5-34 義憤について
セリアック=ニアは密かに溜息を吐いた。
無数の『ちびニア』たちの情報収集は順調とは言い難いものの、人海戦術による地道な監視網は可能性を潰していく作業には向いている。調査が徒労に終わったという結果を積み重ねながら警戒を続ける猫姫の総体意識は、ふと代理人形に近づく存在を感知した。
頭部のコックピットに搭乗したちびニアは、機械女王の手による可動式等身大フィギュアを操作して滑らかな動きで応対。
「こんにちは、プーハニアさん。そんなに慌てて、どうかなさいましたか?」
ニア人形がいるのは来賓用に用意されたレース会場三階の観覧席である。
彼女に求められているのはクロウサー家の関係者や他の文明圏からの賓客、公社を介した提携関係にある企業の重役といった面々を相手に『亡命した王族』として振る舞うこと。
機械女王とガロアンディアンをよいしょよいしょと持ち上げる仕事に退屈していた猫姫は、サイズの合っていない制帽を大きな頭に乗せた虹犬の警備員の到来に目を輝かせた。
周囲に緊急の要件のためと断りを入れてから席を外す。
通路から移動して空いたミーティングルームに入ると、この第五階層における数少ない協力者に柔らかく声をかける。
「調査に進展があったのですね?」
「おう! とんでもねえことがわかったぜ!」
元マレブランケの一員にして現在は公社の警備部職員、ブルドッグ氏族の虹犬プーハニア・トストンスはセリアック=ニアとユディーアの協力者だ。
ユディーアによって買収されたジュティアとミナコンビ。そのバックアップ要員を買って出たプーハニアは、その裏で二人組の監視を続けていた。ユディーアが二人に目をつけたのは、『どの勢力にも属さない有力な探索者』を警戒したからでもある。
つまり、あの二人には『王殺し』の容疑がかかっていた。
単独犯である、という先入観は捜索の目を曇らせる。
機体整備や会場警護にまで関わり、レース開始直前まで二人と一緒にいた彼がどんな手がかりを掴んだのか、セリアック=ニアは期待に胸を膨らませて耳を立てた。
「会場入りの直前、ジュティアとミナがこっそり誰かと連絡してたみたいでよ。それもまじないでの通信とかじゃねえ。鳥を使った手紙のやり取りだ。逆に念入りだろ?」
機密保持の観点から言えば、伝書鳩などのアナログな手段が有効になることもある。
プーハニアは持たされていた追跡符を使って鳥の使い魔にマーカーを付けて行先を突き止めたと語り、自慢げに胸を張った。
「行先を調べたらなんとびっくり、最近になって第八階層からやってきた公社の取引先の支社でよ。情報部の言語魔術師に調べて貰ったら、大量の兵器やら呪具やらが流れまくっててこりゃやべえって報告入れに来たわけよ。ほれ見てくれよ。個人で購入するような量じゃねえだろ? テロどころか戦争する気だぜあいつら」
プーハニアの調べた情報によれば、ジュティアとミナの二人組は『ガリヨンテの鎌』という商会と不自然な取引を行っていたという。購入した大量の破壊的呪具は会場に持ち込まれてこそいないものの、密かに第五階層の外部、レースで通過する予定となっている隣接異界に運搬されているらしい。
「こいつは当たりかもしれねえ。まあ安心しな。あいつらが何か不審な動きを見せたら、我が警備部が誇る屈強なドローン部隊や猫科魔獣たちがきっちり制圧するからよ」
「あの、レースの中継は確認していますか?」
自信満々に断言するプーハニアの言動に違和感を覚え、猫姫は問いを投げた。
虹犬は不思議そうな表情でまばたきする。
「いや、最初に選手が揃ったあたりをちらっと見ただけだな。まだ序盤だし、そんなにでかい動きはねえだろ?」
「にあ」
鳴き声と共に端末を突き出し、中継映像を見せる。
プーハニアの顎が外れた。
「えっ、あの二人が反則? 俺の調査、手遅れかよ!」
頭を抱えるプーハニアだったが、コースの先に大量の兵器が用意されているという情報そのものは有益である。どのようにして気付かれずにことを進めたのかも含めて調査の必要があった。情報を共有するべく三人の『同僚』に通信を送る。
トロメリアからのみ『りょーかい!』と『クレイのきらきらおめめウィンクスタンプ』(サイバーカラテ道場公式サイトにて販売中)が返ってくるが、カーインは既読無視、ユディーアは未読のまま。
あちらの状況もまだ不明なままだ。
果たして作戦は上手く行っているのか。
転生先は隣接異界の隠し病院と聞いているため、機械女王に依頼してニアホンを運ばせてもらったが、何らかのトラブルが起こったのか反応が途絶している。
状況は動き続けているが、先手を打つことができない。
内心の焦燥を押し殺して各地のちびニアたちの動きを再考しようとしていたその時、等身大人形が持つ端末に着信。相手の名を見て、一瞬だけプーハニアを気にするがまあいいかと判断して通話を開始。立体幻像の窓の向こうに見慣れた黒衣姿が現れる。
「セリア、レースの中継映像、観た?!」
「落ち着いて下さい、アズーリア。機械女王とミルーニャから連絡があったはずでしょう」
ダウザールの顕現を巡る呪術戦は全てパーンと主催側による共謀だ。
関係者で知らされていなかったのはリーナだけ。
そうでなければ意味がないとはいえ、残酷な仕打ちに何も思わなかったわけではない。セリアック=ニアにとってはリーナもミルーニャも得難い友人なのだから。
「それでも心配だよ! リーナだってつらいだろうし」
「必要なプロセスです。もっとも、レース中にリーナが立ち直れるかはわかりませんが」
感情を露にするアズーリアとは対照的に冷静に振る舞う。
相手の憤りは自分が欲していたもので、自分の理性は相手が必要としているものだ。
お互いにそれがわかるからこその会話だと納得し、冷淡な杖使いのやり方に対する苦言を受け止め、たしなめ、落ち着くまでの時間を稼ぐ。
「ところで、あなたさっきから使い魔の修行でもしているんですか?」
