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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第5章 そして夜が明けたあと、百億の怒り

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5-36 名無しの王争奪戦①




 巨大昆虫が空を飛び交う第五階層の隣接異界・虫王の庭。

 どこまでも広がる山野と、緑を裂く枝のような河川。その中にひっそりと隠れていた機械女王の拠点は、いまやその所在を暴かれ、悪意に晒されていた。襲撃者たちは遠目にも明らかな樹皮肌で、ティリビナ人の過激派勢力であることを隠そうともしていない。


「『クイーンサイド』の連中が動いたぞ」


 そんな戦闘の光景を監視水晶で覗き見る集団がいた。

 襲撃地点からやや離れた木立に身を潜めるのは、『ハルムシオンの風』と呼ばれる亜大陸出身の黒檀の民である。

 中心にいるのは一組の男女。頭目のアサブと、その情婦アキレギアだ。


「お手並み拝見ってとこか。せいぜい暴れてくれよ? あんまショボいと『正義の味方』がやりづれえからよ」


「あくまでも失敗時の修正シナリオだろ? 流れ次第じゃ何もせず撤退ってこともある。あんまはしゃぐなよ、アキレギア」


 露骨な好戦性を見せる女に対して、男の態度は冷静だった。

 集団内における両者の立ち位置がうかがえるやり取りだったが、周囲の男たちは慣れたふうに女の振る舞いを受け入れている。女は女で『それが当然』という顔だ。


「おりこうさんだこと。ま、レース展開にも左右されるからね。で、俺らのお友達の『正義のティリビナ人』はいま何位だ?」


 アキレギアが尋ねると、アサブは端末を見て鼻で笑うように答えた。


「最下位」


「うえっ、『悪のティリビナ人』ども、仕掛けるタイミングしくじってねえか?」


「かもな。まあそうそう全部の計画が上手くいったりしねえだろ」


「なら名無し野郎の奪取シナリオが上手くいく方にお祈りしようかね。望み薄だけど」


 これは襲撃の舞台裏だ。もしティリビナ人たちによる襲撃計画が失敗しても、別の成果を得るために方向転換を図るという二段構えの策。

 入念な備え、綿密な計画と評することもできようが、スーリウムを知る者は首を傾げることだろう。全知に等しいティリビナの賢者が、失敗した時の保険を用意しているというのはやや奇妙とも言える。枝分かれする未来を自由に選択可能な怪物にも慎重さが備わっていると解釈することもできるが、仮にそうでなかった場合。


「で? 仕掛けの時はこの粉キメりゃいいんだな?」


「アプリでもいいってよ。豚好きハデスの精神加工。一時的に死を偽装できるって話」


「ふうん。ヒーローごっこも大変だ。パパに隠れてやんねえと怒られちまう」


 それはティリビナ同胞団という総体の意思が統一されていないことを意味する。

 この舞台を支配しているのは、決してスーリウムひとりではないのだ。

 自分たちもまた遊戯盤の参加者であると意気込む黒檀の民たちから一歩離れた場所で、集団と行動を共にする主従が静かに遠くに思いを馳せていた。


「信仰とは、果たして超越的な力への盲従のことでしょうか」


 か細い声を発したのは白と紫を基調とした修道服を身に纏った小柄な少女だ。

 先読みの聖女クナータ・ノーグ。使い魔の座における上位細胞『子宮』、すなわち救世主トリアイナの母体候補である。


「否ダ。そレは、たダの思考停止ニ過ギぬ。ソルダなラば、そう言ったハずだ」


 応じたのは赤亜竜の面を被った男、アルティウス。その装いはクナータに合わせているのか松明の紋章が刻まれた甲冑である。使い込まれた神働装甲は旧式ではあるが、精鋭である代表騎士にだけ与えられる専用機だった。蘇った守護の九槍は何かに気づいたように急いで付け加える。


「今ノは、答えカ? イヤ、返事は不要ダ。我が主ヨ、ソルダの思惑ガどうでアれ、オれはアなタに従うのミ」


 じゃら、と甲冑の肩から飾緒のように吊るされた金鎖が音を鳴らす。

 恭しく跪く男が見えていないかのように、クナータはぼうっとした表情で虚空を眺め続けた。ここではないどこか、いまではないいつかに向かって語り掛けるような独白が続く。

 十字の瞳が視るのは先にある思い出だ。

 回想によって振り返る可能性を、逆行する世界の中で夢見る少女。

 クナータにとって、現実とは不確かに溶け続ける記憶のような道のりだった。


「神を僭称し、契約を持ち掛け、力を与える一方で破滅に導く。それは聖典に語られる悪魔ハグレスの行い。零落した神の末路」

 

 雄々しき男神を悪魔化すれば、それはたやすく傲慢な征服者の姿をとる。

 いかなる善性も有さず、ただ民衆を苦しめるだけの悪意。

 無論、本来なら信仰の在り様はそうではなかった。

 祈りと願い。それらは決して変わらず、揺るがぬものではない。


 試練と苦難をもたらし堕落に誘う悪魔という存在が仮定されている以上、人間の意思はいずれどこかで腐敗していく。少なくとも、槍神教の教義はそれを想定しているのだ。

 因果の捻じれがここにある。

 悪魔によって人が堕落し、信仰が穢されるのではない。

 堕落と穢れがあらかじめ人の心に潜んでいるために悪魔が存在するのだ。

 では、矮小にして愚昧なる老いた神は、人が不完全であるがゆえの鏡なのか?


「煙によって火が灯る。この場合、松明はどちらでしょう」


 ハグレスとは、闘争と勝利を信条とする槍神教に存在するある種の内省的な疑念の顕れとも言える。燃えるような雄々しさの裏側に潜む、湿っぽいナイーブさ。

 殺せ、奪え、勝ち取れ。

 過酷な荒野に信仰圏の楔を打ち込み、生き残るための切実な祈り。


「ハグレス退治に、我ラも参加スべきデは?」


「悪魔の退治。それは迷いとの決別。けれど、問いかけの解はひとつではない」


 かつてそれを成し遂げた者がいた。

 自己への英雄的確信に対する疑念と内省、その克服。

 真なる邪視者という王冠を手にした悪魔殺し。

 松明の騎士ソルダ。英雄にふさわしい偉業だが、クナータはそうではない。

 護衛の修道騎士が望む武勲への憧憬を黙殺したまま、聖女は目を閉じた。


「声が、聞こえる」


 少女の顔のすぐ前に、光り輝く蝶が舞う。

 不思議な存在感と神秘性を持ったそれは、明確な意思を持って聖女の周囲を羽ばたき、何事かを主張しているように見えた。アルティウスが何かを口にするより先に、少女の細い手が動く。残酷な子供のように、きらきらと光る儚い翅をつまみ、ねじる。

 光を無造作に握り潰しながら、目蓋の裏に未来を視る少女は呟いた。


「あなたの夢を、わたしも信じたかったわ」


 その言葉がどこから来てどこへ向かうのか、当人にさえわかりはしない。

 眠るような表情のまま、輝きを握る手を開く。

 そこに載せられていたのは、細く長い鎖。

 だが修道騎士の金鎖とは少し趣が違っていた。

 

 二本の鎖が一対となった二重螺旋の形をしていたのだ。

 片方は煌めくような金。もう片方は融けるような青。

 意味を持たない奇妙な記号は、ゆっくりと少女が目を見開くと手のひらから忽然と消えていた。彼女が振り返る記憶の中に、それはまだ顕れていない。

 



 突如として現れ襲い掛かってきたレナリアの殺意を、短槍を構えたメートリアンは真正面から迎え撃つ。互いに刃で火花散らすこと数合。距離を置き、投擲された短剣を穂先を跳ね上げる動きで弾く。暗殺者の動きは機敏。実戦経験ではあちらが数段上のようだ。


 暗殺者の背後に出現した異形の神像が吼えるのと同時、足元にバナナの皮が出現。理不尽な不運により転倒を余儀なくされる。メートリアンの心が動揺で埋め尽くされた瞬間、エレクトラの肉体が動いた。思考を介さぬ反射で滑り出した右足をむしろ加速させる。

 左足から力みを抜き、短槍の石突で床を蹴ってスライディング。


 レナリアが即座に踏み付けの予備動作に移行。カウンターで足の腱を狙おうと空いた手を貫手の形にすると女は機敏に飛び退った。背中に広げた翼を擦りながら床面を滑り、羽ばたきで跳ねあがって群れる悪鬼たちを蹴り飛ばし槍を振り回して散らす。


