5-37 名無しの王争奪戦②
「エストが願う平和への歴史を、否定させはしない」
ティリビナ人による隠し病院への襲撃。
マレブランケの席を奪い紀人都市シナモリアキラの主導権を握ろうとするティリビナ人たちだったが、あわやと言うところで駆けつけたハルベルトたちの手によって阻止された。
状況はティリビナ人たちの不利に傾いている。
だが相対する三つ目の魔女は、まるで臆することなく黒玉に挑む。
それこそが真の願いであったのだと言わんばかりに。
樹皮に覆われた顔が、異種族から見てもはっきりとわかるほどの激情に歪む。
「なら、私たちの縋った抵抗の歴史は、否定されちゃうの?」
これは呪いだ。ハルベルトの後ろで、エレクトラは小さく息を吐いた。
同居しているメートリアンも同様の危惧を抱いたのか、心配そうに呪文の座を率いる魔女の後ろ姿を見つめている。
当然ながら、平和を望むハルベルトは暴力を否定すべき立場にある。
だが暴力の否定は時として弾圧の肯定に繋がる。
漸進的な解決という妥協案の提示は、時間がもたらす弱者への不利益を『いずれどうにかする』という誤魔化しにしかならない。
いまここで苦しむ者たちと、既に取り返しがつかないほど苦しんだ者たち。
未来の約束は、過去の悲劇を解決しない。
未履行の契約は、今この瞬間に訪れた死を覆せない。
「私たちの抵抗運動に『テロ』というレッテルを貼り、弾圧するのが機械女王のやり方ってこと? そうやって弱い立場の集団を虐げるのが正義ってわけ。軍事拠点を病院に偽装すれば、相手を好き勝手に悪者にできる無敵の盾になる。卑劣なのはどっちだろうねー?」
無敵の論法を糾弾する呪文は、それ自体が弱者への攻撃を正当化する無敵の論法だ。
卑怯者が病院を盾にしているから病院を攻撃しても良い、という卑怯者の理屈。
この『弱者の戦略』は茶番だ。
三つ目魔女モーリュの悲痛な叫びに対するエレクトラの評価はそれに尽きる。
ティリビナ人の苦痛は紛れもない真実だが、それをしたたかに利用するやり口は道を外れている。道を外れざるを得ない状況に追い込まれているから、当然ではあるが。
方法論としては少し前に起きた魔竜事件と同じ。
カーティスとして覚醒したリールエルバは『隔離された病人』というポジションを呪いと変えたが、ティリビナ人テロリストたちの武器は『迫害された少数民族』だ。
狙いは一点。紀人権力の暴走。
都市紀人シナモリアキラによる弾圧と虐殺、暴力的統制を引き出し、正義の名の下に批難することで国際世論、特に鈴国側の民衆を味方につけたいのだろう。
その流れを上手く利用すれば、権力監視や腐敗を正すという名目で紀人都市の乗っ取りも正当化することができるかもしれない。
魔竜や始祖吸血鬼たちとの戦いによってガロアンディアンはこのような戦いへの対処法を確立している。杖の座が得意とする馬鹿騒ぎに乗じた勢い任せの誤魔化しはそう何度も使えるものではないが、現在の第五階層は極めて特殊な条件下にある。コルセスカの浄界コキュートスが定める法則と、祝祭という空間が常識という枷を破壊しているからだ。
ティリビナ人たちもそれを踏まえた上で畳みかけているはずだ。
相手の処理能力を計っているのか、あるいは本命までの繋ぎか。
いずれにせよ、機械女王は軽々しく過激な手段を選ばないだろうというある種の『甘え』に乗っかる形でこの襲撃は行われていたはずだ。
だが実際のトリシューラは隠し病院ごと爆破して全てを無かったことにするという手を打ってきた。ティリビナ人たちの計算を無に帰す暴虐は、致命的な隙でもある。
機械女王は道を踏み外した。暴君に待ち受ける運命は、悪因ゆえの悪果でしかない。
暗君の頭上を脅かす『ダモクレスの剣』は地位という特権に対する恐れを幻視する邪視であり、権力の危うさを言語化した呪文でもある。
剣というビジョンは現実に存在する問題を抽象化した呪術的観念だ。国家と統治、人間と権利の関係性は実在しており、血肉を持った人間社会の中で作用する。
いまここにいる人間集団の問いをまじないによって受け流すことの無責任さを、天上の切っ先は鋭く糾弾していた。茶化すな、我らの切実な問いに向き合え、という。
茶番だ。エレクトラはあらためてそう思った。
弱者の切実な叫びさえ、呪術戦ではごっこ遊びのカードに堕する。
「いいえ。ハルたちは、相反する理想と現実を繋ぐためにここに来た」
「なあに、それ。歌えばみんなが感動して心がひとつになっちゃう~とか?」
「本番には少し早いけれど、あなたがそれを求めているのなら届かせる。呪文の座の頌歌はそのためにあるから」
即断だった。エレクトラやメートリアン、小さなセリアック=ニアが止める余地などまるでない。ハルベルトは既に『歌姫モード』の前段階である変性意識状態に移行している。外部からの呪的干渉を拒絶する高密度の呪文障壁が黒衣の周辺に張り巡らされていた。
小手先の呪文戦、茶番じみた呪いの牽制、入り組んだ情報戦。
それらの全てを不要と切り捨てて、真っ向勝負でティリビナ人に言葉を叩きつける。
「いま、ここで」
ためらいはなかった。
歌姫としての顔でハルベルトが呪文を紡ごうとする。
過去から、未来から、時を超えて反響する歌声が。
あらゆる因果、あまねく神話を折り畳みながらこの『現在』に形を成そうとして。
「まだ、それは駄目だったはずでしょう?」
一発の銃声によって、時系列ごと打ち砕かれた。
どこかで聞いたことがある、エレクトラにとっては絶対に看過できない甘く幼い少女の声。時空を超越する狙撃。そんなことを可能な術者はたったひとり。
だが、どうして彼女が? 攫われているはずだ。まさかスーリウムに強制された?
