5-12 万獣祭・開幕
昼の花火が青空で散ると、爆音じみた歓声が地から沸き上がった。
「それではただ今より、第三百回! 『万獣祭』を開催します! これから九日間は種族も敵味方も関係ない! この私、機械女王トリシューラは新しき神シナモリアキラの名において宣誓するよ! ガロアンディアンの五族戦乱時代からの伝統に則り、あらゆる殺し合いと義国圏と鈴国圏の階層攻略戦、及びそれに類する一切の『猫のゲーム』を禁止する!」
第五階層の空に出現した巨大な二頭身、『でかちびシューラ』の立体幻像が口上を並べ立てるのをぼんやり眺めながら、ユディーアは感心していた。
今の宣言に含まれていた幾つかの前提と引き継いだ文脈そのものが呪文として機能している。機械女王だけが唱えた呪文であれば破るのは不可能ではないが、あれが広く共有された状態になれば話は別だ。
『祝祭』という『場』に大勢が参加することで、その呪術儀式は参加者全員が共同で成立させるための巨大な仕組みに変質していく。複数人で行う約束や誓約は強固な縛りとなって世界全体に対する強制力となるのだ。
「って、私の上司が言ってたよ」
「へえ。そいつは例の『智神の盾』の典礼総監様ってやつかい」
「そうそう。ピュクシスせんせ。若いけど評議会メンバーなんだよ。天才だよね」
ふうんと気のない風に答えながらしゃがみ込んで作業を続ける大柄な男。
ブルドッグ頭の虹犬は、当日になって箒の整備係兼ボディガードを買って出てくれたプーハニア・トストンスという『公社』所属の『おまわりさん』である。
呪具いじりが得意とはなんとも意外ではあるが、何でもそのむかし違法な箒レースに関わっていた頃に覚えた特技らしい。
「ま、何があるかわからねえからよ。襲撃に備えてそれなりに腕に覚えのある奴が付いてたほうがいいだろって判断もあるんだよ」
「戦いは禁止されてるけど」
「俺に言わせりゃ抜け道だらけの宣誓さ。殺し合いと戦争が禁止ってだけ。誓ってる対象がシナモリアキラなんだぜ? むしろ喧嘩は推奨ってな。ほら見ろよ。ランキング上位を目指してさっそく『サイバーカラテ道場』のユーザーどもがおっぱじめてやがる」
プーハニアの言うとおり、あちこちでギャラリー付きのストリートファイトが繰り広げられている。これもまた『祝祭』の光景として予定されていたものなのだろう。闘争心を燃やしながら向かい合う闘技者たちは頂点を目指すという夢にくべられた薪だ。
「祝祭期間中はランク上位の『マレブランケ』を見つけたら自由に挑んでランク戦を仕掛けられるってもっぱらの噂だ。ほれ、言ってるあいだに」
虹犬が指差す方向で、地面に轍を作りながら挑戦者たちを薙ぎ倒していくまん丸い巨体の男がちらりと見えた。大地の民らしきシルエットに次々と力自慢を宙に舞わせている力量からすると、資料にあった『スカルミリオーネ』ことラフディ王ルバーブだろう。
鎧袖一触されていく挑戦者たちの表情にはさしたる悔しさがない。
高名な強者に『一丁揉んでもらえる』ということで記念に突っ込んでいっただけなのだろう。真剣に高みを目指す相手としてはレベルが高すぎる。
「あの人とオルヴァ王、グレンデルヒが『マレブランケ』の最大戦力?」
「多分な。俺の予想じゃ、この祝祭でまた増えるね。入れ替わりもあるかもな」
ユディーアが連想したのは『シナモリアキラ選』の噂だった。
戦いで勝利すればシナモリアキラの席を奪えるというわけではない。
しかし『その資格あり』という評価は獲得できるのではないだろうか。
殺し合いと戦争は禁止。逆に言えば、それ以外であれば何をしてもいい。
暗殺。呪術世界におけるそれは、なにも生命を絶つことだけを指すのではない。
名誉、誇り、社会的評価。形のないものを損なうことで、不死すら実現する大呪術師に致命的な打撃を与える。相手が命に価値を見出していないのなら、本当に価値あるものに攻撃を加えればいいのだ。
機械女王トリシューラは『ガロアンディアン女王としての生命』を狙われている。
暗殺の成功がもたらすのは、この祝祭の破綻。
そしてガロアンディアンという砂上の楼閣が完全に瓦解することを意味している。