「ちょっと! 私の身体! 翼は大事にしてください!」


 文句を言われてしまったが今は緊急時なので無視。

 どうやら転生により魂を同居させているこの状態では肉体までもがアストラル体に引きずられてしまうらしい。もとより霊長類体と亜竜人体を変身呪術で使い分けできるエレクトラだったが、新たな変身部位としてメートリアンの翼が加わったというわけだ。


 背後からの追撃を天眼で知覚しながら回避、悪鬼を踏み台に壁面と窓枠に足を掛けて斜めに疾走。群がる悪鬼を指先で軽く撫でつつ血飛沫を置き去りにしていく。

 エレクトラ/メートリアンの目的はレナリアなどではない。優先すべき目標は別にあるし、この狭い空間で集団を相手にするのは体力の浪費だ。


 走りながら呪符を背後に放ると、『煙幕』が視界を覆い隠していく。目指すのは目と鼻の先にある病室。ちびシューラのガイドが正しければそこにはマレブランケの一員、ファルファレロが収容されているはず。


「お友達は助けなくてもいいの?!」


 レナリアが言っているのは奪われたニアホンのことだろう。人質のつもりかもしれないが、彼女は聖姫セリアック=ニアを甘く見ている。そのための愛らしい容貌だが、これまで大人しくしていたからといって彼女が無害とは限らない。 


「にあー!」


 機をうかがっていた猫姫端末が突如として手足を伸ばし、するりとレナリアの手から抜け出した。狭いところを通り抜ける柔軟さはもはや軟体動物どころか液体の域。

 暗殺者の背後で異様な呪力を放射する神像に飛び掛かり、爪を伸ばしてがりがりと引っ掻くちびニア。神像もまた爪を伸ばして応戦した。


「みぁーおう!」


「フー! フシャー!」


 その神話的闘争に介入することはもはや不可能だ。

 異界の摂理を司る超越存在の激突に時間が軋み、空間が悲鳴を上げる。

 想像を絶する死闘に巻き込まれたレナリアに追い打ちの呪石弾を投擲。爆発と同時に仮想のちびシューラが『えいや!』と手を振り下ろすと、追っ手を遮るように隔壁が降りた。

 しかし、侵入者は彼女が引き連れていた一団のみではない。

 屋上から現れたのは『軍勢』は至る所から病院内部に入り込んでいた。


「うぎゃあああ! 何これ何これ、誰かー! 僕の勝利確率はただいま揺るぎない三パーセントでーす!! 死にたくないよー!」


 背後から聞こえた情けない叫び声に反応して駆け出す。

 通路を曲がった先、絶叫の発生源らしき病室に殺到しているのは夥しい数の悪鬼の群れ。

 別動隊だ。レナリアが率いていたのは本命ではなく陽動。目的はあくまでもマレブランケの奪取だった。なぜ彼女が? とエレクトラが内心で疑念を抱くが、そもそもレナリアの存在を未共有のメートリアンでは返事のしようがない。


 護衛らしき猫科魔獣が必死に抗戦しているが、いかんせん数が多い。

 巨獣が三人の悪鬼を蹴散らす間に身を低くした一人が病室内に滑り込もうとする。

 即座に悲鳴じみた呪文詠唱が聞こえて悪鬼がはじき出されたため、今はかろうじて襲われている本人が抵抗できているとわかる。とはいえ、そう長くは続かないだろう。

 悪鬼の軍勢を打倒しなければならないが、エレクトラ=メートリアンひとりではあの数を倒しきるのは時間がかかる。急がなければレナリアも追い付いてくるだろう。


「あたしの『吐息』でまとめてやっちゃう手もあるけど、あの悪鬼ってまさか『塔』のじゃないよね? 返しの呪詛はちょっと」


「いえ、ルスクォミーズお姉さまの無貌暗鬼《モロレク》にしては質が悪すぎます。かなり遠い加護、第七《とうほう》あたりの呪術で曲解した使い魔でしょう」


 『悪鬼』とは使い魔系統に属する呪術の一種で、ある過激な思想集団や閉鎖的な血族、犯罪組織や忌み嫌われる種族として解釈され得る『集団の指向性』の名前だ。

 『奴らは悪鬼のような連中だ』と誰かが指差すとき、その集団にはレッテルという呪力が纏わりつく。それをあえて逆用することを思いついたのが悪鬼たちの母、キュトスの姉妹が十女ルスクォミーズである。閉鎖性と凶暴性を外敵への矛と成す血族軍勢こそが悪鬼だ。


「襲われてるコも灰になるのはまずいよね。フィリスで広域解呪とか試そうか。『下のモロレクが仲間に混じってる』って半数のラベル上書きすれば同士討ち狙えるかも」


 鈴国共通語で牛人を示すモレクあるいはモロレクとも呼ばれるが、牛人たちが悪鬼に内包されることが多いだけであって、本来はあらゆる個人や集団に悪鬼という呪文《ラベル》を貼り付けることが可能だった。侵入してきた悪鬼たちの印象は等しく狂気と悪意に満ちているが、よく観察すればみなバラバラの眷属種であることがわかる。


 エレクトラとしては効果的な分断策を提案したつもりだったのだが、メートリアンはわずかに嫌悪を滲ませる。仲間への忌避感情をすぐさま理性が取り繕うが、反論はどこか非難するようなニュアンスを含んでいた。


「解析してる時間が惜しいので却下。それより天眼で探知をお願いします。この病棟の周囲と下方向に人はいますか?」


 露呈する感覚の差。密かにショックを受けながら、感覚を研ぎ澄ませる。

 もしかして軽蔑されただろうか。いま嫌われるのはヤだな、と思いながら報告。


「周辺には自動機械と魔獣だけ、非戦闘員は退去済みだよ」


「では痛みにだけ気を付けて。右手親指、解錠《アンロック》!」


「あたしの身体なんだけど?!」


 緊急時なので抗議は無視された。

 メートリアンの心が、エレクトラの生爪を鮮やかに剥がしていく。

 激痛を引き金にして開かれた魂の扉から、勇壮にして荘厳なオーケストラが溢れ出した。力強い歌唱と疾走感に満ち溢れた民謡的フレーズの背後からクワイアとバグパイプが追いかけ、幻想的でありながら重厚長大なメロディーが空間を席巻する。


 趣味的な背景音楽に運ばれて、強大な呪力がその姿を現した。

 メートリアンの内的宇宙『アルタネイフ呪具百貨』から飛び出した『盲目の守護者像』が通路の四方を豪快に破壊しながら出現。悪鬼の群れを吹き飛ばし、ついでに病室の入り口に片腕を突っ込む。室内から甲高い悲鳴。


「ぎゃああああ何なにやめて暴力反対!」


 突如として現れた巨大質量に耐え切れず、通路が崩落していく。隣接異界ゆえに有効であった第五階層の居住者権限で足場を創造《クラフト》しながら小気味よく下階へ移動。二階の床をぶち抜いた巨大石像の肩に降り立ち、そのまま一階に到着した。

 石像が巨大な右手を開く。やわらかく保持していたのは包帯でぐるぐる巻きにされた眼鏡の少年だった。簡素な入院着は乱れ、目を回しているようだが命に別状はなさそうだ。


「ねえこの曲ってメートリアンの趣味? 気分が乗るから支援呪文に? その、ちょっとダサ、古、いやかっこいい趣味だね」


「ちゃんと取り繕え」


「ああ、お父さんの趣味かあ」


 メートリアンはこれ見よがしに舌打ちした。心を勝手に見られた苛立ちもあるが、心理障壁を無意識に取り去っていた己の無警戒ぶりへの怒りがより大きい。

 それから取り繕うように凄まじい早口で捲し立てた。


「何ですか? 私は父親に関係した全てを否定しなければならないと? じゃあ呪具どころか日用品も錬金術も使用言語資源も丸ごと放棄しないとですね。文化に罪はないと思うんですけどあなたの意見は違うようで、なるほどたいへん先進的なお考えです」


「いや音楽って環境だし、小さい頃に耳に入ってきたやつの影響受けたりするよねって思っただけ。あたしもお父さんのレコードいっしょに聴いてたから一緒だよ」 


「そう、ですか。え、レコード? 今の時代に?」


「古いものがいっぱいある実家だったんだよー。今でもたまに聴いて、生きてた頃のこと思い返したりするんだ。そういうのもあるのかな、って考えるのはちょっと無遠慮だった?」


