5-22 『転活体験アプリ・ウィズメモリーbeta』②
「ユディーアさん。我々からの提案には続きがあります」
ハタラドゥールとの対話が終わって一息ついたのも束の間、銀フードのエリカは更なる『脅迫』を突きつけてきた。ユディーアはにっこりと笑ってみせる。もはや『王殺し』を探すどころではない。機械女王やレナリアには悪いがこの状況でスーリウムと敵対するのは無謀だ。流されるまま「はーい」と元気よく返事。
エリカは腹を立てた様子もなく頷いた。何故か態度が柔らかい気がするのだが、ひょっとして同情でもされているのだろうか。
「まず、この広告動画をご覧下さい」
エリカは長方形の携帯端末を取り出すと手慣れた仕草で操作を始めた。
ロードデンドロンもそうだが、ティリビナ人がこうやって『杖』を当たり前のように扱っていることに戸惑いがある。エストはそうでもなかったから、世代というより環境の問題なのだろうか。
宙空に浮かび上がった立体幻像が音と光を発する。
何かと思えば、先ほど街中でも見かけた新しいアプリとやらの宣伝だった。
茶番じみた映像を醒めた目で眺める。
祝祭に行きたいとはしゃぐ小さな機械女王が飛び回るが、それを見る人々は気乗りしていない。それも当然、第五階層は無数の火種を抱えた世界有数の危険地帯だ。
「こんな危険な都市に直接行けるわけがない!」
「じゃあ高価な憑依体感型の使い魔を送り出す?」
「護衛を雇って治安のいい中央市街だけ観光する?」
「でもでも、万国珍味の食べ歩きもしたいし再現史跡巡りもしたい、レースやライブを生で見たーい! そんなアナタにはこれ!」
小さな機械女王あらため広報大使ちびシューラが頭上に掲げたのは簡素な人型が二人三脚のように寄り添うアイコンだった。
「じゃじゃーん! これこそ『転活体験アプリ・ウィズメモリー』! この新作アプリは現在オープンベータテスト中! 『サイバーカラテ道場』の無料ユーザーでも参加できる上に、データ提供のお礼としてこの祝祭で使用できるお得なポイントを大量獲得!」
説明のたびに大げさな反響の声。
どうでもいいが、転職活動を支援するアプリと間違えてしまいそうで印象が悪い。
と思ったら職業マッチング機能もついているらしい。第五階層での就労支援という目的もあるようだった。この都市ではあらゆることにアプリの利用が付いて回る。
しかし、まずその『なんちゃら道場』をインストールする気が全く起きない。
無料でも嫌だった。どうせお知らせ無しで自動更新とかされるに決まってる。
「記録した魂データと一緒に第五階層を冒険しちゃおう! まさに疑似的な転生体験! マッチングした相性の良い相手と心の交流! 大事な記憶や開示しない精神状態などを細かく設定可能だから、ちょっとしたツアー気分で参加するのも良し! 転生都市シナモリアキラは恐いけど、ちょっとだけならその特色に触れたい、という人も大歓迎! ソフトな転生体験は『ウィズメモリー』から! 転生活動、してみませんか」
察するに、リモートで体感できる観光用アプリという感じだろうか。
一時的に知覚機能を間借りする程度の『疑似転生』は意識や記憶が融け合ったり上書きされたりすることのない安心設計で、転生と謳ってはいるものの実際は観光施策のひとつだ。
短期間のホームステイのような試みもやっており、ここでの生活が気に入った場合は『転生体験』の期間を延長もできる。観光や移住をする場合は相当な優遇措置を受けられるということだった。
(ゴーリーたちみたいな迷宮刑罰者はどう受け止めるかな)
体験版が疑似転生ということは、冥府の女神と転生紀人の権能を用いた『本当の生まれ変わり』も次の段階として用意されているはずだ。
ほぼ確実に犯罪者をはじめとした脛に傷を持つ者たちが殺到するだろうが、機械女王はそれも織り込み済みで『生まれ変わり』を推進している。意識や感情に干渉するような技術があるのだから、『塔』由来の脳髄洗いで強制的に更生させて善良で働き者の市民に作り変えることも可能だろう。
想像する。過去を切り離し、これまでとは異なる自分を手に入れ、新たな生活を迎える人々の都市。転生者たちが行き交う『第二の人生』のための街。
嘘くさい再起。偽りの日常。仮面の世界。人工的な幸福。
悪夢のようだとユディーアは思った。
(あたしが望んでも、どうせ手に入らないもの)
悪夢に見そうなほど、羨ましくて仕方がない。
そんなこと、死んでも口にしないけど。
「ふぅん、色々やってるんだねぇ。あんまりよくわかんないや」
