5-35 呪文の座として
「あたしの名前はエレクトラ・ラムンゼン」
ユディーア・パルムワード・ディスケイムは死んだ。
メイファーラ・リトはどこかの誰かが持って行ってしまったし、キニス・ペラティア・ディスケイムはいま使うべき名前ではない。
「私はメートリアン。白のメートリアンでお願いします」
自分の心身の内側から、もうひとつの名乗りが響く。
ここは転生アプリのユーザーたちのために用意された、導入用の仮想アストラル空間だ。クローズドな純白の正方形内部にいるのはひとつの身体に相乗りした二人。
不機嫌そうにしているのは『同居人』のカラス型アバターことメートリアン。
肩身が狭そうなのは『本体』の目玉型アバターことエレクトラ・ラムンゼン。
『ユーザー名の登録を確認』をいう文字列が空中に明滅し、立体幻像が次々とその形を変えていく。『アカウント移行に伴う引継ぎ』という文字列に意識をフォーカスさせると、隣のアバターも同じ作業を行っている最中だった。
持ち込むことが許された幾つかの手荷物を確認する。携帯端末や各種の呪具、武器などは無事だったが、ニアホンがない。この場所で合流する手筈だったのだが、何か予定外の事態でも起きているのだろうか。
それから気になるのは部屋の隅に鎮座している中身の分からないトランクケース。
謎めいた再生者の忘れ物だ。
空気のように軽いがいったい何が入っているのか。
呪われた遺物のように付きまとうそれは、気が付くと視界の隅に出現している。
「うーん、やっぱり再マッチングは無理みたいですね。空きがない」
「トリシューラは何のつもりなんだろう。直接の返信はないし」
いくら二人で不平を申し立てても、機械女王からの反応は定型の応答文だけ。
何らかの牽制を疑うが、ここでミルーニャ=メートリアンを送り込んでくる意図が不明だった。普通に考えれば杖の座は選定レースに注力したいはずで、ミルーニャもそのために動くだろう。ここで無駄な動きをするとは思えない。
「これも一応、あの機械女王の一部だよね」
「あえて反応していないとしか思えません」
二人の視線の先に、二頭身のガイドキャラクターが浮かんでいる。
「転生女神のちびシューラだよ! おめでとう、アプリのリリースを記念して、特別なログインボーナスをあげるね! 更に初回転生特典! まずは素性・属性・スキル・パラメータ配分・初期ボーナスアイテム・ポイントの使用先を決めてね! お約束!」
「情報量が多くないですか?」
「こういうものらしいよ? よくわかんないけど」
末妹選定における呪文の座・チョコレートリリーの仲間であるはずのミルーニャとメイファーラの間に漂う空気はどこかぎこちなかった。
そもそも今の二人はお互いに異名を用いている。
必要に迫られてのことだが、両者とも果たすべき目的があるということだ。
最大の問題は互いの目的の齟齬と言えるだろう。
「素性、塔の魔女見習いと修道騎士は面白味ないなあ。あたしは旅芸人とかいいかも」
「軍人とか学者のほうが補正が有利じゃないですか? いやここは箒乗り一択か」
横目でレースに関するニューストピックを確認するたび頭が痛くなる。
ジュティアとミナに関するアクシデントもそうだが、厄介なのはミルーニャの死だ。
転生したメートリアンはパーンと組んでダウザールを倒そうとしているらしい。
ノゴルオゴルオとマルガリータはパーンの打倒を目論んでいるようだが、ディスケイムに感付かれないようにこっそりパーンに協力するなんて可能だろうか?
