祝祭前夜4『正しい神の殺し方』
虹犬の貴婦人とキノコ人武装勢力がもたらした破壊は甚大だった。
攻撃的な呪いの余波で建物は倒壊し、周辺に瓦礫が飛び交う。巻き込まれた集落の住民たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、黒服のアヴロノたちが怒号を上げて走り回る。
私たちはそんな混乱の真っ只中に飛び込んでいった。
割れた卵が塵となり、廃墟と化した建物の残骸に紛れていく。
私たちが求めていた遺物は孵化し、解き放たれた虫王の呪力は老キノコ人たちと融け合い変質した。現れたのは天道虫、蟷螂、蜻蛉にそれぞれキノコを混ぜたような怪物。
ついにキノコ人は虫王の力を手に入れた、というのとはどうも様子が違う。
苦悶と怒号の中間とでも言えばいいのか。
三匹の怪物は理性を失ったかのようにのたうち回り、肉体を膨張させながら頭を振って暴れ狂う。逆にキノコ人たちが虫王の力に取り込まれているかのようだ。
凄まじい力の暴走に巻き込まれることを嫌い、ライラたちと黒蟲騎士団がその場から離れていく。空中を舞い激突する黒背広と貴婦人、奇声を上げて集落の人々に襲いかかろうとする虹犬の部下とそれを止めようとするミルーニャたち。
「堅気さんに迷惑かけんじゃねえ」
集落の住民に襲いかかった怪物を止めたのは揃いの黒服を来た男たちだ。
前衛が障壁術で足止めをしている間に残りが非戦闘員を避難させていく。
黒蟲騎士団の練度は高かった。突風術の連射による怪物の足止め。機敏に動く飛翔術による撹乱。繊細な風の操作で瓦礫を浮かせて負傷者を救助。
何より、救助される側が黒服たちを信じて身を任せている。
私たちが行っても多分こうはならない。
今は戦闘に集中すべきだ。
ふと、『また人助けよりも戦いを選んでしまった』という思考が浮かぶ。
ントゥガ族の救助よりもキノコ人の追撃を選んだのはあの場ではやむを得ない判断だった。それを証明するためにも、ここで敵の目論見を挫く必要がある。
「オラオラ、必死こいて守らねえと雑魚が死んじまうぞ!」
虹犬の傘から出現した男が狂喜しながら叫ぶ。
赤肌のラープ人。両手に灯した巨大な猛火はおそらく『爆撃』。
解き放たれた呪力が炸裂。無数の火の玉が放物線を描いて四方へと飛んでいく。
即座に迎撃に動いたのは位置関係が近かった三人。
天道虫柄のネクタイをしたソフトモヒカンの黒服が巨大な半球状障壁を展開して住民たちを保護。それに続くようにして逆さまに浮遊する蓬髪の壮年男性が指を弾く。直後、彼の目の前で無数に見えていた火の玉が掻き消えた。
幻術だ。目眩ましの中に紛れていた本命が明らかになる。
「命の火は全部オレのモンだ!」
ラープ人が指先を振る動きに呼応して蛇のように宙を這う炎。
『爆撃』ではない。より上位の『貪炎』だ。
炎の蛇が半球障壁を術者の片腕ごと溶融させながら進撃。
防御の呪力を吸収することで妨害を突破、一直線に避難中の住民に襲いかかった。
そこに駆けつけたのは新隊員のローザだ。
「大いなる槍よ、この身に聖マフスハノンのごとき忍耐を授けたまえ!」
ローザの全身が一瞬だけ輝く。彼女は臆すること無く炎の蛇を抱え込む。槍神教の守護聖人を参照した守りの加護があるとはいえ、かなり強気な行動だった。単純な身体強化型の神働術のみで押さえ込み、そのまま強引に上位呪術を押し潰す。
軽そうな雰囲気に反して実力は確か。
私にできなかった『人を救う』をきちんとやってのける修道騎士の鑑。
まだ付き合いの浅いローザの底は見えない。
私がアレッシオを攻撃したことはまだ伝えていない。ローザの反応からはそれを察知した様子も動揺も見て取れなかった。もう少し圧をかけて探りを入れたい気もするが、この状況では戦力として活用するのを優先するべきか。
内側と外側。味方であるローザでさえ切り分ける自分の思考。
それでも、私は。
迷い、逡巡する時間は無い。
怪物は荒れ狂い、虹犬の貴婦人は既に無数の『線』を展開している。
派手な呪術が飛び交う戦場の中心で、嵐の如き火力の多くを打ち消しながら逆さまの男が飛翔している。片手間で戦いながら黒蟲騎士団の中心にいる男に話しかける。
「ここは共闘すべきだと思うが、どうかな」
「元より第五階層と敵対するつもりはない。人質の安全を優先したために連絡が遅れたことは謝罪しよう」
眼鏡のブリッジを支えながら蜻蛉翅のアヴロノが言った直後、老キノコ人と同化した二体の怪物が襲いかかる。並の術者なら押し切られるところだが、逆さ男と蜻蛉アヴロノは同等以上の呪力で押し返す。
「地上の英雄グレンデルヒに虫騎士シダリスが相手ですか。中々楽しめそうです」
楽しそうに笑うライラの背後に虹が架かり、世界が無限の青空へと上書きされていく。
別世界へと変貌する戦場の真下で虹犬の配下とおぼしき怪人たちがミルーニャたちと激突し、そこに黒蟲騎士団の黒服たちが加勢に入る。実力者同士が共闘に合意したことが即座に周知され、私たちは一時的とはいえ同じ方向を見ることとなる。
そんな中、私はマイコニド解放戦線のリーダーと対峙していた。
「守護の九槍アズーリア。君に頼みがある」
飛来した緑色の光を平面の斧で切り裂く。
既に闇色の神働装甲は展開済み。呪力強化された脚力にまかせて跳躍、距離を詰めながら一閃。追随する影が蠢いて真下から触手槍を飛ばす。
斬撃はひらりと躱され、足下の影が障壁を展開する。予想より守りが堅い。
私が巨大化していくキノコ虫たちを止めるべく飛び立とうとするのを必死に阻止しようとするキノコ人リーダーは苦しそうに叫んだ。
「この怪物どもを殺してくれ」
「なら退いて!」
言行不一致は撹乱か、いや違う。
前線の兵士を臆面もなく使い捨て、取り繕いもしなかった老人たちを思い出せ。
唯々諾々と従う無気力な兵士たちの姿。
私はあれが本意だったとでも思っていたのか?