「え、あ~、この犬はその、色々あってそんな感じ」
セリアック=ニアが見咎めたのは、アズーリアの傍らにいる二匹の動物だった。
お座りの姿勢で大人しく待機するパピヨン犬と、黒衣の肩にちょこんと載せられている鹿と鳥に似た奇妙な獣。枝角と翼は青禍鳥のようだが、蹄ではなく霊長類的な手足をわさわさと動かして黒衣の上を這いまわっているのがやや気味悪い。
「実はさっきそこの影溜まりで迷子になつかれちゃって~。どうしようこのコ」
「カプゥ♪ カッププゥ♪」
小さな夜の民の迷子、なのだろうか。
代理親や模倣先もなく影を彷徨う幼体ペリュトンが世界槍で見つかるのは珍しい。
知性的な振る舞いを知らない獣の動きでアズーリアの顔にすりすりと身を寄せる小動物は目を細めて安心した表情だ。ずいぶんと慕われている様子だった。
「スキリシアから迷い込んできたのかなあ? 何にも覚えてないしわかんないみたい」
「迷子センターとか無いんですか?」
「あるとしたら中央区だよね? 私いまそっち行けないから、ちびの手を貸して?」
「セリアを便利に使いますね。ひとりくらいなら別に構いませんが」
奇妙なそんざいではあるが、有害さは感じられない。
アズーリアへの好意を隠そうともしない振る舞いには毒気を抜かれるほどだ。
「もしもし~? おうちわかる? 家族のひとは?」
「カプ!」
問いかけの意味をわかっているのかいないのか、つぶらな瞳をアズーリアに向ける幼いペリュトン。もしかするとアズーリアを家族だと思っているのかもしれない。
「頑張ってくださいね、親鳥さん」
「せめてお姉さんとかにしてよ」
魔女の一団に馴染んだアズーリアの自認はいまやすっかり魔女のそれだ。
そのことに安堵する己を自覚して、セリアック=ニアは少しだけ動揺した。
かつての自分にはなかったもの。その変化をどう受け止めるべきか、判断に迷う。
「セリアが気になるのはむしろそっちの犬です。何か嫌な感じがするのでどこかに閉じ込めておきませんか? いえこれは犬が嫌いとかではなく」
すぐ近くでレースの中継を見ていたプーハニアがショックを受けていたので『関係ない』と首を振って否定しつつ、アズーリアの傍らにいるパピヨン犬に警戒を示す。
理由の分からない不安感。こうした勘こそ実は最も注意を払うべきだと猫姫は考える。
「いや、この犬が嫌な感じがするのは正解っていうか、ヤバいのはわかってるんだけど状況的には仕方なくて~」
「まさかとは思いますが、倒したライラ・ラプスに呪われたなんてことは」
「はい」
「はいじゃないでしょう怒りますよ」
本気で激怒する猫姫は視界の隅にこそこそ退出していく虹犬の姿を捉えた。恐るべき傘の魔女の名を聞いた虹犬が震えあがって逃げ出したのだ。どうやら同族から相当恐れられているらしい。
「あらあら、誰かと思えば宝石の悪魔のお人形じゃないですか」
喋ってもかまわないと判断したのか、使い魔の口を借りて話すライラ。
レメス神の長女にとっては冥府から現世に声を届けることさえ容易いのだろう。
アバターの犬が器用に口の端を歪めて笑みを浮かべた。
「ご安心を。この状況になった以上、私はあなた方と共闘可能です。少なくとも、あの邪魔者を排除するためにはどれだけ手があっても足りないでしょう?」
「何の話です?」
「あら、情報共有が徹底されていないのかしら。ハグレスを認識できていない? それどころか互いの立場さえ? ふふ、心を許し合っているように見えたのに、面白いのね」
じろりと睨みつけたが、犬はどこ吹く風といった様子でそっぽを向く。
不思議そうな表情のアズーリアに何も説明しないままというわけにもいかないだろうが、ことが末妹選定に絡むため軽率な判断はできない。
四魔女の座、義国圏と鈴国圏、そしてこのガロアンディアン。
救世主トリアイナの降臨はあらゆる利害関係を超越した先に未来を示す。
だが、今はまだこの事実を開示することはできない。
ハルベルトとアズーリアには、特に。
リーナを蚊帳の外に置くことに意味があったように、末妹選定の候補者は何の先入観もなくトリアイナの誕生に立ち会って欲しい。それが『脳』と四騎士たちの総意だった。
「ライラ・ラプス。これは警告です。もし」
「ええ、この間の軽い小競り合いについての説明はあなたにお任せします。『公社警備部の外部協力員』として、侵入者に無様に土をつけられたなんて事実をばらされたら恥ずかしいですものねえ?」
全く信用できない口調ではあるが、何か思惑があるのか、単に面白がっているのか、ライラはセリアック=ニアとの間にあった事情を曖昧に誤魔化した。
一方で、アズーリアたちが明かしたのはレースの裏に潜むハグレスという偽神の存在。
状況の深刻さを理解した猫姫はコックピットで操縦桿を強く握りしめた。
「『呪文の座』と『杖の座』は協力関係にありますが、競争相手でもあります。問題解決のために必要な情報は共有すべきですが、明かせないこともある。ガロアンディアンに保護されているこちらの事情を汲んでいただけると助かります」
面白がるような視線を無視してアズーリアに語り掛ける。
夜の民はやや困惑しているようだったが、セリアック=ニアの行動に間違いはないだろうと判断して頷いてくれた。無条件の信頼は『姉至上主義の妹』という猫姫のイメージを根拠としている。少しだけ変化した自分を、まだ全て明かせないことに後ろめたさを感じる。仲間への罪悪感などという未知の感情から、ふと連想したのは安否不明の相棒のこと。いったいどこで何をしているのやら。
「とにかく、レースの件はトリシューラに対処を任せてセリアたちはそのサポートに回りましょう。アズーリアはそこの駄犬と『虫王の庭』でハグレスを待ち構える、ということでいいんですよね?」
「うん、任せといて。あんなのがいたらレースもライブも台無しだからね」