一心同体の不便さを痛感する。
これを考えた機械女王は大馬鹿か、さもなければたちの悪い愉快犯だ。
探り合いじみた茶番に、双方がうんざりしているのがわかる。
さしあたり今後のために必要な準備をしているが、最優先でしなくてはならない『話し合い』の核心からどのように遠ざかり、ごまかすのか。それが最大の課題だった。
「属性の説明をするね! 六芒星の頂点を司る呪術的な属性は『信仰』『知性』『本能』『葛藤』『血統』『奉仕』だよ! それぞれのシンボルとなるのが『ポニーテール』『眼鏡』『触手』『ツインテール』『金髪』『メイドロボ』。外見をカスタムすれば属性も連動して変化するよ! ショップではいろいろな豪華スキンを販売中!」
「うわあ」
「よりにもよってこの呪術系統を採用するとか、トリシューラはアホですか」
二人で呻く。ばかばかしいことこの上ないが、実戦的で由緒ある呪術観だ。
ユディーアはなにもお洒落でサイドテールなどという子供っぽい髪型に拘っているわけではない。髪房が有用な呪術触媒になり得るからだ。古来よりポニーテールやツインテールが金髪、メイドロボ、触手、眼鏡などと並んで森羅万象の均衡を司る呪術的象徴とされているのはそうした明確な根拠があってこそ。
「モーエン・クロウサーの六芒星。空使いレースを踏まえての選択でしょうが、露骨な」
「それそれ。黒百合宮で勉強したよね。ミルーニャの眼鏡もだっけ」
「今はメートリアンですが、いちおう適性はあります」
ポニーテールは火を象徴し、ツインテールは風を象徴する。欠けたツインテールがサイドテールに変化した『ユディーアの髪房』は火と風の中間に位置する象徴と言える。これは『意思』と『躍動』の代替、すなわち生物の見立て。殺せば死体になるという理屈だ。
角であり髪房であり尾でもある、火と風を象徴する呪物。それを用いた『蜥蜴の尻尾切り』の呪術によって、ユディーアは『もう一人の自分』を殺して自死を偽装した。蜥蜴が尾を自切して敵の追撃から逃れるように。
「あたしのポニーとメートリアンの眼鏡で二重属性かあ。アズもいれば隙なしだね」
「この理論あんまり好きじゃないんですよね。どっかの金髪ツインテメイドロボが呪術的才能に溢れてることになってしまうので」
スーリウムの時間樹から逃れるためには、この方法しかなかった。
あらゆる秘密、未来、望む答えを掌握する妖花の秘術。
その絶対的な力の死角。ティリビナ人の呪術観に存在しない『死後』という認識の外。
死によって一時的にその監視網から逃れ、転生によって隠れ潜みながら行動する。
まともにやりあって勝てる相手ではないからこその奇策だった。
「このチートスキルって何なんです?」
「んーなんか『裏技』『秘技』『メモリ改竄』『ファイル改変』とかの大きなタイプ分けがあって、そこから色々なスキルに派生してるみたい」
「ちびシューラの解説タイムだよ! 色々あるから迷うよね! なので初心者におすすめなTier上位スキルの効果を一覧にしたよ! 好きなチートスキルを選んで無双しよう!
Tier1(様々な局面で便利! 超オススメ!)
・『加護改竄』:他アバターの攻撃模倣/他アバターに攻撃強要!
・『広域知覚』:カメラ距離の操作!
・『無敵化』:世界槍秩序修正までダメージ無効!
・『障壁貫通』:貫通攻撃、障害物透過移動、エリア外移動!
Tier2(主に戦闘で大活躍!)
・『オートエイム』:操作補助/自動化!
・『スピードハック』:世界槍秩序修正まで移動・攻撃速度上昇!
Tier3(活躍できる局面は限定的だけど爆発力は絶大!)
・『ストリームスナイプ』:配信者の動画を見ながら位置を特定して狙い撃ち!
・『増殖』:ショップと倉庫を利用したアイテムや贋金の無限生産!
・『RMT』:アプリ内マネーやアカウントを現実のお金で取引!