「僕たちは生まれた瞬間から運命に呪縛されている。虫王の力を制御できずに暴走したこの愚かな祭司どもを命尽きるまで守るしかない!」
それはキノコ人社会が定めた慣習という名の呪い。
若いキノコ人のアストラル体を古い呪文が鎖となって縛っているのが見える。雁字搦めになった呪縛が命じているのは『上位者に従え』という単純な命令のみだ。
「キノコ人の聖地を作る? 祭司の奴隷を取り戻す? 頭の悪い計画にはもう付き合いきれない!」
これは彼らの本心だろうか。
私は、そうであってほしいと願う自分に気付いた。
倒すべき悪と救うべき被害者がはっきりするからだ。
余分な同情心を切り捨てる。己の立場を自覚しなければならない。
感情をもつれさせたまま、九槍として叫ぶ。
「第四階層での戦闘を停止すると約束しろ!」
「約束するから助けてくれ、『汚物屋』などという名で人生を縛られるのはもう嫌だ!」
腹は決まった。厚みのない影の斧を投げて地面を滑らせていく。
一連の事件の元凶である武装集団の首魁、『虫王の卵』の力で異形と化したキノコ人たちを異獣として倒す。『過激派の暴走に巻き込まれたキノコ人たちを救い出す』という物語で『キノコ人解放戦線』というグループを分断。
「過去の亡霊め。今を作る若い世代を使い捨てる貴様ら老人に未来はない」
子実体と蟷螂の合成異獣に肉薄し、呪いの言葉を吐いて離脱。
同時に投擲した斧が膨張。巨体の真下に到達した斧は怪物の影を引き裂いて敵の『キノコ人部分』のみを破壊する。伸ばした触手で斧を回収。柄と同化させた触手を振り回す。
車輪連接棍、あるいは風船鉄球のような回転呪力を応用した私の新しい戦術だ。
斧を遠心力に任せて斜めに回転させつつ、三次元空間と二次元空間の両断を交互に繰り返していく。重さがない平面の斧に振り回しという仕草で質量の錯覚を与える。
威圧しながらこの場に集結しつつあるキノコ人たちに呪いをかける。
私が滅ぼすべき異獣は老キノコ人のみであるという希望の未来を見せるのだ。
「ここで禍根を断つ! 総員、巨大害虫に一斉攻撃!」
次々と呪石弾、攻撃端末、魔弾、影の触手といった攻撃が蟷螂に命中し、巨体が傾ぐ。
伸ばした触手をしならせて斧を真上に飛び上がらせる。
回転でついた加速と不自然な呪文を影世界へと退去させようとする太陽の修正力を束ねながら真下へと振り下ろす。触手の先は指や舌のようなもの。伸ばした手を振り下ろすように容易いことだった。
実体をかち割り、影の中を分断する。
「まずは一体!」
次の異獣を倒すべく黒蟲騎士団たちが相手をしている蜻蛉と天道虫に狙いを定めた瞬間、私に襲いかかる影の触手。同質の呪力。夜の民としての感覚が回避を叫ぶ。
真横を黒い霞が駆け抜けるのと同時、飛び込んできた敵が蹄を叩きつけてきた。左手で受けるのと同時に解析を実行。解体準備に合わせるように相手も呪詛を流し込んでくる。
「そこまでよ、可愛い子鹿ちゃん」
二足歩行の黒い馬。これが夢馬か。
隊員たちの借りを返すいい機会だ。反射的に浮かんだ思考だが、果たしてその中にローザは含まれていたのかどうか。
影の中から触手を引き戻し、斧を手元に寄せた勢いで切り上げる。
余分な思考は切り捨ろ、今は目の前の敵を倒すことだけを考えるべきだ。
流れは停滞している。数の上では黒蟲騎士団と私たちが優位。それでも攻め切れていないのは敵集団が異様なまでの耐久力を有しているからだ。不死に近い生命力を相手に真っ向勝負は分が悪い。かつて『白のメートリアン』と戦った時のように、呪文使いとして突破口を開かなくてはならない。
まずは私が流れを作る。
決意を固めた瞬間、『それ』が起きた。
ずしん、という腹に響く振動。
最初に地震を錯覚し、次に正体不明の呪術攻撃を警戒したが、いずれも見当外れ。
振動が発生したのは影の触手をぶつけ合う私と夢馬の真下。
夜の民が相争う影の底からそれはやってきた。
気付いているのは私たち二人だけ。
この空気と匂いを、私は知っている。
「マロゾロンド様?! なんですって、この子鹿ちゃんが例の?」
愕然とした様子で誰かと言葉を交わす夢馬。
思い出すのはパレルノ山での戦い。無数の戦いの中でその力を貸し与えてくれた私たち夜の民にとっての起源たる超越存在。
目の前の同族は、かつての私のようにマロゾロンド神に干渉されている。
チョコレートリリーが形作る幻想となった私という存在に、マロゾロンド神は以前のような関心を示さなくなった。湧きあがる力も謎めいた助言も夢か幻だったかのよう。
しかしこの敵は何らかの神託を受けたのか、私を見据えながら重い息を吐く。
視線の鋭さは先ほどと性質が異なるように思えた。
「傲慢にもあの御方の寵愛を拒絶するなんて、悪い子鹿ちゃんね。躾けてあげる。神と人の正しい関係を甦らせるのよ!」
途端、黒い馬の蹄から壮絶な呪力が放出されていく。
代償としてその形を崩壊させた夢馬は全身からどろどろとした触手を伸ばし、実体世界での存在を不安定化させていく。
のたうつ触手の先端から泡が溢れる。弾けて生まれる未分化の生命力。
小さな馬の頭部がぷつぷつと形作られては消えていく。
融けた馬の泥細工は乱雑に依り合わさった馬の部位を集結させて筒を作り出した。
その中から溢れ出したのは朱色の霞。
夢界に属する未知の呪術。咄嗟に左手を前に出して汎用対抗呪文を展開。
『静謐』が夢界経由の呪詛を軽減するが、正確な分析と解体というプロセスを経ていないために打ち消しが間に合わない。
苦境に追いやられているのは私だけではなかった。
周囲では敵集団が次々に未知の呪力を引き出して逆襲を始めている。
一体どこから? 恐らくは神話的時空、すなわち『神の御許』からだ。
巨大害虫と互角の力で取っ組み合いをしていたミルーニャの石像が押し倒され、ナトの攻撃が通らなくなった岩肌の僧兵が息も吐かせぬ猛攻でペイルを滅多打ちにしていく。