「お願いします。セリアはさっきまでそこにいた警備部のプーハニアさんと合流してハグレスの依り代が購入した兵器を抑えに行きます」
これ以上の被害を拡大させないために必要な措置だ。二人組以外にも協力者がいないとも限らない。公社警備部の戦力を動員する必要があるだろう。
「プーハニアって、確か元マレブランケの人だっけ? 報告書で名前見た記憶があるよ。虹犬なんだよね。もしかしてライラの知り合いだったりして」
アズーリアが思いついたように話を振ると、犬は耳をぱたつかせながら小首を傾げた。
「プーハニア? おかしいですね。あの子がその場所にいるはずが」
その時だった。
ライラの発言を遮るような轟音、熱波、衝撃。
突然の爆発が立体幻像を表示する端末ごと猫姫人形を吹き飛ばしたのだ。
猫姫を狙った暗殺。襲撃者の無知と油断を好機と捉えたちびニアはコックピットから緊急脱出して着地、爆風の中を疾走して付近に潜伏しているであろう『爆撃』の詠唱者を探す。
通路に飛び出し、くんくんと匂いを辿って呪詛の原因を遡る。
濃密な呪力がわだかまる一室に飛び込んで爪を伸ばし、容赦なく飛び掛かる。
引き裂いたのは魔導書を背負った大型猟犬の使い魔だった。
端末個体からの情報を受け取ったセリアック=ニアの総体が『やはり』とライラへの疑念を確信に変化させた直後、小さな二頭身の胴体が衝撃によって床に叩きつけられる。じたばたともがいても動くのは手足だけ。鋭利な刃で貫かれ、固定されてしまったのだ。爆発は誘い出し。油断していたのは猫姫の方だった。
せめて襲撃者の正体だけでも確認してセリアック=ニアの総体に共有しなければ。
命運尽きたちびニアは強引に首をひねり、その姿を目撃した。
絶句。得た情報を別のちびニアたちと同期しようとして、周囲を覆う闇に気付く。
広がる影の世界が一帯を包み込んでいた。
セリアック=ニアの総体は己の一部からの連絡が途絶したことを受けてすぐに動くだろう。しかし全ては手遅れだ。先入観と同期の時間差を完全に利用された。
漆黒の影から突き出した無数の棘に貫かれ、小さな猫姫は沈黙する。
敵にとって最も不都合な事実は、こうして闇に沈んでいった。
高速の空。刹那の間隙にねじ込まれた『※』記号と長台詞が紐付けられる。
それら全ては時間経過の欄外で処理される魔女たちの『注釈』だ。
超高速の言理飛翔が当然の箒レースでは、解説を喋っている間に状況が移り変わってしまうということが起こりうる。だがテキストベース・サーキットなら話は別だ。
幻像窓に並ぶ二人の魔女が、レースの推移を見守りながらマイクを握る。
「さあ、いよいよ開幕した空使い選定レース、序盤から大荒れの展開となっております! 現在トップを独翔するのは言わずと知れた天空の反逆者、賊王パーン! それに続くように二番手グループが団子状態! クロウサーの本流ダウザールと分家エンハが機を窺うようにパーンの後ろを追い、マルガリータ、ファーガスト、クリーナー、やや遅れてビルメーヤ、リーナ、ロードデンドロン、大きく引き離されたジーゼロが続く!」
都市の上空に設置された無数のリングを通過していく機甲箒の群れ。
トリシューラの実況から意図的に外されていた『失格者』がリングによって規定されたコースを無視して嵐のように呪詛を放射する。
ジュティアとミナ。より厳密には、ハグレスを名乗る存在の反則行為だった。
レースから早々に脱落し、背後から迫る死と化した探索者ペア。
二人がやろうとしているのは競技ではなく殺し合いだ。
妖しき神の加護を得たことによってガロアンディアンが誇る猫科魔獣は敗れ去り、杖の叡智も及ぶところではない。
選手たちに追い縋る呪詛は、アヴロノの瞳から投射される視線である。
ジュティアの浄界は、『シャルマキヒュの凍視』という『視線を実在化する呪術基盤』によって魔弾として成型された追尾矢弾である。
弾丸はそれ自体が持つ『主観視点』に立脚した浄界を構築し続けていた。
すなわち、追尾型魔弾は捕捉した対象の背後に『追い縋る世界』を展開する。
「狩猟こそ最上の栄誉とみなす文明圏ではこうした半開放状態の追尾型結界が多く見られます。熟練したアヴロノの狩人らしい浄界と言えるでしょうね」
コルセスカの解説通り、選手たちを個別に追い立てる弾丸はそれぞれが個別に世界を構築していた。通常、浄界の範囲を変更するためには拡大や浸食という過程が必要になるが、ジュティアはその工程を全て自動化している。
「でも解説のセスカさん、あんなに雑な浄界を連射するのって流石にコスパ悪くない? ターゲットの個我による抵抗や対抗呪文であっさり撃墜されそうだけど」
どういうことなんでしょう、とわざとらしく首を傾げるトリシューラに対し、コルセスカは生真面目に架空の眼鏡を直しながら答えた。
「仰る通り、あの浄界魔弾はほとんど世界像を作り込んでいません。しかし世界の解像度が粗いという点では普段の我々も似たようなものです。神域に達した邪視者でもない限り、常に周囲の全てを高精細にイメージし続けるのは困難ですから」
精度を犠牲に燃費を重視するというのは筋が通っているようで、必殺の浄界としては破綻している。ゆえにジュティアには何らかの手段で威力を補わねばならない。
コルセスカは人差し指を立てて、空中に小さな氷の人形を作り出した。
ミニサイズの氷像の周囲に、球形に薄い氷の膜が張り巡らされる。浄界を模しているであろう氷の球は、前方が分厚く、後方がやや薄いという特徴があった。
「邪視者は常に全方位を『描画』しているわけではありません。知覚外の領域もデータとして処理されますが、リアルな世界として具現化されるのは『画面内』に限ります。浄界の展開基点を対象の『画面外』に設定できれば、そのぶん浄界合戦で有利が取れるわけです」
実際には真っ先に罠を張られたり正面が手薄になって押し負けたりと駆け引きがある、と補足説明。氷像をつつきながらトリシューラはふむふむとうなずいた。