確か身体感覚ベースの拡張現実や仮想現実は機械女王が得意とする分野だったはず。
アストラルネットや夢界、アストラル海といった主要なインフラが発達しているせいであまり研究が進んでいない分野だから、技術的に可能であれば注目度は高いはず。
歌姫人気や空使い選定レース、ラプシンシエルの冥府や紀人都市シナモリアキラといったコンテンツの注目度を考えれば悪くない施策と言えた。トラブルさえ起こらなければ。
このタイミングでオープンベータというのが突貫工事を感じさせるし、そもそもある程度の失敗を前提としているようではあるが、まあそれはいい。問題は何故これをユディーアに見せたのかという点だ。
「我々はこの『転生』という紀人都市の根幹理念を利用するつもりです。死者は土に還り苗木たる子供たちの糧となるもの。転生をそのように解釈すれば、生命が流転するという思想は冥府などという妄想よりもずっと受け入れやすい」
レナリアがティリビナ人の遺体から情報を引き出すために死霊術ではなく過去視を頼ったことからもわかるように、彼らの宗教観は冥府と相性が悪い。
シナモリアキラという転生の紀人を彼らの解釈に『寄せる』というのは必要な方便のひとつと言える。だが彼らの計画はそれだけには終わらない。
「ここに『マレブランケ』の二人から抽出した『精神原型』があります。これをカルカブリーナとファルファレロの二人にとっての『魂』に見立て、彼らが転生を希望していることにしてシステムを騙します」
エリカは端末の画面をこちらに向けながら『鎌と脳』の禍々しいアイコンをタップして見せた。魔王ネビロンのシンボルが発光し、『精神加工』用の違法アプリが起動すると二人分の立体幻像が現れる。カルカブリーナとファルファレロのアストラルモデルだ。
「機械女王相手にそんなことできる?」
「仲間のひとりが病院に搬送された二人を追跡、居場所を突き留めました。襲撃して拉致し、記憶を吸収した上で存在を漂白して転生枠を奪います」
「過激~」
洗脳からの交戦で弱らせたのも計画のうちだったのかもしれない。
『マレブランケ』の既存メンバーの中でも弱い二人を的確に狙い撃ちしている。プーハニアが脱退していなかったら確実に標的にされていたことだろう。
「マラコーダとチリアットにも襲撃を仕掛けましたが失敗。今回は確実を期すために幾つかまじないを重ねます。貴方の『化身』である『三十枚銀貨』が必要です。この二人の精神原型を『銀貨』に変換し、転生資源として扱うことができますね?」
口ぶりには確信があった。
推測などではなく、実際にできると知っているのだろう。
確かに、自身の血肉や技能価値ではなく他者の価値を『銀貨』にすることも可能だ。
ただしその場合は確実に劣化を伴う。自分に対する三十枚制限の適用外ではあるものの、基本的には『剥落の鉤爪』で相手の力を削ぐために使う呪いだった。
「あたしの『化身』まで知ってるんだ。凄いね、スーリウムの時間樹は」
「ユディーアさんが隠している切り札も把握しているものとお考え下さい。限定空間内の時間を疑似的に停止する浄界『三眼瞬知』、買収した使い魔を招集する軍勢『ジャスマリシュ傭兵団』、紀神の威光を示す頌歌『シャルマキヒュ栄光歌』、そして化身『三十枚銀貨』。他のこけおどしはともかく、私たちはあなたの化身を高く評価しています。これだけは誰にも真似ができない、恐るべき力です」
ティリビナ同胞団はユディーアの手の内を把握していると豪語した。実際にそれは確かに彼女の持つ技能なのだが、何かひっかかるものを感じて内心で首を傾げる。
『そこ』で情報が止まるということは、時間樹の広がりは無限ではない。
案外とそのあたりにスーリウムの弱点が隠されているのかもしれないと考えたところで自分を戒める。安易な希望を持つべきではない。
「現行の冥府システムへの移行と同時に機械女王が試験運用を開始した『転活体験アプリ・ウィズメモリーbeta』。スーリウム様とハタラドゥール様にはこのアプリを使用してカルカブリーナとファルファレロの転生枠、記憶と資格の継承者になっていただきます」
まず二枠、と白い指を立てるエリカ。
言うまでもなく『マレブランケ』の枠だろう。
転生先の個我が余りにも強大である場合、アプリのセーフティなどなくとも憑依や乗っ取りの可能性は皆無となる。二人は文字通りの養分となり、『銃士スーリウム』と『言語魔術師ハタラドゥール』という厄介な存在が生まれてしまうだろう。
