端を開く覚悟だ。準備は不足しているが、内側から総崩れになるよりはマシだろうからな」
「正しい選択です。やはり貴方様は賢明な王の器をお持ちだ」
浮遊する男はにこりと笑顔を浮かべた。薄っぺらい世辞といい、宙に浮かぶ姿といい、クオアという将の態度や言動にはいま一つ重みが欠落している。
「別の私がクヘーバとアルバダオバに接触している。このまま全軍をまとめ上げ、ハタラドゥールを討つ。恐らく背後にいるティリビナ勢力との戦闘になるだろう。覚悟しておけ」
クオアと対峙していたアルト・イヴニルのひとりはそう言うと端末を起動。
立体幻像窓を開き、別の相手と通信を繋げる。
「クヘーバ。そこにいる私の話を聞いたな? 黄獣騎士団を率いて虫王の庭に向かえ。進軍ルートを送るが、くれぐれも功を焦って先走るな」
画面の向こうにいるのは黄色い髪を逆立たせた上半身裸の巨漢だ。黒目がちで大きなつり目、鼻筋の通った野性味の強い獣のオス。隠す気もないほど巨大な牙は己の野獣としての本性を誇示するかのようだった。クヘーバと呼ばれた男は、主の言葉を億劫そうに聞き流し、退屈そうに欠伸をした。
「あー、紫の天主サマだっけか? かったるいから俺はいいや。てめえらだけでやってろ。アルバダオバのジジイも何か遊んでるしよお、俺もそういうことで」
あからさまな命令無視。
どころではなかった。
アルト・イヴニルは声を一段と低くして問いかけた。
「クヘーバ。貴様、今なにをしている?」
「何って」
ぼきり、と硬いものを砕く音がした。
画面の下から、野獣の男はそれを無造作に持ち上げる。
それは今まさにへし折り砕かれた、アルト・イヴニルの頭部だった。
男の前に向かわせた己自身。
『軍勢』として分散させた王の人形が、部下の造反によって破壊されている。
「人形女だか細っけえ自己愛野郎だか知らねえが、ザコに俺様が本気で従うわけねえだろバーカ。こっちはあの腹立つクソトカゲを殺せるかもしれねえチャンスなんだよ。終わったらてめえも喰ってやっからぶるぶる震えて待ってろや」
もはや侮蔑を隠しもせずに舌を出して吐き捨てる獣の男。
アルト・イヴニルは怒るよりもむしろ困惑して問い直す。
亜竜王の名と権威は奪った。呪術的な仕掛けは完璧だったはずだ。
だというのに、アルト王の五人の騎士がこうもあっさりと裏切るというのはどういうことなのか。まるで、これがごく自然ななりゆきであるかのように。
「待て、クヘーバ? 貴様、何のつもりでそんな」
訝しげに通信相手に問いかけたその時。
凪いでいたはずの風が突如として本来の勢いを取り戻し、吹き荒れる衝撃が真正面から人形を殴りつける。咄嗟に前方に展開した障壁を飛び越えて、上空から叩きつけられたのは青い稲妻。閃光を撒き散らす呪いと、遅れてやってきた轟音が大地を焼き焦がし、人形は黒煙を噴き上げながら動きを完全に停止させた。
周囲の浮遊岩塊に散らばっていたアルト・イヴニルたちは戦慄する。
いまのは、対面していた騎士からの攻撃に他ならない。
無数の王に囲まれたクオアは、ふわりと大地から浮き上がりながら平然としている。
まるで、ちょっとした運動を済ませた直後のような表情だった。
「貴様ら、示し合わせていたのか」
「いいや? 好機ゆえ、私は私の判断で動いた。他の連中は知らぬ」
かりそめの礼節、偽りの忠義、稚拙な演技、全てが土埃と共に風に流れて行く。
クオアは先ほどまでと変化のない笑みを浮かべながら、ゆっくりと高く浮き上がった。
同じ目線での対話を拒否するように、高慢な眼光で人形を睥睨する。
「控えよ、地虫。人形風情が、高貴なる私を従えられると本気で思っていたのか?」
クオアに不遜な態度、という意識は全くない。
彼は芯からこう振る舞うのが当たり前だと認識している。
高く高く浮遊し、遥かな雲の上から大地を見下ろす。
それが生まれた時から当然に許されていると、身体を流れる血統が記憶しているのだ。