「イメージを低解像度にすると省エネで、プラスして相手の背後とかの死角に展開すると抵抗が少なくて楽ちんって感じ? 二重に低コストな浄界だ」
「そうですね。普通、邪視者同士の戦いでは意図的に解像度を落とすことはしませんが、正面からの撃ち合いを避けるのなら話は別です。彼女は背後からの追尾魔弾という形に浄界の可能性を絞ることで、邪視の競合で力負けすることを回避しているのでしょう」
競い合うことの拒絶。闘争ではなく狩猟という世界観の発露。
世界観の綱引きを回避した結果として生まれた一方攻撃用の浄界はひどく粗雑だが、格上の邪視者を奇襲で仕留めるには過不足ない威力を有していた。
大物食いを行うための合理的な組み立て。アヴロノの邪視者は英雄と呼ぶに値しないが、凡夫が英雄を倒すという夢想を現実に落とし込む才には長けていると言えるだろう。
「つまりはリアル系中二妄想のスキルツリー。玄人好みな味付けというやつです」
「なるほどねー、アキラくんタイプかぁ」
最後尾への転落は本来ならもっとも避けるべき展開だ。
しかし競技を放棄して追跡者として振る舞う場合は話が別である。
標的が僅かでも速度を緩めれば、その先に待つ未来はひとつ。
「狩りの時間だ」
ジュティアの宣言に呼応して、眼差しの矢が競技者たちの背に喰らいつく。
狙われたのはパーン、マルガリータ、ファーガスト、クリーナー、ビルメーヤ、ロードデンドロン。視界外からの追尾攻撃に対して可能な対処行動は限られているが、このうちパーンとマルガリータは完全な無反応を貫いた。あくまでもレースに専心する六王と巫女に共通しているのは傲慢の域に達した我の強さと、精妙な闘気操作の技術。
気穴と呼ばれる人体に点在する生命エネルギーの門を微調整し、肩甲骨の付近から直接放射した闘気の奔流によって加速しながら魔弾を撃墜したのである。
「機体装甲を上手く避けて迎撃しました! 肉体信仰由来の呪力は下手をすれば杖の産物である箒を破壊しかねませんが、二人とも見事なオーラ制御です!」
残りの四発も執拗に選手たちを追うが、それぞれが不発に終わっていた。
召喚士が手にした拳銃が種子を射出し、炸裂した『精霊』が呼び水となって新たな召喚獣が出現。ロードデンドロンは自分に迫る脅威を使い魔に対処させ、その間に後方グループの老女ビルメーヤと魔弾の間に強引に機甲箒を割り込ませる。
「無事ですか、ご婦人!」
「あら、紳士なティリビナ人さん、ありがとう」
土の障壁によって守られた機体には傷ひとつないが、身体を張った善行に観客席から賞賛の声。魔弾は召喚獣によって不完全な浄界ごと貪り喰われて消えていた。
謎めいたダークホース気取り、黒衣の選手クリーナーも危なげなく危機を回避している。巨大な黒布で覆われ、錠前と鎖でがんじがらめに封印された機甲箒のシルエットが突如として蠢き、内側から溢れ出した黒い靄が浄界魔弾を逆に呑み込んだのだ。
「はっはー! ミクニーの魔弾といやあ必中の運命だ! 幸運のプレゼントとは景気がいい! ダスト、丸ごと喰っちまえ! 俺たちのラッキーはこっからだ!」
豪快に喚くクリーナーには傷ひとつない。ダストと呼ばれた機甲箒が唸り声のような吸引音を発して加速していく。標的となった最後の一人、元暴空族のファーガストはただひとりこの魔弾に脅威を感じているのか焦りを見せつつ怒鳴り散らす。
「クソ狩人女! 俺らは関係ねぇだろうが!」
「落ち着きなさい、ファーガスト。防御は私に任せてレースに集中を。些事に気を取られている場合ではありません」
彼の使い魔である半透明の馬が、アストラル界を振動させる馬言語魔術によって対抗呪文を組み上げる。馬族たちの『流転』は世界の変化を称揚し、固定化された閉鎖結界を鮮やかに否定した。
稚拙な浄界は格上の呪術師には通用せず、同格以下のレーサーたちも優秀な使い魔に守られて無傷のまま。全くの無駄に終わったかに思えるジュティアの浄界だったが、何人かの選手が異変に気付く。事前に仕込まれていた得体の知れない呪術生命が再出現していたのだ。
「高アストラル反応ヲ確認。命数ノ追加消費ニヨリ、蝋燭ノ火ヲ強化可能デス」
「障壁ノ限界強度ヲ超過。自動的ニ命数ヲ追加消費、出力強化ヲ実行」
デフォルメされた二頭身の人形。古代の貫頭衣に燃え盛る翼。
クリーナーの箒とファーガストの使い魔に、炎天使がへばりついている。
ミナの呪術によって既に選手たちに憑依していたそれらは、不安定な明滅を繰り返しながらも何らかの条件によってその姿を明瞭に現わして奇妙な告知を繰り返す。
小さな燭台を持った子供は、無機質な合成音声でしきりに何かを問いかけていた。
「おいダスト、どうした?」
「やべえぞ下がっとけラーテ! こっちの反撃をクソ解釈してやがる!」
形状からしてジュティアの相棒、燐血の民であるミナの呪術であることは確実だろう。
使い魔による防御に対しても自動反応する正体不明の『化身』は得体が知れないが、闘気で無効化できることはパーンとマルガリータが証明しているし、ロードデンドロンの召喚術にも反応していない。対抗策は存在しているはずだと呪われた二人は平静を取り戻す。
対照的に感情を露わにしているのはロードデンドロンだった。
召喚獣による防御に炎天使は反応していないにもかかわらず、血相を変えて背後のジュティアとミナに非難の視線を向けている。
「すぐにこの呪いを解除しろ! いたずらに被害を拡大させるんじゃない!」
その様子から自分ではなく他人の危機に対して感情を動かすタイプなのだろうと観客たちは理解し、若きティリビナ人に対する評価を更に上げていく。
一方でジュティアは無言のまま追撃を続行。
己の奥義があっさりと無効化されたことなど意にも介していないかのように目を見開き、更なる浄界を発動させた。
その時だった。
パーンを狙っていたはずの七発目の視線が不自然に捻じ曲がる。