「ティリビナ人の代表としてロードデンドロンが空席のルビカンテに、黒檀の民の代表としてアサブがリビコッコに就任するのが理想的な流れです。そしてユディーア、あなたにはもちろんドラギニャッツォになっていただきます」
更に三枠と五指を立てるエリカ。
ユディーアは死んだ目でそれを眺めた。特に感想はない。ないと言ったらない。
今の彼女は心の底に『無』を沈み込ませている。
「うん、知ってた。ドラギニャッツォね、はいはい」
「『亜竜王だったもの』、カルカブリーナ、ファルファレロの三名は現在、第五階層の中心ではなく隣接異界の隠し病院に匿われています。明日、『空使い選定レース』に合わせて暗殺者『王殺し』が犯行声明を出す手筈となっています。機械女王や参加選手たちに警備を集中させたところで病院を襲撃。こちらで三枠の転生先を確保します」
「おお、だいたーん」
つまりスーリウムの仕掛けた暗殺計画はあくまで陽動。
ロードデンドロンが華やかに本選で目立つのも真の狙いを隠すため。
きっとまだ手札を伏せている。時空を超越した上位者とはそういうものだ。
「特にドラギニャッツォは機械女王が『名前を失った亜竜王』のために準備している首輪だということがスーリウム様の予知でわかっています。多くの分岐で『亜竜王ドラギニャッツォ』が誕生し、対抗するようにノゴルオゴルオがアルティウスや使い魔のディスケイムバジリスク、そして貴方をねじ込んでいる。今回はこの流れを利用させてもらいます」
「おおー、運命を利用する感じ、かしこーいすごーい」
何か、かわいそうなものを見るようなまなざしを向けられている気がしてならない。
だがユディーアは全てがどうでもよくなっていた。
『シナモリアキラ選』とかいうふざけた噂を耳にした時から嫌な予感はしていた。
もっと言えば第五階層に着いて早々、わけのわからない自称シナモリアキラたちのトラブルに巻き込まれてから最悪だと思い続けていたのだ。
「バジリスクでいいんならそれで良くない?」
「使い魔をねじ込むのはシステムに対しての攻撃が主目的です。敗色濃厚になった時に嫌がらせとして実行するならともかく、基本的には主導権を握るためにこちらの息がかかった人物を送り込むのが常道でしょう」
「だよね。言ってみただけ」
息を吐いて壁に背を預ける。
いちいち感情を動かしていたらきりがない。冷静に受け流そう。
銀フードのティリビナ人を見て、視線で『続きをどうぞ』と促す。
やはり気遣われている。銀フードが感情を示すように項垂れた。
「ダルヤル、あなたも同席と説明を」
呼びかけの直後、窓側の空間が揺らめく。
ぎょっとして息を呑んだ。
石楠花の花冠と華やかな祭服のティリビナ人が立っている。
新たに現れたのはロードデンドロンに瓜二つの『何者か』だった。
別人だとわかったのは相手がそれと分かるように表情や気配で語ってくれたからこそだ。容姿は完全に同じだが、中身が決定的に違う。まるでロードデンドロンの華やかさを完全に消し去った人形。まるで人間味を感じない、おどろくほどの空虚さ。
先ほどのエリカの言い回しを思い出す。『存在を漂白する』ということが可能だとすれば、ちょうどこんな感じになるのではないだろうか。
「ダルヤル。豹の力。影武者」
それが自己紹介だと気づくまでに一瞬の時間を要した。
感情の抜け落ちた端的な言葉。ダルヤルという人物は、どうやら変幻する猫科魔獣の力によって変身しているロードデンドロンの影武者らしい。おそらくこのティリビナ人は自在に変身する豹の媒介なのだろう。この人物が使い魔の制御と呪力供給を行うことで長時間の変身維持を可能としているわけだ。
正体を教えてくれようとしているのだろうか、男の周囲で光の球体が瞬く。その内側に別のティリビナ人が隠れているのがうっすらと見えた。体格はロードデンドロンに近いが、視線は茫洋と宙を漂い個我が希薄な印象を受ける。おまけにひどく負傷していた。全身が焼けただれ、焦げた樹皮のあちこちに鋭利な刃物による傷がつけられている。
「蛍火豹ハロス。我らが天主ロードデンドロンが召喚する麗しき九祖の一角です。ダルヤルはこの光の精霊の助けを得てあらゆる姿に変身できる。普段は彼の影武者として活動していますが、今から別の任務を行うことになります。ユディーアさんの力を借りて」
「また『銀貨』?」
「『メイファーラ』の宣名価値が必要です。彼に渡していただけますか」