ユディーアは己の目的を再確認した。
『空使い』選定レースに参加し、参加者に紛れて女王暗殺を狙う有名動画配信者、『王殺し』の企みを阻止する。
そのためには、まず予選レースで上位入賞しなければならない。
変身が得意な暗殺者はシード枠に化けてチャンスを窺っているはずだが、万が一ということもある。予選枠に怪しい人物が紛れ込んでいないか、注意を払うべきだろう。
頭上では、ちびシューラがぴょんぴょん飛び跳ねつつ予選の解説をしていた。
「というわけで、本選にはシード選手以外も参加できるんだ! 本日行われる予選レースを勝ち抜いた上位三名! 当日飛び入り大歓迎のこのレースを勝ち抜いて、異次元の箒レースに参加しちゃおう! 申し込み締め切りはもうすぐ! みんないそげー!」
本質的には余興に過ぎないはずだ。
箒レースは素人が混ざって勝てるような甘い競技ではない。
本選参加者に推薦されているのは、歴戦のトッププロや生ける伝説と呼ばれるような者ばかり。六王パーンと並んでも引けを取らない傑物が選ばれている。
ここ、予選参加者が待機を命じられた屋外特設会場には屋内には収まりきらないほど大勢の人が集まっている。見た感じ、『中央』ではなく『辺境』の参加者が多い。
改造した自作箒、ぼろぼろの中古品、継ぎ接ぎ部品の骨董品までありとあらゆる箒が出揃っているが、いずれからもアンダーグラウンドの臭気が漂っていた。
「錚々たる面子ですね。有力な無所属探索者がほとんど出揃ってます」
平坦な声が響く。ユディーアとプーハニアの所に近付いて来たのは小柄な人影だ。
頭の上で三角耳が忙しなく角度を変える。人が多過ぎて落ち着かないのだろう。
ユディーアは破顔して手を振った。
「やっほ、ニアちゃん」
「ごきげんよう、ユ」と言いかけた彼女は隣のプーハニアに視線を向け、発言内容を即座に切り替える。「メイファーラ。調子が良さそうで何よりです。そのレーシングスーツ、中々似合ってますよ」
「わーい、褒められちゃった」
新しい相棒とのやりとりに心弾ませるユディーア。
普段がドライなぶん、こういう褒め言葉は二割増しで嬉しい。
「ところでセリアもこれからレースの裏で調査をするわけですが。あなたから何か無いんですか。気の利いたコメントとか」
「え、えーっと」
もしかしてお互いを褒め合ってモチベーションを高める儀式だろうか。
新しい相棒の性格がいまひとつ掴めていない。どう反応するのが正解? 地雷は何?
迷った挙げ句、思いついたのは新調したらしき衣装についての言及だった。
セリアック=ニアは変装も兼ねているのか、普段のふわふわお姫様ファッションがなりをひそめて髪型もアップにして大胆なイメージチェンジを図っている。
編み上げビスチェ合わせの白ブラウスと黒スカート、足先の尖った編み上げブーツという装い。レースアップのファッションミームを重ねることで神話的な抗呪力を高めつつ胴体と脚部の装甲強化を両立している合理的な服装と言えた。
「つまんない感想ですね」
「感想言えって要求したのニアちゃんなのに」
「そんな要求してません。馴れ合いごっこは寒いですよ」
素気なく言うと、セリアック=ニアはプーハニアにも手短に挨拶を済ませてから端末に文書データを送ってきた。見るとずらりと名前と念写映像、簡易なプロフィール。
「このリストって、予選参加者の?」
「判明した範囲の要注意人物です。本選に出て来る可能性が高い者。つまりは、『王殺し』が入れ替わっている、あるいは入れ替わりを狙うかもしれない者たち」
声を潜めながら身を寄せて囁く猫姫。か細く甘い響きの声に何故かぞくりと来るものを感じてユディーアは己の正気を疑った。素っ気ない上に関心もなさそうなのに膝の上に乗せたり抱っこしたくなるようなこの愛らしさ。うーむ、耳とかおてて触りたい。
内心のにゃんにゃんした欲求を気取られないように視線だけで周囲を見渡す。
あまりにも多すぎる人の群。この中に、『敵』がいるかもしれない。
「ほとんどの参加者は多分、ここで名前を売って『祝祭』の流れに乗ろうって腹でしょう。その他、推薦枠から漏れた本職レーサーもちらほら」
「なんか、『下』の出身者が多い?」