・『変換器』:錫杖用呪術を魔導書で精密操作可能!」
「メイ、エレクトラ? あなた最初から『広域知覚』と『スピードハック』、それに『RMT』まで保有してませんか? そういう人だったんですか?」
「いや違うよ?! 天眼と三眼瞬知って種族固有のスキルが同一スキル判定されてるだけじゃないかな!」
「リアルマネートレードについては?」
「えっ、その、前にやらなくなったゲームアプリでそういうことがあった気も」
「へー、ふうん」
本当は『三十枚銀貨』が置き換えられているだけという気もするが、今はこうやって誤魔化しておくしかなかった。格上の鮮血呪使いであるトリシューラを欺けるはずもないが、切り札を軽々と明かすことはできない。たとえそれが仲間であったとしても。
「まあ、スキルは迷うまでもないですね。これです」
「え? 役に立つの、これ?」
「私はレースへの介入が目的なので。何のためにこの折り返し地点で待ち構えていると思ってるんですか?」
「ああ、そういうことか」
先ほどから二人は端末の立体幻像ディスプレイに選定レースの中継映像を流し続けていた。序盤の小競り合いは既に終わり、現在は無数の岩石が浮かぶ空中でのいたってまっとうなレースが行われている。その中にエレクトラの息がかかった二人組の姿はない。
買収したといっても大した拘束力はない。とはいえ当てが外れたのも事実。
本当はもう少し粘って他の選手と接触、情報を収集して欲しかったのだが。
ジュティアとミナの身に何が起きたのか、エレクトラには判断できない。
反則行為によって退場させられたことは間違いないが、詳細は不明なまま。現場にいた観客たちがアストラルネットに発信する情報も錯綜しており、ガロアンディアンによる情報操作が行われていることは間違いないだろう。
この状況ではあの二人の駒としての利用価値は低い、と思考を切り替える。
元々、選手たちの情報を収集し、潜伏している『王殺し』の正体をあぶり出せれば良しという程度の保険でしかない。レナリアへの言い訳は考えておく必要はあるだろうが、既に暗殺計画などにかまけている場合ではなくなってしまった。最初から『王殺し』はスーリウムが仕掛けた陽動に過ぎなかったのだから。
「大変な展開になってきましたー! 蒼空岩石群コースに突入して早々に順位が激変! これまで先頭をキープしていたパーン選手を抜いて、一位に躍り出たのはまさかのダークホース・クリーナー&ダストペアだ! 更には二番手グループも大きく変化! 堅実に風を読むダウザールとエンハを抜き去り、豪快に岩石をぶち壊していくパーン、マルガリータ、ファーガストが猛然と追い上げる!」
本命はこの隣接異界、『虫王の庭』に存在する隠し病院だ。
機械女王が『王殺し』の捜索に注力している間にこの場所に襲撃を仕掛け、シナモリアキラの枠、すなわちドラギニャッツォ、カルカブリーナ、ファルファレロを奪う。
三枠の転生先を確保できればティリビナ同胞団は大きく勝利に近づく。
「ここでロードデンドロンが最下位転落! 厄介な風に大苦戦! 紳士なふるまいで増えたファンたちから悲鳴が上がるー!」
手に汗握るようなレース展開。リーナは最下位前後を行ったり来たりだ。
仲間に注目するのは当然だが、エレクトラとしてはロードデンドロンの動向が気になって仕方がない。ティリビナ同胞団という組織の全容を、未だに掴み切れていないからだ。
ティリビナ同胞団によって突きつけられた残酷な二者択一のことを思い返す。
救世主トリアイナ降臨は器となった巫女の死によって成し遂げられる。
その前提を覆すために、ティリビナ人の賢者スーリウムはひとつの計画を立案した。
先読みの聖女の瞳をティリビナの巫女に移植することで、救世主をティリビナ人として生誕させるというものだ。
異母姉妹のクナータか、友達のプリエステラか。
済ませていたはずの覚悟はたやすく揺らいだ。
トリアイナの生誕は最優先事項。だがエストの犠牲を許容することなどできない。
必要なのはスーリウムの目から逃れつつ主導権を奪い返すことだ。