 上の階から落下してきた悪鬼の群れを巨大な腕が一閃。

 気配を消して忍び寄るレナリアの奇襲を振り向きざまの短槍が迎撃。

 メートリアンは溜息を吐いて眉根を寄せた。


「無遠慮というより喧嘩売ってるのかって感じですけど、いいですよ別に。でもあなたって距離の詰め方が下手すぎません?」


「いや緊急事態だからガガッと詰めてササッと打てば響く関係になっときたくて。戦闘時の連携に信頼関係は必須でしょ?」


「そこは嘘でもいいから仲良くなりたい的な呪文でデコっといて下さい」


 一階に逃れても包囲された状態は変わらない。

 それどころか、敵の数はむしろ増えている。

 ずんぐりとした筒型体型と頭部で広がった傘が特徴的なキノコ人たちは、別の地点から侵入してきたティリビナ勢力の戦争奴隷たちだろう。数としてはわずか五人ほどだが、鞭を手にした歩く巨大花もいる。純顕花と呼ばれるティリビナ人の支配層だ。

 屋上から侵入したレナリアたちとは別の勢力。というより、レナリアが予定外の乱入者なのだ。混乱に乗じての行動だろうが、迷惑なことこの上ない。


 執拗に迫り来るレナリアと鍔迫り合いを演じながら次の行動を思案する。

 護衛対象を確保したのだから、他の戦力との合流を急ぐべきだ。

 石像と共に中庭方面に向かう手もあるが、天眼はその付近で巨大な呪力を感知しており更なる危険を示唆していた。


 先ほど救出した眼鏡の少年には猫科魔獣一体しか護衛がいなかったのとは対照的に、機械女王に雇われた転生者たちの大半は中庭に集められているようだ。少年の戦闘力を評価していた、というわけではないだろう。


「重要な護衛対象は『名無しの王』だけってこと?」


「戦力が限られている以上、合理的な判断です。敵も最優先で狙ってくるでしょうし」


 エレクトラの心中にやや複雑な感情が去来し、メートリアンが訝しむ。『塔』式の圧縮言語で内心では高速で会話できるとはいえ、詳しいことを説明している余裕はない。行動の優先順位について悩んでいると、コミカルに動く二頭身が目の前に飛び出した。ちびシューラは施設内の簡易マップを表示。正門ではチリアット、別棟ではクレイ、中庭ではラプンシエルとミヒトネッセが交戦中という文字が強調されている。


「他の襲撃地点は心配無用だから、できればファルファレロを連れて指定位置まで敵を誘導して欲しいな!」


 ちびシューラが指差す方向に意識を向けると、病院からの脱出経路とその後の目標地点、罠や待ち伏せの詳細な情報、さらに施設そのものが『花火の打ち上げ』により『打ち上げ用の空き地』になるまでのタイムリミットが示される。最終的には『ここには何もなかった』ということにするつもりらしい。おそらく襲撃事件を露見させないために過去視対策まで徹底するはずだ。


「うわあ」


「『名無しの王』まで囮ですか。雇った戦力ごとミヒトネッセの遁甲術で逃がすから問題なし? いや大ありでしょ」


 最悪の場合、『転生アプリがあるから死んでもいい』くらいのことは考えていそうな気配さえある。安上りな転生は生と死の価値をどこまでも貶めるということだ。

 わざわざ護衛対象を分散していた理由がやっとわかった。エレクトラと『名無しの王』を近づけなかったのは偶然か、それとも機械女王は全てを理解しているのか。


「北側の森で待機してる予備戦力にファルファレロを引き渡したらそのまま中継整備所に移動して、メートリアンはクリーナーが来るまで待機! こっちは任せて!」


 ちびシューラの快活な笑顔に騙されそうになるが、機械女王が油断ならない魔女だという事実を再確認しなければならない。

 いずれにせよこれ以上の長居は危険だ。

 二人は石像に壁面を破壊させると建物の外に逃れた。


「逃がさない」


 追撃しようとしたレナリアだが、その直後に弾かれたように飛び退った。逃げ遅れた悪鬼たちに次々と襲い掛かったのは呪詛の雨。敷地の外に待機していた戦力が一斉に援護射撃を行ってくれたのだ。雇われた探索者たちはエレクトラの知る限りでも黒曜騎士のハイマン、『牛飼い』のオーテス、『啄《ついば》み』のクロウといった手練れが揃っている。


 無神論を主張する黒曜石の槍が偽神の誘惑を跳ねのけ、使い魔の凝視水牛《カトブレパス》が悪鬼の群れを地に這わせる。広範囲の邪視から逃れた者たちは、空中から襲い掛かった鳥人《バードマン》の跳び蹴りの餌食となった。

 紀人としての権能の要らしき神像がまだ三階でちびニアと戦い続けているためか、レナリアは攻め手を欠いている。横合いから叩きつけられた呪詛をかろうじて回避するも、既にエレクトラたちとの距離はかなり離されてしまっていた。


「こっちが盗賊王の眷属に対策してないと本気で思ってたの? 甘すぎだよ」

 

 ちびシューラの冷ややかな言葉を証明するように、三階から落下してきた神像はちびニアだけではなく複数の獅子に取り囲まれてその動きを封じられていた。猫科魔獣が持つなんらかの特性が、この神像に対して有効だったのだろう。ちびニアが神像の上に立って勝利のポーズを決めると、それに呼応して猫科魔獣たちが吼える。


 進退窮まったレナリアが退路を探し始めたその時だった。

 敷地の外側、施設を覆い隠す木立の向こうからよろよろとした足取りで誰かが現れる。

 一見して燕尾服を纏った紳士だが、顔面が半球状に抉れているのが異様だった。


「情報屋じゃねえか、一体どうした」


 増援の探索者たちの愕然とした反応でガロアンディアンに雇われた味方だとわかったが、どうも様子がおかしい。現れた男は手に持った魔導書を掲げる。表紙に張り付いた人面が引き攣った笑みを浮かべ、口を開いた。


「参りました。慣れぬ前線でこれは、割に合わな、い」


 書物が血を吐き、手にした男と共に大地に投げ出される。

 どよめきが広がる。エレクトラは知らなかったが、メートリアンはダリオ・タイオンという古株探索者の名を思い出した。本来はあまり戦場に姿を現さない情報屋だが、熟練の呪文使いとして知られているらしい。

 更には石像の手の中で丸くなっていたファルファレロが悲鳴のような声を上げる。


「なんかヤバいですよこれ! 『花火』が解呪されてます! 『塔』式の防壁とセージさんの皆殺し迷路を掻い潜るなんて無茶苦茶が、あぐっ」


 少年は何故か言葉の途中で不意に白目を剥いて気を失った。

 立て続けに呪文使いが倒れるという異様な事態を好機と見たか、レナリアが猛然と石像に迫る。目の前に立ちはだかってそれを防ぐエレクトラ。

 次の瞬間、背後を風が通り過ぎていく。


「ちょっと、エレクトラ?! どこ見てたんです?」


「うそ、天眼が化かされた?!」


 レナリアとの完璧な連携でエレクトラの背後をとった誰かは、石像に守られているはずのファルファレロを鮮やかに攫ってみせた。メートリアン自慢のゴーレムは片手の指だけを綺麗に切断されており、おそるべき早業がそれを可能にしたことがわかる。

 敵の姿は何故か捕捉できない。怒りをぶつけるように眼前のレナリアに攻撃を加えるが、思いのほか手応えがなかった。跳び退った女の表情もまた愕然としている。

 

 まんまとしてやられたが、それにしてはレナリアの様子が奇妙だった。

 覇気がなく、それどころか今の状況に驚いているようでもある。

 制圧されている神像を凝視して、引き攣った表情で呟く。


「馬鹿な。私のイシルドゥムアを、ハグレス様の声を、偽装したの?」


 直後、紀人の力である神像が熱と光を放射しながら爆発した。

 正確には、紀人の権能を再現していた偽物が。

 エレクトラとメートリアンの魔女としての知識が告げている。

 レナリアが使用していた神像は何者かによって再現された『化身』だ。


 紀人の力を偽造し、気付かれないように本物とすり替える。

 いったいどのような詐術を用いれば可能になるのか想像もつかない、新しき神さえ欺く卓絶した呪術。敵はレナリアをコントロールして陽動に用い、万全の守りを固めていたはずのガロアンディアンを出し抜いたのだ。