必中のはずのジュティアの魔弾は狙いを逸れていった。
その先にいたのは、不運にも炎の翼を広げて飛翔していたジュティアのパートナーだ。
魔弾がパーンに対する妨害を繰り返していたミナの心臓を貫く。
あまりにもあっけない、誤射による絶命。
悲惨な結末に実況さえもが言葉を失う。
「再装填。圧縮。成型。サイクル進行」
事故で仲間を失ったとは思えないほどに無機質な言葉が静寂を打ち破り、墜落していくミナの死体を回収したジュティアが次の魔弾を構築していく。
「殉死ニヨル天寿完遂ヲ確認。条件達成。審判ヲ開始シマス」
そのジュティアの肩にも、小さな炎天使の姿がある。
違和感に満ちた合成音声は死後も機能し続ける『化身』によるものだ。
「おっと、ジュティアとミナの二人が何やら呪術方面でも脱法行為を始めた模様!」
「何か踏み倒しましたね。ミクニーとピュクティエトの戒律と加護にはシナジーが幾つかありますが、『不幸な生贄』からの『名誉の殉死』誘発コンボで炎天使シフト狙いが定番の強ムーブとされています。あっ、いまミナが炎に包まれて蘇生しましたね」
大型の機甲箒に横たえられていた女が撒き散らした血を燃やしながらゆっくりと身を起こす。死を前提とした捨て身の呪術など正気の沙汰ではない。だが、正気を投げ捨てた呪術師はしばしば命の消耗を厭わぬ暴挙に出ることがある。
「アルマのような先祖返りの燐血の民であれば命数上限が限界を突破している可能性もありますが、無制限の蘇生ではないでしょうね。おそらく命数を補充する仕組みがあるはず。沙羅双樹型の一時的な不死呪術を併用しているものと思われます」
生贄を要求する儀式と、生贄を踏み倒して発動する呪術の併用。
二人組の戦法は強力ではあるが、一歩間違えば取り返しがつかないリスクがある。
躊躇のない行動の裏側で、操り糸の主が笑みを浮かべていた。
今度は三発の魔弾がそれぞれパーンとマルガリータに向かうが、増大した呪力をさしもの二人も無視できない。両者は対応を迫られた。
苛立ちを隠せぬ表情のマルガリータは箒を傾けながらリングを通過。背後を狙う魔弾をぎりぎりまで引きつけ、裏拳の軌道と正反対に視線を向けて浄界発動位置を誘導してから三つまとめて圧縮した闘気で潰す。傷ひとつない拳に纏わりつくのは小さな炎天使。「貴方ノ、残リ命数ヲ、オ知ラセシマス」という定型句に舌打ち。
一方でパーンは回避を選択。立ち乗り姿勢のまま跳躍し、ぐるりと空中で反転。
背中が前方を向き、三つの魔弾が前へと抜けていく。その先にはいつの間にか投擲されていた六王の眼鏡。知覚端末としても機能する呪具は、義肢と連携して監視機能を発揮。『パーンのもうひとつの目』である眼鏡の裏側に回った魔弾が同時に小規模浄界を広げ、レンズを包み込んで凝縮したかと思うと一瞬で消滅。
「隙が出来たね」
回避のために箒から離れたパーンに迫るのは燃え盛る翼を広げたミナ。
蘇生直後だというのにその勢いに陰りは見られない。
殺意が無防備なパーンを貫くかに見えたが、炎を纏った長槍は空振りする。
「俺に追い付けると思うな」
パーンの箒が加速するのと同時、一回転したパーンの肉体は空中に置かれたまま炎天使を置き去りに前進していく。回避行動を取ったにもかかわらず、六王のトップは揺るがぬまま。一切の減速なしに、乗り手と機体は離れたまま並行して空を往く。
「なんでしょうかあれは! パーン選手、跳躍した状態であるにもかかわらず箒と連動して飛翔! 一位をキープしている! 見た目が大変に珍妙です!」
「空の民の特性による現象ですね。彼は箒に立ち乗りしていますが、厳密に言うと箒に対して浮遊しているのです。『下方』と認識した任意点との相対的な座標を維持することができる空の民ですが、クロウサーの血族はその高度を普通の空の民よりも遥かに高く設定することが可能と言われています。伝承によれば、六王パーンは太陰に届くほどの背伸びをしたこともあるとか」
空の民にとって空中は無防備な場所ではない。
箒の上でのアクロバットな跳躍はさほど危険な行動ではないということだ。
流石に消耗するのか徐々に箒に近づいて『着地』したようだが、パーンの表情には余裕さえ見て取れる。
ジュティアの『誤射』が再びミナに向かう。
生贄の儀式を妨害すべくロードデンドロンの銃撃召喚とマルガリータの闘気が同時に魔弾を狙うが、突如として降り注ぐ流星、落雷、バナナの皮といった運命的な象徴に阻まれてしまう。七発目の魔弾が不運をもたらすことは覆せないルールなのだ。
悲劇の魔弾がミナの心臓を貫き、『不運による死』を『天寿を全うした』と解釈した炎天使が追跡者たちに祝福を与える。
愛する者を犠牲に『供儀によって天の加護を得た魔弾』が生み出される。
強化加護の発生源はミナが具現化した小さな炎天使の化身だ。
最後の一撃はどのような妨害も許さぬ必然の『供儀』を成立させる。
大呪術を行使するための下準備は妨害の的だが、それが定められた非業の運命であれば打ち破るのは困難を極める。
「通常、神への捧げものは一柱に対してひとつのみ。見たところ妖精神が要求しているのは死をもたらす不運であり、松明神が要求している命の灯火とは厳密には重なりません。はじめに不運な凶弾というミクニ―への供儀が成立し、それに連鎖する形で天使への生贄が捧げられた場合、単一のコストで二重に祝福を得ることができるわけです」
コルセスカの冷静な解説を証明するように、予定調和の復活を果たしたミナが更なる呪力を纏って猛火を撒き散らしながら飛翔する。
目に見える変化として、燃える翼のみならず長槍が松明のように炎を灯し、巨大な青銅の円形盾が出現していた。頭部を飾るのは神の代理人の証にして香具でもある蝋燭の冠。
「おそらく松明神の息子たちと呼ばれる二桁台の上位炎天使。『蝋燭の冠』のアトリビュートから御使いの八八番、『天寿の告知者』の神話再現型化身でしょう。時間や寿命を蝋燭に見立てて管理する死神です」