「我ら空の眷属が貴様ら地虫どもに協力してやっていたのは合理的判断の結果に過ぎぬ。亜竜王だのガロアンディアンだの、ちっぽけな神権やら領土争いやらにあくせくしている土豪ごときに本気で我らが服従していたとでも? 勘違いするなよ人形。貴様も含め、奴隷は利用されるためだけに存在しているのだ」
人形たちの髪の毛が蠢く。
アレッテ・イヴニルとしての力とマラードの力。
ガロアンディアン王族の血統を受け継ぎ、ラフディの王権を担う膨大な呪力が再結集し、髪の毛によって形作られた蛇竜グレイシスを再現、オルガンローデとして射出した。
個々の力が弱体化した一方、集団で行う分割詠唱が可能となりオルガンローデの完成までの時間を大幅に短縮している。通常ならば精神を同調させる儀式が必要となるが、元から同一存在ゆえにそれも必要ない。発動した髪の毛の竜滅呪がクオアに牙を剥く。
だが、それは一瞬で焼き尽くされた。
同等以上の規模で放たれたオルガンローデ。
遥かな上空から次々と現れるのは、巨大な翼と呪文を歌い上げる鳴き声。
空の世界の更なる高みを支配するのは、ガロアンディアンが誇る最古の空軍。
当時の世界において最強と呼ばれた、呪術師の航空戦力である。
「この蒼穹を見よ。この果てなき大空と散らばった大地、古き良き時代の覇者こそが正統なる世界の王に相応しい。ゆえに私が忠義を尽くすべき青き血はただひとつ」
稲光を纏った翼たちは、円を描くように優雅に空を泳ぐ。
自らを率いる将を迎えるように高らかに鳴き、クオアもまたその位置に浮かび上がった。柔和に見えた男の顔が歪み、霊長類としての偽装が剥がれていく。
虚空から溢れ出した青い血がクオアの全身を取り囲み、膨張して巨大な本性を実体化させようとしていた。
「最初から、なのか」
今さらになって、アルト・イヴニルは理解した。
アルト王に仕える五人の騎士。
王権を手にすれば、かつての時代をよみがえらせるが如く強大な軍勢がそのまま手に入るはずだった。すり替えられた存在は、権威と呪力によって忠誠と紐づけられるのだと。
しかし、仮に五人の騎士たちが当時から亜竜王に対しての忠義を持ち合わせていなかったとしたら? 伝説に語られる多種族を束ね上げた手腕、それが張りぼてでしかないとしたら? 徳による王道、理想的な統治が、虚像でしかないとしたら?
つまり、古代ガロアンディアンの頃から、既にこの空の亜竜は。
「時は来た。祝祭の血は重なり、竜母は今まさに天の御殿への階梯を昇らんとしている」
雲海がうねり、蒼空が割れる。
雷鳴と共に青い血が弾け、現れたのは巨大な翼竜。
キリンのごとく長い首、鳥類のようなくちばし、膜構造の翼には半透明の羽毛。
青く燃え立つ羽は時に風を纏い、時に稲光を破裂させる。
咆哮と共に響く宣名は、嵐となって眼下の人形たちを打ちのめした。
「我が真の名はクオア・リア・クロウサー。空使いダウザール様の忠実なる騎士である」
おそらく亜竜王の時代からそうだったのだろう。
時にその名を誇示して影響力を行使し、時にその名を伏せて密やかに権力の中枢に浸透していった。どの血族も長い時間をかけてあらゆる場所に融けていったのだ。
クロウサー。空の民の頂点。諸王すら見下ろす絶対者。
「さて、ラフディの王権を宿す人形よ。貴様はここでその力を明け渡せ。これより救世に挑む我らが竜母は、冥府への道行きに多くの贄を必要としておいでだ」
明確な敵意を示すクオアとその手勢の翼竜騎士たちに対し、人形たちはいずれも宣名による衝撃で大地に縫い付けられている。
明確な窮地と言えた。機械女王に動きを気取られないように人員は少数ずつ行動するように徹底しているため、後続が追いつくまでにはしばらく時間がかかる。
残る騎士のうち虫騎士シダリスは裏切ったハタラドゥールと交戦した直後であるためにしばらくは動けない。問題は白翼海の扉竜アルバダオバ・ハツワシュで、あの老紳士もしばらく前から完全に連絡を絶っている。それぞれの隣接異界に向かわせた分割個我からの通信は次々と途絶しており、通信妨害と欺瞞呪術によって対応が遅れていた。