「まとめて爆破とかちょうウケるー。皆殺しにされるとこだったじゃんね、こわぁ」


 異様な存在感に反比例するように、ひどく軽薄な声だった。

 鳥人が枝に串刺しにされている。凝視水牛が血の中に沈んでいる。黒曜石の甲冑が中身ごと両断されている。探索者たちと同居していたアストラル体の気配が遠ざかり始め、ちびシューラが慌てて回収に走る。いつの間にか木々の上に腰かけてぶらぶらと足を揺らしていた誰かは、樹皮の肌を持つ女だった。


 黒と灰に染められたローブを身に着けたティリビナ人は、膝の上に乗せた少年の身体を片手で支えている。にこにこと目を細めて笑う表情には毒気がないが、それでも威圧感にエレクトラたちの身が竦む。


 原因はティリビナ人の額にある。

 左右の目が細くなった柔らかい笑顔の中で、中央上部に位置する目だけがこちらを凝視し続けていた。額に第三の目を持つティリビナ人の存在を二人とも知らなかったため、彼女だけの特性なのか、あるいはは亜大陸でも少数氏族なのかは判断できない。


 確かなことは、第三の目はほぼ確実に強力な邪視を発動させるための器官であるということだけ。現実改変がこちらに及ぶ前に仕掛けようとレナリアとエレクトラが同時に動いた。短剣、短槍、呪石弾が投擲されるのに合わせて呪文による追撃。時間差で襲い掛かったそれらの脅威を、ティリビナ人は事も無げに防ぎ切る。


 恐ろしく迅速で高精度な『静謐』だ。同時に放たれた個々の攻撃に対する完璧な返し呪文。踊る指先と無言の歌、遅延呪文と額の邪視による強固な守り。『塔』の徒弟にもそうはいない、対抗呪文の達人だった。

 レナリアがぎり、と歯を軋ませた。

 屈辱の怒りを視線に込めながら誰何する。


「あなた、何者?」


「モーリュでーす。所属は薔薇の結社ぁ。位階はー、天主式だとビショップだよー。あっ、そうそう。レナリアさん、悪鬼の軍勢のプレゼント、ありがとねー」


 いつの間にか、異文化に由来する理解困難な呪文が大気を伝播して悪鬼の軍勢を覆い尽くしていた。レナリアが引き連れていた兵力は今や完全にモーリュと名乗ったティリビナ人に掌握されてしまっている。『流れ』を操作して味方に付ける呪文使いの真骨頂。いま、この場に君臨する王者は紛れもなくモーリュだった。


「ゴーリー、ウルムゾリム、精神防壁が無事な者だけを連れて一時撤退。別動隊と合流してティーアードゥの器の回収に切り替える」


 いいように使われたレナリアは無事な配下のみを連れて離脱することを即断。

 残されたエレクトラとメートリアンもまた情勢の決定的変化によって方針の転換を余儀なくされた。病院を爆破する備えは失われ、護衛対象が攫われてしまっている。この状況での離脱は敗走と同じだ。


「で、どうするー? メイファーラちゃん、やっぱり私たちとは協力むりそうー?」


 返事のかわりに駆けだすと、動き出した石像の拳がモーリュが座る木に叩きつけられた。

 飛び降りたティリビナ人が真横に投げた少年の方には向かわず、危険な敵を優先して貫手を放つ。二人が狙ったのは七情点穴による制圧と『狂乱爪』による拘束。驚異的な反応速度で構築された防御障壁が呪術的干渉を防ぎ切るが、敵の作り出した構築物に接触したことでエレクトラの特殊能力が発動する。


 直接の接触でなくとも、灰神が届く空間であれば過去視は可能だ。

 どんな難敵でもその過去を覗き見れば手の内や狙いは明らかになる。

 得体が知れない相手であるほどエレクトラの過去視は有効。

 そのはずだった。

 時間にしてわずか一瞬。敵の過去へと遡ったエレクトラはモーリュの過去を知り、


「なに、これ」


 よろめくように後退し、震える声を喉から絞り出す。

 エレクトラの額から冷たい汗が流れ落ちた。

 宿主の心臓が早鐘を打ち始めたことに困惑するメートリアン。

 明らかに尋常な精神状態ではない。


 モーリュは敵の眼前だというのに両手を後ろに組み、片足ずつ宙を蹴り上げるように歩きながら大地に横たわるファルファレロに近づいていく。メートリアンが石像に攻撃させようとするが、何故か命令が届かない。見れば緑色の縛鎖がいつの間にか巨体を拘束していた。

 楽しそうに歩くモーリュの足が止まる。

 こちらを見つめるティリビナ人の表情は優しく、それでいて恐ろしい。


「この組み合わせって懐かしいよね。フォービットデーモン以来かな? 彩石ゲームは途中で降りちゃったけどさ」


「あたし、知らない、違う、これはだって、エストとの」


 メートリアンは意味の分からない、というより分かりたくない会話に動揺していた。

 確かなことはひとつ。モーリュの過去は見てはならないものだった。

 敵はエレクトラを狙い撃ちにしてきている。


「思い出したー? メイファーラちゃんとまた会えると思ったら私もなつかしくなっちゃってさー。さっきアルバムとか見てたんだよね。ほら、覚えてるっしょ? 葉っぱのアルバム作ったじゃん、カルルアルルアお姉さまのとこで記憶を焼き付けてー」


「覚えてない、そんなの覚えてないっ!」


 切羽詰まった表情でエレクトラが叫ぶ。

 メートリアンは恐怖を覚えた。

 肉体から伝播した感情が、同居人を巻き込んで破滅に引きずり込もうとしている。


「ねえ、やっぱ戦うのやめよ? 私たち、『塔』で一緒に学んだ友達じゃん」


 その言葉で仕掛けの正体を確信し、戦慄する。

 モーリュの語る過去は虚言などではない。

 確かに存在した『もしもの歴史』だ。

 友情が実在していたからこそ、エレクトラの過去視は呪いに変わる。


「『塔』の並行矛盾史。あなたは、エストの」


「んー? エストって誰のことー? わっかんなーい」


 返答はまたも理解を拒む内容だった。

 モーリュはティリビナの巫女の『もしも』ではないのか?

 そもそも、ティリビナ人勢力の狙いはクナータの眼球をエストに移植して救世主をティリビナ人として生誕させることのはず。簡単にティリビナの巫女を増やすような真似ができるのならそもそもエストを狙う必要はない。つまり、モーリュはエストのような特別なティリビナ人ではないということになるが、判断を下そうにも情報が不足し過ぎていた。


 エレクトラは混乱する意識と記憶の中で、必死に正気を取り戻そうと足掻く。

 己の中で不整合を起こし続ける異常な事実が知覚をかき乱す。敵の精神に潜って情報を正確に取捨選択することさえできなかった。恐らくこの相手は過去視を使われることを前提に、自分に対する精神操作呪文を使用していた。心に触れられた瞬間、特定の情報のみを読ませる罠を仕掛けていたのだ。


「エレクトラ。いま、私にも感情が伝わってきて大変なことになっているんですが」


「うん。そっちの分のブレーキもこっちに伝わってきてる。意外だな~、メートリアンってエストのことけっこう好きだったんだねえ」


「今にも死にそうなあなたに言われたくないですね」


 何より最悪なのは、二人の戦意が完全に消え失せていることだ。

 まるで、エストを殴れと言われた時のような忌避感。

 刃を振り上げて殺そうとしていた敵が実は友達だった時のような後悔。

 友情がもたらす苦痛。二人は、もうこの敵と戦えない。

 よって、エレクトラは即座に対策を実行した。

  

「えい」


 己のこめかみ、首、腹腔、手掌に灰神を纏わせた状態で貫手を放っていく。

 点穴による感情抑制は劇的な効果をもたらした。

 世界が色褪せて、あらゆるものの価値が低下していく。

 ばかばかしい。いったい、これまで何をやっていたのか。

 無造作に間合いを詰める。相手がどれだけ優れた対抗呪文を編もうが関係ない。

 右手に具現化した鉤爪を振るえばいいだけの話。


 血統術の精髄たるオルガンローデの刃が障壁をバターのように引き裂いていく。ティリビナ人の服と樹皮を僅かにかすめたが、笑顔で飛び退ったモーリュとの距離が急速に遠ざかっていった。地面のファルファレロも一緒に移動していることから考えると、空間移動の術だろう。高速移動による石像からの人質奪取と探索者たちへの攻撃。天眼への干渉。


「なるほど。第三の目はティリビナ式の天眼か。こちらの妨害と限定空間に対する干渉、三眼瞬知とはロジックが違うのかな」


「え、何ですか、これ」


 冷静に敵の戦力を分析するエレクトラとは違って、頭の中で喋り続ける厄介な同居人は未だに戸惑いを抱えている。

 正直なところ頭が痛い。エレクトラは過去の自分を呪いたかった。

 一時の衝動に流されて重大な秘密を漏らすなんて、愚かにもほどがある。

 友情? 頭にお花畑でも作るつもりか?