脅威の正体を見極めながら、欄外からの視線が二人組の本質を少しずつ暴いていく。
探索者の二人組は四英雄には及ばぬまでも、それに準ずる実力者と見なされていた。
大魔将との交戦によって失われた、九英雄が率いる探索者集団。
偉大なる北辺出身の妖精王が率いる『潤い広場』の二番隊、その隊長と副隊長。
つまりは独立して活動可能な探索者中隊の長にして、妖精王に次ぐ実力者たちだ。
魔女たちは最初から数を頼みにした使い魔で鎮圧できるとは思っていなかった。
さて、と前置きしてから一呼吸を置く魔女姉妹。
時が切り離されているということは、実況と解説をしながらたっぷりと時間をかけてレースの状況に介入する準備が可能だということでもある。
「いわゆる妨害厨の行動として、逆走や停止、待ち伏せが挙げられます。ルール的に呪術やアイテムの使用が許されている場合ならともかく、レースという本質を捻じ曲げるような動きや上位次元との接続によるシステム的なチートは許されるものではありません」
上空に表示された立体幻像の中で、コルセスカはなぜかバナナをもぐもぐと食べながら解説を行っていた。冬の魔女がバナナの皮をポイ捨てすると、幻の窓から飛び出したそれがジュティアとミナの目の前に出現。機甲箒の先端と接触した途端、空中にもかかわらず激しくスリップして減速を強いられる。不運を象徴する障害は妖精神のルールの範疇だ。
その瞬間を見計らって横合いから猛然と追突してきたのは、トゲ付の甲羅だった。
否、よく見ればそれは棘のように高質化した乱れ髪と、流線形の強化外骨格を纏った丸々とした体型の巨漢である。飛翔用の改造を施された呪動装甲は、さながら飛翔する亀。
マレブランケがひとり、ルバーブ=スカルミリオーネが到着したのだ。
「『球神の吐息』よ」
神話に語られる妖精滅殺の大呪術。防御不可能の重圧が巨漢の口から放射され、前に出たミナの全身が空中で圧壊。相棒に庇われたジュティアが機甲箒で離脱していくが、硬化した髪の毛が棘の矢弾となって追撃を開始。蘇生していくミナを即座に猛攻が追い詰める。
圧倒的な実力者の登場に観客たちの表情が晴れていく。
ここにいるのは古代ラフディに君臨した美しき王マラードの右腕。
猛将ルバーブは大地の民が誇る英雄である。
祝祭を妨害する巨悪を追い詰めるその勇姿を声援が後押しした。
悪役という立ち位置を得た探索者たちは絶体絶命の窮地に陥るが、その顔には余裕。
「うまつよ~。愛する人も妻子もいそうな感じ。でも薫るなあ。心の童貞臭!」
清楚なブラウスと背中空きニットワンピースという妙な出で立ちをした燐血の民は、炎の中で獰猛に笑う。歴然の実力差に怯みもせずルバーブに挑みかかる。
槍に纏わせた炎が蛇のように鎌首をもたげて巨漢の脇腹を襲う。
発動したのは『貪る炎』による生命吸収効果。攻撃と治癒を両立する強力な呪術基盤ではあるが、術者の力量によってはどっちつかずとなりがちだった。
ゆえに、効果対象に条件を設けることで威力を増大させるという工夫を凝らす使い手が多いことでも知られていた。ミナの場合、『特攻対象』となる属性はひとつ。
炎の顎が装甲をかいくぐってルバーブのたっぷり蓄えた脂肪を抉り取っていく。
ルバーブの防御や回避を問答無用で無視する強制力は、対象特化型の呪術に特有の挙動。
更にミナは槍を投擲してルバーブを牽制すると、隠し持っていた細長い何かを両手で保持した。五指の間に保持したのは計八本。緊急事態を察知した機械女王がちびシューラの『見せられないよ!』という幻像を貼り付けたが時すでに遅し。取り出したそれらを口の中に豪快に放り込み、猛然と咀嚼、嚥下していく。
「ふふふ、私はね。彼氏さんたちの穢れなき童貞を喰う! ことで!! 本人すら知り得ない情報を全て知り、更には減少した命数を回復させることが可能! こうして熱く身体をぶつけ合った以上、その童貞は私のもの。たっぷり可愛がってあげる!」
投げても戻ってくるという神話によく登場する機能を有した槍がミナの手に戻り、灯された炎がさらに勢いを増した。
補充される命数、理不尽な属性の押し付けによる防御無視の攻撃。
そうした不利な材料を全て黙殺して、無言の拳が炎天使の顔面を叩き潰す。
わずかな間に三つの命が散った。流石に焦りを見せるミナを粛々と追い詰めていくルバーブだったが、攻防の間隙に差し込まれた一手が状況を覆す。
完全なる球体がルバーブの目の前に浮いていた。
それは太陽であり大地でもある。
時と空を統べる神。宇宙を象る原初的形態。
全にして一、すなわち数多の星々と唯一の世界。
ルバーブ、大地の子よ、我が忠実なるしもべよ。
抗えない呼び声は、彼が大地に選ばれし者であるからこそ強く響いた。
球神ドルネスタンルフが、啓示をもたらしてるのだ。
「僕の言うことを聞いてくれるよね?」
絡みつくような神の意思に対して、ルバーブの判断は迅速だった。
破戒。その場で眷属種を規定する加護と祝福を放棄。
二重眷属種である再生者であるからこそ可能な、冥府への帰属表明を実行。
紀神の祝福を拒絶するという掟破りの蛮行だった。全身を巡る大地の加護を永遠に喪失しても構わないという覚悟に、球神の姿をした悪意がたじろぐ。
当然の如く弱体化したルバーブはミナの猛攻をしのぎ切れない。
動体視力や判断力も鈍っていたのか、迫る刺突を捌こうとした咄嗟の防御行動が裏目に出てしまう。結果として心臓を貫いた炎の槍がルバーブに死の眠りをもたらした。
ハグレスの罵声が使い魔を叱責する。
「使えない道具め、殺してしまっては傀儡にできないだろうが!」
ミナの槍に込められた『童貞殺し』の本質は魅了による生命力の略奪である。同化と吸収による術者の強化と回復を目的としているため、奪われた魂や呪力を奪い返さなければ再生者といえど蘇生は不可能だ。