炎を纏ったラープ人がティリビナ人修道騎士の耐火障壁を穿孔爆破して粉砕、黒蟲騎士団と戦っていた軍服の男は私の知らない神の名を叫んで鞘からサーベルを抜き放ち極大呪文を解放する。
空中でも英雄グレンデルヒと蜻蛉の虫騎士が窮地に追いやられていた。
二人の達人がライラを五度殺す間に敵は復讐に十分な呪力を蓄えている。
虹犬がレメス神への信仰を叫んだ。傘の先端から放たれた光の矢は逆さ男と蜻蛉アヴロノを打ちのめしていく。ぞっとする光景だった。あの二人の実力は明らかに『英雄』や『魔将』などの世界槍内のトップレベルに位置付けられる。
あのレベルが二人がかりで苦戦するとなれば、いよいよライラに付け入る隙はない。
線の嵐、虹色の矢、犬の使い魔、浄界による『主導権』の強引な奪取。
傘の魔女が実行しているのはシンプルな力押しだが、だからこそ厄介だ。
夢馬の攻撃を必死に防ぐ私の背後からキノコ人の胞子呪術が迫る。
囮として分離した影でダメージを最小限に押さえながら転がるようにしてその場を離脱。英雄としての見栄えを取り繕う余裕すらなかった。
あまりにも分が悪い。今はグレンデルヒ化している人質を連れて撤退することを考慮に入れつつ、私は左腕に意識を集中させた。
ここまでの流れは最悪。それを踏まえて私はフィリスをどう使うべきなのか。
ライラとその部下たち。神に愛され、神を愛する古い価値観の霊媒たち。
敗北に恐怖する心の中に、確信があった。
敵がどれだけ強大であっても、それが集団であるのなら。
私のフィリスはその構造を解体できる。
だってほら。私たちはこんなにも同じで違う。
目の前で異形と化していく夢馬はかつての私に瓜二つ。
神に愛され、その加護に溺れ、自己と神とを切り分けられなくなった融けていく存在。
私はこうはならない。もうなれない。
切り分け方を、知ってしまったからだ。
「言理の妖精語りて曰く」
幾度となく紡ぎ、その度に窮地を脱してきたお馴染みの呪文。
しかしそれを唱えたのは私の口ではなかった。
ライラの胸から鏃が飛び出している。
貴婦人だけではない、その配下たちやキノコ人、巨大害虫にも矢は突き刺さっていた。
空から飛来した色とりどりの矢。
多様な色鮮やかさを持った呪力投射体。虹弓と呼ばれるその呪術は虹犬が得意とすることで有名だが、必ずしも特定の種族だけが使うというわけではない。
ひらひらと粉雪が舞い降りる。
陽光を受けてきらめく小さな欠片が巨大な害虫に触れた瞬間、赤光が弾けて炎を撒き散らした。炎上する虫の甲殻が焦げ落ちていく。突然の事態に誰もが天を仰いだ。
白騎士はそこにいた。
私はその姿を知っている。
一度だけ地上で矛を交え、そして共闘をした。
私と同じ修道騎士。私とあまりにも違う白騎士。
そして、第七槍ヴィティスの配下であるはずの神働術師だった。
「あれは」
純白の装甲が逆光に翳る。
その腕に据え付けられた小型の弓型部位を構え、甲冑の修道騎士は戦場を睥睨する。
鳥のくちばしを思わせる兜、両脇から背後へと伸びた翼飾り、四肢の側面に取り付けられた鉤爪。流麗なシルエットの随所には赤の差し色、兜の細長い呪石眼窩から放たれる視線は烈火のように激しい。その殺意は明らかにライラたちに向けられていた。
「ヴィティス様の最期の命により、ここでお前を討つ」
鋭い声に呼応して旧式の神働装甲を身に付けた修道騎士たちが戦場に乱入してくる。
今は白騎士の、かつては亡き第七位の部下だった者たちだろう。殉死したヴィティス司教に対する想いのなせるわざか、彼らのキノコ人武装集団に対する戦意は高い。怒号と共に突撃した彼らはキノコ人たちを押し退けて巨大害虫に殺到していく。
「馬鹿な、この私がっ」
白騎士が放つ五色の矢が的確にライラを捉えてダメージを与えている。
重要なのは、あの虹犬がそのダメージを嫌がっていることだった。
グレンデルヒや虫騎士の攻撃は全てが死に直結する致命打であり、実際にあの不死者は幾度となく殺されていた。そのたびに簡単に復活していたからこそあの虹犬は厄介だったのだ。それがどうしてこうも押されているのか。答えは単純だった。
「聖レメスの力を参照した弓矢だ。自分にとっての超越者には抗えまい」
「私の神への祈りが、お前たちの歪んだ解釈などに劣るとでも!」
ライラが放った光の矢が白騎士のそれと激突する。
果たして、打ち負かされたのはライラの側だった。
無数の矢がライラに突き刺さり、消えないままその肉を穿孔し続ける。
呪力差を考えればあり得ないはずの光景を実現したのは、おそらく解釈の歪曲呪文。私より先に詠唱していた『妖精のおまじない』が効果を発揮したのだ。
「レイシズム変数。ステレオタイプ適用上限を拡張。『野性的かつパワフル』『寡黙な影の言葉は重い』『妖精の矢は地べた知らず』『ストイックで筋肉質』『自然を愛し自然に愛される』」
呪文を詠唱しながら白騎士が飛翔する。
その腕は黒く染まり、怪物的な膂力でライラに殴りかかる。
鉤爪を展開して縦横無尽に振り回し、激烈な猛攻で敵を圧倒する。
いつかも見た自己強化呪術。
だが今回の術が強化しているのは白騎士本人だけではない。
身体の奥底から力が湧いてくる。
私だけではない。この場にいる者たちの多くから強い呪力が感じられる。
おそらく眷族種の特性を強化する術なのだろう。
黒蟲騎士団が放つ魔弾の精度が増している。ペイルの全身に力が漲り、ティリビナ人たちが操作する植物が大地を粉砕しながら敵を吹き飛ばす。
流れが変わった。
それを成し遂げたのは空を舞う白い鳥だった。
私の呪文が夢馬の存在を解体していくのと並行して、戦場の各所で戦況が逆転する。
黒服の虫騎士が眼鏡の位置を整える。
背に広げた蜻蛉の翅が過剰に拡大し、空間に浸透してライラの浄界を押し退けた。
荒れ狂う風が使い魔の猟犬たちをまとめて切り刻み、その勢いでどこまでも広がる虹と青空という浄界を消滅させる。
「ここまでだ、往生しろ」
男が操る暴風は荒れ狂い続け、やがて竜巻を発生させた。