「最低。自分が信じられません。よくもまあ、こんな裏切り者と共闘しようだなんて」


 状況を呑み込み始めたメートリアンが吐き捨てるように呟いた。

 冷え切った感情と共に、同居人に対する情が急速に熱を失っていく。

 戦うために余分な情を減退させて冷静さを取り戻したのだが、その結果として仲間との信頼感や結束が破壊されていた。


「ちっ、その鉤爪、邪魔なんですけど? 召喚と『狂乱爪』が使えないじゃないですか。間合いが離れてるんですから近接馬鹿は主導権渡してくださいよ」


「大した火力もないくせに何言ってるの? 足手まといだからメートリアンは引っ込んでて。人の頭できゃんきゃんうるさい」


 一瞬で険悪になった二人の心身はバラバラで、息の合った連携など到底不可能だった。

 共感《シンクロ》率の低下によって波長の異なる呪力は乱れに乱れ、心身不一致からのパワーダウンによりコンディションは最悪の一言。

 もちろん二人とも、ここまでが敵の狙い通りだと頭では理解できていた。


「ちょっと、勝手に腕の制御とろうとするのやめてよ! うわ下手! 運動音痴! 音楽センスだけじゃなくて運動センスまでゼロなの? あっ、サイバーカラテ道場とか勝手にインストールしないで、あたしの身体でそんなの使うなばか!」


「はぁ? 魔女のくせに棒切れ振り回すしか能の無い大馬鹿に馬鹿って言われたくないんですけど? 下らない拘りと時代遅れの忌避感で有用なツールも使えないとか中身おばあちゃんですか? あと音楽センスに関しては後で殺しますからねマジで」


 それでも一度入った亀裂は簡単には修復できない。

 目の前の敵と戦いながら心の中で同居人と取っ組み合いを繰り広げる。

 構図としてはもはや一対二ではなく、三つ巴の戦いになっていた。


「ちょう悲しいー。友情はもっと大事にしなよー」


 泣きまねをするモーリュは余裕の表情で粗い攻撃を回避しつつ、ファルファレロを背後の悪鬼に預けた。いつの間にか、支配下に置いた軍勢がエレクトラとメートリアンをじわじわと包囲している。更には他の地点から侵入してきたキノコ人奴隷や武装したティリビナ人たちまでもが姿を現す。絶対的に不利な状況下で、モーリュはまだ底が見えない。


「どうしよ。もう一度ガッて自分に感情ぶちこんで友情復活させるか? いやそれだと戦えないし。あ、友情以外の感情で絆を再構築するとか?」


「念のため訊きますけど、何の感情を?」


「恋。『メートリアンしゅきしゅきだいしゅき』って感じでよければできるよ。嫌だけど。本当にぜったいぜったい無理だけど」


「それ私もあなたに対してそうなるってこと? 断固拒否します。こっちだって嫌です。あなたのこと好きな人とかいないでしょ。誰かに感情植え付けるとか空しくならないですか? でもあとでアズーリア様にやって?」


「うわっ、さいてー、普通に引く、卑劣で気持ち悪い」


 関係修復の打開策は皆無。

 相性が良いという幻想は砕け散り、二人の間にはただ嫌悪と隔意が横たわる。

 冷えた空気の中、絶望的な戦いの先は見えないままだった。




 剣は文脈に沿って芝居を裂く。

 クレイが行う剣舞は『美しい動作の延長線上にある振り付け』であると同時に、『原作』の表現意図を出力するための呪文でもある。

 『斬り裂く』というジェスチャーはただの言葉でしかない。どれだけ洗練された所作であっても、華美な言葉ひとつで観客に訴えかけられる感情は程度が知れている。


 だがそれが『亜竜王アルトが苦悩の末に乳兄弟に振り下ろす刃』であったなら。

 『狂王子ヴァージルが憎しみを叫びながら父に向ける剣』、『己の血族をその手にかけていく反逆者パーンの血塗られた義手』、『寝取られ王オルヴァが妻に突き立てる凶刃』、『虐殺の嵐が吹き荒れる中、美しき髪のマラードが勇ましく掲げる返り血なき剣』。


 戯曲に書き添えられた詳細なト書き、演出家の視座が定めるフレーム、役者の解釈と掘り下げ、それらが凝縮された呪文が肉体言語魔術の精髄だ。

 流れを踏まえてこそジェスチャーという単語は文章になる。

 肉体言語によるコミュニケーションは、連続的かつ複層的な目に見えない情報の圧縮だ。

 しかし。


「ああ?! 意味がわからねえな! 何だその無駄な動作はよぉ!」


 施設内を揺さぶるような豪快な声は、決して悪意や意図的な無理解に基づくものではなかった。より根本的な前提の欠如と差異がクレイの刃を鈍らに貶めている。

 重い踏み込み。裸足の足は大地に根ざす大木さながら。

 病院の本棟に隣接する第二病棟。その床が砕け、植樹の足踏みが巨体を支える。

 

「おらぁっ!」


 全身を覆う樹皮を特徴とするティリビナ人の男は、その巨体に匹敵するほどの大剣を左右の手で軽々と振り回した。巨木から掘り出したような、重みのある木製の鈍器だ。刃は鈍いものの、重量が途轍もないため鋭く削ったエッジは十分な切断力を持つ。

 空間を縦横無尽に蹂躙し、四方八方を瞬く間に制圧する豪快な暴力。

 同じ二刀使いであるクレイの刃で迎え撃つのはいかにも分が悪い。


 相対している巨漢は、比較的長身と言えるクレイより更に大きい。

 サイバーカラテ道場の導入によりガロアンディアンにはメートル法が馴染みはじめているが、樹皮を押し上げる筋肉の分厚さから一瞬だけ三メートルほどもあるのではないかと錯覚したほどだ。実際には二メートル台だろうが、それでも凄まじい体躯である。


 もちろん、呪術戦において体格差は絶対的な優位にはならない。

 クレイの武器は刃に乗せた呪文にある。

 問題は、突如とした現れたこの襲撃者がクレイの強みを的確に潰していることだ。

 独自の文化を持つティリビナ人はクレイと同じ文化的背景を持たない。それは当たり前のことで、クレイとてそれくらいは織り込み済みで演出プランを組んでいる。


 しかし、敵のティリビナ人剣士はクレイからの『通じさせるための工夫』をことごとく拒絶し、破綻させるための対策を仕掛けてきていた。

 巨漢の両腕が軽々と大剣を振り回す。

 その軌跡は決して乱雑なだけではない。一定のリズムと合理性に基づいた音楽的な斬撃と呼べるものだ。クレイはティリビナ人の見据えている対象が自分だけではないことに気付く。手刀と切り結び、押し返すたびに感じる『弾み』が原因だ。


 刃を交わすたび、どこか小気味良いのだ。

 それでいて、何かが致命的に噛み合わない。

 想起させられたのは知らない旋律と異文化の香り。

 それを認識することで呪文が成立してしまうことを予期しながらも、クレイは答えを口にせずにはいられなかった。敵の意図に、どこか好ましさを感じていたからだ。


「大太鼓、か?」


「正解。俺の地元じゃ一番の力自慢がやる祭りの主役だ。まあちょっと聴いてくれや」


 ティリビナ人の目には、クレイと重なり合うように虚空に描いた大太鼓が見えているのだろう。ドラムスティック(バチ)の役割を果たしている大剣を一定のリズムで叩きつけることで、ティリビナ文化を伝播させると同時にクレイの剣舞の拍を的確にずらしている。