明らかにこのダルヤルなるティリビナ人にメイファーラを演じさせるつもりだが、その上で誰を騙すつもりなのかが問題だった。先ほどまで会話していたエストとアズーリアの顔を思い浮かべる。流石に容認できない。
「何のつもり」
間合いを測りながら指先を伸ばす。二人とも相当な手練れだ。影武者のダルヤルは負傷から見て鍛冶師のセラメルと交戦した相手だろう。セラメルはガルズやアサブと並び称される準英雄クラスの実力者であり、彼はそれと互角。エリカにしても、疑似浄界による時間停止について言及したのは牽制の意図があるはず。確実に対策済みだ。
「今、スーリウム様は私を信じて説明を委ねて下さっています」
「急にどうしたの?」
銀フードは静かに俯いたまま。
あからさまな敵意をぶつけても反応はない。
ティリビナ同胞団という組織が今一つわからなくなってくる。
過激な原理主義者の集まり。自民族の優生思想を掲げる武闘派。
思えば、ユディーアはスーリウムという典型的な人格を見てどこかで安心していたのかもしれない。『ほら、やっぱりこういう連中なんだ』と。
しかしティリビナ同胞団は個人の集合でしかない。
進む方向は同じであっても、その人格や個性、思想や感情には差異があって当然なのだ。
「あの方が私に託した伝言はこうです。『ユディーアにはハタラドゥールと共にシナモリアキラ選に集中して欲しい。一方でメイファーラにはこちらに合流し、聖女クナータと巫女プリエステラを結ぶ懸け橋になってもらう必要がある。そのためのセレモニーに出席する際、代理を立てたい。形式的な儀式ゆえ影武者を使うが良いだろうか』、以上です」
「あたしに『方便』を信じさせようとしているの?」
エリカは小さくうなずいた。
そうして、再び端末を操作して念写動画を表示する。
空中に現れたのは彼女の記憶だろう。
スーリウムがティリビナ人たちに何かを語っている場面だった。
「『ティリビナの街路樹の民』などという欺瞞と引き換えに顕花の誇りを売り渡した彼女に贖罪の機会を与えてやらねばならない。これは師である私の責任でもある」
エストのことを話しているとすぐにわかった。
親密な様子だった先ほどとは打って変わって、スーリウムの表情は険しい。
同胞たちに向けた演説は力強く、正しさを説得的に打ち出している。
「彼女は槍神教に服従し、限られた同胞を守ることを選んだ。しかしそれは信仰や文化を歪めることを許容できない者たちを切り捨てる決断だ。漸進的保守を望む者や父祖の思想を守りたい者、伝統を愛する者や過去を忘れないと決意した者。ある一点を妥協するくらいなら死んだ方がいいと叫ぶ者たちもいる。我らはそれを知っているはずだ」
そうだと誰かが賛同した。ある者は無言でうなずき、神妙な表情で聞き入っている者や苦痛を堪えるように項垂れる者もいた。
「私はそうした君たちのあり方を美しいと信じる。屈辱を耐えて同胞を守ろうとした彼女の悲壮な決意もまた美しいことは確かだ。しかし決して許すことはできない。ああ優しくも愚かな娘。私はお前は愛し、憎もう」
仰々しく芝居がかかった言葉。だがそれはスーリウムの心からの言葉だったのだろう。
彼はティリビナ人を愛しているし、エストの志も美しいと認めている。
二人の絆に嘘はなく、その感情も真実のものだ。
落涙しながら、スーリウムは苦渋の決断を下した。
身を切るような思いでそうすると決めたのだ。
「プレア=エステラはその命を捧げ、我らが『ティリビナの救世主』の母体となるのだ」
記録幻像はそこで途切れた。
もし、スーリウムの思惑通りの未来になれば。
『竜母』を産むために犠牲になるのはクナータではなく、エストになる。
「スーリウム様の狙いは、先読みの聖女から大いなる母としての役割を奪うことです。『時十字の瞳』を聖女クナータから奪い、ティリビナの巫女プレア=エステラに移植、接合する。生まれるのは『ティリビナ人のトリアイナ』です」
「本当に、そんなことができるの?」
「同胞団には優秀な精霊医療の使い手が所属しており、仲間たちから地上の医療にも精通した精霊医師を確保できたという報告がありました。ティリビナ人以外の手術に不安があったのですが、どちらも得意な医師が参加してくれれば成功するでしょう」
ユディーアにとってクナータ=ティエポロスの未来回想は絶対であり、彼女がトリアイナの母となる運命は覆しようのない大前提だった。
だからこそ彼女を巡って争奪戦が起きているはずだ。だがそもそも『竜母』の資格が他の誰かに移せるのだとすれば、争奪戦の意味合いが変わってくる。