老キノコ人と融け合った蜻蛉の巨大害虫がそれに巻き込まれ、全身をずたずたに引き裂かれていく。そればかりではない。黒蟲騎士の操る風には穢れを内包した瘴気混じりの大気であり、老キノコ人はそれを強制的に吸い込むこととなった。
「いくら瘴気を溜め込むお前たちでも、吸収限界はあるだろう」
そして弾けた。虫王ダレッキノの遺物と融合して強大な力を得てはいても、本体のほうが先に朽ちてしまえば戦い続ける事はできない。
老人は塵となって死に絶え、吹きすさぶ暴風はその痕跡を残すことすら許さなかった。
別の場所でもこちらの圧勝が続く。
グレンデルヒの呪文がサーベル男の放ったオルガンローデの追尾対象を改竄。自身に返ってくる呪文竜から男は必死に逃げ惑い、ついには巨大害虫を巻き添えに爆散した。
オルガンローデを考え無しに自動追尾攻撃として放つと返しの偏向呪文で痛い目を見るというお師様の教えを思い出す。ハルベルトが『私にはまだ早い』と極大呪文の実践を禁じている理由がこれだった。
それとほぼ同時、ペイルとナトが苦戦を強いられていた岩肌の僧兵が敗れ去る。
勝敗を決めたのはミルーニャの奇襲。
背後から叩き込まれた見慣れない籠手が頑強な岩肌を砕いたのだ。
鎧の右腕部分をそのまま装着したような純白の装甲は指先が尖っていて物々しい。
そんな、見るからに戦闘用の機械的呪具がミルーニャの肘までを覆っている。
「気穴開門」
短い呟き。鋭い呼気を吐き出すのと同時、右拳を取りまく大気が揺らめきながら加熱していった。小柄な身体から放たれたとは思えないほどの衝撃が巨体を浮かせ、タイミングを見計らって射出されたナトの攻撃端末が岩肌の亀裂を全身に広げていく。
態勢を立て直したペイルが金鎖を砕く。
本日二回目の寄生異獣の発動。彼自身の限界を超えた『巨人の一撃』が敵を真正面から捉え、完膚なきまでに叩きのめした。
「ネスト展開。ハニカムランチャー、登録項目を検索」
光輝く魔弾が赤肌の男に殺到し、その動きを止める。
燃えさかる炎に追い詰められていたティリビナ人の二人は新人隊員であるローザを見て戸惑うような視線を向けた。
「ガザさんとアデンさん、大丈夫ですかー? 同じ班ですし、力を合わせてやってやりましょう! 私、ティリビナ人さんと仲良くしたいなって思ってたんですよー」
朗らかに言う少女の背後には淡い光を放つ仮想使い魔が浮遊していた。
半透明の非実体呪文は蜂の巣そのもの。正六角形を隙間無く並べた構造の『巣』は、内部から魔弾を撃ち出すための射出機である。
「マーブラーミグの蜜運び」
白い靄を纏った蜂が巣から飛び出し、真っ直ぐに傷ついたティリビナ人に向かう。
回避しようとした二人の腕をかいくぐって首筋に到達、小型の魔弾が炸裂する。
『仲良くしたい』と口にしながら呪文を向けてくる相手に困惑と恐怖の眼差しを向けた二人だったが、やがてその表情がきょとんとしたものに変わった。
ローザが使用したのは対象に呪力を分け与え、癒すための術だったのだ。
二人は顔を見合わせ、力強く頷くとローザの前に出た。
レルプレアの加護を宿した木槌と枝矛を構え、敵が放つ炎を潰し、引き裂いていく。
「前衛感謝です! いけー、フリグメルタの焼夷奴隷!」
ローザが命じると巣から赤く燃える蜂が次々に飛び出して行く。
蜂型魔弾が炸裂させる炎を次々と吸収していくラープ人の全身は白煙を発しながら赤熱し続けた。過剰な熱を放散しきれずにぐらりと頭が揺れる。
ローザの呪力を大量に受け取ったティリビナ人はその隙を見逃さなかった。
一般的に、植物使いであるティリビナ人たちは生命を育み守ることに秀でている。
ゆえに彼らが行ったのは攻撃ではなく支援。
ラープ人は『貪炎』で熱を吸収しながら際限なく自己を強化し、ティリビナ人たちがそれを更にエスカレートさせていく。膨張し続ける熱を制御しきれず、不死にも思える生命力の男はそのまま自壊していった。
「レンディ、ケアヴ、ロティン、ボーキン! おのれ、このようなことがっ」
次々と破れていく部下たちの名を呼ぶライラの声に焦燥が滲む。
私は存在を完全に解体し尽くした夢馬の『核』を左手で握り潰し、空に飛び上がった。
斧を振りかぶる。ほぼ同時に白騎士が虹の弓を構えるのが見えた。
追い詰められたライラはなりふり構わずにありとあらゆる術を行使する。
虹の門から巨大な魔犬が頭を突き出し、線の嵐が空間を埋め尽くし、世界を塗り替える天空と無数の使い魔が虹の矢と共に四方八方に放射されていく。
グレンデルヒが指を弾くと門が閉ざされ、蜻蛉の虫騎士が翅を震動させると浄界が破綻した。ミルーニャたちが使い魔を各個撃破し、白騎士の部下たちがキノコ人の残党を制圧しながら虹の矢を障壁で弾く。
私は左手で呪文を紡ぐ。フィリスの名を呼び、線の嵐に対する見方を調整する。
厚みのない斧を振るった。平面の影、『線の斧』が同じ次元で無数の境界線を切断。
飛翔の勢いに任せて虹犬に叩きつけた。
「蒼天撃ち――」
言いかけたライラの傘を持つ方の手が撃ち抜かれた。
白騎士の射撃が虹犬最大の武器を弾き飛ばし、最大の隙を突いた私の斬撃が袈裟懸けに入って抜けていく。物理的な破壊ではない。呪文を叩き込むための突破口を開いた。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な。有り得ません。命数十九万八千を超えるこの私が、こんなところで死ぬはずがない!」
解体する。
存在と起源を解きほぐし、『紀』まで遡って対象を殺し尽くす。
この虹犬はレメス神の眷族であることを存在の礎にしている。
だとすれば、この魔女は神が奴隷を造るために捏ね上げた泥人形に過ぎない。
「お前は『土くれ』だ。その命はまやかし、流れる血はかりそめ。お前は最初から生きてさえいない」
極大の殺意を込めて相手の生存を否定する。
命そのものを無かったことにする呪詛。
白騎士が楔として打ち込んだ『レメスの矢』は『造物主からの否定』として機能し、私の呪いが悪意を増幅する。