いくら混乱しても答えが得られるはずもない。
銃声がどの瞬間に響いたのかもわからぬまま、理解を超越した現象が続く。
届かぬ歌はかき乱された時系列の狭間に消えて、前後の時空は捻じれ、歪んだ因果が正常な記憶を喪失させた。
出来事が最初から無かったことになった。
世界が変容し、場面そのものが断絶し、不滅のはずの歌姫は頭蓋を打ち砕かれて決定的な致命傷を負い、不可避の死を押し付けられている。
その流れを、エレクトラは確かに目撃した、はずだった。
「そう。あなたが敵なの。そろそろ盤面に出てくる頃合いとは思っていたけど」
狙撃で即死したハルベルトが、幼少期に狙撃された呪詛が蓄積し続けて死に至ったヴァージリアが、歌を砕かれて存在を破綻させた歌姫が、死んでいるはずなのに死んでいない。
「少し鈍った? 以前ならハルが現れた瞬間に罠が起動していたはず。それとも、歌声のすべてはあなたでも思い出せなかった?」
否、現在の彼女は確実に死亡している。
だが、過去と未来の彼女はなぜか致命傷を避けていた。
必殺必中の時空穿孔狙撃。
それは末妹候補の誰も及ばない無敵の力であり、だからこそ彼女は四魔女最強であるトライデントの筆頭候補たる『子宮』なのだとエレクトラは考えていた。
しかし現実には思いもよらぬ例外が存在していた。
同じく過去と未来に響き渡る呪文の魔女ハルベルトの歌は、使い魔の魔女ティエポロスの時十字の瞳に対抗可能なのだ。
「真紅、真蒼、鮮朱、輝黄、押韻、本紫。この局面なら必ず動くと思ってた。ハルはさいしょから、あなたたち全員と戦う準備を済ませてる」
この局面でティエポロスが介入すると、あらかじめわかっていたわけではない。
いつそうなってもいいように、完璧に備えていたとハルベルトは語る。
「だから、これは挨拶代わり」
時間を戻すように、歌姫の頭蓋から銃弾がすうっと抜けていく。
呪うとは、心で触れて、言葉を届けること。
あちらから届くのなら、こちらからも届く道理だ。
呪術師は覚悟をしなければならない。
呪った瞬間に、呪いを返される覚悟を。
虚空で、紫色の虎が、砕けた。
どこかで悲鳴。中空を睨み据えるハルベルトの頬を、背後から巻き戻っていく弾丸が掠めていった。直撃した事実さえいつの間にか改竄されている。銃弾はハルベルトを掠めて真横の空間を抉り取っただけだ。そういうことになってしまった。
恐ろしく精緻な事象の改竄と、あまりにも原始的な呪詛返し。
呪文使いとしての力量がそのまま現れる単純な対策。
次元の彼方へと溶けていく弾丸は射手の手元に帰っていく。
媒介となったであろう猫科魔獣の断末魔が途絶え、幻影の陰にかすかに見えたのは、きらめくように美麗な蝶の翅だ。それを見たハルベルトが小さく呟く。
「裏にいるのは来訪者リーヴァリオン。ここまではあれの言葉通り」
あちらにとっても予想外の展開だったのか。
呆然とするティリビナ魔女に対して、ハルベルトは小さく頭を下げた。
既に歌姫モードは解除されている。静かに燃え上がっていた心は凪のように静かだ。
「ごめんなさい。予定変更。やっぱりライブが始まってもいないのに新曲をお披露目するのはやめておく。申し訳ないけれど、答えを出すのはもう少し先。待っててもらえる?」
「ふざけてるの? そんなごまかしでこちらが納得するとでも」
「末妹選定という枠組みの中で決着をつける、と言っているの。星見の塔にいたのなら、ハルたちは共通言語を用いることができるでしょう?」
切り返しはモーリュという魔女の仕掛けを逆用した呪文だ。
本来なら必勝の手であった『モーリュが塔の魔女であったという矛盾史』『ティエポロスの介入』という札により、ティリビナ人問題は『星見の塔の内紛』という身内の問題にすり替えられてしまっている。
「これは魔女と使い魔ペアによる競い合い。だとすれば、当事者が出てこなければお話にならない。貴方たちの本当の主に伝えるといい。末妹候補の魔女と共にハルの前に現れるのなら、正々堂々迎え撃ってあげると」
煙に巻くような言葉などではない。
ハルベルトはいま、核心を突いている。
「いずれにせよハルから言えることはひとつ。暴力はやめて話し合いをすべき」
待機状態だった無数の仮想使い魔を実体化させながら、ハルベルトは魔導書を開いた。
「覚えてる? 昔、あなたと一緒に考えた幻獣たち。ティリビナの歴史や文化、大切な伝承を忘れないように、歌とイメージで記録しておこうねって約束したよね。ハルはずっとあなたの言葉と憤りを忘れたことなんてなかった。それをいま証明するね、モーリュ」
魔女はとても自然な語り口で、決別したはずの昔馴染みに友情を示した。
ハルベルトとモーリュ。かつて共に切磋琢磨した、かけがえのない記憶。
三つ目のティリビナ人の心に、拭い難い暖かさが広がっていく。
どんな立場に陥ったとしても。この絆を自ら捨てることだけはできない。