接触してきたリーヴァリオンの使徒、テッシトゥーラはこんなことを言っていた。
「クナータという存在は生贄に捧げられ、その魂は転生して救世主に至る。その未来を変えることはできない。でも呪文的に解釈を変えることはできる。あらかじめ用意しておいた人工妖精の素体に『ティエポロス』として定義した魔女の存在を分離して封じれば、意識を継続させたままあなたの友達は生存が可能ってわけ」
恐らく、あのアヴロノ女性は月の民と妖精の血を等しく引いたリーヴァリオンと太陰という二大勢力の代弁者なのだ。彼女は言震発生を未然に防ぐため、有事には巨大なオルガンローデによって第五階層の住民を皆殺しにするという『備え』をしていると語った。
様々な勢力が救世主トリアイナを巡って競い合う今の第五階層で、ただ翻弄されているだけで終わるわけにはいかない。
超越者たちの機先を制する。そのためにも、まずはこの隠し病棟に迫る脅威に備えねばならないのだが、このあたりの事情をメートリアンに説明するわけにもいかない。
「そう言えば、属性や呪術系統の話題で思い出したのですが」
メートリアンのカラスアバターから詳しい内心を窺い知るのは難しい。
互いに心理的な障壁を設けて思考を読まれないようにしているからというのもあるが、エレクトラを貫く冷ややかな眼光にはかなり強めの警戒が感じられた。
先ほどから一向に本題に入ろうとせず、迂回した話題でお茶を濁しているのは互いを探っている最中だったからだろうが、ここにきて雰囲気が変わった。
仕掛けてくるつもりだ。
「眼鏡を発明したのは亜大陸境界域の錬金術師って説、ご存じですか? 第五世界槍の錬金術は亜大陸の精霊術と相互に影響を与え合いながら発展してきました。火水風地、熱冷湿乾。『塔』で主流の呪術観とはやや乖離していますが、自然界の諸元素を擬人化したとてもラディカルでエキゾチックな世界観です」
「へえ、精霊術かあ。そういうのはエストも得意な奴だよね、たぶん」
「それから、世界を色分けする色号論とも相性がいい」
心の動きを悟られてはいないはずだ。
あちらはまだ確信を得ているわけではない。
それができるだけの証拠がないからこそ、こうやって揺さぶっているのだから。
『下』で最も一般的な呪術系統として知られる色号論は、必ずしも『上』に存在していないわけではない。それは疑いの理由としては弱い。
「メイファーラ。あなたって確か、トロスの東あたりの出身でしたよね? アロイ?」
「うん、アロイ=ワリバーヤの田舎で、古いワリバーヤ文明圏がまだ残ってるあたり。一応はヘレゼクシュ地方だけど、アズの故郷からはちょっと遠いかなあ。ネイバース湖を挟んで南の方だから、むしろ東側のドラトリアのが近いよ」
第二世界槍文明圏に近い地域である。そういう設定にしておけば動きやすいし、調べてわかるような綻びを見せるほど甘い偽装ではない。
「では、あなたがいつだったか色号論に言及していたのはそのせいですね。アロイがワリバーヤを征服するまで、マーディキの小世界槍はまだ異邦の呪術観を維持していたはずですから。古い占星術とか精霊術、色号論あたりを」
「うん。あたしの故郷にはまだそこそこ精霊信仰の名残があって、使役とかもできたんだ~。天眼の民はわりと精霊を知覚しやすいから」
呪術観とは人格と結びついた性質であり偽装は困難だ。色号使いであることを偽ろうとするなら、その素性は『田舎の精霊使い』にならざるを得ない。
現代呪術において、色号と精霊は粒度あるいは解像度の違いで説明できる。
形式やイメージ、訓練方法は同じ。そのまま流用することもあるし、色号論を教えるための前段階として初等教育に組み込んでいる国もある。
「地元の初等学校とかでも習ったし、ホルケナウの教科書とかもそんな感じだったよ」
「量子力学と古典物理学の違いみたいなものですか」
体系内では整合するし、運用上は問題ない。厳密な説明とは呼べないが完全に間違っているわけでもない古典的な原子模型。
あらゆる『説明』と『解釈』はその時点における暫定的なものでしかない。
精霊は歴史の中において真実であり、現代においては色号論に取って代わられた。