 肉体言語魔術に対しての対策はそれだけではなかった。


 失った視力のかわりに得た鋭敏な霊感が教えてくれる。実像こそ見えていないが、イメージし続けている仮想的観客の反応が間接的に世界を反射しているのだ。

 目の動かし方、舌を繰り返し鳴らす音、唇の樹皮をすり合わせる表情、頭部を上下に振る仕草、肩や肘を使った感情表現、足踏みや床への根付きに関連した複雑な動作の組み合わせ、それらの全てがティリビナ的なジェスチャーを主軸にした別文明圏の肉体言語魔術だ。


 その中の幾つかは、クレイが知る感情表現や芝居がかったお約束の記号に通じる。

 否、最初は通じるように見えたのだが、厳密には違う。

 微妙にニュアンスが違ったり、完全に意味が逆であったりしたのだ。

 『不快』や『怒り』の発露としての芝居を刃に乗せた瞬間、相手はほとんど同じ演技プランで斬撃を繰り出して『快』や『興奮』を示す。


 舞台上で感情と感情が激突するかに思えたその時、呪文はするりと力を失った。

 『同じ動作でも文化によって意味が全く異なる』というパターンをぶつけて『理解し合えない』と言語魔術の成立を拒否したのだ。ほぼタイムラグのない、反射神経に依存したアドリブ。クレイの演技を見てから即応する、舞台上での呼吸の上手さ。意図的に合わせない演技は、意図的に合わせられる技巧がなければできない芸当である。


「お前は、何者だ」


 ここにきて、はじめてクレイは相手の名を尋ねた。

 敵は『知らない』わけではない。

 こちらの文化を理解した上で、何が違うのかを正確に把握していなければ『こちらとそちらの文化はこうも違う』ということを表現できない。

 『我々はこの差異ゆえに分かり合えない』という明確なメッセージは、拒絶の暴力であると同時に対話の意思を伴っているようでもある。いま、両者は肉体で語り合ったのだ。


「問われたら宣名しねえとな。マナタル勇者戦団のルーク、ヒュレーだ」


「クレイだ。既に知っているようだがな」


 言いながら身構える。所属組織の名は耳になじみがないが、ティリビナ同胞団と無関係ということはないだろう。責任逃れや切断処理用の下部組織だろうか?

 わざわざ盤上遊戯の駒を名乗ることにも文脈を乗せていそうだが、詳細な意図は不明。

 クレイはヒュレーと名乗った巨漢の動きに集中する。背後の事情を考えている余裕はない。この男はそれほどの難敵で、このシーンは極まった窮状なのだから。


「うわああん! 何でこんな目に! 僕はいちおう同胞団なのに! こいつらティリビナ同胞団じゃないのかよう!」


 クレイの背後で悲鳴。やや広めの空間が確保されている別棟のエントランスで、古めかしい箒を抱えたキノコ人の少年が大きな傘をびくびくと震えさせている。

 成り行きで行動を共にすることになったキノコ人の『掃除屋』と、不本意にも助けることになってしまったノゴルオゴルオの関係者らしきトロルの女、アルテミシア。


 治療と避難のために機械女王に誘導されるままこの病院を訪れたクレイたちは、そこでなぜかマレブランケのひとり、カルカブリーナと遭遇。

 今にして思えばクレイに護衛を押し付けるためだったのだろう。

 怒りを刃に乗せながら抗戦するが、はっきり言って分が悪い。


「おいっ、もうちょっと丁寧に運んでくれ! 怪我に響くし狙いが定められない!」


 キノコ人に向かって怒鳴っている入院着の青年はクロスボウを構えて正面玄関に向かって呪石弾を射出している。まだ安静にしていなければならないため、キノコまみれの浮遊するベッドに腰かけたまま戦闘に参加する羽目になっていた。

 襲撃者のリーダーらしき男と戦うクレイは他の面々に外へ脱出するように言ったのだが、事態はそう易々と運ばなかった。


 警備のために配置されていた猫科魔獣や自律石像、警備砲座やドローンが次々と突破され、伏せられていた戦力の転生アプリユーザーまで後退を余儀なくされている。

 カルカブリーナがエントランスにクラフトしたバリケードは猛烈な呪詛砲火に晒されていた。遮蔽物を必死に追加のクラフトで修繕しながら男が叫ぶ。


「いちおう、ここも第五階層扱いだから権限は生きてる! リソースを集約すれば俺の手持ち設計図にある『砲塔』をクラフトして、お前のキノコで浮かせて正面突破できるかもしれない! 余裕あるやつ、協力してくれ!」


「あ、それだと重量オーバー! 僕じゃ無理!」


「マジかよどうすんだこれ!」


「ぎゃあぎゃあとうるさいぞお前ら! ただでさえ、さっきから通知がうるさくて集中できないのにっ! 転生アプリなんて知るか!」


 半ばパニックになって騒ぐ『掃除屋』とカルカブリーナに向かって、下半身が蛇の少女が振り向かずに罵声を浴びせた。

 アルテミシアはカルカブリーナに比べて軽傷だったため、怪我そのものは呪術医療によって回復していた。今もバリケードの前に出て真正面から敵集団の攻撃にその身を晒しているほどだ。矢や投石、呪詛が顔面や胴体に直撃しているが、なめらかな素肌は傷ひとつない。


「枯れ木ごときが、つけあがるなっ」


 白い髪と輝く瞳が妖しい光を放射すると、あらゆる物質を石化させる邪視が空間を術者の世界観で染め上げていく。粉々に砕けている正面入り口のガラス扉を透過した視線は呪術攻撃を行っている襲撃者たちを真正面から捉えた。

 邪視が世界の在り様を改変し、石化現象が敵をその場に固定していく。

 しかし、その後が続かない。


「前列、盾構えっ」


「応!」「応!」「おおおーう!!」


 屈強なティリビナ人の男たちが、勇ましい雄叫びを上げながら木製の大盾を構える。

 刻まれた錬金呪紋と接ぎ木された詠唱造花が『挑発』に近い呪的効果を発揮して邪視を前衛たちに誘導。後衛たちは呪符と各種薬品で被害を軽減。ティリビナ人のイメージにそぐわない近代的な呪術戦闘に適応した装備だ。先進国の正規品と比べると呪具の品質こそ低いが、ティリビナ的な木製武具に後付けしても機能する程度には安定感がある。


 邪視者の注目を集めるための『恋焦がれの盾』や『歌う盾』などで現実改変によるダメージを引き受けつつ、後衛は陽根や槍の魔除けで身を守りながら前衛を解呪し続けている。

 防御優位の局地的な小規模戦闘において、前衛はその場で踏みとどまって反撃を受け止めるのが仕事だ。敵を逃がさないためであればその場に固定されることは大きなデメリットとは言えない。部隊全体で邪視の影響をコントロールするという対処法は個人でしかないアルテミシアを徐々に疲弊させていった。


「生意気なザコども、身の程を教えてやる! 我がまことの名を聞くがいい! 呪祖に連なるフレウテリスが招く災いを観よ!」


 聴く者すべてを威圧するような宣名と共に女の瞳がいっそう強く輝いた。

 白い女が実行したのは『注視』と呼ばれる技術。

 邪視の効果範囲を狭めることで、世界観の強度を飛躍的に高めることができる。

 アルテミシアは広範囲の足止めではなく各個撃破を優先したのだ。


「注視確認! 視線誘導と引き固定よぉし! 決闘宣名の代理を申請します!」


「引継ぎ確認! 各員、決闘宣名を開始っ!」


 狙われたひとりが完全に石化しきる直前に発した叫びに呼応して、ティリビナ人たちが順番にマナタル勇者戦団の所属と共に己の名を高らかに叫んでいく。

 宣名はいずれも個人間の決闘を申し込む内容。本来なら付き合う義理はないが、『注視』された犠牲者が決闘用の宣名を仲間たちに引き継いだことで事後的に決闘の同意が成立していた。『目が合った時に決闘が成立する』という文化を重んじる戦士たちは各地に存在するが、このティリビナ人たちは戦術的な目的で採用していた。