「嫌、嫌です! 私はまだ死にたくない! 死ぬのは嫌! 誰か、誰か助けて! ずっと継続してきた私の尊い意識が途絶えてしまう! 死ぬとはどういうことなのです、怖い、消えるのは怖いのぉ!」
憐れみを誘うように涙を浮かべて喚き続ける虹犬の頭部を光の矢が貫く。
それを最後に言葉が途絶え、じたばたと動き続けていた貴婦人の手足が停止した。
どろりとその形が崩れていく。
泥人形。私の呪詛そのままに溶けていく虹犬は、水混じりの土くれになって落下した。
膨大な命数を無にする存在の解体。
ライラはそうして無惨に死んでいった。
私が殺した。
「悔いているのか」
問いかけは試すように厳しい。
私は同じ高度を飛ぶ白騎士を見据え、迷わずに答えた。
「迷いはない。それより、そちらはヴィティス司教の仇討ち? 残ったキノコ人たちをどうするつもりか訊いても?」
「異獣は討伐する。修道騎士である以上、その方針を曲げる事はできない」
私がそうであるように。
言外の含みを理解しつつ、私は先を促した。
真下ではキノコ人たちが制圧され、白騎士の部下たちに捕縛されている。抵抗する様子も無くおとなしく縄で縛られているところを見ると、リーダー格の言うことは事実だったようだ。老キノコ人という支配者がいなくなったことで無謀な戦いに身を投じる意思を無くしたのだろう。
本当に?
憎しみは、鬱屈は、怒りは、信仰は、『無謀だから』と押さえ込めるものだろうか。
私にはわからない。今は落ち着いていても、支配者から自由になった彼らがこれからどのような道を選ぶのかは未知数だ。道を選べるのかどうかすら判然としない。
「だが、ティリビナの街路樹の民は地上が定めた眷族種だ。キノコ人たちをティリビナの氏族に含まれると解釈すれば、彼らを洗脳されて武装勢力に利用されていた兵士としてまっとうな扱いを受けさせることが可能かもしれない」
白騎士は理性的なようでいて情深い選択肢を提示していた。
かつて一度だけ相まみえたときとまったく同じだ。
地上的な正しさを苛烈に突きつけてくるくせに、決して非情ではない。
私はそれに合わせるようにそれらしい物語をでっち上げていく。
「キノコ人解放戦線には虹犬の呪術師が関与していた。今回の事件は『下』がティリビナ人という『上』の新しい戦力を分断し、その勢いを削ぐために画策した可能性がある」
「証拠としてあの泥と弩弓型の遺物は回収させてもらう。キノコ人たちは第四階層に連行した上でティリビナ人として遇する。適正な取り調べの後、洗脳を解除するための順正化処置を行うことになるだろう」
互いに多くを語ることはしなかった。
どうしてか相手を疑うという発想は浮かばない。
味方であるローザすらアレッシオや大神院に通じているのではないかと考えている私がどうしてこの白騎士だけは無条件で信じられるのか。
それは多分、この相手が決して私と相容れることがないからだ。
確信がある。
同じ修道騎士であるこの相手は、いつか私の敵になるだろう。
だから信じているのはその苛烈な意思。
揺るがず曲がらない、私の向こう側にある敵意は、とても純粋で優しいから。
九槍である私には許されない、尊い在り方。
私はそんな白騎士に二度も窮地を救われた。
きっと、私は期待しているのだと思う。
何にだろう。それは分からない。
今の私は、希望の名前さえ知らないのだった。
戦いが終わり、私はゆっくりと大地に降り立った。
戦場となった集落は荒れ果てていた。あちこちで火の手が上がり、倒壊した家屋の前で住民が嘆きの声を上げている。
黒蟲騎士団の避難誘導が完璧だったおかげで死者はおらず、負傷者も軽傷で済んだのが不幸中の幸いだろう。そのこともあってか、住民たちは黒服の男たちに強い信頼を寄せている様子だった。口々に彼らに感謝を伸べ、その働きを褒め讃えている。
「想定はしてましたけど、少し不穏な流れになりましたね」
ミルーニャが小さくそう呟いたのが印象に残る。
虫騎士シダリスと名乗った黒蟲騎士団の代表は私たちに対して友好的だった。
とりわけ同族であるローザや人質であったマラコーダという人物に対してはとても丁重な態度で接しており、そこには古代のアヴロノ的な身分意識が働いているようだった。
「まずは謝罪と感謝を。あのライラという女には我々も手を焼いておりましてね。そちらの協力がなければ排除は難しかったでしょう」
シダリスにとって私たちはライラとキノコ人武装勢力を共に撃退した『味方』だ。少なくとも相手はそのように振る舞っている。そして、この地の住民たちに慕われている黒蟲騎士団が友好を示している時点で私たちの選択肢はひどく狭められている。
シダリスたちの排除を選んだ段階で、この地に住むアヴロノたちの支持は得られなくなることは確実だった。ライラとキノコ人という敵の存在が黒蟲騎士団を『正義の味方』にしてしまっていた。堅気を守る良い非合法武装勢力というわけだ。
「うちは祝祭の妨害なんて全く望んでいないんですよ。ラプンシエルとミヒトネッセ、ご存じでしょう? あの二人が第五階層にいる以上、アルト・イヴニル陛下は休戦を維持するおつもりです。ここにいるのはちょっとした里帰りと、あとは折角だし祝祭ってのを見て回りたいと思いまして」
「戦うつもりはなく祝祭に参加したいと。であれば、私たちは歓迎の意を示すのみです。祝祭は万人に開かれていますからね」
ミルーニャはにこやかな笑みを浮かべて黒蟲騎士団への態度を決定した。
休戦中とはいえ第六階層の騎士団が第五階層に駐留しているのを放置はできないが、この裏面が第五階層と言えるのかどうかは微妙な線だ。
それを公然のものとするべく箒レースを行うにしても、その前に居座られたから追い出す、というのはあまりに危うい。
その上、共通の敵を力を合わせて追い出したばかりである。ここで敵対意思を示すのは『流れ』というか『筋』が悪いと呪文使いの勘が言っている。
もしレース中に彼らが何らかの動きを見せたとしたら?