ティリビナ人の感情の移り変わりが、傍から見ているだけのエレクトラにもはっきりとわかった。これでモーリュはハルベルトを殺せない。
たとえ同胞たちの未来のためであっても、大切な親友を奪うなんてことはできない。
「これが、ハルの答え。種族や民族が和解するのは難しい。けれど個人と個人なら。みんなで分かり合うには、ひとりひとりが友誼を結べばいい。全てはその繰り返し」
それは呪詛返しであると同時に、彼女なりの問いへの答えだ。
ハルベルトという個人の限界を示す答えでもあったが、たったひとりの少女にできるのはそれくらいしかないことも事実。
いずれにせよ、呪文戦は決着した。
ハルベルトは一滴の血も流さずにモーリュを無力化したのだ。
呪術師としての敗北を認めたのか、ティリビナ魔女は項垂れて小さく息を吐いた。
そうして、投降の意思を示すかのように両手を前に出してゆっくりとハルベルトに近づいていく。肩から力を抜いて歩み寄ろうとするハルベルト。その動きに同時に気づいたエレクトラとメートリアンが鋭く呼びかけた。
「下がって!」「まだですっ」
モーリュの両手が上下に組み合わさり、小さな箱を抱え込むような形を作る。
彼女は自分ではハルベルトに勝てないと認めた。
ならばやることはひとつ。
使い魔に頼る。誰かに殺してもらえばあとは何も見なければいい。
「召喚」
膨張する呪詛の余波と、ハルベルトの呪文障壁が拮抗して悲鳴じみた異音を響かせた。
衝撃で押し返されるハルベルトを庇うように、同行していた部隊の護衛やファルファレロたちが前に出る。彼らの目の前に、恐るべき脅威が立ちはだかろうとしていた。
「麗しき九祖、灰降る庭の主、揺らぐ双子のアルルアよ。同胞の死に意味を与えたまえ」
その女にはまなざしから上の全てがなかった。
鼻梁と眼の狭間で上下に分割された頭部。
目に映るのは整った鼻から下、血のような紅に染まった口元だけ。
頭部の上半分のかわりに、完璧な空虚と不可解な黒一色の断面が横たわる。
灰色のドレスのあちこちには四角い欠落。人体のおよそ半分を喪失していながらも、奇跡のようなバランスで存在を保っている冗談のような生命。
その姿を、塔の魔女たちはよく知っていた。
キュトスの姉妹、その四十五番。
揺らぐ矛盾史を並存させる結合双生児。
キュトスの魔女カルルアと原初妖精アルルアという両面の魔女。
この召喚獣は、恐らくその片面だけを抽出したものだ。
時間を巻き戻し続ける時計が体内からゆっくりと現れて、存在しない頭部の代わりに彼女の顔になる。エレクトラの天眼は夥しい数の灰神が魔女を取り巻くさまをはっきりと捉えた。その総量はエレクトラのゆうに三倍はある。
緑天主ロードデンドロンが見せた召喚獣と比較しても全く遜色がない。
ティリビナ人の優れた使い魔適性と、モーリュ個人の資質。
それらが噛み合った結果として、恐るべき神秘が現代に蘇ろうとしていた。
「霞め、『灰園魔女』」
あとは知らないとばかりに距離を取ろうとするモーリュ。
ハルベルトの周囲を固めるアズーリア隊の面々は即座に動いた。
護衛の月の民三人とファルファレロは主を守るため障壁を強化、同行していたティリビナ人二名がモーリュの確保に動き、ハルベルトはオルガンローデの高速詠唱を開始。更にちびニアが猫科魔獣たちを率いてモーリュによって制御を奪われた悪鬼の軍勢と激突する中、エレクトラは迷いなくモーリュを狙う。
「なら、私たちの縋った抵抗の歴史は、否定されちゃうの?」
そして、巻き戻った。
移動していたはずだ。状況が動いたはずだ。
だというのに位置関係は直前のまま。張り巡らされた呪文障壁や展開された仮想使い魔、詠唱段階が進んでいたオルガンローデは跡形もなく消え去っている。
ハルベルトとモーリュが相対した直後の状況に、時間が戻っているのだ。
ただ一点。
召喚された灰の魔女アルルアが依然として存在しており、恐るべき呪いを振り撒き続けているという事実を除いて。
圧倒的な劣勢を覆したモーリュは、両手の中に作り上げた空間を三つの目で凝視しながら声を高らかに響かせた。
「おいで、『死滅廃園』」
上下互い違いに構えた両手の間には正方形の箱が浮かんでいた。
透明な内側にはミニチュアの小さな世界が広がっている。
「箱庭型の浄界?! 学部生の卒業演習でもやってるつもりですかっ」
メートリアンが即座に紡いだ簡易呪文をエレクトラが即座に投擲。
ワンアクションの投石呪術に等しいが、箱庭浄界というのはその程度の衝撃で破綻するほどに『ちゃち』な代物でしかない。
手のひらサイズの極小浄界というのは修行のために用いられるのが普通だ。
『塔』でも邪視の修練で行われるため、ある程度までは専門外の魔女であってもこなせるそこそこの難易度の課題、という位置付けになる。
だというのに、咄嗟の妨害呪文は小さな浄界に波風ひとつ立たせることができなかった。
ごく稀に、これを実戦で用いる術者も存在するとは聞いていた。