自分の陣営に都合のいい『竜母』を用意すれば生まれた直後のトリアイナを懐柔したり洗脳したりするという不確かな試みは不要になる。
そしてティリビナ同胞団にとって最も都合がいい『竜母』は最初から決まっている。
「修道騎士メイファーラは聖女クナータの護衛であり、巫女プレア=エステラの友人でもある。二人に警戒されずに計画を実行できる最適な立ち位置。クナータは失明するものの命を長らえることができる。そのかわり、救世主降臨のために新たに生贄となるのは」
室内に沈黙が横たわった。
ユディーアは目を伏せ、小さく息を吐いた。
スーリウムがエストに向けていた慈愛と、エストがスーリウムに向けていた親愛を思い出す。心から安心しきった笑顔。信頼と喜び。そこに嘘はなかったはずだ。
「どうして教えてくれたの?」
最初に出てきたのはそんな疑問だった。
エリカという人物がわからない。ここにはダルヤルというロードデンドロンに近しいはずの影武者がいるにも関わらず、スーリウムの意向に反するような行動にためらいがない。
そもそも呪術の技量やキノコ人の使役、スーリウムからの信頼を踏まえると、彼女はティリビナ同胞団の中でもロードデンドロンに次ぐ中核的な構成員なのではないか。そんな人物がとる行動としてはひどく不可解に思えた。
「似ていたから」
「誰に?」
答えはない。簡素に過ぎる答えは意味がわからず、エリカ自身にも理解させるつもりがないように思えた。あるいは、この行動そのものが衝動的で無意味なものかもしれない。何故かユディーアにはそう思えてならなかった。
スーリウムという超越者は未来を見透かし、他者を駒と見なして謀略を巡らせるタイプかもしれない。だがその部下たち全てが同じとは限らない。
「個人的な感傷、のようなものです。ただ、結末が変わらないのだとしても、知っておくべきだと思いました。あなたが未来を諦めているとしても、せめて」
不可解な説明は途切れがちだった。
何かを迷うように、道を手探りで進むように、銀フードのティリビナ人は言葉を探す。
この瞬間、超越者の操り糸から自由であるような錯覚を覚える。
完璧ではない振る舞い、意味も価値もない醜態。
ユディーアは、このエリカというティリビナ人に好感を抱き始めていることに気付いた。己の単純さ、絆されやすさ、愚かさに呆れる。だがそれはこのエリカも同じなのではないだろうか。出会ったばかりのユディーアに感情を動かされ、馬鹿なことをしている。
「あなたは命を選ばなくてはならない。プレア=エステラか、それともクナータか」
「あたしは」
「親しい友人か。それとも愛すべき家族か」
看過できない言葉だった。
いま、家族と言ったのか。
愕然と目を見開くユディーアに、エリカは淡々と告げた。
「友愛も家族愛も、私たちが共有できる価値観です。私たちなら最後には同胞を優先する。あなたはどうですか。血か、絆か。どちらを選びますか」
「待って、それは、だって」
「同じ父親を持つ、血のつながった存在。ペラティアとノーグの血。だからこその『竜母』だと、とっくに気付いていたのでしょう?」
気付かないようにしていたはずの秘密。
わからないふりをしていたはずの現実。
クナータが。ティエポロスが。
「あたしの、妹」
知らんぷりをしていればよかったのに。
家族が死ぬところを、流されるまま、なにもできないままぼんやりと眺めている。
父親が母親に望まれて死ぬ場面を、何度も何度も夢に見る。
小さなキニスにはわからない。向いていないから、やらなくてもいいはずだ。
だって、できないものはできないのだ。
諦めていたほうがずっといい。
(そうだ。これは選択なんかじゃない)
元から道はひとつだけ。
自分から抵抗するなんて、そんなことできっこない。
渡すしかない。流されるまま、選ばされるしかないのだ。
無気力に指を持ち上げて、『メイファーラ』の銀貨を取り出す。
『決して、みんなに危害を加えるような『おいた』は駄目ですよ』
ディスペータお姉さまの『法の誓約』は生きている。
『言理の妖精が勝手に』『運命の紀竜が望んだから』『スーリウムに強要されたから』なんて言い訳を重ねても罪や責任から逃れることはできない。
チョコレートリリーの絆。黒百合宮の思い出。仲間たちとのつながり。
それを、最低な形で裏切る愚か者。『メイファーラ』はここで終わるのだ。
「ふぇ?」
思わず変な声が出た。
銀貨を手の中から出現させようとした瞬間、はたと気付く。
ちょっと待って欲しい。
(幾らなんでも、この場面でそんなことある?!)