戦闘不能になった再生者が墜落していく。駒の奪取には失敗したものの、邪魔者を排除できたことは間違いない。そう切り替えたミナは先回りして選手たちを待ち伏せする。
「少年化してるってことは~、ほぼ確実に『童貞化』してるってこと!」
かつての戦いで変質したパーンはミナにとって格好の標的だ。
浄界と化身による強化。『炎天使』によって強化された神速の飛翔術。対童貞に特化した魅了がもたらす絶対的な破壊と再生。無法を重ねて正道を往く者の前に立ちはだかったミナは、必殺の槍を手にして『彼氏さん』に内定した六王に狙いを定める。
パーンは、その真横を何事もなかったかのように通り過ぎて行った。
「え、ぐぅっ」
喉に、手足に、巻き付いて縛り上げる細い長い無数の糸。
苦痛に喘ぐミナは状況を理解できずにいた。
状況を俯瞰するハグレスは手駒の全身を精査し、その正体を理解する。
髪の毛だ。女の身体の至る所に、呪われた毛髪が絡みついている。
「死後の怨念! あいつ、わざと殺されたのか?!」
怨念とは、死によって強化される呪詛の中で最も典型的なものである。
とりわけ、再生者が『二度目の死』に際して発動させる呪いは破格。
天の御殿で紀神たちと共にある清浄な魂でさえ、ひとたび掴まってしまえば地獄に引きずり込まれるほどの重みと言われている。
敵が死霊術師ではなく、魅了、生命吸収、傀儡化の使い手であるがゆえの即断即決。
ルバーブは判断ミスによって死んだのではない。
神による傀儡化をかわしつつ敵を仕留めるために死を選んだのである。
六王級の呪詛が女の喉を締め付け、蘇生のたびにその命を呪縛して終わらせていく。
縛られているために反撃も生命吸収による補充も不可能だ。
あまりにもあっけないミナの絶命。
その魂から伝播した呪詛が操っていた神にまで及び、球神というかりそめの姿が髪の毛によってがんじがらめにされていく。ハグレスは咄嗟に借りていた姿を放棄してミナという操り人形との繋がりを断ち切った。手駒を失ったばかりか、球神という貴重な化身まで奪われたハグレスは激昂してジュティアに操り糸を伸ばす。
アヴロノの女は墜落していく女の身体を救い出そうと機甲箒を急がせていた。
不可視の強制力が救出を中断させ、パーンの追跡を命じる。
意に添わぬ行動への反発によって邪視者の自我に亀裂が走った。
ミナの死によって半狂乱となったジュティアは既に正常な精神状態を維持できていない。浄界は暴走し、半ば小鬼に堕ちかけている。
ゴブリン級の現実改変呪力が空中をでたらめに荒れ狂う。
今度こそパーンでさえ回避が間に合わず、大きく減速を強いられてしまう。
飛散した呪詛の余波を搔い潜ってダウザールがトップに躍り出た。
ハグレスはその結果を良しとしながらも、まだ怒りが収まらないと吼える。
「想像以上の役立たずどもめ、せめてパーンだけでも僕に献上してから堕ちて死ね」
過剰に注ぎ込まれた加護の力がアヴロノの瞳から正気を奪った。
ジュティアをここで使い潰すと決めたハグレスの残酷な仕打ちを、誰も認識することはできない。傍目からは迷惑な二人組が勝手に暴れて破滅しただけ。
誰もがジュティアとミナを蔑み、死んで当然の悪と断じた。
レースに専心する選手たちは背後を顧みない。
他者を慮るロードデンドロンでさえ、悪を擁護などしていない。
たとえ天の意思を認識できたとしても、パーンやダウザールのような者は踏みつぶした蟻のことなど気にすることはないだろう。
「お前は、人の命をなんだと思ってるんだ!」
この第五階層で、そんな素直な言葉を口にできる者がどれだけいるだろう。
天を見上げ、その残酷な意思に対して否を突きつけるような者が。
可能な者がいるとすれば、それは。
「晴れろ暗雲。空よ、あるべき姿を取り戻せ」
猛追する浄界魔弾は捻じれた軌跡を描いてわだかまる闇の世界を広げていた。
荒れ狂う内面を反映した絶望の世界。
その前に現れた箒が、輝く道を背後に残していく。
響く詠唱、千切られた大学ノート。
リーナ・ゾラ・クロウサーは真っ直ぐに前を見据えながら、確かに天に唾を吐いた。
「汝らすべてまやかし、塵と共に掃き清められ、その目で朝の光をとくと見よ。目覚めとはすなわち生のあかし、眠れる黒は目蓋の裏に!」
箒の軌跡がきらきらと輝いて、空間に清浄なラインが引かれていった。
禍々しい浄界の暴走を、決然たる意思が抑え込む。
掃き清める。聖なる領域を浄化する祭具としての箒の役割。
地上のみならず天の穢れまでも払うという決意が、その道具に飛翔を求めた。
三角帽子の魔女は、最も正統な箒飛翔の『意味』と『価値』を人々に示す。
「飛翔の軌跡を、浄界に?!」
驚愕するハグレスの目の前で、ジュティアの精神が平静を取り戻していく。それどころか、神の加護として下界に及ぼしていた影響力さえもが阻害されつつあった。
リーナの怒りは明らかにハグレスに向かっていた。
彼女の呪術師としての技量を考えればあり得ない事態である。
だがそんな子孫の姿を超人的な聴覚と背後さえ見透かす黄金の千里眼で捉えたダウザールは口の端をにいと吊り上げた。
「良いぞ。未熟な技量を範囲の限定と杖の併用で補ったか。上手いやり方だ」
箒を使った簡易浄界。リーナ・ゾラ・クロウサーの使っている技術はきわめて不安定な上に有効な対象が限定的な代物だが、確かな成果をもたらしている。こちらもまた、明らかに格上の浄界使いと戦うことを想定したものだろう。
地道に完全な浄界を目指す正道を選ぶのではない。
足りない実力のまま、届かせなければならない高みに手を伸ばすための苦肉の策。
追う者と追われる者は、共に同じタイプ。矛盾を抱えた不完全な浄界使いだ。
すなわち、空を夢想する現実主義者。
光の中で、ジュティアの瞳が大切なものを取り戻していく。
ハグレスの呼び声が遠ざかっていくようだった。