影響範囲が限定されているが、その分だけ強度と自己完結性が優秀だからだ。何よりも既に展開されている浄界と競合しにくいため、相互に影響し合って弱体化する心配がない。
エレクトラはこれが三眼瞬知、すなわち限定的な時間停止能力に対する予防策だと気付いた。灰神を掌握する召喚獣と併せて、この相手はひどく相性が悪い。
威圧的に立ちはだかる異形の魔女に阻まれて、ハルベルトたちは身動きがとれない。
発動した呪文が端から逆再生されて破綻していくのだ。
理屈のわからない力と、どこからともなく降り注ぐ灰の雨。
わかりやすい暴力ではないが、得体の知れない神秘が壁になっている。
「昔々、正樹歴がはじまる少し前のこと。ヴァルンドの辺境に寂れた庭園がありました」
世界創造と並行しての語り口上から呪文寄りの世界認識と判断できた。固有の世界観を構築するときに何を重視するかは術者によって異なる。自然環境のディティール、神学理論や信仰観、技術的信念、そして神話や伝承、歴史や人の営みといった社会の様態。何をもって世界とするかは個人の考え方によって異なり、それは空間のみとは限らない。
「ラ、ラ、ラ」
ハルベルトは即座に言語を捨てた。
時間的に対照となる旋律を奏でることで呪文の意味が逆向きになって打ち消される現象に対処し、歌に託した歴史的文脈を頼みにティリビナ文化と地上の文化を繋ぐ。
『エスニック・ポリフォニー』の即興によるアレンジ。
次から次へと攻撃に対処されていくモーリュはそれでも手を止めない。
使い魔の強みは数だ。レナリアから奪った悪鬼、メートリアンから盗んだ盲目の守護者像、更には猫科魔獣たちにまで干渉の手を伸ばしてちびニアに守勢を強いる。
「どうする、メートリアン。闇雲に突っ込んでもまたリセットされたら」
「悔しいですが、こういうのはハルベルト頼みになってしまいますね。遡行の範囲と距離は無制限ではないでしょうから、何度もリセットを強いて消耗させるか、軽く周囲の悪鬼を削りながらどっかにぶっ飛ばして範囲を探ってみますか」
じゃあそれで、と方針を定めたその時だった。
天眼の知覚圏内に新たな集団を検知し、続けてちびシューラが示す識別信号からそれらが味方だと判断。やはり時間を巻き戻せる範囲はかなり狭い。周囲では時間が動いているため、外部からの介入を許しているのだ。
援軍は周囲で待機中だった予備戦力。
複数の探索者集団が病院内部の襲撃地点に次々に到着しているという。
機械女王が示したリストをざっと眺めた限りでもかなりの数だ。
『百矢』ローナン率いる『ローナン傭兵社』が五パーティ単位での契約で四十五人。
『煙斬り』ドミーロ・ボーツ率いる『炎上戦士団』が三パーティ相当の約三十人。
『飾り爪』アエオニウム率いる『流武隊』が主力パーティ九人。
『刃舐め』ハンティト率いる『ハンティト探索者事務所』がミドルパーティ六人が四隊で総勢二十四人。
『フリル士』ポーレッテ率いる『リボン戦線』がフルパーティ九人。
『愛の鞭』バーサーミン率いる『獣友会』が調教師九人と使い魔十七体。
『病老奇手』チャスコーン率いる『不殺隊』がフルパーティ九人。
彼らは一般的には中堅探索者たちと目されているが、転生保険に加入していた『第六階層挑戦組』の命知らずたちの魂が同居することによって戦力が大幅に強化されている。
『裏道開拓者』『槍頭戦団』『恐れ知らず』『球神復興会』『世界槍食べ歩き』『迷宮あやかし純喫茶』『セラティスたんファンクラブ』。いずれも名うての実力者だ。
ガロアンディアンの探索者向け保険は探索中に失踪した際に捜索隊を出したり、呪詛入院や重傷時の医療保険として機能していたが、一部の最前線に挑みたがる探索者たちには秘密裏に転生保険というプランが提示されていた。開発中の転生アプリのテスターとなる代わりに各種プランが安くなるという条件は彼らにとって悪い取引ではなかったし、敗北後に再起するため、他の探索者集団と合併するというのは比較的よくある流れだったのだ。
従来の二倍の呪力と蓄積された二人分の経験値、転生者部隊として破格の進歩を遂げた精鋭たちの到着。機械女王の切り札はティリビナ人たちを制圧するのに十分な戦力と呼べるだろう。メートリアンが安堵したようにエレクトラの中で気を緩めるのがわかった。
「アエオニウムさんも来てる。この陣容なら行けますよ、安心して下さい、ちゃんと信頼できる人たちなので」
「駄目、構えて」
メートリアンの楽観をエレクトラは即座に切って捨てた。
隠し病院の周囲に広がる森林地帯から現れたのは、機械女王が事前に周囲に待機させていた予備戦力の一角。この場所にかけつけた二つの部隊は、『ローナン傭兵社』と『炎上戦士団』で総勢七十五人。探索者戦力としてはちょっとしたものだ。
彼らは本来味方のはず。
だが、真っ直ぐに駆け寄ってきた彼らは助けに来たと呼びかけながら迷いなくハルベルトに攻撃を仕掛けていた。