 結果としてアルテミシアの邪視は効果範囲を完全に掌握、誘導されてしまう。

 誰がどのくらい狙われるのかが判明すれば、適切な防御と治療が可能だ。

 手が空いた前衛たちがじわじわと前進しながら呪詛を放ち、ほとんど無敵の硬度を誇るアルテミシアを素通りして背後のバリケードを削り取っていく。


 高位の邪視者には傷ひとつないが、戦場においてはほぼ置物と化した。

 数名の囮が治療を受けながら交代で決闘宣名のパスを繰り返すことで視線を釘付けにしている間、ティリビナ人たちが凄まじい勢いで病院内部に侵入。伏兵の探索者たちが奇襲を仕掛けるが対応され、場は一気に乱戦の様相を呈してくる。ティリビナ人たちの戦意は変わらずに高いままだ。


「我ら勇者戦団は不滅!」「不屈!」「不敗!」


 マナタル勇者戦団と名乗ったティリビナ人たちの士気と練度は明らかに武器を持たされただけの民兵の域にはない。現代呪術に精通した術者によって訓練された兵士たちのそれだ。

 正規軍との戦闘を想定していない武装勢力などは存在しないのだから、ある意味では当然と言える。とはいえ、第六階梯の邪視者を完封できるというのはただ事ではない。

 そのとき敵集団の叫びを聞いた『掃除屋』が何かを思い出していた。

 

「そ、それってかなり昔に壊滅した過激派組織のはず! ティリビナ人も助けてる病院を襲撃しようとして、『塔』の魔女エクリエッテに滅ぼされたとかって」


「知らないな。架空の歴史を紡ぐのが趣味の小説家さんかい?」


 豪快な斬撃を受けきれず、吹き飛ばされてきたクレイにキノコ人が慌てて飛びのく。

 二振りの巨大な剣を纏めて右肩に担いだ巨漢、ヒュレーが乱杭歯のような樹肌の唇をかつかつと鳴らしながら笑う。敵集団が攻めてきている正面からは逃げることができない。他の通路では別動隊のキノコ人奴隷と猫科魔獣が死闘を繰り広げている。挟み撃ちにされたクレイは歯噛みした。


「あのキュトスの魔女なら俺の先生が説得してくれたよ。今じゃ『緑の君(エクリエッテ)』は俺たちマナタル勇者戦団の戦闘教官さ」


 その言葉が正しければ、この部隊を訓練したのは最古の学び舎にして呪術の最先端たる『星見の塔』の魔女ということになる。

 本来、歴史的事実と食い違う証言が正しいはずはない。

 にもかかわらず、その虚構には異様な真実味があった。


「そもそも、裏切った同胞なんざ死んでいいだろ? 敵の病院も学校もガキも弱者も、真っ先に潰した方が長期的には有利だろうがよ。日和ってたら皆殺しが達成できねえ」


 当たり前のように絶滅の意思を刃に乗せるヒュレーの口調には、特段の感情はない。

 彼の剣術はクレイと同質の肉体言語魔術。

 コミュケーションを行うという思想がその根底に流れている。

 つまり、彼は異文化と対話しているのだ。


 『聖絶』によって異獣であるティリビナ人を絶滅させるという意思に対しての返答。

 彼なりのやり方で、対等な言葉を返そうとしているのだ。

 そこには悪意などない。クレイはこの期に及んでなお、ヒュレーに対する悪感情を抱けていない自覚があった。刃を交えるたびに伝わる感情には一切のごまかしがない。


「立てよ、クレイ。まだやれんだろ?」


「ヒュレー。この世界は、『自分たちとそれ以外』ではない」


「小難しい問答はわからんな! 刃で語れ!」


 クレイには確信があった。言葉とは裏腹に、わかっているはずだと。

 戦場にことばが閃き、理解と拒絶が鍔迫り合う。

 刃の応酬は、どこか共感に似ていた。




 突如として中庭に出現した刺客を、雇われた探索者たちは万全の態勢で迎え撃ったが、圧倒的な暴力の前に次々と敗れていった。

 霊長類的な容貌を持つティリビナ人の霊媒個体、樹妖精。

 伝承に謳われる緑竜騎士ハタラドゥールは単騎にして軍勢に匹敵する怪物だった。

 精鋭として知られる配下の緑竜騎士団を率いていないにもかかわらず、隠し病院の中庭を埋めつくす勢いで繁茂した『緑』がその力の凄まじさを物語る。

 『偽りの王』を葬ると宣言した古代ティリビナ人は葉刃を振るってミヒトネッセと切り結び、ラプンシエルの邪視を繁茂する植物で遮った。


「私たち、同じ陣営のはずよね? 裏切ったの、レッテを」


 本来の彼は第六階層の掌握者、ラフディ王アルト・イヴニルの部下であるはず。

 しかし古き樹妖精は確信に満ちた口調で吼える。


「私は真なる王を見出した。不要だ、人形の如きラフディの小王など!」


 それでも、彼には慢心があった。

 力及ばなかったとはいえ、第五階層の探索者たちは経験豊富な腕利きたちである。

 敗北あるいは撤退しながらも着実にダメージを蓄積させていた。

 そしてコルセスカの使い魔となり『氷球』を手にしたミヒトネッセと、正式にキュトスの姉妹となったラプンシエルの力は既に英雄や魔将と呼ばれる怪物たちの域に届いている。


 世界を変貌させ、その身を巨大化させる英雄の武威は並の戦士を絶望させるには十分なものだった。しかし『塔』で呪術の深奥を覗いた二人にとっては違う。トリシルシリーズの傑作たちの戦闘能力は決して正式な末妹候補に劣るものではない。


「どうする? 殺しておく?」


「裏切り者とはいえ、いちおうレッテの部下だから迷うけど。それより囮の可能性が高い。まだ姿を見せてないティリビナ同胞団が本隊のはずだから、警戒を続けて」


 魔女たちは既にハタラドゥールから関心を失っている。

 心臓を貫かれ、四肢は捻じれ、顔は既に忘却の彼方。

 再生者として蘇った命を完全に摩耗させるまで時間の問題だろう。

 敗者に差し伸べられる手はない。二人の魔女は増援や別働隊の存在に注意を払い、同時にその動きに気づいた。


 無言のまま近づいてきていた襲撃者の斬撃を、ミヒトネッセのクナイが受け止める。

 細身のティリビナ人は飛び跳ねるような動きで退き、空中で複数の刃を投擲。

 魔女たちがハタラドゥールから距離をとった隙に敵は敗者のそばに降り立った。

 鋭利な両刃の剣に似た葉を頭部、肩、両手から生やした男は優雅にお辞儀をして名乗る。


「黙詞隊のナイト、サンデリアーナ。偉大なるハタラドゥール様の子孫でございます」


 奇妙な名乗りに魔女たちは揃って訝しんだ。

 黙詞隊というのはかつて存在した思想集団である。

 古代ガロアンディアンにおける多種族共生の理念に同調し、緑竜騎士団というティリビナ人部隊に倣って地上世界との融和を掲げた活動団体。『平和な世界に怒声は無用』という指導者の方針による無言のデモ行進などで話題をさらったこの団体は、『亜大陸のテロリスト』というティリビナ人のイメージを一時的に払拭することに成功した。


 しかし結末は呆気ないもので、ゼオーティア教圏で使用されている義務教育用の教科書に関する主張が破滅を招く結果となった。彼らは亜大陸史のページに聖絶と黒檀の民を利用した分断統治に関する記述を付け加えることを要求し、最終的には『美しい教科書を作る会』の活動家たちの私刑によって皆殺しにされたはず。


「お、おお! 我が血脈が呼応している! よくぞこの時代まで命脈を繋いでいてくれたものだ、我が遠き孫よ!」


「父祖様、どうか私めの肉体を器として下さい。この転生アプリがあれば容易いはず。まさにこのような危機のため、同胞たちはあなたにこの手段を残していたのです」


「感謝するぞ! 共に戦おう、我が子孫サンデリアーナ!」


 なぜハタラドゥールのような突出した戦力を先行させ、無駄に消耗させたのか?