おかしい。待て。嫌な汗が出てきた。焦るなバレる。
対面のエリカが訝しそうにこちらを見ている。怪しまれないように愛想笑いをしてもにゃもにゃと呪文を呟いておく。これは必要なことなんですよー。嘘だけど。
心当たりを探ると即座に思い当たった。
『私の名はクレナリーザ。死と再生の神ハザーリャの巫女、そしてヒュールサスの女王が代々受け継ぐ『沼の祭司』を示す記号』
骨の指先で銀貨を弄ぶ謎めいた魔女との一幕の記憶。
おそらくは『塔』の魔女と思しき再生者の姿を借りた誰か。
答えは明白。心の中で最悪と毒づく。
同時に、違和感が湧き上がる。
(なら、どうしてスーリウムはこんな要求をしているんだろう。時間樹であらゆる可能性を把握しているはずの彼が、どうして? 何かの罠? 試されてる? たぶん違う)
流れるように連鎖していく思考がある気付きに辿り着いた時、ユディーアはまさかと身を震わせた。ここまでの運命、その推移、スーリウムが主導権を握っているように見える展開の全て、ティリビナ人たちの文化と信仰、独特の宗教観。
こんなことがあり得るのか?
あらゆる未来と分岐を見通しているスーリウムは時間樹と呼ばれるティリビナ人の世界観に基づく超知覚を有している。
それゆえの絶対的優位があるのに、ティリビナ人たちの現状はこんなにも過酷だ。歴史的に彼らが背負わされてきた苦難はスーリウム個人の力では覆せなかったと考えるのが自然だが、それだけではないとしたら?
考えろ。どうして死せる魔女はあの時ユディーアにあんなことを言った? 恐らくキュトスの姉妹の誰かだった彼女。あえて再生者の姿で接触してきたことに理由があるとすれば、それは何?
あまりにもあっけないライラ・ラプスとノゴルオゴルオの脱落。
死霊術ではなく、必要だったのは過去視。
冥府を拒絶し、『血の中に息づく祖霊たち』の力を借りてハデスを打倒したロードデンドロン。養分を得て流転する生命。祖霊という言葉の指し示す意味は本当に同じもの?