集団の移動経路の奇妙さから奇襲を予測していたエレクトラはそれを防ぎながら、油断なく全ての元凶であろうモーリュを睨みつける。
「あたりまえだよねー? ティリビナ人としての前世に目覚めたならあ、こっちの味方をしないはずがないものー」
転生アプリの逆用。
おそらくはこの瞬間のために長い時間をかけて仕込んでいたはずだ。
それこそ、未来を予想しなければできないほどの用意周到さで。
「ティリビナ人の世界に霊や死後はないけどー、種はあるよねえ。転生保険に加入して意気揚々と第六階層に挑んだ探索者たちにー、種を植え付けておくことはできるよー」
つまり、あの転生者たちの身体には三つの意思が同居しているのだ。
知らぬ間に『前世側』の魂たちに寄生していたティリビナの種。
それが転生後になって芽吹くという遅効性の呪毒。
最悪の展開だった。包囲され、数の面で完全に劣勢を強いられている。
「どーしよこれ」
「撤退を提案します」
冷え切っていたエレクトラとメートリアンの心は、しかしこの時ばかりは意見の一致を見た。そうしなければファルファレロを奪われるどころでは済まなくなる。
ニアホンによる情報では、『ガリヨンテの鎌』からジュティアとミナが購入した『商品』の一部はレナリア率いる悪鬼の軍勢が利用していると思われる。
ではティリビナ人たちは、どうやってこれだけの準備を重ねてきたのだろう。
もっと言えば、これだけのティリビナ人武装勢力をどう取り締まり、どのように今後発生し得るテロを防止すればいいのか?
そういう観点で言えば、機械女王は既に完全敗北している。
モーリュの増援はそれで終わらなかった。
周囲の森に潜んでいたティリビナ人の部隊。
彼らはあろうことか、ろくに戦闘経験もなさそうな素人たちだ。
武器を担がされただけの世界槍の難民。その大半が震えながら戦場に立っている。
敵と味方という構図は既にほとんど破綻していた。
良いティリビナ人と悪いティリビナ人。
善良でか弱い市民の中に紛れ込んだ民兵ゲリラ。
そんなもの、区別などできるわけがない。
ティリビナ人テロリストがこれほどの脅威を示した以上、最悪の場合は全てのティリビナ人を潜在的脅威であるという前提で殲滅する、という結論になりかねなかった。
それを前提に、モーリュは『全く関係のない無辜のティリビナ人』を拉致、『矛盾する経歴』を挿入してティリビナ人テロリストに仕立て上げ、『被害者』と『敵対者』という状態を並存させて使役している。
「どうしよー! 困ったよー! 他の探索者部隊も次々に乗っ取られてるし、秘密裏に護送してた『名無しの王』が狙われてるよー! えーん!」
ちびシューラがわざとらしく泣いているが、本気で困っているのかこちらを動かそうと演技をしているのか判断しづらい。
どちらにしても、今の言葉は看過しがたい。敵はファルファレロとカルカブリーナを奪おうとしているが、一番重要な標的は『名無しの王』だろう。
ガロアンディアンの王権にも繋がる、かつて六王だったもの。
それを奪われるわけにはいかない。
「エレクトラ、メートリアン、ここはいいから先に行って。ファルファレロは元々こちらの陣営。責任を持って守り切る」
ハルベルトが現れた時点で、『心話』による通信は繋ぎっぱなしになっていた。
彼女は召喚されたアルルアの理解不能な呪いに対処しながら、同時に圧縮言語による情報交換を行っている。メートリアンの説明でこれまでの状況は理解しているし、エレクトラの裏切りも知った上で戦っていた。
恐るべき敵と呪文をぶつけ合いながらも、黒衣の少女は頑なにエレクトラに視線を向けようとしない。いまは裏切りについての糾弾をしている時ではない、という態度の表明なのだろう。表向きは平静を保ったまま必要な事だけを行うハルベルトに内心で感謝しつつ、エレクトラはメートリアンと共にその場からの離脱を決意した。
「逃がさない。友達は傷つけられなくても、みんなを裏切ったお前はここで仕留める!」
第三の目を妖しく輝かせながら周囲の空間ごと高速移動するモーリュが迫る。エレクトラもメートリアンも、増援の探索者たちの相手で既に対処が追いつかない。ハルベルトたちは召喚獣の相手で手一杯だ。
「その血統に眠るほんとうの記憶に目覚めて! あなたもティリビナ人でしょう、一緒に戦ってよ、メイファーラ!」
致命的な一撃がエレクトラの過去に届こうとしたその時。
影からぬるりと浮き上がった六本の腕が、無数の刃と矢、呪詛と記憶を纏めて受け止め、黒々とした闇の如き肌に吸い込んでいった。
エレクトラは窮地を救われたにもかかわらず、おぞましさに背筋が凍り付くような感覚と吐き気に襲われた。意味不明な不快感にメートリアンが戸惑っているのがわかる。
攻撃を防いだのは、長身の男だった。
ゆったりとした道服、つややかな黒髪を後ろで束ねた後ろ姿、浮遊する六本の腕を自在に操り、迫りくる攻撃を的確に捌く戦闘能力。