それでも今できることは無いに等しい。
消耗した状態で彼らを倒せるという思い上がりは流石に持ち合わせていなかった。何かをするにしても、トリシューラに協力を仰いでからということになるだろう。
発動し損なった呪詛爆雷が目の前に埋められていると教えられたような気分だった。
そして『地雷』はそれだけではなかった。
戦闘後、召喚された英雄グレンデルヒがその姿を隠すと寄り代となっていたアヴロノが意識を取り戻して私たちに話しかけてきた。
第五階層の機械女王トリシューラの最側近のひとり、マラコーダ。
外見から性別が判断できない不思議なアヴロノは助けてくれた礼を述べ、『呪文の座』との同盟関係をより深めるべく祝祭では全面的な支援を行うと約束してくれた。
そこまでは平穏な一幕だったのだが、マラコーダが生き残っていた害虫使い魔に止めを刺した時にその事件は起きた。
マラコーダの腰から伸びる巨大なサソリの尾。
それに対して新人隊員のローザが過剰なまでの嫌悪と敵意を示し、反射的に攻撃を行ったのだ。幸い相手は優れた戦闘能力を有しており、ローザが放った魔弾がマラコーダを傷つけることは無かったが、『智神の盾』の修道騎士としては明らかな失態だ。
平和的解決を行うべき宣教部隊にあるまじき行動を叱責しようとして思い留まる。
ローザの表情には恐怖が混じっているように思えたからだ。
「アズ隊長っ、そいつ『シュガ氏族』です! 西の森の魔王! 蛇蝎王の眷族ですよ! 異形の諸部族なんかと一緒にいたら殺されちゃう!!」
想定外の事態だった。
ローザはエルネトモランから遠く離れた北の文明圏、北辺帝国からやって来たアヴロノで、そこではこの地とは違った形での戦争が続いている。
上方勢力と下方勢力の戦いは落ち着いたと聞いているが、それよりも以前から続く妖精王同士の戦いはアヴロニアの大地が天空の月のひとつになってからずっと続いているのだ。シュガ氏族というのは、北辺帝国が成立するより前から全ての妖精王たちと敵対していた強大なアヴロノの一族らしい。
同じ種族であることと敵であることは両立する。
ちょうど、私がついさっき夢馬を殺したように。
かつて鹿の古老たちがペリュトンの一族から夢馬たちを追放したように。
ローザにとってマラコーダは異獣でしかない。
ティリビナ人たちがキノコ人たちに向けていた視線と同じまなざし。
それは私が貫くと決めた殺意だ。
そこかしこに憎しみの種が植えられている。
芽吹きの春、祝祭の季節に、咲き誇るのは美しい花ばかりではない。
毒々しい生命は荒々しく土を割り、相容れない種を駆逐して生存を希求する。
それでも私は諦めきれない。
『ティリビナ人と仲良くしたい』とローザは言った。
心からの言葉かどうかも信じ切れない、そんな言葉ではあっても、私はそれを聞いた。彼女はそれを実践している。裏切りの予感は希望を捨てる理由にはならないはずだ。
言理の妖精語りて曰く。
私たちは憎しみを乗り越え、手を取り合うことができるはずだ。
今は無理でも、きっといつかは。
祈るように左手を伸ばす。
その資格をとうに失った血塗れの手で、私は争いを止めるために呪文を紡いだ。
ここではないどこか。いまではないいつか。
私ではないわたしが、誰かと向かい合っている。
「しばらくあなたの夢にお邪魔させていただきます。嫌とは言わせませんよ? 私を殺したのですから、このくらいは受け入れて貰わないと」
浮上していく。
意識があるまま夢を見ているかのような気分。じっさい夢なのだろう。
奇妙な感覚に戸惑いを覚え、続いて疑問を抱く。
これは何だろう。
私は今、どこにいる?
「ようこそ、アズーリア・ヘレゼクシュ。招待に応えていただけて幸甚の至りですわ」
気が付くと私は見知らぬ空の庭園に招かれていた。
白いテーブルを挟んだ向こうには大きく広がった耳の犬頭の貴婦人。
ライラと呼ばれていたキノコ人武装勢力の協力者。
私が殺した、私の敵だ。
「さて。早速ですが共闘しませんか?」
「冗談にしては笑えない」
意識は曖昧でも敵意は明確だ。
この相手と手を取り合う意味はない。信用もできない。
どうして生きているのかを問うまでもなく、死後に夢の中に現れるような怪物を警戒せずにいるのは無理というものだ。
しかしライラは身勝手に話を進めていく。
「共闘といっても、今の対立構造を崩して仲良しこよしをするつもりはありません。それとは別に、より上位のレイヤーでの協力ができないかというお話です」
全く話が見えない。
依然としてライラから私への戦意は消えていない。
この状態でどんなふうに協力すればいいというのか。
ライラはどこからか取り出した扇で口もとを隠し、続けて言った。
「直に矛を交え、確信しました。あなたは私の同類です」
強烈な反発と敵意がわき上がってくるが、耐えた。
言葉には意図がある。私はいま、ライラの発言の正確な意図を掴めていない。
それでも言わずにはいられなかった。
「私はあなたとは違う」
「同じですよ。試練を与えられた神の人形。異獣を駆逐する神の戦士。あなたはその覚悟を既にしているはず」
九槍アズーリア。私は槍神教の犬であり、その意味ではライラと差がないという指摘は確かにある意味で正しいと言えるかもしれない。
「神に選ばれた自民族以外はヒトではない。同胞を守るためには全てが正当化される。英雄として振る舞う以上、敵と味方を切り分けねば大切なものを守ることなどできない」
英雄か否かなど問題ではない。それは誰もが了解しているルールだ。
どの程度まで徹底するかは別にして、あらゆる選択を拒否し続けることなどできない。
「『歌姫』とやらの言葉は確かに耳に心地良い。異なる他者同士が手を取り合い、助け合うことは美しく素晴らしい。相手からの拒絶と否定を考えなければの話ですが。『分からず屋』がいる限り、理想の外側を排除するしかないでしょう? 私を敵と定めていることがその証明です」