「この人に、銀貨を渡せばいいんだよね」
ぼんやりと暗闇に沈んでいくようだった視界がクリアになっていく。
ダルヤルという影武者を見ながらミルーニャ製のポーチから入れ物より大きな長財布を取り出す。中には銀貨がぎっしりと詰め込まれている。
「えーっと、どこにやったかな。いまお財布から探すから、ちょっと待ってて。雑な偽名コインをいっぱい用意してたから、ごちゃごちゃしちゃって」
次々に指でつまんで放り出す。ちゃりんちゃりんと音を立てて床に転がっていくたび、刻印された宣名が漏れ出して文字呪文が煙のように浮かび上がっていく。
『シャルミー・リト』『マイヴァラ・イ・ドーマタニア』『トリギシア・シンクレース』『ミヒトブラッセ・リト』『ベルジャエト・リト』『メイファ・リト』『ファラ・リト』『マイファラ・アーニスタ』『メイ・フェトロヤイク』『ミリー・ヘレゼクシュ』。
天眼の民によくある名前からボロブ人や東方人に偽装するための名前がずらりと並んでいく。偽名の群れを見せつけられたエリカたちは戸惑っている様子だった。
「我ながら、いくらなんでもシャルミー・リトはないよねー。教科書の例文とか書類の記入例でしか見たことないよー」
「これは『まことの名』ではなく偽物ですね? 同じ収納で管理しているのですか?」
「『上』で使う用って括りかな。修道騎士としての名前も騎士団別に幾つか作っておいたんだよね。一番強固に『育った』のがメイファーラだったんだ~」
『化身』というのは『杖』の奥義であり、神秘を零落させることで強大な力を『量産』できるようにしたり、神のような超越的な形而上の存在を形而下に実体化させる、つまり依り代としての天形を用意することである。
典型的なものは巨大な神像。あるいは伝説の武器。聖剣や魔剣、伝承を再現する兵器。
ユディーアが常日頃から地道に鋳造している贋金も、事前に呪具を準備しておくよくある『杖』のまじないと言える。
呪紋刻印によってラベル効果や呪術基盤を宿した銀貨は明らかに三十枚以上存在している。普段はユディーアの財布や服、靴底などに隠されているが、いざとなれば自在に手の中に出現させることができる便利な『化身』だった。
「それ、手品や奇術のようなものですよね」
「んー、まあそうかも。そういえば、そっちのリーダーさんも得意なんだっけ」
指先でコインを転がし、瞬時に手の中から消したり出したりを繰り返すパフォーマンスを披露してみせる。奇術やトリック、小手先の宴会芸という側面も確かにあった。
そう見えるように普段からアピールしているから、生まれた時から仕込まれている血統術や『塔』で学んだ禁呪の知識によって己の鮮血を価値そのものに変えている、という本質には辿り着けないようになっている。
鋳造銀貨は文字通りの『贋金』だ。
簡易呪符や偽名ラベルのような使い捨ての呪具であって切り札ではない。
込められた呪力の総量を『本物』と比べればその差は歴然だから、きちんと調べられてしまえば即座に露見する。
技能価値系の『報復』『空圧』『安らぎ』『生命吸収』『殺戮』『凍視』あたりは効果の量と質が低下してしまうので贋金化する意味は薄い。
だが、宣名価値を銀貨に置き換えた場合は話が別だ。
「お、良かった、ちゃんと見つかった」
財布の中から取り出したのは『目玉』が刻印された銀貨。
比較的長く使っている銀貨は他の贋金と比べて使用感があり、蓄えられている呪力も明らかに大きい。
「『上』に潜入しているメイファーラはこのあたりの偽名コインも持っているのが当然だから、念のためまとめて渡しておくね」
ダルヤルに近づいて幾つかの銀貨を一緒くたにして差し出す。
くすんだ偽名たちの中で強く輝いて自己主張する『重みのある名前』。
目玉が刻印された銀貨が宿す呪力はその他の贋金の倍以上だ。
「確認しました。相手を乗っ取らないという誓約呪文を交わしていただけますか」
「当然の備えだよね。『ジャスマリシュ傭兵団』の軍勢には組み込まないようにする」
『化身』だけでなく、流通している貨幣や個人的な約束や貸し借りによる『買収工作』がユディーアの『疑似軍勢』の発動条件だ。疑似浄界と同じように、これは天眼の民の生態や伝承に由来する共通の奥義、種族的呪術基盤とでも言うべき技術である。
相応の修練が必要とはいえ、これらを指して『浄界』や『軍勢』と呼ぶのは恥知らず、という風潮は根強い。呪術師は当人の個我を拡張した固有の奥義を尊ぶものだからだ。
多分、ユディーアは汎用奥義を会得しただけで『四系統全ての奥義が使える』と自慢している少々恥ずかしい未熟者だと思われているはずだ。
だとすれば、そのあたりが『射程圏内』だということになる。
(隔世よ、ユディーア)
心の中で呟く。
尾を動かすのと同じくらい自然に血統術を行使して霊的外部記憶装置を起動。
形のない記憶が目を開き、実体のないもうひとつの心身が立ち上がった。
背後で『戦乙女の血』がいつものように手を持ち上げ、指の間に銀貨を挟む。
その数は四枚。非実体のユディーアが持つ、非実体の銀貨。
刻印されたシンボルは邪視、呪文、使い魔、そして杖。
鮮血を隠すなら血統の中に。
(やっぱり)
ティリビナ人たちを観察してはっきりとわかった。
呪術というものは見立てと名前に縛られるがゆえにそれに応じた力を発揮できる。
時間樹も同じだ。植物は、樹木は確かに生きている。
命の系統樹、生物の進化史、適応や生長の道筋、生命活動の記憶。
ロードデンドロンのパフォーマンスと、それが行われた場所の意味。
何故、スーリウムは真っ先に『豚好きハデス』を排除したのか。
そうしなければならない理由があったとしたら?