 待ち受ける戦力を考えれば無駄死にしかねない暴挙である。

 しかし転生アプリと『特別な器』の存在を前提にすれば話は変わってくる。

 魔女たちは即座に仕掛けを理解して止めようとした。

 だが死を目前にしたハタラドゥールには一切の迷いがなく、迅速な転生処理による魂の移動が事態を不可逆に決定する。


「あ、ぐ、おおお!! やめろ、なぜ私が既にいる?! 誰だ、お前は誰だ!?」


 ぐったりと項垂れたハタラドゥールが枯死していくのとほぼ同時に、サンデリアーナと名乗るティリビナ人が絶叫し始めた。

 ミヒトネッセの手裏剣とラプンシエルの髪の毛が同時にティリビナ人に襲い掛かったが、苦痛に喘いでいたはずの男は目を見張るような機敏さで攻撃を回避、滑るような歩法でラプンシエルに肉薄して両手の葉刃を一閃。


 クナイが刃と激突し、展開された巻物から出現した巨大なカエルが瞬く間に両断。蹴り返された火薬玉が至る所で爆発を引き起こし、弧を描く手裏剣と緑の棘が同時に砕け散った。ラプンシエルは目にも留まらぬ速度の攻防から後退しながら防御障壁を展開。

 割って入ったミヒトネッセがいなければ首が落ちていたであろう、恐るべき技の冴え。先ほどまで戦っていたハタラドゥールの剣術と比較すると明らかに洗練されていた。まるで、同じ人物が更に長い年月を修練に費やしたかのように。


「んん、この記憶は間違いが多いでございますね。私の方で修正しておきましょう。いやはやまったく、同一人物が二人いるのはおかしいですよねえ」


 父祖と呼んだ者の魂を同化、吸収しながらサンデリアーナが笑う。

 否、既にこの人物は存在そのものを変質させていた。

 今にも唾でも吐きそうな表情でメイド忍者が呟く。


「被り物なら私もやるけどさ、それ、気持ち悪くないわけ?」


「いいえ? 何故なら私は私。最初からハタラドゥールの『正しい記憶』を持っていた転生者なのですから。間違った記憶《れきし》など、無視していれば問題ないでしょう?」


 それがその男の正式な宣名となった。

 古代ガロアンディアンが誇る五つの武力。

 そのひとつである緑竜騎士団の長ハタラドゥール。

 自分こそが転生した当人であると、このティリビナ人は主張しているのだ。




 不可解な記憶。あり得ない歴史。いるはずのない集団。

 ティリビナ人の武装勢力による襲撃は、奇妙な違和感を伴っていた。

 嘘を嘘と承知し、虚構を虚構と理解した上で押し通す厚顔さ。

 それは策略であると同時に問いかけであり、僭称であると同時に確信でもあった。


 彼らは共通して、己の邪悪さと正しさを同時に信じているように見える。

 信念に基づくテロル。破壊がもたらす爪痕を、未来だと信じているかのように。

 若きティリビナ人たちは迷いなく歩みを進めていた。

 ならば、と応じる者たちは考える。


 ただ守るだけで終わってはならない。

 もとより、この祝祭が何の波乱もなく終わると考えていた関係者はひとりもいない。

 対峙すべき信念に向き合ってこそ、祝祭の理念は達成される。

 杖の座と呪文の座。『塔』の同盟者たちは、この時のために手を取り合ったのだ。

 

「認証コード『アニマ』。ウィッチオーダー起動、四十二番『ハルシャニア』!」


 それは天から降り注ぐ滝に似ていた。

 飛沫を噴き上げながら舞い降りた黒髪の女は、流動する水の義肢を前に突きだして戦意をむき出しにする。シナモリアキラを奪おうとする者に試練を与えるために。


 続けて、長身の麗人がその高い位置にある腰から伸ばした蠍の尾を地面に突き立てる。すると針から大地へと滲んでいく禍々しい呪毒汚染が襲撃者たちを呑み込んでいった。態勢を立て直そうとする集団の前に逆さまの道化が出現したかと思うと、その姿が裏返り縦縞のスーツを着こんだ男がカードのシャッフルを始める。

 続々とガロアンディアンの戦力が到着し、状況に変化を与え始めていた。


 それだけではない。

 襲撃者のひとり、モーリュによって奪われていたファルファレロの身柄が、突如として現れた半透明の兎によって奪取されていた。

 ティリビナ人の表情が変わる。当然だろう、自慢の対抗呪文がまるで用をなさず、あっさりと標的を取り逃がしてしまったのだから。


「まったく、世話が焼ける」


 仮想使い魔を待機させたまま、黒いローブの少女が呟く。

 険悪な様子で言い争っていたエレクトラとメートリアンは思わず言葉を失った。

 まさかこの場所に彼女が現れるとは思っていなかったからだ。

 呪文の座がティリビナ人と戦うこと事態が極めて危うい綱渡りとなる。

 だが、戦いへの忌避は杖の座にすべてを押し付ける無責任に等しい。


「ハルベルト」


 すらりと長い脚を惜しげもなく晒したミニスカートに上半身をすっぽりと覆うローブコート、魔導書を吊り下げた典型的な呪文使いのスタイル。黒に塗りつぶされそうなイメージを鮮やかに覆す、繊細な少女の美貌がフードの中で咲き誇る。短いまばたきと共に長い睫毛が光を弾いて、黒玉の瞳は邪視もないのに見るものを魅了するようだ。

 呪文の座を率いる末妹候補、太陰の王女は軽やかに戦場に舞い降りる。


「ひっ、ひめさまっ?! なんでここにっ」


 目覚めたファルファレロが恐れおののくように叫んだ途端、ハルベルトの背後に控えていた月の民に小突かれて沈黙する。

 少女はひとりきりではなかった。

 『お付きの者』という風体の白、灰、茶の兎耳たちはいずれも太陰に出自を持つ『月の民』たちだ。更にはティリビナ人の少女と老人がひとりずつ両脇を固めている。


「呪文の座よりアズーリア隊第二班、援軍として馳せ参じました。ご無事ですかな、ファルファレロ殿? 少々錯乱しておられるようですが?」


 象牙に近い白の垂れ耳を持つ眼鏡の壮年男性に微笑まれたファルファレロは消耗しているにもかかわらずびしりと立ち上がり片手を胸に沿えて敬礼。硬い口調でまくし立てた。


「はっ! この身は変わらず姫様と太陰のために! ガロアンディアンでの作戦行動に支障はありません、ニース分析官殿!」


 ニースと呼ばれた月の民(ウサギ)は笑顔のまま無言で少年の敬礼を止めさせ、拳を腹腔に叩き込んで黙らせた。たまらずに蹲ったファルファレロは沈黙の呪文で口を塞がれる。

 エレクトラとメートリアンは視界隅のちびシューラが「いや別にわかってて置いてるからそんな気にしなくてもいいんだけどね」と発言したことでなんとなく事情を察した。太陰とガロアンディアンの人材不足は深刻なのかもしれない。


「諸事情があって、隊長の第一班とエストさんの第三班は中継整備所で待機しています。そのかわり、一班から戦力としてローザ、ガザ、アデンを。ガロアンディアンからはマラコーダさん、グレンデルヒさん、イツノさんをお借りできました」


 弓と矢筒を背負った茶色耳の月の民(ウサギ)がやわらかくエレクトラたちに微笑む。

 最悪のコンディションのままモーリュとの戦闘を継続したことで負傷していた二人だが、治癒符と解呪の詠唱によってどうにか戦闘可能な状態にまで持ち直せそうだった。

 依然として『情』は熱を失ったまま。しかし、それ以上の信念が二人を奮い立たせる。


 呪文の座が共有する意思は、個人間の友情よりも更に広範囲に及ぶ使命感だ。

 それは祈りであり、決意であり、未来を志向する心の在り方である。

 仲間たちを庇うように立つハルベルトは、まっすぐにティリビナ人を見据えた。


「エストが願う平和への歴史《あゆみ》を、否定させはしない」


 相対する三つ目の魔女は、まるで臆することなく黒玉に挑む。

 それこそが真の願いであったのだと言わんばかりに。

 樹皮に覆われた顔が、異種族から見てもはっきりとわかるほどの激情に歪む。


「なら、私たちの縋った抵抗の歴史《あゆみ》は、否定されちゃうの?」


 絞り出すような声は、呪いそのものだった。





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― 新着の感想 ―
[一言] ようやく、ひとまずの最新話に追いつくことが出来ました 感想いきます! どの呪術戦闘も刺激的で面白かったです! この上さらに、「泣いた赤鬼作戦」まで待ち構えているあたり、ティリビナ勢力は本当…
[一言] ファルくんスパイバレしてたのか ハルベルトさん末妹候補なだけあって居ると場が引き締まりますね
[良い点] エレクトラとメートリアンの同居戦闘面白いです。じゃれ合いないがみ合いしながら戦うの楽しいし、幼馴染みを殴れるように感情抑制からの破綻も楽しい。最後に信念で同じ方向をむくというのも好き。 敵…
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