押し黙る。否定できない。だが肯定もできない。
内心ではその通りだと思っていても、私は言葉でそれを受け入れてしまうわけにはいかなかった。そうしてしまえば、私はハルベルトと同じ景色を見ることができなくなってしまうような気がした。
ライラはそんな私を愉快そうに観察していた。
それから次の矢を解き放つ。
「マロゾロンドと直に話をしたことがありますね? その時にどう感じました?」
唐突な問い。話の繋がりが見えない。戸惑いながらかつての記憶を掘り返す。
「どうって。神託というか、曖昧な助言を貰っただけ。私の存在を掌握しようとはしていたみたいだけど、その問題は解決した」
「変だとは思いませんでしたか? 愛すべき眷属を使い捨てようとする無慈悲さ。これが親が子にする仕打ちでしょうか。こんなものは自分の神ではないと感じませんでした?」
「さあ。上位存在なんてそんなもの、と言われてしまえば諦めるしかないし、そこまでのショックは覚えなかったと思うけど」
そもそもパレルノ山ではマロゾロンドより前にペレケテンヌルという最悪の例を見てしまっている。あの機械の神がミルーニャにしたことを思えば、マロゾロンドだってこんなものだろうと考えるしかなかった。
しかしライラは私の答えに大層面食らった様子で渋面を作りながら低く唸ってしまう。
「今どきの子の感覚はそうなのね。いえ、これは私が父を直接知っているからこその違和感なのかしら?」
と独り言のような呟きを漏らした。
どうやら相手の期待する返答はできなかったようだが、結局この虹犬は何が言いたいのだろうか。ライラが一呼吸置いて扇を卓上にぴしりと置いた。まどろっこしいと感じたのは相手もだったのだろう。今度は端的に結論から切り込んでくる。
「私はここ最近、夢の中で父であるレメス神からのお告げを聞いています。現実での私の行動はそのお告げを指針にしたものと言っていいでしょう」
「それで神の人形と?」
「それが本当に敬愛する父の言葉であるなら私は喜んで従いましょう。ですが、今の父はレメス神であってレメス神ではない。あなたが接触したマロゾロンドと同じように」
「どういうこと」
私が会ったマロゾロンドが、マロゾロンドではない?
ライラの言うことをそのまま受け取ればそういう話になるが、意味が分からない。
「結論から言えば、私とあなたは同じ眷族種にされてしまっているのです。とある『神』の影響を受け、『槍の民』という存在に仕立て上げられている」
「槍の、民?」
私は生まれてからずっと夜の民だ。
それ以外になったことなどないし、マロゾロンド以外の加護を授かったこともない。
確かに槍神はあらゆる守護天神の上に立つ絶対的な神格だが、その加護は槍神教文明圏を薄く覆っている程度のもので、ある種の『地上的視座』を規定するものだ。
『殺し、奪い、勝ち取る』という生物の原始的欲求。
それを肯定する。ただそれだけの野蛮な価値観。
「『槍神の眷族種』は存在します。英雄として見出されることがその条件。私は神の奴隷たる奉仕種族ですが、この瞬間に隷属させられているのは私が望んだ神ではない」
「私は隷属させられてない」
「どうやら拒絶に成功しているようですね。ケアヴには遂にできなかった偉業。あなたには可能性があります」
ライラは私に何を見ているのだろう。
確かな事は、彼女が私の在り方に利用価値を見出しているらしいこと。
「私は父を取り戻したい。虹犬種族の栄光、古代竜王国の『言葉の力』、私個人の我欲、そういった高貴なる使命とは別に、ただの娘として父を救わねばならないのです」
シンプルで、それでいて率直な心情だった。
あまりにも分かりやすくそれゆえに怪しい。
しかし個人的な野望を否定するでもなく単純に『父を救いたい』という独立した願いがあるというのはそれなりに説得力がある。
私が解体したライラという虹犬の起源、存在の根底には間違い無くレメス神がいる。
多分、本当だ。ライラは一貫してレメス神のために動いている。
「あなたも夜の民であれば、己の根源たるマロゾロンドを取り戻したいのではありませんか? 本来は優しい静寂で全てを包み込む寡黙な黒衣の神が、槍の神によって軽薄で胡散臭い雄弁な神格に貶められてしまっている。あの中身の無い饒舌さに苛立った事は? 私の神はあんなのじゃないと寝台の上でのたうち回った事は?」
「無いけど、あなたが自分のお父さんが大好きなのはわかった」
「ファザコンの何が悪いと?! 父と娘が愛し合ったからこそ現在の虹犬種族の繁栄があるのですよ! 近親相姦の禁忌など最初の女である私には適用されません!」
神話的スケールの愛情だった。
私にはいまひとつぴんとこないが、嘘はないのだろう。
問題はどうやって本物のマロゾロンドやレメスといった神々を救うかだ。
ライラは人差し指を立て、ある秘密を開示していく。
それは私にとってひどく意外な事実だった。
「私の知る限り、槍の民に覚醒した上でその宿命を完全に否定した人物はたったひとり。松明の騎士ソルダ・アーニスタだけです」
「総団長が?」
衝撃の事実だが、言われてみればあの赤毛の少年、冬の魔女への燃え上がるような恋に狂った優しい修道騎士が英雄たる槍の民というのは納得できる。おそらく九槍や四英雄のような大きな力を有した存在はみなその資格があるのではないだろうか。
ライラは言葉を続けていく。
「槍の民でありながら父神の権能を奪い取って勝利した特異点。彼は槍神の手駒たる大神院に面従腹背し、この世界槍でのみ絶対的な力を手に入れました。それは槍神に対する優越権。力を奪われ弱体化した槍神が他の神格を乗っ取らなければ活動できないのは、この世界槍ではもはや槍神として存在できないからです」
あのソルダが、槍神に勝利した?