「精霊は誤謬と具象、色号は真理と抽象を扱うなんて言われ方もするけど」
「は? 具象が真理の間違いではなく?」
「わ~杖だ~」
「なに笑ってんですかぶちますよ」
想定していたよりもずっとメートリアンの疑念は深いようだ。
明らかに今日になって抱いたものではない。
以前からの違和感が今になって膨れ上がった、もしくは心身の共有によってアストラル体の特性や血統呪力の異質さに気付かれたという所だろうか。
「あのですね。私はずっと前から疑問だったことがあるんです。せっかくの機会なのでここではっきりさせておきましょうか」
「え、なになにあらたまって。ずっと前って、黒百合宮時代とか?」
「あの異界に時代なんてありませんけどね。気付いてますよね、あれが虚構史だって」
予想外の言葉に驚く。
内容そのものにではない。杖使いが気付けたことに対してだ。
黒百合宮という時空には歪みがある。
あの場所で過ごした過去、あるいは幼少期の思い出は厳密性を伴わない。
『いつ』なのかは確定せず、『前』とか『昔』として思い出の中で蘇る夢に近い。
「ホルケナウでは、史実と演義に近いって説明されたかな。進路が魔女だけって人たちには関係ないとして、色々と忙しいけど素質があってもったいないって生徒たちのための特例なんだって。メートリアンもそうでしょう? 前は大学にいたってリーナが言ってたよね」
「ええ。ですが、私には大学どころか初等学校より前に黒百合宮にいた記憶があります。それでいて、大学中退後に黒百合宮に行ったという時系列の認識も同時に存在している」
「珍しいね、そんなに記憶がはっきりしてるの」
それは可能性の時間。あるいは分岐した運命とでも言うべきだろうか。
エレクトラが知る限りでも歴史改変や現実と夢の境を操る姉妹は複数いる。ニースフリル、ノエレッテ、カネッサ、ムランカ、ディスペータ、ビークレット、そしてシャーネス。
だから『塔』の時間は外部とは並列に流れることがある。
エレクトラには黒百合宮やホルケナウで過ごした記憶とまったく同時期にセインディアの博物城や竜神信教の寺院で過ごしていた記憶が存在する。
「並行矛盾史って言うらしいよ。『塔』に関係する黒百合宮とかの学び舎は外界とは異なる時空の異世界になってるから、選択によっては『行かなかった自分』も存在し得るとか」
時間の矛盾。空間の矛盾。もしもの選択の両取り。
異なる歴史を歩んだ上でどちらも選べる夢のごときパラレルワールド。
それは魔女たちの故郷を去る者を追わぬため、しがらみや重荷を背負わせぬための措置。
更には危険な知識を外部に漏らさぬための備えでもあった。
だからあの時間は瞬きの間の出来事であり、同時に悠久の時間の思い出でもある。
たった数日の、けれど千の夜を巡り、そして季節の環を幾百と回すような。
遥か未来に起こった、ずっと昔の記憶。
エレクトラは懐かしむように目蓋の幻像を作り出して目を細めた。
「黒百合宮は支配者であるディスペータお姉さまの司る権能によって『過去』と紐づけられた場所。だからあの場所の記憶は必ず幼い頃に過ごした美しい日々になる。身体が小さく、まだ未熟だったころ。遠く懐かしい、セピアの光景」
一方で、カラスの声は硬い。
とても『幼馴染』と思い出話をするような雰囲気ではなかった。
「普通の魔女たちにとってはそうでしょう。けれど私はペレケテンヌルの祝福によって永遠の幼さを強制されていました。私にとってはね、あの頃の記憶は遠い昔ではあるけれど、つい最近のことでもあるんですよ」
初耳だ。完全に虚を突かれて硬直する。
なら、メートリアンの疑念というのは。
「アズーリア様との一件でペレケテンヌルの呪縛は失われました。だから、実感としてはせいぜい一巡節前くらいの出来事なんです。黒百合宮でフィリスが暴走した事件」
記憶を鮮やかに蘇らせることができるのは、過去視を持つ自分の特権。
そういう驕りがあったことは否定できない。
だがそれ以上に、エレクトラはメートリアンを甘く見過ぎていたのだろう。