幻惑するかのような足運びからの強烈な蹴りが探索者のひとりを吹き飛ばし、鋭い貫手がティリビナ魔女の額を狙う。咄嗟に回避したモーリュは、しかし周囲に展開していた高速移動用の呪術空間の脆弱性を突かれて足を止められていた。
「悪いが、私に矛盾史の改変は無意味だ」
「なにこいつ。変な手応え、まさか最初から?」
涼しげな立ち姿を訝しむように凝視するモーリュ。
何らかの要因によって過去を改変できないという奇妙な男を、エレクトラは苦々しい思いで睨みつけた。礼を言うべきだが、やるならメートリアンがひとりでやってほしい。
「動きが露見するが、座視するわけにもいかなかったのでね。ここは私に任せて先に行くといい、ユディーア」
最悪、最悪、最悪。それ以外の思考をする余裕もなければ、その相手を識別する記号を頭の片隅に浮かべることさえしたくない。
「あたしの名前はエレクトラだ。二度とユディーアって呼ぶな」
「ほう、それは失礼した、エレクトラ。ああ、私としてもこちらの方がいいかもしれない。なにせその勇士の名は口に馴染みがないからな」
この男には、その名前で彼女に呼びかけたという過去の記憶がない。
それを許したのはたったひとり。失われた『カーイン』だけの思い出だ。
本物の殺意を滲ませながら呪いを吐き捨て、見たくないものに背を向ける。
「いつか殺してやる、まがいもの」
「楽しみにしておこう」
その口調が本当に楽しげに聞こえたから、エレクトラは聞えよがしに舌打ちしてみせた。
全ての怒りを脇に置いて、逃げるように別の戦場に向かう。
エレクトラは荒れ狂う感情を抑えつけながら脳内で情報を反芻した。
行動と並列して仲間内で行われた塔式の圧縮言語通信。
ハルベルトとの短い会話が、ひどく胸を締め付ける。
「ごめんね、ありがとうハルベルト。そうだ、また狙撃されるかもしれないから、あたしの知る限りのティエポロスの情報を送るね」
これは使い魔の座陣営として、明確な利敵行為だ。
モーリュとの友情を断ち切るために感情が冷え切らせたエレクトラがこんな真似をしたのはもちろん情にほだされたからではない。
ハルベルトはスーリウムに対する切り札になり得る。
時空を超越する歌声は、未来を掌握する神の子を打ち破れるかもしれない。
その希望が芽生えてしまった以上、エレクトラとしては裏切りの布石を打っておくべきだと判断したのだ。使い魔の座を棄て、呪文の座に擦り寄る布石を。
もちろん、その後でまた裏切ることさえあり得ると冷ややかな疑念をメートリアンが抱いていることもわかっている。だが、エレクトラにはこういう生き方しかできない。
「カシュラムの流れをくむ混沌派のアヴロノ・ノーグの血脈。リーヴァリオンに選ばれた翼翅。紀元槍の制御盤、時十字の瞳。永劫線セルアデスの遺産。紫の賢者オルヴァ・スマダルツォンの権能を宿したハイダルマリクの秘宝。父親は来訪者ディスケイムの血族。最大射程と呪弾の強度。使役する猫科魔獣。なるほど、特性は理解した」
瞬間的な情報交換でハルベルトは何かの確信を得たようだ。
戦闘中の並列処理という器用な真似に感嘆していると、エレクトラが送った時十字の瞳に関する資料データに修正を加えて送り返すという曲芸までこなしてくるからもはや唖然とするしかない。劣勢に見えて意外と余裕があるのかもしれない。
脳内に時十字の瞳の構造が展開される。
二次元的なイメージでは十字という形でしか表せないが、ハルベルトはこれを不完全な解釈であるとして修正していた。
交差する線は上下のみではない。
瞳を前後に貫く『視線』が追加され、更には過去と未来を貫き現在で交わる『永劫線』が追加される。すなわち十字の軸は四次元。
時十字の瞳の本質はむしろそちらにあるというのがハルベルトの解釈だ。
過去、現在、未来を貫き、世界の全てを見通す救世のまなざし。
おそらくは同系統の視座を持つハルベルトであるからこそ理解できる構造だ。
「話は簡単。先読みの聖女クナータ=ティエポロスは『神の子』たちによってコントロールされている。時十字の瞳がハイダルマリクの十二賢者によって作られた秘宝であるのなら、古典型の時間解釈、すなわち過去・現在・未来の三相に対応した権能の分割管理構造になっているはず。敵が同格の三人なら、彼らは個別にそれらの権限を掌握している」
おそらく、エレクトラよりも遥かに深い理解がそこにある。
ハルベルトはクナータと近い位置に立つことができるからだ。
痛み。それが何に由来するものか、エレクトラは努めて考えないようにした。
「ライラ、スーリウム、ノゴルオゴルオ。三人が『未来の視線』『過去の視線』『現在の視線』をそれぞれ分割して掌握。視座の源であるクナータをアルティウスが守り、他の三人は共闘の成果として得たそれぞれの『時の瞳』で別々の救世主を作り出そうとしている」
「仲間割れは偽装?」