中央の大神院と辺境の松明の騎士団が下方勢力との戦いで主導権争いをしていることは理解しているつもりだ。しかし話のスケールが広がりすぎている。
構図は私が知るものと同じだが、もはや人間界の話とは思えない。
夢の中にいるライラの目は私とは違った世界を映し出しているようだった。
「もはや『槍神』は別の存在に変質しています。大神院が崇める地上の最高神は既に名を奪われた負け犬に過ぎず、諦め悪く私の父やあなたの神に寄生して生き延びている厄介者の『邪神』に過ぎない」
「悪いけど、過激思想か妄想の類に聞こえる。あなたのような神話級の呪力を持った魔女が言っているのでなければ一笑に付しているところ」
自分で言いながらうんざりしてきた。
そう、レメスのために行動するライラの言葉に嘘はない。
つまりレメスを助けるためのこの解説は最悪な事に事実である可能性が高いのだ。
厄介なことに私には思い当たるふしがあった。
長老や両親から聞いた『語らずのマロゾロンド』と私が会った饒舌な神は確かにイメージが一致しない。そんなものかと流していたが、言われてみればおかしい。
「私はこの『元槍神』を便宜上『ハグレス』と呼んでいます。神話時代、紀元神群内部での権力闘争に敗れた巨人や邪神、この世界を裏切って来訪者たちに与した神々を蔑むためにある呪いの名です」
「それが私の知るマロゾロンド神の正体で、ソルダ総団長が槍神? 信じろと?」
虚しい抵抗の言葉だった。
既に私は納得し、信じてしまっている。
マロゾロンドの偽りを。
そして、ソルダに感じていた得体の知れない超越性を。
彼は英雄だ。
その上で神から与えられた運命すら否定できる強固な『個我』を有している。
彼の全てを焼き尽くす視座ならば、絶対神であろうとも否定してみせるだろう。
「中央の大神院と辺境の松明の騎士団が鬩ぎ合いを続けるように、この地では勝者たるソルダと敗者たるハグレスが上位の次元で存在闘争を繰り広げています」
堕ちた主神。
神を騙るものハグレス。
それが私とライラにとっての共通の敵。
槍の民である私たちの運命を操ろうとする偽りの造物主。
暗澹たる事実が判明するのと同時、どうしてか最初からこの夢の中に居座っていた蓬髪の男性が厳かに宣言した。
「はっきりしたことがある。今のお前を第五階層に立ち入らせるわけにはいかん。私の独断ではあるがな、『槍の民』という宿命に囚われた『赦し』などという甘ったるい猛毒は受け入れられないのだよ」
この人はなぜ、どうやってここにいるのだろう。
ミルーニャが叫び、その存在を解き放った瞬間に何かが起きた、ような気がする。
思えば彼はずっと目の前のライラと直接戦闘をするよりも、その裏側にあるより大きな流れに干渉し、私には知覚できないレイヤーで呪術行使をしていたような気もする。
ふわりと逆さまの英雄が浮き上がり、言った。
「マレブランケのアルレッキーノとして宣言しよう。アズーリア・ヘレゼクシュが『槍の民ではない』という確証が持てるまで、第五階層の主要都市部への侵入、すなわち紀人都市シナモリアキラとの接触を禁止する」
「え、でもそれは」
「祝祭だのライブだの再会だのがやりたければ、この私を倒すか『槍の民としての宿命』とやらを拒絶してからだ」
思っていたよりも衝撃が重かった。
私は何を期待していたのだろう。
何の甘えを抱いてこの場所にやってきたのだろうか。
馬鹿なことを考えるな。私は第五階層に責任を果たすためにやってきたのだ。
邪神の操り人形のまま、利用されながら誰かを救う事なんてできるはずがない。
「さて、どうしますかアズーリア。私と共にハグレスと戦う? それとも私が信用できないと突っぱねるのかしら」
「信用できなくても、共闘はできる」
「私も同じ意見です。いずれまた現実で殺し合うとしても、別次元の神話闘争では足並みを合わせることは可能。ええ、そういう割り切りができるのは良いことです」
にこりとライラが微笑んだ。
愛らしい犬の表情だ。毒のない感情に、ふと心が緩む。
これは隙だ。けれど、今の彼女は『味方』として切り分けられる相手だった。
「ハグレスは私たちの神だけではなく、様々な勢力に干渉してソルダを打倒しようとしています。修道騎士にも松明とは別の思惑で動く大神院の勢力がいるのでしょう?」
虹犬は『下』の種族だというのに、どこでそんな情報を仕入れてくるのだろう。
不思議に思ったけど、そういうのも神託でわかってしまうのかもしれない。
ハグレスの影響力は『下』にも及ぶのだ。
「いま、第五階層には邪神ダレッキノなど比較にならないほど強大な来訪者が集いつつあります。クロウサー、リーヴァリオン、ディスケイム。負け犬の神はこの三柱の周辺をちょろちょろと動き回って何かを企んでいるようです。これから私はハグレスの走狗として来訪者たちの闘争に介入しますが、可能ならいずれかの来訪者の力を利用してハグレスを滅ぼしたい」
「待って、クロウサーって言った?」
「まさしく。私があなたに期待しているのはそこです。ガロアンディアンとクロウサー家が合同で執り行う箒レースで勝負を仕掛けます。最高位の霊媒たる私とあなたでハグレスをレースに引き摺り出し、最強の来訪者たるクロウサーに轢殺させる」
思った以上に強引な作戦が出てきた。
というかそれで大丈夫なの? 負けたとはいえ元主神なんだよね、相手。
話を私に持ってくる理由は明らかになったし、今後の方針も明確にはなったけど、どうにも不安な気持ちが消えないまま。
ライラは確かに多くの知識に通じているし強大な力を持ってはいるが、それゆえに行動の方針がかなり大雑把なのでは?
「来訪者どもの動きには私も対処するが、それゆえに大きな身動きはとれん。ハグレスの対処はお前たちがするがいい」
「本当はできないだけのくせに。かつてのあなたの『中の人』には槍の民がいたはず。シナモリアキラになってようやく解放されたんでしょう? 私たちに苦手な相手を排除させるつもりなのが見え透いていますよ」
逆さまの男は目を逸らしてすうっと遠ざかっていく。
この人もあんまり信用できそうにないなあと思いつつ、私は小さく溜息を吐いた。
下界では人と人が断絶を深め、天界では神話的スケールの陰謀が繰り広げられている。
英雄と定められ、自らその道を選んだ私はその両方に立ち向かわなくてはならない。
それでもやるんだ。
私は邪神の奴隷なんかじゃなくて、チョコレートリリーのアズーリアなんだから。