「よーく記憶を掘り返してみると、あなたちょっと様子がおかしかったですよね」
「それは、すっごく大変だったし。平静じゃいられないよ」
平静でいられない。それはエレクトラにとって正直な心情の吐露だったが、意外にも激情を必死に抑制しているのはメートリアンの方に見えた。
エレクトラを追い詰めようとするよりも前に、自分自身が追い詰められているような。
「私、こっちの事情は最初に打ち明けましたよね。成り行きでパーンの奴を保護して、血脈に潜むダウザールの特性を知って、共闘することになったこと。来訪者の呪縛からリーナを解放するのに協力して欲しいとも言いました」
語調から読み取れるのはいつもの苛立ちではなく真摯な響き。
メートリアンが抱いているであろう疑念をひとまず横に置いて、チョコレートリリーの仲間であるという前提を最初に信じようとしている。そう解釈してしまうのは、エレクトラの内心にある甘えだろうか。
「あなたの立ち位置が私にはよくわかりません。あなたが何らかの事情を抱えていることくらい想像できますが、この状況でも何も言ってくれないのであれば、私は仲間としてあなたを信頼することができない。裏切り者の私が何を言うのかと思われるかもしれませんが」
その言葉は、槍で貫かれた時よりもエレクトラの胸に強く突き刺さった。
体中に電撃が走ったような痛みと気付き。
「それでも、私はあなたが仲間であって欲しいと願っている。リーナと一緒に同じ場所で学んだあの記憶を大事にしてくれていたら、と。何も言えないならそれでもいい。どうかお願いします。リーナを助けるために、力を貸してください」
目の前の友人は必死になって自分を説得しようとしている。
信頼関係を築いて、仲間としてリーナを助けてほしいと願っている。
だからわかってしまった。この状況の原因が。
勇気が必要だった。同じくらいの覚悟も。
けれど、一番必要だったのは愚かさだ。
「異母姉妹を助けたい。うん、わかるよ、その気持ち。とってもよくわかる。血統に潜んで子孫を支配する来訪者をやっつけたい。それもわかる。あたしは多分、メートリアンの気持ちを誰より理解できるんじゃないかな」
安易に共感を示すなと怒られる覚悟で口にしたが、意外にも反論はなかった。
ただ、相手が困惑しているのを感じる。
「これってもしかすると、トリシューラも把握してない完全な事故かもしれないね」
実際には全て機械女王の思惑通りかもしれないが、今はそう思っておくのがいいような気がした。自分を騙せる嘘なら、呪文にして形にするのも悪くない。
「運命的な相似が原因で、あたしたちの相性がいいって転生アプリのマッチングAIが判断したんじゃないかな。何と言っても、あたしってば『地獄』の来訪者血族の出身だし? 実は裏切り者で、アズーリアにフィリスをけしかけたり監視したりしてるし?」
告白には相当の意志力が必要だった。
なし崩し的に露見してしまった共犯者のセリアック=ニアとは違う。
いまのメートリアンは、ちゃんとチョコレートリリーの仲間なのだ。
相手の反応をうかがって身を固くするエレクトラの前で、カラスは何故かくちばしで自分の羽の毛づくろいをはじめた。なにそのモーション。
「なるほど、境遇の相似ですか。似たものが引かれ合うのは呪術の基本ですからね」
あまりにも気のない返事にがくりと脱力してしまう。
「そんだけ?」
「昔馴染みを全員ぶち殺して成り上がろうとした私が、今さらあなたの裏切りくらいでショックを受けるとでも? というか想定の範囲内です」
そう言われてしまえばそれまでだが、梯子を外された気分だった。
それからメートリアンはなんでもないような口調でこう続ける。
「で? あなたの妹のことを教えてくれないと、助ける計画も立てられないんですが?」
「え、でもリーナは」
「手伝ってもらうんですから、こちらも手伝うのが筋でしょう。どうにかして両方助けるために、まずは細かい事情を把握しなければ。さっさと情報共有して作戦練りますよ」
早口でまくし立てるメートリアンは相変わらずこちらを見ようとしない。