「あるいは茶番。終盤までに対立勢力を削っておきたいという思惑もあるかも。奴らは自分以外の陣営が勝つことを恐れる一方で、自分の失敗も恐れている。あと、これはトリシューラというよりコルセスカと共有すべき情報だと思うけど」
きょとんとするちびシューラの表情が、次の瞬間すこしだけ強張った。
「紀竜の巫女と、三人の将、そして仮面の槍士。この配置はおそらく見立てのまじない。あるいは再演儀式だと考えられる。かつて世界を焼き尽くした火竜メルトバーズ。その召喚に関わった炎帝の五将が、これとほぼ同じ配置だから」
「なにそれ。知らない、シューラが知ってる塔のデータにそんな情報ないよ? 火竜の将ってあれでしょ? セレクティと、槍の英雄と、三頭一体の怪物とかなんとか」
「ハルは太陰の『図書館』に保管されていた伝承を閲覧したことがあるの。世間的には情報操作されているけれど、セレクティ以外の『火竜の将』はかなりの劇物。救世主の誕生というのは、紀竜の降臨に近い災厄を呼び込む可能性がある。火竜が招く世界の終焉。魔竜が引き起こしかけた破局的感染爆発。それに匹敵するか上回るなにか」
ハルベルトがもたらした情報は、この状況が使い魔の座だけで完結する問題ではあり得ないことを示していた。冬の魔女や火竜までもがこの状況に関係しているとなれば、四つの末妹候補陣営、その全てが事態に関わる理由を持つことになる。
「悪い方向に目を向けても仕方ない。重要なのは、まだ決着はついていないということ」
ハルベルトの言葉は力強い。
ここまで入念な準備を重ね、ロードデンドロンやモーリュをはじめとした恐るべき戦力を揃えているスーリウムでさえ、勝利できるという確信を得てはいない。
未来はまだ不確定なのだ。
「自分が成功するという保証はない。よって、失敗した場合は成功した誰かに協力した上でその恩恵のおこぼれに預かろうというわけ。もちろん、隙を見て寝首を掻く魂胆」
「潰し合いではなく競い合い。場合によっては共闘も視野に入る。そっか、これって」
これまでの末妹選定がそうであったように。
それぞれの到達点を目指す競争は、時に参加者同士での協力があり得るのだ。
メートリアンがなるほどと納得を示す。
「一枚岩ではないとはいえ、奴らの背後にいるのはみな来訪者。同じ神話世界の神群であるため、仕える神でなくても勝利を歓迎できるということですね。あるいは、いずれかの神が完全に復活することで他の神々も力を増すのかもしれません」
ハルベルトはそれに同意し、状況を単純化してみせた。
「これは末妹選定の続き。いいえ、あるいは本選。使い魔の座の中心で私たちと競い合う、主と使い魔。その候補者が三組。クナータをそのまま使うか、資格である瞳を移植するかの違いはあるけど、目的は救世主トリアイナの降臨で一致している」
血統、勢力、しがらみに呪縛。
翻弄され続けるエレクトラにとって、その呪文はある種の追い風となった。
『星見の塔の魔女』という立場で、同胞たちと共闘してもいい。
ハルベルトが与えてくれたのは、そんな誤魔化しだった。
「スーリウムとエスト。ノゴルオゴルオとクナータ。ライラ・ラプスと、これはちょっと確信が持てないけどクナータ。あたしたちは新たなトライデントとその使い魔を相手にしている。相手の主従関係が入れ替わっているだけで、構図としては今までと同じ」
『上』と『下』。義国圏と鈴国圏。槍神教と竜神信教。
あらゆる対立は裏切り者がそのままでいることを許さない。
だが、いまはこの呪文に縋らせて欲しい。
それは甘えでしかないけれど、ハルベルトはその甘さを肯定する少女だ。
「メイファーラ。あなたの裏切りを、ハルは決して許さない。けれど、いまはこれだけ言わせて。あなたとその妹であるクナータを、呪文の座は決して見捨てない。ひとりで戦わないで。チョコレートリリーは、必ずあなたたちの力になるから」
どんな糾弾よりも、その気高さが鋭く胸を穿つ。
敵対せざるをえなかった親友、モーリュの気持ちがよくわかった。
たとえ裏切ってしまっても、ハルベルトを傷つけることだけは選びたくない。
正しさではない。優しさがそこにあると、はっきりとわかっているからだ。
返しの呪詛がじくじくと痛む。
クナータは穿たれた指先と砕かれた虎の使い魔から逆流した痛みに呻き、のたうち回りたい衝動を必死に抑え込んだ。
傍らで狼狽するアルティウスの呼びかけと、アサブたちの怒声が聞こえる。
全て、遠い世界の出来事のようだった。
痛み。呪術戦での敗北なんて記憶にはない。思い出にないはずの不確定な未来が、今この瞬間たしかにいまの自分を傷つけようとしている。
肉体を傷つけているこの痛みは、知覚できない目の前に対しての恐怖だ。
ハルベルトの決定打を妨害するという目的は達成したが、利き腕を自らの銃弾で傷つけられてしまった。これで先ほどのような強引な介入はもう行えない。
クナータがわずかに選び取れる自由が、またひとつ失われた。
これはどれほど致命的な事態なのだろう?