「クロウサー家が主催者ですから。シード枠は自然と『上』に偏るのです」
なるほど、と納得する。
『王殺し』は『上』の出身だが、だからといって予断は禁物だ。
彼の変身を見破るのはほとんど不可能。どんな種族に化けているか、想像すらできない。苛酷なレースの過程で、尻尾を出してくれればいいのだが。
異界を巡る本選と違い、予選のコースは都市の上空をぐるっと周回するだけだ。
予選レースも熾烈を極めるだろうが、その程度で隙を見せてくれると考えるのは少し甘い考えと言わざるを得ないだろう。ユディーアもまた、この程度の試練は簡単に突破しなければならない。
しかし。それにしても。
改めて観察すると、周囲に並ぶ『箒』は珍妙の一言に尽きた。
「あそこの四輪車、磨き粉散布車じゃない? あっちの二人乗りの箒はなんか魔改造したマジックミサイルっぽいし、これ箒レースでいいんだよね?」
「あのへんは、本選に出られないことを前提にした賑やかし要員として許容されているみたいですよ。予選は何でもありの派手な展開が売りということで、宣伝目当てとか目立ちたがりの参加が半数以上なんだとか」
妨害あり乱闘あり。ルール無用の大騒ぎ。
伝統のある『空使い』選定レースではできない馬鹿みたいな展開も許容される盛大な『前座』がこの予選レースの本質だ。
箒レースと言っても時代や地域ごとに規則はかなり違う。
ガロアンディアンのそれは特に緩い。おそらく機械女王の気質が反映されているのだろう。結果的にそれは暗殺者たちが数に紛れる助けになってしまっているが。
当然、機械女王を狙う者が『王殺し』だけとは限らないのだ。
注意すべき不穏な影。
例えばそれは、『中央』に反抗する四つの勢力であったり、祝祭の裏で蠢く超越的な神のごとき存在であったりする。
ノゴルオゴルオとアルティウス、ライラ・ラプスにスーリウム。
クロウサー、リーヴァリオン、そしてディスケイム。
ユディーアの暗い瞳にある光景が入り込んだ。
それは枯れ木のごとき樹肌を有する人間たちの集団。
ティリビナ人たちもまたこの予選に参加しようとしているのだ。
「あの箒って普通の木製? 呪動機は積んでないの? 聖別フィルターは?」
「自然由来の浄化率は意外と馬鹿にできないかもしれません。とうぜん静音性は比べものにならないでしょうし、祈祷効率も未知数です。一般的な簡易浄界方式を用いているのかは不明ですが」
箒という言葉が示す対象は幾つもある。
古典的なものは長細い木の棒に枝の束を取り付けた掃き掃除の道具。転じて浄化呪術に用いる祭具。そこから派生して一般的な家庭用呪具、清掃業者のトレードマークとしての『吸引箒』。さらにそこから発展し、複数の文脈が重ね合わさった『浄化によって生じる推進力を利用した飛行用の乗り物』である『機甲箒』、すなわちフライトビークル。
全てが『箒』とだけ呼ばれるが文脈の問題があるため混同されることは少ない。
そうは言っても、最古の意味での箒でレースに出場するというのは聞いた事がない。そういったレギュレーションでの趣味的なレースもアマチュアの世界ではあるのだろうが、現代のプロスポーツに古めかしい掃除道具で参加するのは無謀を通り越して笑い話の領域だ。周囲からはほとんど一発芸に挑む芸人を見るような視線を向けられている。
「古典的なトランス昇天でもやるつもりなんでしょうか。私たちも黒百合宮の実習でやったきりですけど。リーナが上手でしたよね、古典飛翔」
「エストも結構すいすい飛んでた気がする。ティリビナ人の飛行術ってそういえば全然聞いたことないな。意外と凄かったりして」
正直に言えばこの時のユディーアには侮りがあった。
予選から本選に出場できるのは、上位三名。
ほとんどが賑やかしとはいえ、中には本気で勝利を狙いに来ている選手もいるはずだ。その中にあってフライトビークルならぬ原義通りの『掃き掃除の道具』を用いて勝ち上がることなどできるはずもない。
常識で考えればその通り。
だが既にこの祝祭では常識など通用しない。
なにより『ティリビナ同胞団』の背後には、あの『王殺し』を第五階層に招いた張本人、神の如きスーリウムが控えているのだから。