いつも通りの合理主義者、根っからの杖使いですという態度を貫こうとしているようだが、エレクトラはなんだか妙に感心してしまった。
「照れ屋さんでかわいい~」
「よし、裏切り者を殺すか」
「わあ~嘘です嘘! そっちも裏切って刺したからこれでおあいこってことで!」
「こいつ、この、ああもうそれでいいですけど! 釈然としない!」
頭痛を堪えるようなメートリアンの口調にほっと胸を撫で下ろしつつ説明内容を頭の中でまとめていく。彼女は少々怒りっぽいし、事情を明かしていく過程でまた苛立たせてはよくない。ここは一気に必要な情報だけばーっと捲し立てて勢いで誤魔化そう! 決意も新たに目玉アバターの周囲に眉毛幻像を出して器用に笑顔を作る。
「じゃあまず、あたしの妹はクナータっていうんだけど」
「んん? それもしかして松明の騎士団の聖女ですか?」
「ティリビナ同胞団がクナータの眼球をエストに移植した上で生贄にしようとしてて、あたしはそれに同意したフリしつつ同胞団の病院襲撃計画を当局に密告してこの病院に潜伏してたって経緯なわけ。同胞団の現在の目標はマレブランケ枠の奪取による都市の掌握ね」
「は?」
「それとは別の来訪者がクナータを生贄にしつつ予備の肉体に魂を移す計画も進めてるけど、そっちはそっちで第五階層で言震が発生したら全員皆殺しっていう太陰の過激派なんだ。ちなみに守護の九槍のテッシトゥーラね」
「いやちょっと待って」
「あと一番重要な大前提の話をしておかないとだよね。実はあたしもクナータも使い魔の座だったんだ。クナータが死ぬことで救世主トリアイナ様がこの世界に誕生するの。色々な勢力が救世主の身柄を確保しようとして暗闘を繰り広げてるのが今の状況」
「情報量が多すぎて頭が爆発しそうなんですが?!」
メートリアンが叫んだのとほぼ同時に、盛大な爆発音が病院を揺さぶった。
衝撃に地面が揺らぎ、割れた窓ガラスから退避するように身を屈める。
敵襲だ。二人同時に意識が戦闘状態に移行するのがわかった。
短槍を手に廊下へ飛び出し、天眼知覚によって周囲を索敵。
現在地は病院の三階。襲撃者は集団で、少なくとも一階エントランス、別棟二階、屋上、更には地中から中庭と四か所同時に仕掛けてきている。
「一番近い敵集団は屋上。けど襲撃者が同胞団なら目当てはマレブランケのメンバーが収容されている病棟のはず」
「襲撃位置からして、陽動っぽいエントランス以外はマレブランケ目当てでしょうね」
機械女王はあえてターゲットを移送せずに迎撃を選択した。
相応の自信と備えがあるのだろうが、エレクトラはスーリウムの恐ろしさを肌で実感している。あの怪物は四魔女と紀人の守りすら突破してしまうかもしれない。
「さっきの話からすると、敵はエストの命を狙ってるんですよね?」
「え、うん。最終的にはね。選定レースでロードデンドロンを正式な天主にして、シナモリアキラの議席数が過半数を超えた状態でエストを母体に『ティリビナ人の救世主』を生み出すのがティリビナ同胞団の目的だよ」
「なるほど。『君主』と『王国』と『信仰』を揃えてティリビナ人の祭祀的自決を達成するわけですね。そのために、地上との融和の旗印であるエストはさぞ邪魔でしょう」
一瞬だけ考え込んだメートリアンだが、あれだけ動揺していたにもかかわらず状況の把握は完璧だった。リーナのために対ダウザールに集中したいはずのメートリアンはあっさりと方針を切り替えている。
「決めました。ティリビナ同胞団の動きは呪文の座が目指す道とは対極に位置している。過激派ティリビナ人のテロリストのみを敵とみなし、その犯罪行為を事前に阻止します」
「了解!」
呪文の座として、チョコレートリリーの仲間として、やるべきことはひとつ。
ひとつの身体に収まったふたつの心は、ようやく同じ方向へ進もうとしていた。
既に各所で戦闘が始まっている。把握できた限りでは中庭でラプンシエルとミヒトネッセ、それからなぜか別棟ではクレイまでもが戦闘を行っているようだ。その付近に応援は不要と判断して屋上から続く階段に向かう。
既に上階から侵入した敵は三階に溢れ出していた。