遠ざかる魔女の背がアヴロノの狩人に何かを語ることはなかったが、輝くような空の道は紛れもなく救いだ。糸を断ち切って、ジュティアは墜落したミナのもとに急ぐ。
地上で待機していたガロアンディアンの機械人形が保持していた燐血の民の遺体は、呪縛から解放された安らかな表情を浮かべていた。
「クソ、何もしないで死にやがって! 僕の手駒だろうが、戻れ! おいってば!」
喚き散らすハグレスの声を背に、リーナは先頭を飛翔するパーンを睨みつけた。
胸に抱くのは理不尽に対する怒り。
姉の死を見せつけられた時に沸き起こった激情と似ているが、それとはもっと質の異なる強烈な意思だ。冥界に至るレースの果てに死を覆せるというのなら、リーナは必ず成し遂げなければならない。それは使命感にも似ていた。
「言理飛翔・加速開始」
まもなく都市部上空に設営されたコースの終端にさしかかる。魔女が後方から追い上げるのと同時に、ダウザールに追い抜かされたパーンもまた巻き返しを図った。
先頭の老人を見据えたまま六王が吼える。
「命数五パーセント消費。持って行け死神!」
術者の死後も継続し続けていた炎天使が加護をもたらす。
パーンの肩で蝋燭の火を激しく燃え上がらせた化身は、パーンに凄まじい速度を与えた。
追い抜かれまいと対抗しようとしたダウザールは、そこで目を見開く。
嘲笑と同時にふたたびトップに躍り出るパーン。
老人は愕然とした表情で己の肩を見ていた。
そこには、パーンと同じように小さな炎天使がしがみついている。
ミナの化身はまだジュティアの世界で生きている。
パーンは魔弾を喰らった時に呪力の流れを偏向させて後方に流していたのだ。
結果としてダウザールにも天寿消費の加護が与えられている。
『呪術儀式として成立させた方がメリットがある』と判断したパーンは瞬時の判断で攻撃を受けると決断した。奇しくもルバーブがそうしたように、己の肉を断たせることで超越者の足を引くことに成功したのだ。
「パーン、貴様」
「お仲間の祝福だろう? 感涙に咽び泣け、終活にはもってこいだ」
それが不利に働くと知りながらパーンは挑発してみせた。
ミナの化身は聖典に記された一回性の奇跡、天使現象を再現するものだ。
蝋燭で喩えられた天寿とは、人生の時間そのものである。
エネルギーを消費する全ての行動は時間と生命の消費に等しい。
自身の力を燃やすことで天の加護が得られるが、他者に付与された『炎天使』はその代償として加速度的に寿命を焼き尽くしていく。
能力を説明されても『当たり前のことを言っているだけ』となり、自然の摂理で説明可能な『寿命』という呪術現象の宗教解釈は反論が難しい。
直観に反する呪術原則は、直観的に納得しやすい呪術原則に負ける傾向にある。
このため『不死』系の呪術にも宗教権威と自然由来の納得により優位であり、不死者や転生者も『命を燃やす』存在である以上は必ずいつかは燃え尽きると論破できる。
ミナ自身や相棒のジュティアにも適用可能な、強化の祝福でありながら致死の呪詛でもあるという強力な化身だった。
「ここまでが表向きの機能。『天使を再現可能なものとして召喚する』から化身なんだけど、その隠された本質は『寿命価値の零落』なんじゃないかな。長命者だろうと転生者だろうと来訪者だろうと天寿を百分率で数値化してフラットに捉えることで、寿命価値を老若問わず均している。ジュティアとミナがパーンに対して使うなら有利に働くし、ダウザールに対してはもっとだよね」
今度は実況のはずのトリシューラが化身についての解説を行う。
杖の奥義である化身は見た目の機能が分かりやすい一方、本質である神秘の零落という側面が理解され難い傾向にある。ミナの化身はその好例だった。
結局、ジュティアとミナの二人組は共に同じものを見ていたのだろう。
膨大な命数を有する超越者を弱体化するための化身は、格上と対等に戦うための奥義だ。
必中の段階強化浄界と炎天使による攻撃。二人の連携に対処するために命数の追加消費を強要するのが二人の本来の戦術なのだろう。
敵が強化されても再生能力に特化した炎天使が壁となり、魔弾の強化段階が追い付くまで粘るという長期戦の構え。というより、戦闘の長期化による敵の消耗に主眼が置かれている。妖精王を長とする探索者集団の幹部である二人組にとって、格上の敵と戦うことは英雄が到着するまでの足止めとイコールだったのだろう。
既に妖精王はいない。すがる希望を持たない二人に待っていたのは絶望のみ。
そのはずだった。
光の道を示した若き魔女は、果たして次代の英雄足り得るのだろうか?
未来はまだ誰も知らない。それでも、箒乗りは先へ進む。
その姿を見ながら、コルセスカがぽつりと呟く。
「リーナ・ゾラ・クロウサーの現実空間での呪術行使をはじめて見ましたが、彼女もしかして後方を完全に知覚していませんか? いえ、それ以上にあの大学ノート」
自問自答に近い言葉はもはや誰かのための解説ではない。隣で状況の推移を神妙な表情で見守っていたトリシューラが反応する。
「呪文発動のたびに即席の魔導書を作ってるみたい。大気と空間認知のモデルを汎化せずに一回ごとに特化させて呪文組み上げてるの、呪文のふりした邪視の人って感じでウケる」
コルセスカはそれを聞いて表情をこわばらせた。
信じられないものを見るように、幻像窓の向こうにいる魔女を凝視する。
「全ての時空間座標を個別に認識している、とでも? そんなことが」
様々な視線を受けながら、リーナ・ゾラ・クロウサーは飛翔を続ける。
順位は動いていない。依然として後方グループから抜け出せていない少女は、しかし明らかに以前とは違っていた。
その瞳に宿るのは、穢れなき決意。
選手たちが市街地上空のワープゲートに次々と飛び込む。
次なる舞台は隣接異界・蒼空岩石群。
複雑怪奇な乱気流と散らばった岩塊が待ち受ける、苛烈な暴風域である。
箒乗りたちは、立ちはだかる塵に挑むように風を切って飛んでいく。