『アルト』の名を奪っただけでは何の意味もなかった。
こいつらは最初からアルト王にもガロアンディアンの理想にも興味がない。
忠誠心など皆無。力によって押さえつけられていただけの獣でしかなかったのだ。
これならば最初から魔戦人形師団だけを重んじておけば良かったとさえ言えるだろう。
アルト・イヴニルは小さく嘆息した。
「正統なガロアンディアンの後継者となるのであれば、『アルト王と五人の騎士』は確かな説得力を生む。しかし、これは欲張り過ぎていたな。反省しよう」
諦めたように脱力するアルト・イヴニル。
クオアは勝利を確信して笑った。
人形遣いの切り札である魔戦人形師団は不在である。
使い魔なき支配者を倒すことなど、赤子の手をひねるよりも容易い。
「私はマラードにしてアレッテ・イヴニル。ラフディ王として、魔眼竜バーガンディアの転生者として、ガロアンディアンの王位はラフディの力のみで簒奪すべきであった」
クロウサーの血を受け継ぐ空の亜竜クオアはだから真の意味で理解できていなかった。
人形の魔女が古代世界の実態を勘違いしていたように。
古代人である彼もまた、未来の人形という異質な技術を侮っていたのだ。
「我が胎を食い破り、その祝福を知らしめよ。産声を上げろ、エントラグイシュ!」
呼び声と共に、人形たちが内側からはじけ飛んだ。
正確には、腹部を引き裂いて、新たな人形が出現したのだ。
驚愕するクオアの前で、死に絶えたアルト・イヴニルの残骸を赤子たちが一心不乱に貪り食らう。子が母を、人形が人形を喰らう異様な光景にさしものクロウサーも絶句していた。
誕生した人形はいずれも異形。
足が分岐して両足になっている人形がいた。酸を吐き出すハリモグラと蛇の混成種がいた。鼻が額に配置され、口が縦になっている荷運びがいた。
鼻が充電コードになっている人形がのそのそと土を口に運んでいる。
上下対称の双子は腹部から下がもう一人の上半身になっている逆さま結合双生児は仲良くおしゃべりをしている。首から上に赤薔薇の造花、片腕が鳥籠で中に複数の頭部を収めた少女人形は空飛ぶ亜竜たちの数を楽しそうに数えている。
大きなつばのある婦人用ボンネットを被っている老婆が幼児をあやすためのがらがらを鳴らし、毛だらけの巨大な赤子がきゃっきゃと笑う。その口から飛び出したキノコのような人形が胞子を撒き散らすと、上空に撒き散らされた呪詛が炸裂した。
「『歓喜するスフィストラ』『唾吐きのエキドナ』『袋担ぎのゴガベズ』『充電鬼ボルボン』『巡るジアルフィアルア』『鳥籠人形のメナトメナス』『溶岩獣の乳母フォリアルゾラム』『毛むくじゃらの胎児ワユイーン』『茸爆弾のユーウィーシュ』まだまだいるが、これ以上の紹介は必要か?」
奇妙な宣名だった。集団全体が交代で行う知人の紹介のようでもあり、たったひとりが並べ立てる膨大な数の自己紹介でもあるように響く。
この場所にいるアルト・イヴニルは死に絶えたはずだというのに、胎を食い破った新たな人形たちは全てがアルト・イヴニルとして言葉を紡ぎ、意識を継続させている。
「言ったはずだ。『軍勢』だと」
「貴様、調子に乗るなよ」
空を支配するクロウサーの血族が威嚇の咆哮を上げ、青雷と青炎を巨大な翼に纏う。
散らばった大地に立つ人形の軍勢は、禍々しい呪いに誕生を祝福されながら、踏みしめる足場を支配して兵力を結集していく。
対峙する両者の邪視が激突し、物理的に火花を散らす。
「誅殺ではなく侵略と行こうか。ゴミのように地に堕ちろ、クロウサー」
「塵となって風に散れ、偽りの王」
轟音と閃光が空間を揺るがす。
だが大空はどこまでも広く、大海に落とした水滴のように、波紋は小さく消えていく。
遥か下方で繰り広げられている熾烈なレース。
暴風と岩塊という障害を潜り抜けることに精一杯な一人の魔女は、周辺で起きている熾烈な闘争を知る由もなかった。