未来を回想し、記憶と現在との誤差を計測する。
『いま』は常に記憶と食い違い続けていた。
食い違うようにしているのだから、当たり前だ。
誰もがそうであるように、クナータにとって自由になる時間は『いま』しかない。
彼女にとって世界は不自由に満ちている。
それはあらかじめ決まっている未来の記憶がそうであるように。
あるいは、これから起こりうる過去の行く先が血統の呪縛となるように。
精神に打ち込まれた楔。思考を制限し、誘導する呪いの枷。
響く絶対者の声と、抗えない絶対命令権。
クナータは上位者によって支配される操り人形だ。
ノーグの血統。リーヴァリオンの意思。時十字の瞳を掌握する神の子たち。
たとえばそれは、姿なき来訪者の声となって響く。
「麗蝶に導かれし翅が、あの程度の術者に後れをとるとは。奴らめ、勝手な指示を」
時には、虹を支配する犬の魔女となって彼女を呪う。
「いけませんね。先走り過ぎです。わたくしが復活するまで動くなと命じておいたはずですよ。他の者たちの命令なら理由をつけてやり過ごせと言ったでしょう」
あるいは血統の支配者たる双頭の怪老が手綱をきつく握りしめる。
「スーリウムあたりの指示か? まったぐ余計な真似ばり。だけどもあの娘っこの今の力量が分かったのは収穫だ。ちいと侮り過ぎてたかもしんねえな。あの『歌姫』なら時空ぐれえ超越できる。つうことは、おめえだけでなくスーリウムにも届くかもしれねえ。悪くねえな、こいつは結構なことだ」
当然、美しさを誇る時間樹の支配者は彼女に匹敵する視界でその思惑を牽制する。
「馬鹿なことを。そこまでの忠誠は求めていない。ライラ・ラプスかノゴルオゴルオの支配か? それともリーヴァリオンの指令か。覚えてなくとも、私はどの未来の枝でも説明をしているはずだぞ。その身が宿す命のアヴロノは、来訪者の力を掌握可能だと。それを利用すれば連中の支配は無視できる。この期に及んで奴らに従うふりは必要ない」
超越者たちによって支配されているクナータに自由意志などあるはずもない。
複数の陣営による綱引きと牽制。
勝つための駒として操られる、救世主降臨のための贄。
しかし、それぞれが協調とはほど遠い状態であるため、『心話』のチャンネルは全て個別通信であり情報の共有がなされてはいなかった。それは情報漏洩を防ぐための備えであり、最大の敵が同じ使い魔の座であると理解しているからこその態度でもある。
皮肉なことに、最も強大な勢力である使い魔の座こそが関係性という力の脆弱さを露呈しているのだった。クナータにとって、それは救いである。
「その血に流れるリーヴァリオンの意思はそなたを逃がさない。使命を果たせ」
「わたくしの『虹の首輪』は絶対です」
「おらたつの呪いはおめえの運命を逃しはしねえ。ユディーアともども、その血はディスケイムのもんだと自覚しろい」
「与えられた『秘文字』の意味をよく考えることだ。私の愛しい花」
最後にクナータを手にするのは自分である。
各自がその確信を持って干渉をしているからこそ、誰もそれに気付いていない。
「蝶翅の気配を見せたのは失態だが、お前に覚醒の兆しが出ているのは喜ばしい。あの三人には私との融合を気取られてはいないのだろう? そのまま機を窺え。このままクロウサーやディスケイムの好きにはさせぬ。北辺の失敗をここで取り換えす。陛下の無念を晴らし、賢天主以上の資質を持つお前が新たな光となるのだ」
「あなたがわたくしたちに鞍替えしたのは当然の成り行きなのです。罪悪感など感じる必要はありません。地上の民であれば、その選択は当然と言えるでしょう」
「裏切りが得意なのはユディーアとよおく似てるだなあ。かまわねえだよ。おらたつのいう通りにしとけば悪いようにはしねえから」
「我々は共に未来を統べる力を持つ。私に近い視点で物事を俯瞰する君だからこそ、真っ先に私に接触し、あの連中を利用するという必勝の策を用意できた。品の無い獣も醜い岩も、私が『死角』を見通せないと侮っている。まさにそこが隙となるとも知らずに。私を補完する君と言う視点が存在している限り、我々に負けはない。頼りにしているよ、クナータ」
支配、支配、支配、支配、雁字搦めに縛られて運命を弄ばれる。
誰もが欲する切り札。自分だけが確実に制御できる奥の手。
未来を見通す先読みの聖女は、いつだってあらゆる欲望に求められ続けた。
記憶の果てから、まだ見ぬ過去と血の呪縛に至るまで、ずっとそうだと確信できる。
けれど、たったひとつ、誰にも渡せないものがあった。
「大丈夫、少し干渉されたけれど、ちゃんと思い出は変わらないまま」
誰もが未来に不安を抱えていまを生きている。
それは超越者だろうと、神のごとき来訪者だろうと変わらない。
未来を見ることができるクナータやスーリウムだって、全知全能ではないのだ。
だから聖女は相手が求めている安心を与えるための言葉を紡ぐ。
すると相手は面白いくらい必死になってそれにしがみつく。
望む言葉を望むだけ施し与える。それが聖女の役割だから。
「始まりには、私とあなたの運命が勝っていたわ」
己を呪縛する全員に同じ言葉を送ると、クナータ・ノーグは曖昧に微笑んだ。
回想によって幻視した未来の記憶。
それとはまるで一致しない大嘘を、いつものように臆面もなく口にしながら。
知らないはずの血の呪縛は、いつだって彼女に確信をもたらしてくれた。
クナータにはわかる。これはきっと、血筋に違いない。