一見して黒い肌と矮躯、鋭い牙という偏見に気を取られそうになるが、よく見ればそれらは貼り付けられた呪文でしかない。邪悪で理解不能な怪物的容貌というのは、異獣化した集団に抱きがちな心的醜形の投影である。
「悪鬼の軍勢?!」
反射的に浮かび上がりかけた忌避感情を打ち消さねばならないと唇を噛む。幼少期の徹底した訓練による精神制御に巻き込まれて心中のメートリアンが驚くが、今は耐えてもらうしかない。ちょっと痛いが慣れてもらわないと異獣化抵抗が弱まってしまう。
明瞭になった視野で敵集団を再認識。漠然とした集団のイメージが薄れ、統一感に乏しい集団の実像が明らかになった。総じて『上』的な人種構成だが、顔や二の腕に刺青をしている者が非常に多い。その中に見覚えのある顔が混じっていた。
「はあい、元気してた? せっかくだから、手伝いにきちゃった」
銀髪にツインテール、漆黒のワンピースに蝶のような腰のリボンが特徴的なその女の名はレナリア・V・オルガナ。ライラと互角の戦いを演じた紀人の暗殺者だ。
その一歩後ろで控えているのは口から耳までを覆う鉄マスクと右半身の刺青が特徴的な巨漢・ゴーリーだった。彼がいるということは、屋上から襲撃を仕掛けてきた集団は辺境区の迷宮刑罰者たちだろう。
気安く笑いかけてくる暗殺者の女の手に、何かが握られているのが見えた。
小さな二頭身の人形にも見えるそれは、携帯端末化したエレクトラの仲間である。『にあ~』と弱々しい声で鳴くニアホンは、端末機能を停止された上で無力化されているようだった。瞬間的に敵意を向けようとするが、何故か急激に感情が萎んでいくのを感じる。
『ユディーア、ユディーア、我が娘よ』
世界が真っ白に塗りつぶされる。彼方から声が聞こえてきた途端、全てが夢の中であったかのように現実感が薄れていった。覚えのある感覚。啓示、託宣、あるいは白昼夢。
既視感に満ちた後光、隻眼、槍、猫モチーフの耳飾り、力強くしなやかな女戦士。
紀神シャルマキヒュ。天眼の民に道を示す大いなる超越者の呼びかけだった。
「聞くがよい。これは宿命である。そなたはこの者と手を取り合い、大いなる試練に立ち向かわねばならぬ。この世界に迫る危機を人の子が乗り越えるために、これは避けては通れぬ道なのだ。よいか、力を求めるならば、差し出された手を拒んではならない」
それはお告げというより、どちらかと言えば命令のように聞こえた。
レナリアとの協力関係ならば既に結ばれている。
だがこれ見よがしに握られた人質と妙なタイミングでの託宣という組み合わせに、エレクトラは奇妙な強引さを感じていた。
「力が、欲しいか。白き娘よ、大切な者を守るために、我が力が欲しいか」
ふと隣を見ると、そこでは髪と翼とワンピースの全てが真っ白な少女が鋼鉄の三角錐と向かい合っていた。精神世界におけるイメージだと思われたが、何故かエレクトラは女戦士の神と三角錐の神が一瞬だけ全く同じもののように錯覚した。
妹を運命から救い出すために切実に力が欲しい。
その点で二人の意思は一致している。
エレクトラはぼんやりとした心が求めるままに手を伸ばそうとしていた。
メートリアンもまた、正常な思考能力を奪われた状態で反射的に手を動かす。
「くたばれクソ神」
容赦なく叩き込まれた正拳が、神の顔面をしたたかに打ち据えた。
三角錐が砕け、女戦士の頬が歪み、白い世界がぱりんと割れる。
現実に立ち返ると、打撃を受け止めた状態のレナリアが驚愕に目を見開いていた。
「意外。あなたは自力で拒絶できないって思ってた」
「どこのどなたか存じ上げませんが」
エレクトラの口を借りて、メートリアンが敵意を吐いた。
『それ』は彼女にとって最大級の怒りを呼び起こす記憶。
いまや亜竜人となった彼女の、逆鱗である。
「目障りなんで死んでくれます?」
「想定外がいるみたい。じゃあ仕方ないし、まとめて喰うか」
アストラル体の昂ぶりに呼応して、エレクトラの背から純白の翼が広がる。
対するレナリアの背後には異形の神像。八眼七尾の三相女神がごうごうと吼えた。
殺意と欲望が交錯し、病棟の通路を呪詛が駆け巡る。