スーリウムとロードデンドロンから受ける印象は似ていた。戦略が共通しているからだろう。彼らは見栄えと華やかさを重視している。それは美しく優れた部分をアピールするためであり、同時に醜く劣った部分を隠すためでもあった。
「ただし、あたしは神になんて誓わない。シャルマキヒュ神話なんて所詮は強い武将とその娘たちが神格化されただけでしょ? そのかわり言理の妖精に誓うよ。『チョコレートリリーのメイファーラ』っていう立ち位置に説得力を与えるためにも、あたしが持つ『言理の妖精の銀貨』も一緒に持っていくべきだと思わない?」
言理の妖精は『呪文の座』を繋ぐ絆だ。それ自体は事実で、ユディーアの言葉は正論。それでも呪文的な詐術を警戒したのか、一瞬だけエリカが身を強張らせた。
銀フードの内側からじっと銀貨を見つめ、何かを探るように視線を巡らせる。
視線がまっすぐにユディーアを捉えた。背後には目もくれない。
「確かに、その通りです。ダルヤル、あとで言理の妖精を扱う練習をしておいて」
言理の妖精を宿した銀貨の価値は不安定に揺らいでいる。
気が付けば羽が生えて飛び回ってしまいそうな奔放さで、目を離した隙に贋金よりも軽くなったりちょっとした小岩のように重くなったりと悪戯好きだ。
刻印された言理の妖精はユディーアの言葉に呼応して浮き上がると、目玉の銀貨に寄り添い、そっと口づけを与えた。呪文と誓約がユディーアとダルヤルを縛る。
「ちょっとしたコツでいいなら教えるよ。あたしもそんなに得意じゃないけど」
そうして、ユディーアは致命的な道を選んだ。
友を裏切り、銀貨一枚でその命を売り払う。
さよなら。ごめんね、エスト。小さく呟いて、目を閉じた。
友達が自分のせいで死ぬ。想像しただけで悲しくて、自然と涙が零れ落ちる。
意識しなくてもちゃんと泣けた。そのことに少しだけ安心して、そんな事を考えてしまう自分を嫌悪する。
そこから先の記憶は曖昧だ。
人生最低の一日。自分が屑であるという強烈なイメージが心を苛む。友達がいなくなってしまうという想像で胸が痛くなる。誰が見ても最低の精神状態で、今にも死んでしまいそうに見えたはず。案ずるような視線に気付かないふりをして、ティリビナ人たちと連絡先を交換して明日以降の段取りを確認。
気が付けば、ふらふらと第五階層を彷徨っていた。
「あたし、友達を売ったんだ」
幾つかの連絡をした。必要な身辺整理をした。
地下で食べ歩きをして、ペットショップを冷やかして、可愛い人形を眺めて。
お気に入りの端末をどこかに放り捨ててひとりきりになった。
事前に準備しておいたセーフハウスで最期の準備をする。
「こんな最低の屑に、生きてる資格なんてない」
びちゃり。血のように赤い果実を無造作に齧って捨てる。
床にぶちまけられたのは命の色。
裏切り者に相応しい、穢れの色。
天井の梁から縄をぶら下げて、丁寧に輪を作る。
踏み台に昇って息を吸った。
いつかこんな日が来るような気がしていた。
ずっと先延ばしにしていたけれど、こうしたくてたまらなかった。
もういいよね、と自分に言い訳をする。
頭部を輪にくぐらせて、首に体重がかかるかどうかをよく確認した。
縄が切れないように。足が床に着かないように。
ひどく冷静に確認事項をチェックしながら、最後の一歩に辿り着く。
弾みをつけて、えいやと踏み台を蹴り飛ばす。
それで終わり。全部おしまい。
首吊り死体の出来上がり。
真っ赤に染まった自殺者の足元には、大量の銀貨が散らばっていた。
ジャッフハリムやディスカレイル、セインディアなどでよく見られる薄っぺらな偽名が刻印された贋金の山の中に、際立って強大な呪力を宿した銀貨がある。
魔将級の恐るべき宣名圧。歴史と伝承に裏付けられた強固な『号』。
偽名が刻印された贋金の数十倍の価値を持つであろうその銀貨には、『ユディーア』というまことの名が刻まれていた。




